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ブルーデイズ  作者: fujito
第一章 蒼い日々の始まり
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【九日目】 メイの理由と私の過去



 ここでのこの時間は、掃除をする時間である。

 この城はとても広い。だからアンカ室長は、一週間で全部を回れるように、毎日、掃除場所と、人員の割り振りを決めている。

 昨日は再び、ユウカさんと二階の通路の掃除だった。もうそれで、三度目だったので、さすがに覚え始めていた。


 今日は、三階の通路と、ミランダさんに聞いていた。

 三階の通路は二階のように、複雑では無い。しかし、四階よりも、部屋は多いし、通路はそこよりは広いが、一人でも掃除が出来る範囲である。

 その三階の部屋の中の一つに、物置部屋がある。ミランダさんに初日に部屋の場所だけ教えてもらった場所だった。

 三階の掃除用具はそこにあると聞いた。

 掃除の仕方は、二階の通路と同じ。だから、掃除用具の場所さえ分かれば、自分一人でも掃除は可能である。

 三階に上がり、物置部屋に入る。広い部屋なのに、あるのは掃除用具と簡単な流し場。あとは、いくつかの箱だけだった。おそらくは四階の物置部屋と同じ広さである。

 そこで、ふと気がつく。


(……あ、四階にもここと同じような物置があったけど、あそこには確か……)


 思い出した。そして、思い至った。


 四階のその場所には、ここには無いベッドがあった。

 何故物置にあるのか、いや、物置にあるだけなら、使わないから置いてある、と言う可能性はある。しかし、そこは四階なのだ。

 私達が、普段寝泊りしている部屋は、二階にある。だから、わざわざ四階の物置に持って行かなくても、二階のまだ沢山あるはずの使っていない部屋にでも置けば良い。


 ならば何故そこにあるのか。


 あの時、あの五日目の日、”ひずみ”が起きた。そして、その後に、セリカさんがとても辛そうになり、休ませる為に部屋まで連れて行った。

 おそらくは、それが理由。そしてあの時、セリカさんも言っていた。

 部屋に連れて行くのかと、聞いた時、今日は、と答えた。


 だから、そうでない日は、あの物置で休むのだろう。

 あのベッドは、セリカさんが、”ひずみ”の後に使う為に、あの場所へあるという事。


(じゃあ、あのベッド……多分、今でも使われてるんだ……)


 今度、ちゃんと話を聞いてから、必要ならそこの手入れもしようと考え、この三階の通路掃除の準備を始めた。


 ここの通路はエレベータと階段がある付近を真っ直ぐ進むと、物置部屋や、お手洗いがある。

 そして、その通路の途中に、横に行く別の通路がある。そちらを真っ直ぐ進むと、室長室。

 その室長室に行くまでの通路の両側に、社長やミカさんの部屋、大会議室、通信室、そして資料室がある。

 だから、三階は、全部で七部屋あるという事だ。しかし、各部屋が広いせいなのか、通路は部屋の数のわりには長い。そして、広い。

 もちろん二階はこの倍以上の長さや広さがあるのだが、物がほとんど無い為、通路の掃除自体は、そう難しくは無い。


 通路の掃除をしながら、もう一つ疑問が出来る。


(ここにも、いくつかプランターがあるけれど……これ誰がお手入れしてるんだろ?)


 この城には、いくつかプランターがある。

 一体、何時、誰が置いて、手入れをしているのか。掃除の時には、その台座は清掃するが、そのプランターの手入れはしていない。

 何度か見ていたが、今更不思議に思う。

 そのプランターの容器は陶磁器なのだろうか。少しおしゃれな物である。そして、そこからは、花では無い、何かの植物が見えている。

 ここの城と雰囲気は合っているので、不思議には思わなかったが、生活してくと、そんな些細な事も気になり始める。


(観葉植物……だと思うけれど、なんでわざわざ置いてるんだろ……)


