【初日】 試験期間の始まり
胸が高鳴る。
目の前には、大きな白い建物。キャリーバックを片手に、私は船を下りた。
「大きい……」
感じたことを、そのまま口にした。
「ここが、これから、あなたが働く場所よ」
そう聞きながら、回りを見渡す。
青い、青い、海。そして、そこにぽつんとある、孤島。
その孤島に、象徴のように建っている、白く大きな建物。
答えてくれた女性は、〝ミカ・ワタリ〟という人だ。
ミカさんは、上下紺のパンツスーツ姿で、とても凛として見える。
ゆっくりと見渡しながら、私はミカさんに尋ねた。
「あの、……ここで、……私が働くんですよね……?」
「そうよ。 気に入らない?」
「いえ、そ、その……大きくて……それに……驚いてまして」
「まあ、驚くのは無理ないわね。私も、初めは驚いたものよ」
青い海に、青い空。そして、大きな建物。会社には、とても見えない。
どちらかと言うと、大きいことより、そちらのほうが驚いている。
そこに、スーツ姿のミカさんは、ミスマッチもいいとこだ。
あまりにも非現実的すぎて、不安になった私は、恐る恐る聞いてみた。
「……あの、ここで私は、メイドさんになるんですか?」
ミカさんは、最初は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑いながら答えた。
「ふふふ。面白い発想ね。でも安心して。ちゃんと会社の建物だから」
面白いだろうか。至極まともな意見だとも思ったけれど。冗談のようにも聞こえたのかもしれない。
ともあれ、今は他にも、聞きたいことは山ほどあった。
「……実は私、詳しいことは、まだちゃんと理解できていなくて」
私はまた、恐る恐る尋ねる。
すると、逆にミカさんに質問を返された。
「あら、私と、私の上司が、あなたの所に面接に行った時に、説明しなかったかしら。その時に、聞かなかった?」
そう言われて、少し思い出しながら、私は言う。
「……えと、仕事内容と、住み込み、ということは聞いてます……けど……」
「じゃあ、仕事の内容は、どう聞いていたの?」
再度、思い出しながら答える。
「……えと、事務作業と、炊事や洗濯、と聞いてます」
それを聞いて、ミカさんは少し目を見開いて聞いてくる。
「あら。そんな風に聞いてるの? 他には?」
「あとは、見回りのような作業もある、と」
ふむふむ、と言う風に、ミカさんが話し始めた。
「なるほど。そう聞いていたのね。ま、でも、確かに、大まかにはそんなところよ。
ただ、……少し、説明が不足していたようね。あの人が、もう説明は終わった、って言ってたから。……でも、そうよね」
少し困った顔になりながら、ミカさんが言う。
「そうね、……その通りではあるんだけれど。業務は、資料の作成や、まとめ、あと、あなたが言っていた、見回りは、巡回作業。本来は、そちらも通常業務として扱われるわ。ただ、試験期間には、その巡回作業は無いの。それから、炊事や洗濯は、住み込みだから、皆でやろう、っていうものだから。業務というと、ちょっと違うかもね。まぁ確かに、毎日やらなければいけないこと、ではあるけれど、ね」
確かに、聞いていた内容とは、少し違うようだ。
料理で仕事が出来る、と思い、楽しみでもあったから、少しがっくりした。でも、他の仕事の事も、聞いていた内容からは、そんなに違いは無い。誤差の範囲内、とも思える。
(何たって、正社員になれるかもだし……)
うん、がんばろう、と気合を入れる。だが、巡回作業というのは、とりあえず二週間は無いようだ。
そう思いつつ、説明されたの時を思い出す。
その辺りの説明をしてくれたのは、ミカさんではなく、男性だった。あまり饒舌そうでは無かったのを、覚えている。ミカさんの上司、だとは聞いていた。けれど、説明の時には、ミカさんはすぐに席を外してしまった。
戻ってきたのは、その男性が簡潔に説明を終えた後だった。そういえば、その男性の名前も聞けていない。
面接なんて初めてだったので、面接ってこんな感じなんだなぁ、と思った記憶がある。
説明されたことを反芻して、聞いた内容を思い出す。
〈業務は事務作業、巡回作業、後は炊事や掃除、洗濯等は行ってもらう〉
聞いた言葉を、よくよく考えてみた。
(……ああ、確かに間違いでは無いけれど、「後は」の先は、身の回りの事は自分でやりなさい、と言う事だったのかな。でも、じゃあ、言葉足らずだ)
