初恋パラドクス
この青春の箱庭には終わりは無い、なんて馬鹿みたいに考えていたんだ。
立春が過ぎた。
春とはいうがまさに立春その日が冬の真っ盛りではないのか。寒い、寒過ぎる。
焦茶色のダッフルコートはこの鋭く、まるで突き刺さってくるような北風には勝てない。
高校時代に慣れ親しんだ都川に沿って歩く。ここが通学路だった。一人で、友人と、そしてあの子と歩いた道。あの子はいつも幸せそうに言った。
「寧々ちゃんと一緒に居られるのがなにより幸せ!」
私の顔をにっこりと覗き込んで言うんのだ。
「私も幸せだよ。」だなんて無責任だったのか。
あの子はいつも言うんのだ。
「寧々ちゃんは本当に素敵!」
無邪気に、誇らしげに。
これはあの子の得意なおだてなんだなんて、最初は思ってた。そう、最初は。
次第に頻度が高まってきたあの子のおだてに私はあの子の無邪気さをみた。
何処にでもいるような、ただの普通の女子高生を褒め称えてくれるあの子の優しさ。あの子と友でいれる喜び。
だけど、共にいる時間が増えてくるほど見えてきたあの子。あの子の瞳に映っていた私はどんなものだったのだろう。
あの子が他の友人といる時と、私といる時でなにか違った。何なのか。よそよそしい? 否。まるで近くにいるのに複雑に絡み合った糸のように蟠りがあってむしゃくしゃになっている。
この糸はあの子が、きっと、生み出した。
その正体に気付くまで私はなんだか、寂しかった。
なにかの琴線が張られてるように、不用意に近づけない。
いつの日かそれは甘くてそれはもう世知辛い果実をあの子が育てていた、という事実に気づいたのはいつだっけ。いつの間にかそれが確信に変わったのはいつだったか。
嫌悪、とかそんなんじゃない。ただ、私はあの子の思いには近づけないきがした。ただ、それだけ。
それに気づいても、私たちの関係は変わらなかった。あの子も、私も、今まで通りだった。
そうして、私たちは高校を卒業して疎遠になっていった。
あの子は今どうしているだろうか、なんて今そんなことが思い浮かんだのは偶々じゃないんだろう。
きっと、今の私はあの時のあの子だ。
不用意に育ててしまった果実はどうすればいいんだろう。あの子は、どうしているのだろう。
空を見上げる。朱色がかった夕焼け空はまるだ空を焼け焦がしているかのようで。私の果実も共に焼いてくれませんか。
「寧々ちゃん?」
もう何年か聞いていなかった懐かしい青春の記憶の声
私は幻聴が聴けるようになったのか、疑った。驚きで止めてしまった歩。声の方に振り返る。ほんの数メートル先にさっきまで思いを馳せていた懐かしい人物が立っていた。
「凛…。」
綺麗に染められた明るい茶色の長い髪、ふんわりとした穏やかな瞳。
髪は大学生らしく染められているが、雰囲気も背の高さも変わってなんかいない、
ー私を好きだった人
「やっぱり寧々ちゃんだぁ…。後姿が寧々ちゃんぽいなって思ったんだけど、でも久々だし確信はもてなかったんだけど歩き方で、あっやっぱり寧々ちゃんって思ったんだ。」
あの頃と同じ笑顔を私に向けた。
「あ、歩き方って…そんなに私の歩きって特徴的?」
何年かぶりに会う旧友。自然な笑顔で迎える。
「可愛い歩き方だよ。」
面白そうに微笑んで、私の方に一歩一歩近づいてくる。
「ねえ、久しぶりにお話しない?」
私の目の前までくると立ち止まって、近くにあるベンチを指さして言った。
日が傾いてくる中、気温は下がっていく。だけどさっきより北風は吹いていなくて。夕日は私達を照らした。
私達はベンチに座って高校時代を振り返って笑いあって、大学生活の情報を交換しあった。昔の友人と笑い合えるのは楽しかった。まるであの頃に戻ったかのように。
「あのさ、寧々ちゃん恋人いるの?」
夕日さえも、消えていく頃だった。楽しい対話の時間の終わりの始まりだった。背筋だうっすら震えた。
-恋人
彼氏じゃなくて、恋人、か。
あの日のあの子の面影を思い出した。
「ううん、私なんかにできるはずないってば。」
あくまで、友人がさり気なく、そう、雑談に混ぜられたただの話の種としての答えに相応しく。
「え〜!寧々ちゃんは可愛いし面白いし楽しいから寧々ちゃんと恋人になれる人は絶対幸せになれるのにねー!」
えへへ、と笑って言った。
「いやいや…。」
少し彼女から視線をズラしてしまった。
「…、好きな人いるの?」
一呼吸おいてから発せられた言葉。私にはその答えはもう決まっていた。
「いないよ。」
隣の彼女が息を飲み込んだのがわかった。
「そっか。」
それだけ、答えた。彼女は真っ直ぐに前を向いた。穏やかな表情で、目の前の景色を。
