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口の悪い美少年

眠いだけで、何の面白みもない科学の授業が終わり、チャイムと共に欠伸をする。実験ならまだしも、ただ話を聞いているだけの授業は退屈以外のなにものでもない。


「次なんだっけ」


机の上に散らばったシャープペンシルや消しゴムを拾い集め、隣で必死にノートをとっている香織に話しかける。


「次は昼休みでしょ!」


「あ、そっか」


私としたことがうっかりしていた。嬉しい昼休みを忘れていたなんて。

私の問いかけに香織は苛立ったように答え、黒板とノートを交互に見ている。榊先生の授業は、専らノートをとるのが中心だ。先生があまり生徒を見ていないのと眠気に負け、香織は授業中の約半分以上を寝て過ごしていた。今はその報いをうけている最中らしい。


「まだ終わらないの?先に行ってるわよ」


早くしないと購買が混んでしまう。時計を見ながら言うと、香織は必死にシャープペンシルを走らせながら「先に行ってて!」と吐き捨てた。


「早くしなきゃ遅れるからね」


さっきはあんなに必死になって、急かしていたくせに。仕方なく教科書を片手に科学室を出る。


「ノートなんて誰かの写せばいいのに」


香織は変な所で真面目だ。私なら、今なら迷わず鷹瞳君辺りのノートを借りて写す。居眠りはするくせにノートは真面目にとるなんて、ちょっと理解できない。何度も小さな欠伸をしながら歩いていると、突然視界が真っ暗になった。


「うわっ!?」


「だーれだ?」


誰かに後ろから、目隠しをされてしまった。声や手の感じから、男なのはわかる。だけど、今までこんな古臭い事をされた経験がないため、即答できなかった。

こんな馬鹿な真似をするのは、一体誰だろうか。取り敢えず、やりそうな奴は2人しかいない。

多分、どちらかだろう。だけどやっぱり、手の感覚だけじゃ特定する事ができないし、間違えて恥をかきたくはない。


「あれ?黙り込まれるのは予想外やった。取り敢えずなんか言ってくれへんかなぁ」


答えられずそのまま黙っていると、困った様な声が聞こえてハッとする。

今、地味に関西弁だった。知り合いに関西弁を話す人は1人しかいない。


「ま、まさか……赤井先輩?」


恐る恐る呟くと「大当たり!」という声とともに視界が明るくなった。振り向くと、そこには笑みを浮かべた赤井先輩の姿。


「びっくりした。先輩だったんですね」


笑顔が引きつらないように、頑張って力を入れて口端を持ち上げる。すると先輩は、少し照れたように笑った。


「ちょっとばかし時間かかったけど、声だけで気付いてくれるなんて嬉しいなぁ」


まぁ、事実は声ではなく口調なんだけど。だけど、喜んでいる所に敢えて水を差す必要もないだろう。否定はしないでおく。


「どうしたんですか。随分上機嫌ですね」


いつも笑っているイメージはあるけど、なんだか今日はやけにご機嫌みたいだ。すると先輩は「そんな事ないで!」と相変わらず上機嫌で笑った。


「まさかこんな場所で美栄ちゃんに会うなんてなぁ。思わず構いに来ちゃった」


「アハハ……ありがとうございます」


構われて良いんだか悪いんだか。そう考えた時、ふと違和感を感じた。


「今、標準語で話してませんか?」


出会った時は関西弁で、関西キャラとして定着しつつあるのに、突然標準語を話されたら違和感を覚えざるを得ない。そう言うと、赤井先輩は、あぁそうかとぼやいた。


「美栄ちゃんに会った時は、素だっから。普段は標準語使ってるんよ」


「どうしてですか?」


そんな無理やり、標準語に合わせなくても良いのに。よく聞くと、イントネーションも微妙におかしい。


「ほら、生徒会って優等生イメージあるやろ?せやから、基本的には標準語でキャラ付けしとるんや」


「そうなんですか。大変ですね」


イメージを守るために、口調まで変えなきゃならないなんて気の毒だ。実際の所は、標準語と関西弁がごっちゃになっている感じだけれど。

私なら意地でも使い慣れた口調を押し通すだろう。この髪の毛の色と同じように。


「赤井先輩もそうですけど、やっぱりみんな、何かしらキャラ付けしているんですか?」


だとしたら、優等生も大変だ。先輩は僅かに眉を寄せ「アカンなぁ」とぼやく。


「赤井先輩やなくて、孝文って言うてや。なんか、めっちゃ他人行儀やん。そーゆーの嫌やねん」


「嫌って言われても」


相手は先輩だし、生徒会だし。呼び捨てしろなんて無茶だ。


「先輩は先輩ですし、名前呼びはちょっと」


そんな風に呼んでる所を見られたら、また新堂が不機嫌になるかもしれない。──いやいや、新堂なんてどうでもいいんだ。香織達に聞かれでもしたら、ただの知り合いだなんてごまかせなくなる。これが1番だ。