 そんな事を考えつつも、通路の清掃を続けた。


 掃除も終わり、お風呂に行こうかとも思ったが、食事まで、あまり時間も無かった。ならば、先に服を洗濯しようと考え、一度自室に戻ってから、洗濯室へ籠を持って向かった。

 そこに、メイちゃんが居た。どうやら、メイちゃんも、服を洗濯するのだろう。丁寧に、洗濯機へ、服を入れているようだった。


「あ、メイちゃん。お疲れ様」

「アカリちゃん、お疲れ様。アカリちゃんもお洗濯?」

「うん。お風呂に行こうかと思ったんだけど、もうすぐご飯の時間だし」

「そうだね。……私も今日は遅くなっちゃった……」

「……あ、何時にお仕事終われたの?」


 メイちゃんは、私が四階フロアーを出る時は、まだ仕事をしていた。


「……うん、四時半頃までかかっちゃって……」

「え? そんなに?」

「……うん。だから、ミランダさんやセリカさんにも申し訳無くて……」


 私が部屋に戻った時は、確か《15:30》頃だったはず。だから、それから一時間近く、長く仕事をしていた事になる。


「……本当に……まだまだ、だよね……私……」

「で、でも、メイちゃんって、多分私じゃまだ出来ない事とか、もっと沢山お仕事してるんだよね。だったら……」


 私も、自分の服を洗濯機に入れながら、話を続ける。

 メイちゃんの洗濯機は、部屋と同じで私の隣だった。だが、服の量は、さすがに私と違い、多いようだ。いや、おそらく私が少なすぎるのだろう。


「うん、そうかも、しれないけれど……でもちゃんと同じくらいに終われるようにしてくれてるはずなんだ。……でも今日は、私が沢山ミスしちゃったから……」


 今日、あの時聞いた間違いの他にも、ミスあったのか。メイちゃんは、少し気落ちしているようである。

 洗濯物を入れ終わり、洗濯機を稼動させてから、私は、別の話題を話しかけた。


「……あ、メイちゃん。お部屋のカップのお手入れ、終わったの?」

「え? あ、そっちは大体は終わったよ。でも、またお手入れしないといけないかな……」

「そうなんだ。……あ、そうだ。私、カップ借りたままなんだっけ……」

「……え? この前のあのカップの事?」

「うん。あのネコちゃんの可愛いカップ。今、四階にあるけど……」


 メイちゃんも、洗濯機を稼動させてから、受け答えをしてくれる。どうやら、洗濯が終わるまで待つようである。私も元々そのつもりだった。


「あ、うん。今使ってもらってるし。……その、もしアカリちゃんが気に入ってくれたのなら、そのまま使ってくれて良いんだけど……」

「そうなの? うーん、じゃあもう少し借りてて良いかな?」


 私はまだ、そういった物も持っていない。発注したとしても、何時届くか分からない。そして、四階フロアーではしっかりと使わせてもらっている。


「うん。……ん、もし、アカリちゃんが良ければ、他のでも良いんだけれど」

「他の?」

「ほら、カップ選んでた時、あんまり時間も無かったし。もっと他のも見てもらって良いんだよ? それに、使ってもらえるのなら、アカリちゃんにプレゼント出来るし」

「……え? も、貰っちゃって良いの?」

「うん。私からは、そういうのしかプレゼントできないけど……」


 借りているから、そのうち返さなければ、と思っていた。

 しかし、プレゼントしてくれると言う。しかも、他の物でも良いと言ってくれた。


「……ん、じゃあ後で私の部屋で、他のも見てみる?」

「う、うん。……あ、じゃあ、その、……ちょっとその時、お話も、出来ないかな?」

「うん。じゃあ、これからだともうご飯になっちゃうから、その後に、お風呂に入ってからで良いかな?」

「じゃあ、その時に……」


 そして、話をしている間に、洗濯は終わっていた。相変わらずとても早い。


 その後、一度部屋に戻って、洗濯物をクローゼットに仕舞ったりしていると、晩御飯の時間になった。

 メイちゃんと一緒に、食堂へ向かい、リーゼさんの完璧を目指した、何かの料理を食べ、他の人達とも一緒にお風呂へ行った。

 お風呂上りに、髪を乾かしていたメイちゃんを待ってから、一緒にメイちゃんの部屋へ向かう。