衣食住は面倒を見る、と説明された後だったから、食材の費用負担は、会社で行ってくれるという事で、その先は自分でやりなさい、という事だと、ようやく理解した。
しかし、それは、当然の事だとも、今更ながら思う。ということは、業務内容は、事務作業と、巡回作業が、主ということだ。しかし、巡回作業とは、一体何なのだろうか。
(この大きな建物を、見回るのかな……)
ミカさんに、試験期間の二週間は、その業務は無い、と言われたが、本採用になれば、その業務もある、ということだ。
そこを聞きたいと思ったけれど、先に、ミカさんに促されてしまった。
「詳しい話は、中に入ってからにしましょうか。業務自体は、慣れてしまえば、そう難しい事じゃないから。さ、こっちよ」
私は、少し大きめのキャリーバック引きながら、後をついていった。
これからは、住む所を面倒見てくれる、という条件であったので、私は、これから使うであろう物や、私が持っていける物は、ほとんどこのバックに入れてきた。
着る物等も面倒を見てくれる、とは聞いていたのだけれど、それでも最低限は必要なのではないかと、なんとか集める事が出来た、日用品と、衣服が入っている。
他にも大事な物や、あれと、これと……と入れていたら、このキャリーバックでも、いっぱいになってしまった。
ミカさんは、私に気を使ってか、ゆっくりと先導してくれている。向かっているのは、会社、
といわれた建物。なのだけど、そこが普通じゃない。
白い建物は、どう見ても、”お城”にしか見えないのだ。
中世ヨーロッパのお城。
(……私は、”お城”には、あんまり詳しくないけれど)
昔、おとぎ話を聞いたときに、想像したような、〝お城〟そのものだった。
周りを見渡すと、〝お城〟の周りには木々が生え、とても、のどかに見える。私が着いた船着場は、”お城”からはちょっと延びた、コンクリートの場所だった。
(テーマパーク、じゃないよね)
そう思うほど、見事な〝お城〟。しかし、客のような人は居ない。それに、ほとんど人気も無いように感じる。これが、真っ暗闇なら、ホラー映画にでも出てきそうだ。
ミカさんの後をついて歩くと、そのすぐ先に、〝お城〟の入り口のような、門が見えている。
ゆっくり見渡すと、〝お城〟と木々の隙間から、いくつか、ボートのような物が見えた。
(……なんだろう? あれ、……あ、人がいる――)
遠目で、あまりよくは見えないが、何人か、ボートの近くに人が居た。
「あの、あれは……?」
歩きながら、ミカさんに聞いてみた。
「ああ、あれね。そうね、それも後で、ここの人に教えて貰って」
そう言って、教えてくれなかった。
少し、不安になってきた。いや、ここに来るまでも、何度も不安になっている。つい、きょろきょろしてしまっていた私を、ミカさんはちらっと見て言った。
「色々、疑問に思っているようだけど、ごめんなさいね。でも、ちゃんと後で説明するから」
そう言われた頃には、もう門は目の前だった。
古めかしくも見えていた、”お城”の建物だったが、こうして近づいてくると、所々、近代的な箇所も見えてきた。見えていた、大きな門から入るのかと思っていたが、その横に、小さな金属性のドアがある。
そして、その横に、液晶の機械が付いていた。どうやら、こちらが通常使うドアのようだ。
ミカさんは、そこに手を当てた。その後、出てきた画面に数字をいれている。ドアは、プシュっと横に開いた。
あ、自動ドアなんだ。と、つい思ってしまった。
「そのうち、あなたも登録する事なるかもね。」
そう言って、中に入って行く。私も、その後をついて入った。
中に入ると、そこは〝お城〟の中庭のようだった。
今ここに、ドレスの女性や、紳士服の男性でも居れば、やっぱり、私はここの、メイドになるんじゃないか、と思ってしまうだろう。
入ってきたドアから、〝お城〟の入り口らしきドアの所に、石畳の道が続いている。そこを歩きながら、ミカさんが言う。
「ここはね、昔あった、本当の〝お城〟を改築して、作ってあるの」
「はい……」
まぁそうだろう、というか、そうでなければ、テーマパークの〝お城〟だと思う。それぐらい、ちゃんとした〝城〟だ。
「でも、中は、ちゃんと全部、揃ってるから」
そう言われるが、どう返せばいいのだろう。
(全部、とは、何が全部、なのだろう……?)
