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恋愛メインで短編集

告白

作者: 橘高 有紀

「だから、好きだって言ったんだけど」

 春近はるちかはずり落ちてきたメガネを押し上げ、ソファに浅く座った。体重をかけた分だけ、ソファが揺れる。ぽかんとした従姉のかなでは読みかけの文庫を開いたまま、しげしげと自分の足下に座る春近を見ている。

 動じているのかもしれない。

 だが、表面上彼女に変化はない。元々表情に乏しい人なのだ。

 タンクトップにショートパンツで三人がけのソファに転がる奏は、目のやり場に困るような無防備な姿だった。むき出しになっている細い手足は、日に焼けず白かった。外出時、念入りに日焼け止めクリームを塗っている効果だろうか。

 従姉は身内しかいない空間で、完全にくつろいでいたのだ。その安心感に亀裂を入れてしまうことを刹那後悔したが、発した言葉は取り消せない。

 春近は抱いた罪悪感を振り払った。安心感より危機感を抱かれる存在のほうが、数倍マシだろう。

 毎年盆になると家族で訪れるこの別荘に、今年は従姉もついてきたのだ。両親が買い物へ出ている今、珍しく従姉と春近は二人きりだ。

 風が通るリビングには、テレビと、首を振っている扇風機と、ソファセットがある。片隅に丸くなった雑種の飼い犬があくびをしていたが、しっぽを時折揺らすのみで動く気配もない。

 大きく切り取られた掃きだし窓からは、都心では見かけない白樺の木々が林立しているのが見えた。午後になって曇りだしたため、昼間でも室内は少し薄暗い。もしかしたらゲリラ豪雨があるかもしれない。

 セミの大合唱に混じって時計の秒針がカチカチと自己主張する程度には、沈黙が続いた。

「私を好きって、チカちゃんが?」

 ようやっと得られた反応は、怪訝混じりのものだった。弟ポジションであるゆえの「チカちゃん」呼びが、春近を微かに苛立たせる。だが、その声に僅かな緊張が含まれていたことも感じ取っていた。

「チカちゃん呼びやめてって言ってるのに」

 冗談めかした口調とは裏腹に、攻めるように奏の足下から春近は身を乗り出した。ソファに手をつくたび、きしむ音が響く。覆うようにして春近は好きな人を見下ろした。ソファの背もたれについた左手へ、体重が掛かる。

「聞こえなかったなら、何度も言うけど」

「……だぁってチカちゃんだしなぁ」

 小声で面倒くさそうにぼやかれ、春近は苦笑した。

「その言い方ひどくない」

「赤ちゃんの頃からずっと知ってる相手に、そんなこと言われてもね」

 文庫で口元を隠す従姉は、男から迫られても取り乱すことなく冷静だった。四歳の年齢差は大きいのか。身内だから何もされないと高をくくっているのか。春近に度胸がないと侮っているのか。

「いつまでもそこいないで、邪魔」

「重い?」

「読書中なの。気が散るからあっち行って。仕事の息抜きになんないじゃない」

 チカちゃんこそ今年は塾だと思ったのに、と奏は小さく毒づく。

 高校生の春近と違い、彼女は社会人である。短大を出てすんなりと地元の中小企業におさまった。詳しく春近は知らないが、経理事務をしているようだ。簿記一級を持っていて、ファイナンシャルプランナーの資格取得を目指しているらしい。

 春近の目に僅かな険が宿った。人が告白しているのに読書かと、苛立ちが勝ったのだ。

「仕事の息抜きに親戚と旅行?」

「悪い? この別荘好きなの。静かだし、景色いいし涼しいし」

「去年や一昨年は来なかったのに」

「おばさんが気晴らしにって誘ってくれたからね」

「なんか嫌なことでもあった?」

 水を向けながら、春近は奏が職場で上手くいってないことを知っていた。人間関係で悩んでいるようだと、母親が零していたのだ。

 彼女はつまらなそうに春近を一瞥した。文庫で隠れた口元は笑んでいたかもしれない。

「……チカちゃんに話したってね」

 従姉が読んでいたのはシリーズもののミステリだった。春近も名前を知っている作家の小説を、数冊持ち込んでいる。この休みに読み切る予定のようだ。

「あっ」

 不意をついて春近は文庫を奪い、お菓子や飲みもののあるサイドテーブルへ置いた。本を取り返そうとする細い手をつかむ。ひんやりとした白い手だった。彼女の手が冷えているのか、春近の手が熱いのか。