 脱衣所でミランダさんに、娯楽室、と言われたが、今日は丁重にお断りした。


 そして、メイちゃんの部屋に入る。

 やはり、ものすごい量のカップ達である。あの時は、マグカップ類をメインで見た。今日は、他の物も見せてもらおうと思っていた。そして、お話がしたかった。


「ふわー、やっぱりすごいねー」

「そ、そうかな? やっぱり……」

「前は、マグカップ類の……あ、あそこらへんの棚を見せてもらったよね」

「うん。あの辺りの棚にマグカップ類はまとめているつもりなんだけれど、お茶を飲むのには、こっちとかもあるよ」


 大量の棚。それに綺麗に並べられたカップやスプーン等等。他にも色々ある。


「わー、こっちのは湯飲みなのかな? あ、こっちはティーポット類もあるんだ。すごいねー。あ、これ可愛いね」

「あ、そっちはそこのテラスで使ったりするんだよ。四階だと、ちょっと使いづらいかも……」

「うーん、そうだね。でもこれだけあると、見てるだけでも楽しくなるね」

「うん。こうやって眺めるの好きなんだ。でもそれだけじゃ、カップ本来の目的に合わないし……だから、皆が使ってくれれば良いなって」

「そっか。本来の……目的……か」


 大量のカップを色々見渡しながら、メイちゃんは、それを一つ一つ、丁寧に教えてくれる。

 確かに、色んな種類や、素材が違う物も沢山ある。これでは、手入れも時間がかかるのかもしれない。


「うーん、でもそうだね……目移りしちゃうけど、今使わせてもらってるのは、私すごく好きだし。四階で使うのには、あのくらいの大きさが良さそうだし……」

「そうだね。あのマグカップは割れにくいし。他の物だと割れるのもあるから……」

「え? 割れるの?」

「うん。最近のは、すごく割れにくいように作られてるみたいだけど、昔は簡単に割れたんだって。ここの物も、そういうのもあるんだ」


 食器が割れる、と言う経験はこれまで無かった。それくらい、今の食器は丈夫である。そればかりは、昔使っていたものも、同じであった。


「じゃあ、お手入れも大変なんだねー」

「うん。今じゃ皆、食器は割れない物だって思ってるけど。それは今だからそうなんだよ。だから、昔のカップとかは、もうあんまり無いんだって……」

「……そうなんだ。……ねえ、メイちゃんは、なんでこんなにカップとかを集めてるの?」

「え? ……あ、……うん……。……本当はね、お父さんの趣味だったの」

「そうなの? え……じゃあ」

「……うん、お父さんに、見てもらいたくて……」


 見てもらう。メイちゃんのお父さんに、この沢山のカップ類を。しかし、ここに来れるのだろうか。いや、おそらく来る事は出来ないかもしれない。

 そう思ったのだが、メイちゃんなりの、理由があった。


「……ここは、”ブルー”だよね」

「え? う、うん。そう、だと思うけど……」

「私のね、お父さん。”ブルー”の研究員だったらしいの……」

「……え!?」

 

 そして、メイちゃんは話をしてくれた。


「もう、アカリちゃんは聞いたんだよね。”初代ブルー空間”の事……」

「う、うん。セリカさんに……でも、今はもう、行けないって。入り口が無くなっちゃったから……」

「……うん。……お父さんはね、そこに居たらしいの。そして、多分、今も……」

「…………え…………」

「お母さんは、実家に居るけれど、それ以来止めちゃったの。……お父さんは、昔のこういったカップ類とかが、無くなっていくのが、嫌だったみたいなの。それで、集めて、そのうちまた、皆に使ってもらうつもりだったみたい……でも、もう家にはほとんど無くなってしまって……」


 メイちゃんの父親が、”ブルー”の研究員であり、そして、入り口が無くなった、そこに居た。そして、今メイちゃんは別の”ブルー”ではあるが、今そこに居る、と言う。

 だから、あの時、”初代ブルー空間”と聞いて、驚いたのだろう。


「……何となく……なんだけど。……もしかしたら、”ブルー”は繋がってるんじゃないかって。……だから、もしかしたら、”ブルー”の中にあれば、見てくれてるんじゃないかって思って。何の根拠も無いけれど…………それに私も、そんな昔の家が、好きだったから……」 


