【二日目】 マシュマロ
「…………………………」
部屋に戻る最中、チュンさんはこちらを時折私を見ているようであった。
私は、その視線だけを感じながら、前、いや、床を見ながら部屋への道をトボトボと歩いていく。
階段で二階へ降り、十字路に来た所で、チュンさんが私に話しかける。
「…………アカリ、これから、ちょっといいよね?」
部屋を出たのが2時頃、長い時間に思えた室長室での事も、
まだ1時間くらいしか経っていないはずだ。
今日はもう上がっていい、とアンカ室長にも言われているので、時間、と言う事ならば、確かにまだまだある。
私は声は出さず頷く。
「ちょっと、お茶しない?」
「………………え?…………お茶………………ですか?」
「うん。まだ、テラスには行ってないんだよな、確か」
「………………はい……」
「ここには二つあるんだが、どっちも?」
「…………え、あ、小テラス、は昨日お掃除の時に…………」
「ああ、そうだったな。でもあの時は私が掃除した時を見ただけなんでしょ?」
「あ、はい」
チュンさんは気を使ってくれているのかもしれない。
だが私は、自分でも思っていたよりも、はっきりと受け答えが出来たので、それを聞いてか、チュンさんはだんだんと、これまでのように話し始めた。
「じゃあ…………そうだな、大テラスのほうが大きくて気持ちも良いんだが、よく使うと思うのは小テラスだしな。………………うん、じゃあ小テラスでいいかい?」
「はい。ではそちらで」
「じゃあ、私の部屋に来てくれ。ま、そこなんだがな」
十字路から、来た道をまっすぐに進んだ方、そこにチュンさんの部屋があるようだ。
十字路の突き当たりには、少し大きめの扉があるが、何の部屋かは分からない。
その一つ前がチュンさんのお部屋だった。
鍵を開け、チュンさんが中に入る。
「アカリ、入って来なよ」
そう言われて、私も中に入る。
チュンさんの部屋は、想像通りと言うか、イメージ通りというか、とても綺麗に片付けられている。
そして、メイちゃんの部屋と比べると、物が少ない。もちろん私の部屋と比べるとちゃんと生活しているであろう空間になっている。
私の部屋には無い、少し大きめの棚があり、本等が綺麗に並べられている。
その棚の上には古めかしい木製のボードが立てられており、紙の写真がいくつも飾られている。遠目なのでよく分からないが、どうもここで撮った写真ではないように見える。少し見渡してしまっていた私に、チュンさんが声をかける。
「アカリ、こっち来てー」
どうやら洗面室のほうに行ったようだ。チュンさんの部屋も私の部屋とまったく同じ間取りのようだ。
そういえば、物が、いや、大量のカップが置かれた棚が多くて気が付かなかったが、メイちゃんの部屋も同じだったような気がする。
チュンさんはどうやら洗面室でお茶を入れているようだった。
「私ほとんど煎茶しか持ってなくてさ、アカリ、これでも良い? 一応、貰った紅茶とかも少しならあるけど」
そう言いながら、チュンさんはお湯を沸かす。
それは私の部屋には無い物だった。
「…………あ、はい。煎茶で大丈夫です」
それを聞きながらチュンさんはお湯を沸かす。
水を入れてボタンを押すと、ものの数秒でお湯が沸く。
どうやらかなり高性能な湯沸かし器のようだ。
それから、用意していた急須にお湯を入れ、湯飲みを二つ、それからなにやらいくつか白い物が乗っているお皿を準備する。
お盆を出してそれに全部乗せてから言う。
「じゃあ行こう」
そう言ってお盆を持ってドアの方へ歩いていく。
私は何となしに、チュンさんを追い越して、ドアを開ける。
「ありがと。あ、ついでに鍵も閉めてくれるかな?」
片手でお盆を持って、もう一つの手で鍵を渡してくる。私はそれを受け取り、ドアを閉め鍵をかける。
小テラスは私の部屋の方の通路の奥だ。
どうやら、小テラスは内側からのみの、大きめのクレセント式の鍵だけのようだった。
チュンさんが先にテラスに出て、私もその後に続く。
そこに出て周りをその場所を見る。
”小テラス”そう呼ばれているそのテラスは、そう呼ばれるには似つかわしくないほどの広さがある。
私の部屋と同じか、それよりも広い。
テラスにはお洒落なテーブルが三つ、テーブルには同じデザインの椅子が三つ、全員で座るには足りないが、とてもお洒落なテラスが広がっている。
チュンさんは一番入り口から遠くの、一番海に近いテーブルにお盆を置いた。
チュンさんが私を見たので、私もそのテーブルの所へ行き椅子に座る。
それからチュンさんは急須のお茶を、湯飲みに入れながら言う。
「私さ、ここでお茶するの結構好きなんだ」
お茶が入った湯のみを私の前に置く。
湯飲みからはふわふわと湯気が立っている。
「熱いから気をつけてな」
そう言ってお盆からあの白い物が乗ったお皿を、テーブルの真ん中に置く。
「……あと、これ」
そう言ってから、チュンさんは自分の湯飲みを持って、ふーっと
少し息を吹きかけてからお茶を口にする。
「………………あの、すみません。…………気を使って貰って………………」
私はお茶を飲むチュンさんを見ながらそう言う。
「………………ん。まぁ、気持ち、分からないでもないから」
湯飲みを置いて、チュンさんはこちらを見て少し微笑みながら言う。