 批難の眼差しを向けられ、春近は口角を押し上げた。力を込めて逃れようとする手を、余裕を持って封じる。

「告白の返事は?」

「あるわけないでしょ」

「本気で好きだって言ってるのに」

 春近はつかんでいる彼女の手を、熱くなった自分の頬に当て、次に唇へ押し当てた。そのまま手のひらを返し、べろりと舐める。

「ちょ……っ」

「今、付き合ってる奴いないんだよね? いたらこんなとこいないし」

 身じろぎした奏が腕を引っ込めようとするが、春近は許さなかった。そのまま人差し指と中指を咥える。舐めながら横目で見た従姉は、目を瞠っていた。

 無言で彼女の手を弄び、春近はソファへと押しつけた。空いたほうの手で、先ほどまで文庫で隠れていた頬に触れ、耳元に触れ、梳くように髪へ触れる。ぎゅっと瞼を閉じた従姉が可愛くて、春近はキスを落とした。吸い付くように何度も、髪に、耳元に、首に、鎖骨に。

 身じろぎしながら彼女は春近をどかそうと抵抗する。肩を押し、耳元を引っかき、背中や頭を叩く。

「やめて、チカちゃん」

 そんな彼女を無視して触れながら、春近は冷たく考えていた。どこまでなら許されるだろうか、唇は流石に許してくれないだろうか、そろそろ止めるべきか。

 徐々に感覚が麻痺していくようだった。漂う甘い匂い(石けんだろうか、シャンプーだろうか)と、少し汗ばんだ柔らかな肌の感触がもっと欲しくなる。タンクトップの裾をたくし上げると、奏の白い肌がいっそう赤く熱を帯びた。余裕をなくし、身をよじった彼女の耳元で、春近は囁いた。

「かわいい」

 そのまま彼女の唇を塞いだとき、がちゃん、と音がしてふと春近の意識がそれた。その瞬間、背中にひやりとしたものが転がり、悲鳴をあげて飛び上がる。背中から落ちたのは二つの溶けかけた氷だった。サイドテーブルにあった飲みかけのグラスが倒れ、文庫を汚している。ポタポタと麦茶がテーブルからこぼれ、フローリングに広がっていたのを視界に入れたとき、腹に衝撃が走った。

 従姉の足が蹴り上げたのだ。

「調子、乗らないで」

 服の中に氷を落としたのは、唇を拭う彼女である。もしかしたら麦茶をかけるつもりで、グラスへ手を伸ばしたのかもしれない。結果、春近は氷と蹴りを貰い、本は麦茶に汚されたのか。

 服の乱れを直した奏がゆらりと起き上がり、濡れた文庫を突きつける。

「どうしてくれるのコレ」

 麦茶を倒したのはそっちじゃないのか――という反論は、許されなかった。傍にあったボックスティッシュで彼女は文庫を拭ったが、致命的なほどぐっしょり濡れていた。しかもページの後半へいくほど被害が大きくふやけている。

「ぼうっとしない」

 こぼれた麦茶を指さして「拭け」と命令してくる。台ふきんを取ってきてテーブルと、少し悩んで床も拭き取りながら、春近は小さく息をついた。

「……良い感じだったのに」

「はっ、どこが」

 しゃがんだ春近の腰を踏みつけながら、

「人の気持ち無視して、ふざけてる? 私のことからかってる? あとこれは弁償して貰うから」

 水を吸った文庫のページを開こうとして破き、忌々しそうに彼女は歯がみする。茶色のシミは派手に広がっていたようだ。

 その時、自動車のエンジン音が家族の帰りを告げた。のんびり寝転んでいた犬が、耳をぴくりと動かしてそわそわと動き出す。二人きりの時間はもうじき終わるようだ。予想していたより早かった、と春近は内心で悪態をついた。

「ふざけてないし、からかってない。真剣だけど」

 何気なさを装ってさらっと伝えたものでも、春近にとっては相当な覚悟を必要としたのだ。それをなかったことにされるのは、不愉快だった。年上ぶって、眼中にないと子ども扱いされたことも腹立たしかった。

 しかし、春近と向き合った上で振られるなら、気持ちに片もついたのだ。

 それは年下の甘えだろうか。

「あのね、さっきも言ったけどチカちゃんは私にとって――」

 台詞を遮るように春近が無造作に手を伸ばし、奏のタンクトップを引っ張った。

「その格好、油断しすぎじゃないの」

 紺色のシンプルなタンクトップからサーモンピンクの下着が覗き、奏は自身を抱きしめるように胸元を隠した。

「意外に胸あるよね」

 彼女の冷静な顔に亀裂が入る。

 玄関のほうから「ただいまぁ」と声がする。雨降ってきたから買ってきたもの持って入って、と母親の指示が飛んできた。それに「おかえり!」と返しつつ、春近は振り返る。従姉はクッションと足を抱きかかえていた。防御態勢だろうか。