そう思うが、口にはしない。
中庭を過ぎると、先ほどと同じような、認証式のドアが見える。先程と同じように、ミカさんはそこを開け、中に促す。ゆっくりと中に入ると、ふんわりといい香りがした。
(あれ? 何の匂いだろう……? いい香り……)
そう思いつつ、周りを見渡す。やはり、想像していたような、”中世のお城”そのものだ。
ただ、窓は、しっかりとガラスが張られているし、床は、綺麗な絨毯が敷かれている。通路沿いには、いくつかプランターが飾ってある。
だが、こういう所にあると思っていた、絵画や彫刻、鎧らしき物等は無いようだ。
「どう? 中も、雰囲気は良いでしょ?」
中を見渡していた私に、ミカさんは言う。
「……はい。綺麗ですね」
そこは、率直に思ったことを口にした。
「さ、こっちよ」
先を促すミカさん。私は、そう言われて、ミカさんの後をついていく。
ミカさんは、先導しながら言う。
「階段もあるんだけれど、今はその荷物もあるし、エレベーターにしましょう」
「え? エレベーターがあるんですか」
私は驚く。
「言ったでしょ? 中は、ちゃんと揃ってるって」
「は、はい……そう、聞きました……」
そうは言われるが、こんな”お城”に、エレベーターとは、予想していなかった。
ついて行った先には、エレベーターの入り口らしき、両開きのドアがある。
そこは、認証式ではないようだ。横に、少し見え辛く加工された、ボタンがあった。
どうやら、あまり雰囲気は壊さないように、工夫されているようだった。よく見ると、上と下のボタンがある。
(あれ? ここは一階、だよね。じゃあ、もしかして、地下、もあるのかな……?)
「重い荷物とかね、そういうのを運ぶのには、どうしても必要だったの」
エレベーターを待つ間、そう言われる。
そして、ポン、と軽い音がして、ドアが開く。
「さ、入って」
そう言われ、エレベーターに乗る。中は結構広い。
ミカさんは三階を押した。ミカさんが押したボタンを見る。
そこには 〝B1〟 〝1〟 〝2〟 〝3〟 〝4〟 のボタンがある。
やはり地下がある。どうやら、地下含めて、五階もあるようだ。
外から見た敷地だけでも、結構な広さに見えた。それで、五階もあったら、掃除も大変だろうな、と思う。
エレベーターは、上に向かっているようだ。そんな中、ミカさんは言う。
「まずは、ここの室長に会うから」
「え? ミカさんじゃないんですか?」
つい、私がそう言ってしまった事に対して、ミカさんは、クスッと笑って答える。
「いいえ。私はね、部長なの」
そう言われたが、どちらが偉いのか、どういう違いなのかも、私には分からない。
「これから、室長に会って、そこで、詳しい説明を聞いてもらうわ。その後は、その室長に引き継いでもらって、ここの案内をしてもらうことになるわ。
……ああ、荷物はどうましょうね。持って行ってもいいけれど、先に、あなたの部屋に置いて行ってもいいわ。どうする?」
矢継ぎ早に、そう言われる。
「え? 私の、部屋……?」
そこに食いついてしまった。
「ええ、そうよ」
「え……も、もう、ご用意していただいてるんですか……?」
「ええ、もちろんよ」
さも当然、という風に返された。
「え、え、えっと、に、荷物は持って……そ、その後で……」
私は、しどろもどろになってしまった。
ドキドキしてくる。私の部屋が、もう、ある、という。私は何か、とんでも無い事をしでかしたような、そんな気さえしてくる。
(――いけない!)