私も目の前をあおいだ。
先には川が流れている。緩やか流れで。
「あのね、寧々ちゃん。私ね、ずっと、あの時のまま。」
ふとした瞬間、彼女の口から溢れたのは私が一番聞きたくて聞きたくなかったもの。私の胸からドバッと嫌なものが溢れて耳を塞ぎたくなった。
嗚呼。彼女に、彼氏でも彼女でも、できていてくれたら良かったら、と私は望むのだろうか。
「私は何も動いてないの。ずっとずっと止まったままでね、動こうとはしたんだよ。動こうとはしなくても動くものだと思ってた。でも駄目だった。」
ここまでいいきってから私の方に向き、失敗しちゃった、とでもいうように笑いかける。
ベンチの隣に植えられたら木に止まっていた鳥が飛び出した。
「大学ね、楽しかった。すごく。楽しいの。でもねふと、思い出すの。あの頃大好きだった人のこと。あの頃が一番楽しかった。幸せだった。…寧々ちゃんといる時が、一番楽しくて幸せで…!」
だんだん声に力が篭ってくる。彼女の痛みがヒシヒシと伝わってくる。
「別にね、これは私だけの問題なの。私以外は誰も悪くないの、悪くないんだけどね、私がずっとずっと1人でひきずってるだけなの。」
彼女は一呼吸の間瞼を閉じた。
「どうしたらいいんだろうって、あのときちゃんと告白して断られていたら…なんて、諦められたのかななんて、でも今になってはどうしようもないじゃん?」
彼女は自分のスカートをぎゅっと強く握りしめる。自分の心臓が握り締められるような心地だった。
私はなにも答えられない。答えたりなんて、しない。
きっとこれは懺悔だ。
「あぁ、私はずっと気持ち悪いまんまなんだなぁ…。もう何年も経ってるのにね、今更。私やばいなぁ。」
なんてね、なんて笑ってみせる。
-虚しい
私も凛も。
締め付けられたこの私の心に浮かんだのはこのただ一言だった。
私を好きでい続けた凛も、
何もできなかった私も。
さあ、私はどうしたらいい?
無力な自分自身に問いかけてもなにも返ってはこない。
辺りはすっかり暗くなってしまった。
ランニングをするお爺さんや、散歩する親子、学校帰りの高校生。
さっきまで見えていた人影はまばらになっていた。
彼女は立ち上がった。
「さてと、もう暗くなったし帰らなきゃね、久々に会えて楽しかったよ。ありがとう。」
凛は、強い。虚しさを抱えてもそれを持って共に強く生きようとしている。
じゃあ、私は? 私はなんなんだろうか。
「それじゃあね。」
凛はそう言って立ち去ろうとする。
「凛!」
私は私の不甲斐なさに耐えられなかっただけなのだ。
「私も、凛といて楽しかったしすごい充実した毎日だったから…ありがとう!…あと、話聞かせてくれて…ありがとう!」
なにもない勇気を振り絞ってついたもの。よく考えてみれば中身なんてなくて、また、空っぽの私を暴露しただけだったのかもしれない。
凛は驚く顔をしてから幸せそうに笑った。
また、日常が始まる。私の不甲斐なさばっかがあらわになる日常。
寝不足の瞳をこすりながら大学へ向かう。
「寧々ちゃん。おはよ。」
自分を呼ぶ声に振り返る。
そこにいたのは私の、大好きな人。
目の前に光が差し込む。彼女は私の光だった。
「もうすぐ卒業だね〜。」
しみじみと寂しそうに彼女は呟く。
「そうだね。」
私も寂しそうに呟く。
「あーもー!!寧々ちゃんと別れたくないな。本当に寧々ちゃん好き!!」
口を尖らせて言う彼女。
ああ、もう、本当に。
「まったくー…本気になってからいいな!」
冗談をいつものように、受け流す。
その言葉に、私がいつもどれだけ幸せななっているか。冗談なんてわかっていても。
「うーん…冗談じゃないんだけどなぁ…。いつも冗談冗談っていうけどさ!私はいつも本気だよ?」
私の顔を、じーっと覗き込んで見つめた。
もう、可愛いなぁ、もう。
「私は寧々ちゃんが好きだよ。誰よりも、本当に大好き。」
彼女の瞳は私の瞳を一点に見つめた。
ねぇ、これは本気ですか?
心の声はもちろん彼女に聞こえはしないんだけれども。
彼女は殊更に私を見つめた。彼女の瞳が大きくなって、彼女の輪郭が捉えられなくなると唇に温もりを感じた。
えっ、
もう彼女は目の前に見えた。そしてニコッと微笑む。
「これが私の本気だよ?気持ち悪かったら逃げていいよ?」
私は、昨日のことなんて忘れていただろう。罪悪感なんて、同類だなんて、私は。
私はきっと、最低だ。
それでも、私は今、人生で何よりも幸せだった。
私は彼女に思いっきり抱きついた。
「私も本気で大好き。」
彼女の耳に小さく呟いた。
彼女は幸せそうに耳を赤くした。