 そんな光景を、再現したかったのか、そして、それを、もしかしたら父親が見てくれているかもしれない。

 それは、メイちゃんの淡い期待。そして、メイちゃんの願いでもあるのかもしれない。


「……じゃあ、メイちゃんがここに居るのって……」

「うん。”ブルー抗体”あった事もあるけれど、本当は……」


 父親の事を知りたいから。多分、そこが一番のメイちゃんの理由なのだろう。

 そして、私は。


「……ねえ、メイちゃん。メイちゃんは、怖くなかったの? ここで、その……」


 何かを失う事。そして、私は、メイちゃんが何を失ったのか、まだ知らない。


「……うん。怖かったけど……今でも、どうなるか分からないけれど……」


 少し、考えてから、今度はメイちゃんが、私に聞いてくる。


「……でも、アカリちゃんは、どうして、ここに居続ける事を……その……」


 メイちゃんははっきりとは言わない。しかし、私は、今日はその事の話をしたかった。メイちゃんには、話しておきたかった。


「ご、ごめんなさい、アカリちゃん。……その事情はあるんだよね。……だから今の質問は無しで……」

「ううん、その、出来れば、メイちゃんには聞いてもらいたいの」


 そして、私は話し始めた。私の、事を。


「あのね、……私も、ここで何を失うのか、とっても怖いし、その時は、後悔、するかもしれないけれど。……でも、多分ね。ここを辞めたら……もう、行く所が無いの……」

「行く……所が……?」

「私、ここに来る前は、ミドルスクールと、アルバイトをやってたって言ったよね」

「……うん」

「……でもね、それ、一年以上も前の事なの」

「じゃあ……」

「ごめんね。まだ、自分でも上手くまとめられてないんだけれど。だから少し、長くなるかもだけど……メイちゃんには、お話、しておきたいの。本当の自分の事を……」


 メイちゃんは、それを聞いてから、部屋にあるソファーへ誘導し、そして、お茶を入れてきてくれた。

 どうやら、聞いてくれるようである。

 私は、そのお茶を少し飲んでから、ゆっくりと、話し始めた。


「……私ね。昔は、地方の所に住んでたんだ。その頃には、もう両親も居なくって。……だから、育ててくれたのはお祖母ちゃんだったんだけど。でも、その頃は、お祖母ちゃんのおかげで、ベーシックスクールにも、ミドルスクールにも通わせてもらったんだけどね。……途中で、お祖母ちゃんの具合が悪くなっちゃって……」


 メイちゃんは、静かに私の話を聞いてくれている。


「その頃は楽しかったよ。学校は、ちょっと遠かったけど。……でもね、お祖母ちゃんの具合が悪くなってからは、通ってたミドルスクールもあんまり行けなくなって。アルバイトはしてたんだけれど、一年よりもっと前かな……お祖母ちゃん、亡くなってしまったの」

「…………あ…………」


 一度、メイちゃんはこちらを凝視する。


「……だからね、お祖母ちゃんが居なくなってから、食べる物も、着る物も、どんどん無くなっていったんだ。……お金、無かったから。そういう物を売って、生活してたんだけど」

「で、でもアルバイトは……?」

「うん。お祖母ちゃんが居なくなってから、私しばらく呆然としてて。……しばらくしてから、ミドルスクールからも、退学の通知も来て。でも、そうだよね。そもそも、お祖母ちゃんのおかげで、行けてたんだし。……でも、その呆然としてた期間が長すぎちゃったから。少し落ち着いてから、アルバイト先に行ったら、そこのお店も閉店してたの。後で聞いたんだけど、そこのオーナーも、事故で亡くなったらしいの……だから、そのアルバイトもそこで終わっちゃった」


 祖母は、色々な伝手と、友人が居たおかげで食べ物を分けて貰ったりもした。そして、祖母が育てていた、わずかな農作物をその伝手で売って、わずかばかりのお金を稼いでいた。

 しかし、それはぎりぎりの金額だった。


「それでね、仕事を探したんだけど、とても小さな町だったから、仕事先はなんにも無くて。でもね、北の方の街に行けば、仕事があるかもしれないって、言われて、そこに行ったんだ」


 その頃には、家にあった物を、かき集めて、それを売ったりして生活していたが、もうほとんど無くなっていた。

 そして、当然資金も無くなっていた。

 祖母が育てていた農作物も、詳しくは知らないし、なにより、そのしばらくの間で、駄目にしてしまっていた。

 私は、何日かかったか、分からないくらいの日数で、ようやく街に行く事が出来た。そこに行けば、仕事が見つかり、普通の生活が出来るかもしれないと期待して。


「でも……何にも無かったの……私が出来る就職先は、そこでも見つからなかった……」

「そ、そこで、でも……」

「寝泊りはね、廃墟ビルの所で出来たんだけどね。ご飯は最低限だったし、そこまで移動で使ってた自転車も売って、何とか凌いでたんだけれど、それもで見つからなくって……。そんなのが、どれくらい続いたのかもうあんまり覚えてないけれど」