「………………私も、最初にあれを聞いたときはびっくりした。でも、…………そりゃそうだよね。うん。それが普通なんだと思う」
そう聞いてから、私も差し出されたお茶を口につける。
ちょっと熱かった。
ちょっぴり口に含むと、煎茶特有の風味がする。
すこし、苦い。
そういえば、チュンさんは……、と思い出す。
チュンさんは私を見てから、横を向いて海を眺める。
そよそよと、やさしく風が吹いている。
「…………………………あの……聞いても、……いい、ですか?」
それを聞いてチュンさんはゆっくりとこちらを向く。
そしてゆっくりと答える。
「…………ああ」
そして私もゆっくりと話し出した。
「…………………………チュンさんは………………ここでの生活は、楽しいですか?」
「……うん。ここでの生活は、気に入ってる。うん。楽しいよ。……すごく」
チュンさんは優しく微笑んでいる。
「…………チュンさんは………………どうして、……この会社に入ったんですか………………?」
本当に聞きたいのは別の事だったが、単刀直入には聞けなくて、少し別の質問になってしまう。
「………………うん。…………そうだね………………………………」
思い出すように目を閉じてからチュンさんは答える。
「私の、居た村は貧しくってな。……………………小さな、村なんだけど。それでも、良い村なんだ…………。だから、かな。村の皆に仕送りがしたくってさ。………………………………でも、街に出ても何にも職に在り付けなかった。…………………………それで、ね。ちょっと、病院で検査する事があって、さ。後は、多分、アカリとおんなじ」
「………………私……と…………」
「………………うん」
少し、間が空く。
「……………………あ、アカリ、これ食べた事ある?」
ふいにそう言われる。
真ん中に置かれているあの白い何か。
お団子、のようにも見える。
「………………お団子、ですか?」
そのまま私は口に出した。
「……ううん。違うよ。私もさ、ここに来て初めて知ったんだけどさ。”マシュマロ”ってお菓子らしいよ。メイはすごく美味しいって言ってた。食べてみなよ」
私はそう言われて、その”マシュマロ”を一つ手に取る。
とてもやわらかい。
そして、ゆっくりと、口に入れる。
ふんわりとした食感の中に、ゼリー状の何かが入っている。
すこし甘くて、とても美味しい。そう思ってから気が付く。
(でも、じゃあ、チュンさんは…………)
「どう? 美味しい?」
飲み込んだあと、そう聞かれる。一瞬迷ったが、正直に答える。
「……………………はい。……………………すごく………………美味しいです」
初めて感じる食感だった。
「そうか。うん。よかった」
その後に、私は自然に聞くことが出来た。
「……チュンさんは、ここに入って、後悔は、してないですか?」
「うん。してない」
そう言ってチュンさんも”マシュマロ”を一つ口に入れる。
私はその間にもう一度お茶に口を付ける。
少し冷めてきてちょうどいい温度になっている。
でも、やっぱりちょっと苦い。
その後にチュンさんが続ける。
「給料も驚くほど多いしさ。そのおかげで、今、村に十分な仕送りが出来てる。それに、ここでの生活は楽しいよ。そりゃ、仕事が大変な時もあるけどね。…………でも、あれだけの仕事だけで、こんなに沢山の給料も貰って、食事も、寝る所も、お風呂も、全部面倒見てくれてる。…………こんな仕事は他には無いんじゃないかって、思う」
一つ、間を置いてからチュンさんは続ける。
「仲間も、ま、中には変なやつも居るけどさ、でも皆、いいやつらだよ」
チュンさんは、目を閉じる。
私は一度下を向いてから、意を決して投げかける。
「………………でも、その代わりチュンさんは……………………その――――――――」
はっきりとは、口に出せなかった。
「………………うん。”味覚”を失った。……でも後悔はしてない。私の”味覚”が無くなるだけで、村の皆が普通に食べれるようになるんだから……」
「……………………」
人には、それぞれの価値観がある。
それは、私も分かっていた、つもりだった。
しかし、今、目の前で、それをちゃんと理解していなかった事に、思い知らされている。
「それに、さ。不思議なもんだよね。味はまったく分からないのにさ。匂いや食感はちゃんと分かるんだ。だから、たとえば、これ」
そう言って、中央の”マシュマロ”を一つ手に取る。
「私、これ好きなんだ。味は分からないんだけどさ。こう、なんて言ったらいいんだろね。ふわふわしてて気持ちが良いって言えばいいかな。味は分からなくなってしまったけど、こうして私は、私なりに食べるときの楽しさも見つけれてる」
そして、その”マシュマロ”を食べる。
確かに、食感を楽しんでいるように見える。
その後お茶を飲んでから、チュンさんは答える。
「……だから、私はここに入った事、そしてここに居る事は、何にも後悔してない。………………でも、それは私の場合。アカリは、……アカリなりの解釈で、自分で決めて欲しい」
「……………………はい」
はっきりと、私はそう答えた。
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