「まぁ、確かにな。せやったら、せめて名前に先輩つけてや。赤井先輩やのうて、孝文先輩」


「孝文先輩……」


まぁ、このくらいならセーフだろう。素直に従うと、先輩は嬉しそうに笑った。


「えぇなぁ、孝文先輩か。後輩にそんな風に呼ばれるのなんか久しぶりやし、なんか新鮮やわ」


そうか。鷹瞳君や新堂は確か、そのまま『孝文』って呼んでいた気がする。という事は、高岸君や満井君もそうなんだろう。


「ところで孝文先輩。なんで今日はそんなに機嫌が良いんですか?」


名前を呼び直し、もう1度聞いてみる。どう見ても今日の先輩は、異様に上機嫌だ。


「え?別に普通やし。俺はいつも、こんな感じやで」


「そうですか?」


嘘だ。絶対、何か良いことがあるに決まっている。妙にテンションが高い。孝文先輩の上機嫌の理由を探る様に見ていると、前から見慣れた生徒が駆け寄って来た。


「おーい、孝文!ここに居たのかよ」


息を切らせて走って来たのは、高岸君だ。呑気に立っている先輩を見て、高岸君は僅かに眉を寄せた。


「おう、涼太。どないしたんや」


「どないしたんやじゃねーよ。お前、なんでまだそこに居るんだよ」


意外とこの人は口が悪いのかもしれない。見た目が見た目なだけに、そのギャップに驚いた。


「こ、こんにちは」


一応挨拶をしておこう。顔を見ながら、声をかける。


「え?……あ」


そのとき、やっと私の存在に気付いたらしく、高岸君は僅かに顔を強ばらせた。


「し、識原さんも居たんだ。気付かなかった」


さっきまでの無邪気な表情が一変し、どこか緊張している様に見える。極度の人見知りっていうのは、本当みたいだ。


「なんや涼太。自分、まだ人見知りしとんのかい。ええ年なんやし、早よ克服せなアカンやろ」


「う、うるせぇな!わかってるよっ」


とたんに高岸君は顔を赤くし、眉を寄せる。なんだかそのリアクションは地味に可愛い。


「つーかさ、もう来てるんだけど。待たせてるんだから、早く行けよ」


「なんやて!?ホンマか!?」


孝文先輩は、再びテンションが上がったらしく、ぱっと表情を変えて声を上げた。一体、誰が来たんだろうか。


「ほな、俺急ぐんで行くわ。またな美栄ちゃん!たまには生徒会室に遊びに来ぃや!」


「は……はい」


一気にまくし立てる様に言うと、先輩は手を振って去って行った。残された私と高岸君は、無言のまま、互いに顔を見合わせた。


「孝文先輩、誰かと待ち合わせしているの?」


無言の状態はなかなか気まずい。盛り上がる自信もなかったけど、取りあえずそう聞いてみた。


「あ、うん。今、生徒会室に琴音さんが来てるんだ」


「そうなんだ」


なるほど、琴音さんが来ているのね。だから孝文先輩はあんなに急いで──琴音さんって誰?


「琴音さんって誰?孝文先輩の知り合いの人?」


「え?……あ」


そう聞くと、高岸君は「しまった」というような顔をし、苦笑いを浮かべた。満面の笑みではないけれど、初めて見た笑顔だ。


「つい口が滑った。この話は秘密だぜ」


高岸君はイタズラを思い付いた子供の様に笑い、立てた人差し指を口元に当てた。マンガではよく見る光景だけど、現実世界では初めて見た。しかし、なかなか様になっている。


「孝文には、琴音さんって言う彼女がいるんだ。アイツにはもったいない程のすごい美人でさ。今昼休みを利用して会いに来たんだ」


「へぇ。そうなんだ。なんか意外」


まぁ18歳だし、彼女の1人や2人居てもおかしくはないんだけど。だけどあの孝文先輩に彼女というのが、ちょっとだけ意外だった。


「美栄ちゃん。一緒に見に行こうか」


「え!?」


いつの間にか『識原さん』から『美栄ちゃん』になっている事に驚いた。これは高岸君が、私に対して人見知りではなくなった証拠なんだろうか。どのタイミングなのかはいまいちわからないけれど。


「確かにちょっと見てみたいけど。大丈夫かな。見つかったら、怒られるかもよ」


関西弁で怒られたら、かなりキツい気がする。しかし高岸君は笑いながら「大丈夫だろ」と軽く流してしまった。


「アイツ、琴音さんが自慢なんだよ。あからさまに自慢したりはしねぇけど、怒ったりなんてしないって。面白そうだし、行こうぜ」


「う、うん」


昼休みなのだから、何をしていても自由だ。香織を待つ約束にはなっているけど、このチャンスを逃すわけにはいかない。好奇心が勝ち、高岸君と一緒に生徒会室に行く事にした。


「つーかさ、いくら普段なかなか会えないからって、学校に呼ぶなっつー感じだよな。付き合いたてのバカップルじゃあるまいし」


慣れてくれた高岸君は、よく話す。そして、相変わらず薄幸の美少年の容姿からは想像できない程口が悪い。


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