その22 やり直すために
三木さんの細かいセリフに渡るまでの説明が、私の知る事件の真相と繋がった。
「それがあなたに暗示をかける事だったわけね・・・」
「はい。目的は森田卓さんを誘惑して、妻のゆりかさんと離婚させること。それが何を意味するかなんて考えもしなかったし、暗示にかけられると、なぜこんなことをするのかさえ、考えられなくなりました。ただ私は、是枝のためなら何でもすると心に堅く誓っていました」
「そうだったの…そういう経緯があったのね・・・」
「暗示って、本当に怖いです。是枝を愛していた反面、かけられた術によって、森田さんも好きになっていく…そして大胆な自分の人格が形成されてゆく…矛盾だとわかっていても、自分に歯止めがきかなくなっていたんです」
彼女の声は震え、大粒な涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい…私は是枝が許せなかった。暗示も解いてくれないままに時が過ぎて、気づいたときには彼はあなたと結婚することになっていた。私は彼の出世のために利用されただけ。彼は私に何の愛情の欠片もないことがやっとわかったとき、私の頭にはもう憎しみと恨みしかなかった」
私は三木さんの話しを聞いて、身につまされる思いがした。
今までのモヤモヤしていた部分は、ほぼ解けたような気がするけれど、この真実を聞くと彼女に深く同情せざるを得ない。
「三木さん、もう謝らないで。私もあなたと同じことをしてきたんだもの。そんな私が人の事をどうのこうの言える立場じゃない」
「ゆりかさんが私と同じ事なんてそんな…」
「いいえ。同じ事よ。さっきも言ったけど、私も昔、暗示にかかってその人にどれだけ迷惑をかけてしまったことか…」
「その人は今何を…?」
私は一瞬ためらったけど、正直に名前を明かすことにした。
「その人って言うのは…森田卓さんなの」
「!!!」
三木さんは目を丸くして、声も出せずに驚いていた。
「私は2度も卓さんを突き放した。1度目は催眠が解けたとき。この恋は本当の恋じゃないとかたくなに思ってしまったのが原因だった。彼が私にとってどんなに大事な人かもまだ気付かずに」
「・・・・」
「2度目は、暗示にかけられたあなたと卓さんの浮気を許せずに、離婚を決意したこと。私は彼を2度もどん底に叩き落としてしまったようなもの」
「でもそれは私のせいですから…」
「ねぇ三木さん。私もあなたもこれまで毎日のように、反省と後悔の日々を過ごして来たと思うの。私は自分が幸せになる資格なんてもうないと思っていた。でもね、このままの生活を続けていたら家族までダメになる。もう誰にも迷惑はかけたくない。そのためには立ち直らなくちゃ!幸せをつかまなきゃって思えるようになったの」
「ゆりかさんは強い人ですね・・・」
「全然強くなんてない。私ひとりでは何も変わらなかった。いつも助言をくれたり、気にしてくれたりして支えてくれる友人知人がいなければ、今の私はこんな心境にはならなかったわ」
「うらやましいです。私にはそんな友人なんていないし、守る家族もいるわけじゃないから、立ち直る必要なんてないんです」
「それは違う!あなたにだって、心配してくれる親御さんがいるでしょう?」
「それは…」
「私はね、そのとき急に三木さんのことが頭に浮かんだの。きっと私と同じ思いをしてるに違いないって。絶望して自分の行く末を見失ってるんじゃないかって」
「・・・・」
「だとしたら、あなたが不幸のままで、私だけが前に進んで行くのはいけないと思ったの。共に被害者なんだもの。共に立ち直って共に幸せを見つけなきゃダメだって」
少しの間があってから、三木さんが言葉に詰まりながらも口を開いた。
「ゆりかさん、ありがとう。私のことまで考えてくれるなんて…今日までそんな人誰もいなかった…私のことなんか。。」
三木さんは感極まって、両手に顔をうずめた。
「ねぇ三木さん、私と一緒に誓って。新たな幸せを目指すって。あなたが約束してくれたら、私もこれから頑張れるわ」
彼女は顔を隠した両手をゆっくりとひざに降ろす。でも顔はまだうつむいたまま。
「ゆりかさん、私とあなたでは、罪の重さが違います。人ひとりの命を奪ったことは、簡単に償えるものではありません。例え是枝が悪い男でも、彼を亡くした親御さんにとって私は仇。しかも世間からはバッシングされ、身をひそめて暮らしています。それを思うと私が幸せを望むことはいけない気がしていたんです」
「言ってることはわかるけど…このままではあなたはダメになってしまうわ」
「はい。それは承知の上です。承知の上でした……さっきまで。。」
「え…?」
三木さんが真っ直ぐ私に顔を向ける。
「なんだかゆりかさんのおかげで、少しですけど、自分のこれからの人生を考えてもいいのかなって」
「もちろんよ。あなた自身の人生なのよ」
「本当に私のような者でも、刑期を終えたら幸せを見つけてもいいんでしょうか?」
「三木さん、あなたは充分に反省している。後悔もしている。その気持ちさえ忘れなければ、幸せになる権利は絶対あるものよ」
「ゆりかさん…ありがとう。私、なんとか前向きに進んで行けるよう、努力します」
「良かった。その言葉が聴きたかったの。私も頑張るから、あなたも頑張ってね!」
三木さんが少しだけ微笑んでくれた。今は化粧っ気がないけれど、メイクもバッチリキメれば、とてもチャーミングで魅力的な人。
「あの…ゆりかさんに聞いてもいいですか?」
不意に問われた私。
「ええ。構わないけど」
「森田さんともう一度やり直すつもりですか?」
私は答えに戸惑った。実際この問いに対する答えは私自身まだ出していない。
「ごめんなさい。それはまだわからないの」
「じゃあゆりかさんの言う幸せって、別な所にあると…?」
「いえ、そういうわけじゃないの。決してそういうわけじゃないんだけど…」
少し首をかしげる三木さん。遠慮がちに再び私に問いかける。
「あの…ゆりかさんは、森田さんと一緒に幸せをつかもうとしてるのではないんですか?」
「もちろんそうしたい気持ちはあるわ。あるんだけど…」
「何か迷いでも?」
「実際の話、卓さんが今の私のことをどう思っているのかわからない。それにさっきも言ったように、私は彼を2度も突き放した。そんな私が、あんなに純粋で献身的な人にふさわしいのかなって…」
「そんなことは決してないと思います」
「ありがとう。でもね、私の方から彼にアプローチすることはもうないと思う。都合が良すぎるもの」
「じゃあ・・・森田さんからアプローチが来るのを待つと…?でももし来なかったら…?」
「いいの。幸せは自分で探すもの。パートナーがいなければ幸せになれないとは限らない。別な形の幸せもきっとどこかにあるはず。今いる家族を大事にするものひとつの幸せだわ」
「やっぱり強いわ。ゆりかさんは…」
バス停のベンチで三木綾乃さんとの会話をおさらいしていた私。
頭の中からそのシーンも徐々に薄らいできた。そんな中、あらためて私は思う。
私からは彼の元へは行かない。それでこのまま卓さんから声がかからないようなら…
その時はもう終わりにしよう。
それが私の人生…
それが私の運命…
と、突然の急ブレーキの音。
ハッと我に返った私は、目の前の状況を確認する。
1台の車が、このバス停を通り過ぎたとたん、急ブレーキをかけて数メートル先で急停止していた。見覚えのある年式の古い中古車。
車から人が降りようとしている。心臓が高鳴った。私にはそれが誰かすぐにわかったから。
「───卓さん…」
(続く)