【二日目】 アンカ室長
あの後、お茶を飲み終えてから、チュンさんは〈一度私は四階フロアに行ってくるから〉と、お茶を片付けてから行ってしまった。
そして今、私は、今部屋でベッドに横たわっていた。
チュンさんが行く前に言っていた。
〈今日は、色々聞かされて、アカリもまだ混乱してるだろうから、部屋で休んでていいから〉
それからあと二つ、今日の晩はメイちゃんとセリカさんが食事当番をやってくれると言う事、それから 掃除も入らなくて良いと言う事を聞かされた。
私は疑問に思ったがそこも説明してもらえた。
〈アカリが今一番やらなきゃいけないのは、まず今日聞かされたことを、しっかりと頭の中で整理する事だ。そして、しっかりと、今後どうするかを考える事。とても、難しい事だけど……〉
そう去り間際に言っていた。
時刻は《16:00》になろうとしていた。
(…………まずは、今日聞かされたことを頭の中で整理する事…………)
メモや記録は禁止されているので、頭の中で考えるしかない。
ぐるぐると今日聞いたこと、感じた事、そしてアンカ室長やミランダさんやチュンさん、それからメイちゃんの事を考える。
(そして、私がどうするべきかと言う事………………)
(チュンさんは、”味覚”を失った。
ミランダさんは”視覚”を失った。
アンカ室長は、”表情”を失った。
そして……、ここで働いている他の人達も…………
もし、私が、ここで働くことを決断したのなら、私も同じように……”何かを失う”。
けれども、その代わり、多額の給料を貰え、生活も保障してくれる。
もし、私がここで辞退したならば…………
…………………………きっと………………私は………………………………)
そして、この楽しかった、思い出も。
(……なら、私は………………)
(…………けれども……………………)
(…………それでも…………………………)
一つだけ、決めれた事が出来た。
(…………………………………………………………………………)
-……コンコン……-
-……コンコンコン……-
ドアをノックする音がする。はっと、っと気が付く。
どうやら、いつの間にか寝てしまっていたようだった。
「……アカリさん?」
ドアの向こうから声がする。
「……は、はい! い、今開けます!」
私はそう答えながらドアへ急いだ。
(この声…………)
鍵を開けてドアを開ける。ドアを開けると、予想通りにアンカ室長が立っていた。
「今、大丈夫だったかしら…………」
「あ、はい!」
「…………中には言ってもいいかしら?」
「は、はい、ど、どうぞ!」
ゆっくりとアンカ室長は私の部屋に入り、ドアを閉める。
そしてゆっくりと私の部屋を見る。
「……………………何も無いと、広いものね………………」
何も無いわけではない。
ベッドも、机も、棚も置いてある。
その後、私を見てからゆっくりと話し始める。
「………………ショック………………よね。あんな話をした後では………………」
「え、あ、えと………………」
表情こそ無いが、優しい声でそう言ってくる。
確かに、話自体はとても驚いた。
(ショック………………確かにそうかもしれない…………)
「………………こんな時間まで考え込むのも無理も無い事よね…………」
(……………………え?)
はっと気がつく。
そういえばいつの間にか寝てしまっていたのだ。
時計を見渡して見つけてから、時間を確認する。
(………………………………え!?)