「奏」

「呼び捨て許可してない」

「じゃあ、奏ちゃん」

 睨みつけられても構わず、春近は自分の鎖骨辺りをすっと指でなぞった。

「ここ、キスマーク付けたから」

「うそっ!?」

「うそ」

 声にならない声をあげる従姉は、クッションを春近に投げつけ、バタバタと部屋を出て行った。鏡を探しに行ったのか、着替えに行ったのか。

 不意に春近は右手で顔を押さえた。笑いが堪えられず、小さく肩を揺らし、やがて息をついた。あれほど狼狽えた彼女を見たのは、久しぶりだった。内心では取り乱してくれて良かった、とも安堵する。春近の目論見もろとも笑顔で呑み込まれる可能性もあったのだ。

 ――じゃあする? と応じられたら逃げ出していただろう。

 しかし、彼女は動じてくれた。

 弟扱いより、警戒されているほうがずっと良い。もう以前の気安い関係には戻れないかもしれない。荷物をまとめて「帰る」と彼女は言い出すかもしれない。

 スケジュール通りならあと三日一緒にいられるが、従姉はどう出るだろう。

 やってきた犬が、春近の複雑な心境を察したのか鼻面を寄せてきた。その頭や首回りを撫で、独りごちる。

「……やり過ぎた、かなぁ?」

 その声は、どこか痛みを伴ったものだった。




 荷物を運び入れ終わった頃、奏は暑いのにデニムと長袖のパーカー姿になって戻ってきた。一気に肌を見せない重装備である。恨みがましい目で春近を仰ぎ、辺りに春近の両親がいないことを確認すると、呪いのような低い声を発した。

「やっぱり付いてたじゃない」

「――バレた?」

 僅かに目を瞠った後、しゃあしゃあと春近が返事をする。

 怒り含みの笑顔になると、従姉は足を思い切り踏みつけ、ぐりぐりと体重を掛けてきた。消えないでしょうどうしてくれんのよ、薄着できないじゃない、という憤り混じりのものである。裸足なのであまり痛みはない。

「あ・や・ま・り・な・さ・い・よ。今度やったら許さないからね」

 彼女は年上ぶることをやめないようだった。関係が壊れることを半ば予期していただけに、こうきたか、と春近は苦く笑う。恐らく、姉としての寛容を示しているのだ。

 許さなくて良かったのにという本音を隠し、ぐりぐり踏み続ける奏の頭をポンと撫で、そのままくしゃりとサイドの髪に触れた。従姉と違い、春近は変化を望んでいる。それをわかって貰わなければ始まらない。

「あのさ、弟扱いじゃもう満足できないから」

 顔を寄せて彼女の耳元で、

「覚悟しといてね?」

 その一拍後、べちりと白い手が春近の頬を襲った。不意の猫パンチは直撃だった。

 え、と少年が目を白黒させていると、声を裏返しながら従姉はまくし立てた。耳まで顔を赤くして、

「ぶ、文庫と押し倒されたこととキスマークの恨みは、当分忘れてやらないから。それと、必要以上に近づくの禁止、口説くの禁止、触るの禁止!」

 そんなの無理、と内心で春近は否定した。今日の告白は、宣戦布告でもある。

「やめてよね。好きとか、チカちゃんが言わないでよ。なんで私なの? ずっと弟でいたらいいでしょ!?」

 泣きそうな声で言い放つと、従姉はあてがわれた部屋へ逃げ、拒絶するように扉を閉めた。ばたん、と派手な音が廊下に響く。

「でも、好きなものは好きとしか言いようないし」

 明確なきっかけは何だったか、もう春近は思い出せない。年に数回会う年上の従姉は、命令口調で自分勝手で乱暴で、つまらなそうに携帯を触ったり読書をしていた。他人に無関心で、年下の従弟など使いっ走りや子分程度の認識だったに違いない。

 その分、気まぐれに優しくされたり、構われると嬉しかった。笑いかけられたり褒められると、嬉しかったのだ。

「……なんでって、こっちが言いたい……」

 もっとかわいい子も美人も、スタイル良い人もいる。春近の好みは、ほがらかな明るいタイプである。刺々しくて素っ気ない奏は、まったく当てはまらない。だが、脳裏をしめるのは今日引き出せた表情なのだから、堪らない。

 あれを許すのだから可能性はゼロではない、と春近は己に言い聞かせ、好きな人に触れた感触を思い出し、しゃがみ込んで頭を抱えた。

 柔らかかったし、必至の抵抗がかわいかった。もっと見たかった。もっと触れたかった。

「いつまでも弟じゃないっつーの。ざまーみろ」

 初めて彼女に意識されたのだ。嬉しいに決まっている。告白は失敗ではない。

 チャンスを作って畳みかければ、もっと違う反応を得られるかもしれない。

 今はまだ堅く閉ざされているが、いつかこの扉が開くかもしれない。

 春近を受け入れてくれるかもしれない。

 さあ、どうやってこの先彼女を落とそうか。楽しげに春近は立ち上がった。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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