「……ん……」

「でも、もうお金も何にも無くなって、もう食べる事も出来なくなって……。それで、少ししてから、もう、駄目なんだなって、諦めて……」

「…………じゃあ、アカリちゃんは、その頃は…………」

「……うん。ずっと、家じゃない所で、生活してた。本当に、最低限の生活だったけれど……それに、自分の家も、戻っても、仕事も無いし。それに、町や他の人達の家からも離れてるから。今はもう、廃墟みたいになってると思う」

「じゃあ、もう実家には……?」

「一度だけ帰れたよ。……ここに、来る前に。でも、それは運が良かっただけなんだと思うの。私、もう駄目なんだなって諦めて、最後に、海を見たいなって思ったんだ」


 それまで、自分の住んでいた所は、何にも無い田舎だった。

 けれど、海と山に囲まれた所は、好きな風景だった。それに気がついたのは、そこを離れた後だった。

 私が行ったその街には、そういった山は無く、海は、少し離れた所にあった。


 だから、せめて、最後に海を見たいと、そう思った。


「それでね、海が見える所まで、なんとか行けたんだけれど……そこで、倒れちゃったの……」

「…………でも、アカリちゃんは今は」 

「うん。その倒れちゃった所がね、近くに看護医療学校があったんだって。そこの人に運良く見つけられたみたい。それで、いつの間にか入院してたんだ。……でも、そんなお金は無かったけど、言い出せなくて……でも、だんだんと回復してきた頃にね、ミカさんからスカウトを受けたんだ……」


 その後は、ミカさんから、準備資金としてお金を貰い、それで一度、家に戻って準備をした。

 そして、病院の支払いも、その資金から、払う事が出来たようであった。それをやってくれたのも、ミカさんだった。

 私は、生まれ変わった気持ちで、ここに来た。正社員になれば、もうあのような事にならないはずだと。


 衣食住が付く。

 例えその場所が、海の底で、見知らぬ空間だったとしても。

 その頃、それが無かった私には、必要な事だった。

 だから、ここに来た時は、資格が必要と言われて、驚き、そして戸惑った。

 もう、戻されたら、私は再びその生活に戻る。そして、その先は無いのだから。


 この事を、先にアンカ室長や、セリカさん、そしてミランダさんに話をした時、セリカさんに言われた。

 こんな事は、言い回る話ではない、と。

 私も、言いたい訳じゃない。不幸自慢なんてしたい訳じゃない。同情を受けたい訳じゃない。むしろ、忘れてしまいたい事だ。

 だが、それでも、それこそが私がここに来た、そして今ここに居る、その理由である事は、間違いない。

 

 そして、それを、メイちゃんには、話しておきたかった。

 メイちゃんは、ここに居る理由を話してくれた。私も、ここに居る事を決めた理由の話をしただけである。


「ごめんね……その、いきなりこんな事、話しちゃって……」

「…………ん、その、私は…………ん…………ごめんなさい、アカリちゃん……」


 唐突だったかもしれない。困らせたい訳ではなかった。

 しかし、いつかは話す気でもあった。

 だが、もう少し、間を置いてから、話をすれば良かったのだろうか。


 私は、その後、静かにメイちゃんの部屋を出た。


 自室に戻り、考える。


 何故私が、ここに居る事を決めたか。

 それは、何も、無かったから。

 住む家も無く、食事もほとんど満足に取れず、着る物は毎日同じ。 

 失う物は、何も無かったはずだった。


 しかし、どうだろうか。

 ここでは、居続けるには、自分の何かを失うのだ。

 本当なら、全てを失うはずだった、自分。

 けれども、私は今、五体満足でここに居る。


 生きる為に、お金を得る為に、それらの何かを、代償としないといけない。


 天秤にかけるには、重すぎる、現実であった。



お読みいただき、ありがとうございます。


少々重い内容の箇所で、中々上手く書けません。

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