《22:00》を過ぎていた。
一瞬見間違いかと時計を見直すが、時計は自分は正しいとばかりに《22:00》過ぎをしっかりと指している。
(あ、食事………………あ………………それにお風呂も…………あ……………………………………)
ようやくその時間を認めてから、その後色々やっていなかった事に気が付いていく。
「アカリさん、晩御飯……食べれる? もう遅いけれど…………」
ほんの少し寝てしまったつもりなのに、今の時間は正確だと言われているかのようだ。
「…………す、すみません。……あ、えと、食欲は、あります……けど……」
それを聞いて、少しほっとしたような声でアンカ室長は答える。
「……そう。食堂に、あなたの分は残っているわ」
それだけ言う。
少しの沈黙。
意を決したように、アンカ室長がその沈黙を破る。
「……もし、あなたが辞退したいのであれば…………いつでも言ってください。就業中なら室長室に、それ以外の時間ならば、私の部屋で…………いえ、今ここででも――」
そこまで言われてから私は答える。
「あ、いえ!私は……」
声を止め、それを聞いてから、私を促すようにアンカ室長は言う。
「………………アカリさんは………………?」
「……………………はい。……確かに、今日聞いた事は…………とても、その難しいというか、大変な決断をしなきゃならない、って思いました。……で、でも、その後…………チュンさんとお話したり、皆の事を思い出したりして…………」
「………………」
アンカ室長は黙って私の事を聞いてくれている。
「………………その……すぐに結論は……出せませんでした…………けど、せめて、試験期間の間に、しっかりと、考えたいって思ってます」
そう、それだけは、自分の中で結論が出ていた。
「…………じゃあ……?」
「はい! 試験期間内には、自分なりの答えは絶対出そうって、思ってます。…………でも、まだ、お話を聞けたのはチュンさんだけで。…………だからもう少し、他の人達の、その、お話とか、そういうのを、もっと聞いて、その、だから………………」
そこまで聞いてから、アンカ室長は答える。
「………………わかりました。……では、明日も、ここに居てくれるのですね?」
「……はい!」
それは、その時の私が出せた、精一杯の結論。
悩んだけれど、まずは、そこから。
それで、それでも、と思ったならば…………。
そして、それにアンカ室長が答える。
「…………分かりました。……では、明日のためにも――」
「はい」
「――晩御飯を食べてください」
(………………………………あ)
気が付かされた。そしてそのまま口にしていた。
「…………………………………………あ……………………………………………………」
(………………………………………………忘れてた……………………………………寝坊………………………………したんだった)
その後、アンカ室長に連れられて、食堂に向かった。
多分、アンカ室長はもう晩御飯も済ませていたのだろうが、私に付き合ってくれた。
食堂の調理室には、大事そうに、私の分の晩御飯が置かれていた。晩御飯はカレーがかけられたコロッケと、千切りのキャベツ。それからパンとスープだった。アンカ室長は私がご飯を食べてる間は、調理室で何かをやっていた。
(…………アンカ室長も、お料理が好きなのかな……?)
そう思いながら、遅めの晩御飯を食べる。
他には誰も居ない。
こんな時間だから、仕方が無い。
けれども、晩御飯はちょっと冷えてしまっていたけれど、とても美味しかった。
コロッケにかけられていたカレーは多分セリカさんのだろう……。
誰も居なかったので、私は食前の挨拶は自分でやった。
小声になってしまったが。
食後は普通に手を合わせてごちそうさまでした、と言った。
私は、今まではそうしてきた。
お祖母ちゃんに教わったやり方だ。
お祖母ちゃんと暮らしてた時はずっとそうしていた。
食事が終わって、ごちそうさまをした後に、アンカ室長が来て、私の前の席に座ってから言う。
「飲む? 食後のお茶」
どうやらお茶を立てていた様だった。
それはこれまで見た事無い、ガラスのポットと、ティーカップだった。
「あ…………有難うございます。……頂きます」
私は自然にそう答えていた。
ガラスのティーカップには、淡い色の、お茶だと思うお湯が入っている。
アンカ室長はすっとそれを一口飲んだ。
それを見て私もティーカップを持って口に付けようとする。