緊張してきた。私の部屋がもうあって、ここの室長がいて、そこまで準備されていて、室長はミカさんじゃなくて、それで、その人が怖い人だったらどうしようとか、もし、その人に、いきなり怒鳴られでもしたらとか、よく分からない事まで、不安になってきてしまう。
そして、エレベーターが開く。エレベーターの中の事が、ずいぶんと長く感じた。
すぐ不安がるのは、私の悪いクセだ。
「じゃあ、荷物は持って行きましょう」
ミカさんは、それだけ言って、エレベーターから降り、先に進んでいく。
ミカさんについて行くが、足が、少し震えているようだった。通路は、一階と同じような雰囲気だが、窓から外が良く見える。外は、青一色でとても綺麗なのだが、今の私に、それを楽しむ余裕は無い。
通路を曲がると、その先の方に、少し大きめのドアが見える。
今や、ミカさんのスーツよりも、私のキャリーバックと、私のほうが、この雰囲気に合ってない、と感じてしまう。
ドアに着くと、ミカさんはノックする。
「私よ、入るわ」
そう言って、ドアを開ける。
ドアを開けると、いかにも偉い人のお部屋ですよ、という風景があった。
「あら、いらっしゃい。待っていましたよ」
奥の窓際にある、大きな机の向こうに座っていた人が、立ち上がって迎え入れてくれた。
(あ、女性だ……この人が、室長なんだ……)
そう、少し驚いてしまう。私はもっと、厳ついおじさん、みたいなを想像していたからだ。
「いらっしゃい、アカリ・アオノさん」
真面目そうな女性だ、と思ったのが第一印象だった。
茶色のジャケットと、スカートスーツ、白のブラウスを着ており、ネクタイはしていないが、少し軍服のようにも見えなくもない。
怖そうな印象はないのだが、顔には表情があまり無いように見え、厳しそうな人だな、と感じる。だからなのか、私はやはり、緊張してしまった。
「あ、あの……は、初めまして。あ、アカリ・アオノ……です」
すこしガクガクしながらお辞儀し、ゆっくりと顔を上げ、その女性を見る。
やはり、ミカさんのような、笑顔は無い。
「私は、ここの室長を務めている、アンカ・ダムマイアーです」
それに、ミカさんが補足をする。
「彼女が、ここの室長で、ここでのあなたの直属の上司になるわ」
「は、はい! よ、よろしくお、お願い、します!」
もう一度、お辞儀をする。もっと色々と、良い初めの挨拶があったように思えるが、今の私には、これが精一杯だった。
「緊張しているようね」
そんな事を、室長に言われてしまい、私はビクっとしてしまう。
「まぁ緊張しないで、って言っても仕方ないかしら……。当然よね」
ミカさんにフォローされる。
「え、えっと……」
何を言えばいいか分からないでいる私に、アンカと自己紹介してくれた室長が、語りかけてくる。
「ここの決まりで、なのだけれど、ここに来るまでは、詳細な業務説明や、ここの話は、詳しくできない事になっているの。
だから、ワタリ部長や、社長からは、ほとんど詳しいことは聞いてないはずです。
ですので、これから私から、この会社の事、業務内容や、ここでの事を、詳しく説明します。」
とても、聞き取りやすい声。いや、気にするのは、そっちじゃない。
今考えるのは、そう話されたこと。
(――うん。確かにその通り)
私は、これまで、詳しく説明は受けていない。特に、この会社の事は、全く知らないと言っても良いくらいだ。業務説明なども、ざっくりだった。
(というか、社長とは誰の事なのか……あれ?もしかして――)
私が、そう思っていた所に、ミカさんが話してくる。
「それについては、アカリさんには、少し謝っていけおかなければいけないわ」
「……え?」
「どうかしたのですか?」
「いえ、ね。ここに来る前の説明に関しては、トシオさ、――社長がしてくれたのだけれど……ね、どうも説明が、かなり簡潔だったみたいなの。それで、その事については、触れられてなかったみたいなのよ。」
(――やっぱり、あの人が……社長さんだったんだ。そして、その事、というのは、詳しい説明は、ここに来てから、と言う事。う、うん。あの人の説明は、すごく簡潔だった……せめて、この建物の事くらいは、教えて欲しかった)
室長は「そうでしたか」と答えた後に、少し考えてから、私に話しかける。
「ただ、色々とこちらにも、事情があります。……その理由はいずれ、分かる事でしょう。……それでは、そこに座ってください」
私は、今考えていた事を頭から振り払う。
「は、はい。よろしくお願いします。失礼します」
そう言って、用意されていた椅子に座る。
(そう。それを、これから説明してもらえるんだから……)
そう思ってから、はっと思い出す。私は肩に掛けていたポシェットから、小さなメモ帳とペンを取り出した。
そして、チラリとアンカ室長がミカさんを見る。ミカさんは何やら頷き、それから、アンカ室長は自分の席に、ミカさんも、少し離れた別の椅子に、ゆっくり座る。
「それでは、まず会社の事から説明します。」
私が準備するのを待ってくれていたのか、間を置いてから、話し出す。
「まず、この会社ですが、ここは通常の会社とは、少し異なります」
(……え?)
