【一ヶ月後】 一ヶ月前の始まり
「アカリちゃーん」
「はーい」
「さっきの資料オッケーだよー」
「あ、有難うございます」
そう、隣の席の女性から言われる。
「早かったねー。もっとかかると思ってたんだけどねー」
「どんどん上達していくな」
後ろから、湯飲み片手に、女性が私の横を通りながら言う。
「え、あ、有難うございます」
女性が横を通る時に、そう答える。
「うん、その感じで、今後もがんばってくれ。期待しているよ」
そう言って、自分の席に戻っていく。
「うんうんー。どんどん追い抜いってってー。いいねー。新人だと思っていた人が、育ってくと、気持ちがいいやねー。」
「……あ、こちらも今資料入れました」
右前に座っている子が、後ろを向いて言う。
「おーおー。皆早くなったねー。うんうん、こっちも問題ないねー。おっけーだよー」
「うむ、皆作業が早くなるのは、良いことだ。ちゃんと計画立ててやっている証拠だな。
……で、そう言うお前はどうなんだ?」
先程の女性が、隣の女性の方を向いて言う。
「……え? あ、あー、んー。まー。も、もう少しかなー、もうちょっと、あとちょっと先かなー……」
「……また、やったな?」
「えー? いやー。その、ねー。……えーと。……はい、すぐやりますー……」
言い訳をしようとしたが、観念したかのように、隣の女性は作業に戻った。
私も、何をやっていたかは、大体察しがつく。
「あ、二人とも、整理と日報が終わったら、先にあがっていいよ」
前の女性から言われる。
私は、実は整理も終わっており、日報も、今の間に書いていた。
「あー、アカリちゃんは、もう整理は終わってるからー、ああ、日報も今、終わったねー、アカリちゃん。一番だねー」
隣から、作業をしながら言われる。
「あ、えと、それじゃあ……」
まだ皆が作業しているので、少し言いにくい。
「うむ、じゃあお疲れ」
先に言われた。
私は、荷物、と言っても小さなポシェットだけだが、それを持ち、席を立つ。
「……あの、それじゃあ、お先に失礼します。」
そう言うと、他の人達からも「おつかれさまー」と挨拶される。
私は、会釈をして、静かに部屋を出る。
今日は初めて、一番に上がる事が出来たみたいだ。いつもは、もう少し手間がかかって遅くなってしまうのだが。
今日は仕事が少なめだった事もあるが、自分でも、ようやく仕事をちゃんと回せるようになったかな、と思う。
部屋に戻ってくる。
大分、部屋にも物が増えてきた。時計を見ると、まだ3時を過ぎたくらいだった。
どうしようかな、と思いつつ、いつものように、お湯を沸かしお茶を入れる。
最近、ここの種類も増えてきた。じゃあ、っと、私はカモミールティーを選ぶ。
あ、そうだと思って、棚を開ける。昨日クッキーを、少し貰っていた。お茶請けにちょうど良い。
カモミールティーを入れたティーポットと、お気に入りのティーカップ、それからクッキーをお盆に乗せて、部屋を出る。
少し迷うが、いつもの方に行く事にする。
ドアを開け、外に出る。
心地よい風が、そよそよと流れていた。
今日は、まだ誰も居ない。
私は、いつもの席に座り、お盆をそのテーブルに置く。ティーカップにお茶を入れ、ティーカップを手にする。
ティーカップを口元に運ぶと、カモミール独特の香りがする。
目を閉じる。
今日は、計画通りに仕事が進んだ。おかげで、こうしてゆっくりとお茶が出来る。
ここに入って、一ヶ月。
ようやく、ここにも仕事にも慣れてきた。
(―――一ヶ月、か―――)
早かったようにも思えるし、色んなことがあったようにも思える。
ふと、思い出して、ポシェットから一つメモ帳を取り出す。
初めて、ここに来る前から、私が使っている物だが、もうそろそろ書く所が無くなる。そろそろ発注しないとな、と考えながら、メモ帳を開く。
一番初めのページをめくる。私の、あまり上手とは言えない字で、書いてある。
〔明日、私は初めての正社員になります〕
それが、このメモ帳に、私が一番最初に書いた事だった。
まだ、誰も来る気配は無い。
メモ帳をポシェットに戻し、クッキーを手にする。
昨日貰った、手作りのクッキー。
星の形をしていた。
一口食べてみると、始めはさくっとした食感があり、その後とろけるように口の中に消えていく。
そして最後に、ちょうど良い甘みが口に残る。
ティーカップを手に取り、また、ゆっくりとお茶を飲む。ティーカップを置くと、ふわりと風が吹いた。
もう一度目を閉じる。
私は、ここに来てからの事は、よく覚えている。
少し、思い出していた。
********************
明日、私は初めての正社員になります。
この就職氷河期、正社員になれるなんて、夢のよう!
でも、その就職先は、少し変わった所のようです。
そして、そこで働くには条件がありました。
それは、住み込みで働くこと。
住む部屋は、会社に在るんだとか。
そもそも、とても遠いところに、その場所があるからです。
だから、通いでは無理だ、と言われました。
確かに、場所を聞いたら、絶対に通いなんて無理! と思いました。
でも、そのかわり、衣食住はすべて、面倒を見てくれるそうです。
そして、二週間の試験期間があるそうで、その期間内であれば、その後も、働くかどうかを、自由に選択できるそうです。
仕事の内容は、事務作業と、巡回作業、あと掃除や洗濯、そしてお料理、と聞いています。他にも覚えれば、やれることは増えるんだとか。
とりあえずは、事務作業のお手伝いから、と聞いています。
事務作業が、私に出来るかどうかがわかりませんが、そこは一から指導をしてくれるそうです。
巡回作業、というのは、詳しくは説明を受けていないので、よく分からないけれど、多分、会社の見回りや点検のようなもの、だと思います。
でも、住み込みで、掃除や洗濯がお仕事なんて、なんだか、昔のメイドさんみたいだなぁ、とは思いました。
仕事のスキルは、何も無いと言って良い私にとっても、なんとか出来そうな事に思えたし、お料理は好きだし、そして、こんな私でも正社員になれる、と言う事で、ならばと、やってみることにしました。
私じゃ、どこも正社員では雇ってはくれないと思っていたから。
まずは、二週間がんばってみようと思います。
お給料も、聞いた限りではとても良さそうだし。何より、衣食住がつく仕事なんて、今はどこにも無いから。
今、私はそこへ行く船に乗っています。
お読みいただき有難うございますm(__)m
これより始まります。