ティーカップを口元まで持ってくると、今までの経験では知らない、芳しい香りがする。
口に付けると、すこしすっぱい。でもその中にかすかな甘みも感じる。
「ラベンダーとローズヒップをブレンドしてみたの」
そう言われるが、私はお茶にはあまり詳しくない。
「ハーブティーよ。きっと落ち着くわ」
そう説明される。私は、結構好きな味だと思った。
「………………」
少しの静寂。時刻は、もうすぐ《23:00》になろうとしている。
「………………アカリさんが…………ここで続けると言うならば――」
そうアンカ室長が話し始める。
「――私の事くらいは、話しておいた方がいいわよね」
私は、この試験期間のうちに、聞いておきたいことが出来ている。
(そして、それを聞いても、私の心が変わらなければ………………)
「……と言っても、何から話したらいいかしらね。……アカリさんは、私に、これだけは聞いておきたい事とかって、あるかしら?」
表情は無い。
そう聞かされている。
だが、私の聞きたい事は、決まっている。
「アンカ室長は……」
アンカ室長はティーカップを置きこちらを向く。
「ここに居て、楽しい、ですか?」
それを聞いてから、ゆっくりと、アンカ室長は口を開ける。
「…………そうですね。…………私は……そう、楽しいと思っています。こんな時くらい、笑えたら、と思う事はありますが……」
そう言うアンカ室長には、表情が無い。
しかし、声色で、アンカ室長の気持ちが私に伝わってくる。
その表情が無くとも……
「……私自身は、そうですね。……困る、という事はありません。……ですが、周りの人達は、困る事があるのでしょうね……」
そう言われて、一旦間が空く。
私は、なんとなく、そんな事はない、と思い始めている。
アンカ室長は、初めは、怖い人なのかも、と思っていた。
でも、たった二日間だけれども、あまり、話もしていないけれども、そうじゃないと、思い始めている。
きっと、とても、ううん、すごく、良い人なんだと。
きっと、今も、私の事を、熱心に考えてくれている。
そうじゃなきゃ、こんな、わざわざ、私とお話をしてくれない。
「私は………………その…………………………すみません………………上手く………………言えないですけれど、……アンカ室長は、……良い人だなって、……そう、思ってます」
それを聞いて少し驚いたように、少し嬉しそうなように、声色だけだけど、その返事を、受け取る。
「…………そう。……………………ありがとう。アカリさん」
そうして、ゆっくりと、アンカ室長は話し始める。
「私は……ここの室長を任されてはいるけれど……それは皆のおかげだと、思っています。皆、私がこうして、表情を作れない事を知っています。……そして、それを分かっているように、私の事を、知ろうとしてくれます。………………だから、こんな私でも、……ここの室長をやれている、と思っています。………………そして、だからこそ、私は………………。ここで働き続けます。皆の、………………こんな私を、頼ってくれる、皆がいるから…………」
一気にアンカ室長は話してくれた。
その表情は無いが、
その声は、
嬉しそうに聞こえた。
そして、私は部屋に戻ってきた。
食事の後、後片付けをしてから見た時刻は、もうすぐ《0:00》を迎えようとしていた。日が変わる時間だ。
アンカ室長は最後にこう言った。
〈それでは、アカリさん。もしあなたが、明日もここでやっていくと言うのなら、寝坊しないようにしてくださいね。朝ご飯は7時半からですよ〉
そんなお母さんのような事を言ってから、アンカ室長は、部屋へ戻っていった。
お風呂に行きたかったけど、もうそんな時間は無い。残念だけど、明日も朝は早い。
それに今更だが、私は食事当番なのだ、と思い出す。
(あ、でもセリカさんが出てきたから………………)
ともあれ、出来る事からまっとうしないと。
(……それに、
……お風呂に入れる。
……ちゃんと食事が取れる。
……ちゃんとお布団で寝れる。
そんな贅沢な環境は、
久しぶりなのだから…………)
私は寝巻きに着替えて、明日は、寝坊しないよう、お祖母ちゃんから貰った、目覚まし時計をセットして、布団に入る。
先程寝てたばかりなのに、あのお茶の効果なのだろうか、私は、すぐに眠りに付いた。
お読み頂き、有難うございます。
どうすれば良い読み物になるのか、悩む箇所です……