どういうことなのだろう。そう思い、アンカ室長を見る。しかし、場所も場所だし、建物も普通の会社と考えると、全然違う、ということに、私は今更ながら気がつく。
「この会社は、確かに民間の企業ではありますが、行っている業務は、政府の要請によって、行われています。」
(……え? 政府? ……要請? ……え?)
そんな事は、何も聞いていない。政府? そんな大きな仕事なのだろうか。そんな、大きそうな、重要そうな仕事だと、私が出来るわけが無い、と思う。
「ここでは、ここの観測調査や研究、その資料作成をしています。その調査結果資料や、研究結果資料などを、政府や各国に提出しているのです」
そこで、アンカ室長は、もう一旦間を置く。
「但し、それを行えるのは、現在は、我が社のみであり、ここには、資格が無いと、入社はできません」
いくつか、今まで出てきてない、聞いたことが無い単語が出てきた。だが、一番気になる単語を聞いてみる。
「……え? あの……資格、ですか?」
「はい」
私は唖然としてしまう。資格なんて、私は何も持っていない。それなのに、ここに来てしまった。
(でも、そもそも、そんな話は聞いていないし、でも……)
そう考えていると、ミカさんが変わりに答えてくれた。
「資格、と言うと、ちょっと勘違いしちゃうわ。資格というよりは”適正”、と言った方が良いわ」
(……それでも、分からない)
思い出してみると、確かに、適正があるから、と言う言葉は聞いていた。
だが、それも、よく考えると、そもそも、適正なんてどこで調べたのか、分からない。
つい条件や、タイミングが良かった事で、安請け合いしてしまったんじゃないか、と思ってしまう。
正社員になれる。その上、住む所も、食事も、着る物でさえも、会社で見てもらえる。
そんな良い面ばかりに、気をとられていた。でも、私は、そのような適正試験みたいな事は、何も受けていない。
(もしかして、他の誰かと、間違われている……?)
「……あの……え、えと、わ、私、その。し、試験とか、何も受けてないんですが……」
ここで、このまま働けず、戻されることの怖さと、私は何にも受けていない、と言う事実。
それでも、私にそんなスキルは何も無い、と言う自覚がある。
(でも、ここで、そのような事が必要で、……でも、ここには、そういう、何かが無いといけない……。
”なんですって!?”と、怒られるんじゃないのか。……いやそれなら、結局それで、戻されるんじゃないの……?)
そんな事を、ぐるぐると、考えながらも、そう、答えてしまっていた
だが、そんな風に、ぐるぐる考えていた私に、ミカさんが答えてくれた。
「いいえ、あなたには、適正が出たの。それが分かったのは、あなたが入院していた、病院よ。血液検査とか、したでしょう?」
「……え? え? あ……はい。それなら」
確かに、ここに来る前、私は病院に入院していた。そこで、色々な検査は受けた事は、覚えている。
「そこで、あなたに適正が出た事を、報告を受けて、あなたをスカウトしに行ったのよ」
(どういう事だろう……病院の検査で、何の適正が出たんだろう……そして、それを誰が、どのように報告したのだろう……)
そこまで聞いていた、アンカ室長が言う。
「あなたの資格、いえ、適正ね。それは私も資料で確認しました。当社は、おそらく、あなたなら、あなたがやろうと思えば、ここでの仕事に、従事することは可能だと、判断しました。
だから、ワタリ部長が、あなたをスカウトしに行ったのです。」
どんな適正が出たのだろう……とても、気になる。
「もし、試験期間中に、ここで働くことを辞退したい、と思えば……私に、言って下さい。……ワタリ部長、その事は?」
「ええ、話してあるわ」
そこまで説明されて、私は思い出す。私は病院を退院する頃に、このミカさんから、連絡を受けていた。
〈あなたに、合いそうな仕事があるのだけれど。話だけでも、聞いてみてもらえないかしら〉
その時私は、仕事を探していた事もあり、少し不安には思ったが、話を聞いてみる事にしたのだった。
〈もし、興味があるのなら、試験期間だけでもやってみてはどう?〉
ミカさんに、そう言われた時の事を、思い出す。
〈もちろん、あなたの意思は尊重するわ。二週間の、試験期間があるから。その間に嫌だとか、向かないとか思えば、入社を辞退する事は、可能よ。こちらとしては、是非、あなたには来て欲しいのだけれど……〉
会社の説明は、ほとんどされてはいないが、それほど難しい業務では無い、とも聞いていた。
私に来てほしい、そう言われたことが、嬉しかった。
そして、その時の私にとっては、ここの条件はぴったりだった。
少し、いや大分遠い所にある、と言う点以外は。
そういえば、それから、何度かミカさんと話をした時に、言われた事がある。
〈詳しくは、企業秘密でもあるから、今は私からは、あまり言えないけれど、業務自体は難しくないわ。入ってから、覚えて貰えばいいもの。
ただ……働き続けるのならば……一つだけ、とても……辛い事、があるかもしれないけれど……〉
どんな職に入っても、辛い事やきつい事は、沢山ある、とは聞いている。
いや、そもそもこの時代、職に在りつける、という事自体がとても難しい。
もし、ここを辞退すると、今度は仕事にちゃんと就けるかどうかが、とても不安だった。
いや、その自信も無い。その可能性は、私にはとても低い。
だから私は、とにかく仕事にありつけると思い、この話を、受ける事にした。
<じゃあ、簡単な説明だけになるけれど、私の上司から、説明して貰うから>
そして、しばらくして、一度だけ、ミカさんと一緒に、男性の人が来て、先程の説明を受けたのだった。
そして、私は思い直す。何はともあれ、運良く私に、何かしらの適正があって、仕事に就ける。
しかも正社員で、待遇もすごく良さそうである事には、変わりがない。
「もしかして、やっぱり、嫌、だったかしら……?」
その時の事を思い出していた私に、そうミカさんが聞いてくる。
「い、いえ、ま、まだそんな、ていうか……わ、わた、私は、その……わ、私でよければ!」
つい、考え事をしてしまっていた為、へんな言葉で返してしまう。
「そう。」
ミカさんはそれだけ言って、アンカ室長のほうを向く。そして、その後にアンカ室長が言う。
「……それから、もう一つ、ここでは大事な決まりがあります。」
「は、はい!」
なんだろう、と思いつつ返事をする。
「試験期間中であれば、いつでもここの入社を辞退しても良い、と説明は受けていますね」
「はい」
「……しかし、それは逆を返すと……ここに、正式に入社してしまうと、ある一定の期間、自らの退社は
認められないと、いう事です」
「……え?」
アンカ室長の後に、ミカさんが続ける。
「そして、それは試験期間の二週間で、あなた自身で見極め、決める事なの」
(……どういう事なのだろう。……一定の期間とは、どれぐらいなのか。……なぜ、……そうなったら、辞めてはいけなくなるのだろう……)
「……はい。その通りです。あなたが、ここで二週間を過ぎた後も、ここの仕事を続けるか否か、それは、私たちは強制する事は出来ません。……だから、……その二週間以内に、決めてください。……ここで、……何かを失っても、……働き続けるか、否か、を」
「……何かを……失っても?」
よく分からない。説明されているはずが、余計に分からなくなってきた。
ここが、政府や国の依頼で動いている会社で、病院での検査で、何かの適正が出て、ここで働き続けるかどうかを、二週間で決めなければならない。
そして、正式な入社後は、自由に辞める事は、出来なくなる。
一体、ここは何なのか、どういった仕事を行うのか。
そして、私に何の適正が出たのか。
たった二週間で、そんな事を見極めて、決めなければいけないのだろうか。
(……そんな事が、私にできるのだろうか……)
だけれども、まだ何も分からない内から、考えても始まらない。私は、まずは、試験期間をやってみよう。そう、もう一度決心する。
そこに、アンカ室長が聞いてくる。
「……それでは、試験期間を、受けられますか?」
「……はい!」
今日から、私の試験期間が、始まる。
お読みいただき有難うございますm(__)m




