その20 バス停にて(前編)
私は帰りのバスを待っていた。
真昼の暑い陽ざしに、立っているだけで汗ばんでくる。
私はハンカチで顔や額を軽く叩くように拭きとった。
とそのとき、突然のいたずらな風。
バッグにしまおうとしていたハンカチが、私の手から道の向こう側の歩道まで飛ばされた。
「もう…」
横断歩道は目の前にはないけれど、町から離れた田舎道。交通量はほとんどない。
早足に道を横切りハンカチを拾いに行く私。
難なくそれを拾い上げ、バッグに片付けると、バスがやって来るのが見えた。
「あ…急いで戻らないと」
そう思って来た道を再び横切ろうとすると、逆方向からバイクのツーリング集団が。
後ずさりして歩道に戻り、ただ黙って通り過ぎるのを待つ私。
「バスが行っちゃう…」
そう呟いてもバイク軍団が止まってくれるはずもなく、長い行列を作った約30台ほどのバイクが、私の目の前を全て通過したころには、バスはすでに停留所を通り過ぎていた。
「ついてないわ…」
停留所に戻った私は時刻表を見て、次のバスの時間を確認する。
「ええっ?(゜〇゜ ;)次は1時間後!?」
町まで歩いて行くにもかなり遠い。それに今日はヒールだから長距離は歩けない。
私はチラッと停留所の後ろにある屋根付きベンチを見た。
今日はこれ以上、急ぐ用事も特にない。
私は迷うことなく、ここで1時間ゆっくりバスを待つことにした。
ベンチに腰を落ち着けた私。今日は彼女に会いに来て本当に良かったと思う。
気になっていたこともよくわかったし、彼女の気持ちも理解できた。
最初、面会を申し出たとき、係官の人にあまりいい顔はされなかった。
加害者を被害者の身内が訪れるなんて、普通なら修羅場になってしまうのが必定。
だから私も例外なく、そうなってしまうものと思われていたようだ。
こうして私はベンチでひとりバスを待ちながら、徐々に三木綾乃との会話を思い返していく。。
「いいですか。加害者を罵ったり、感情的になるようなことがあったら、すぐに面会は中止しますからね」
こう念を押されながら部屋に入った私。やがて彼女はやって来た。
「申し訳ありませんでした。本当に申し訳ありませんでした」
彼女は私を見るなり、深々と頭を下げた。
でも私の目的は彼女に謝罪してもらうことじゃない。
「三木さん。私はあなたに教えてもらいたいことがあって来たの」
彼女はうつむき加減で、やや首をかしげた。
「私が何を言っても言い訳にしかなりませんから…」
彼女は無表情のまま。
「そんなことはないわ。例え三木さんが言い訳だと思っていても、私はそれを聞きたいの」
この言葉にはすぐに反応した三木さん。
「どうしてですか?そんなことを聞いても、あなたの感情を逆なでするだけですよ?」
「いいえ。それは違う。この事件は三木さんひとりが悪いんじゃない。あなただって、よほど精神的に追い込まれない限り、人を手にかけることなんてしないでしょう?」
「理由はどうであれ、私は英之さん…いえ、あなたのご主人を殺しました。そして前のご主人とあなたの家庭も壊しました。私は…あなたをどれほど苦しめたかわかりません。許されなくて当然の罪…」
私は三木綾乃が哀れに思えた。思惑通りに利用されたがために犯してしまった罪。
それなのに今、生きて償っているのは彼女だけ。
「三木さん…確かに私も苦しんだ。でもそれは、死んだ是枝があなたにした仕打ちを思うと、恨むことなんてできないの」
三木綾乃は不思議そうに私を見る。
「例えそうでも、ご主人を失ったのに、そう冷静に思えるのはなぜですか?」
一瞬ためらった私。でも言おう。自分に正直じゃないと、相手だって素直に語ってくれないもの。
「私と是枝の夫婦生活はすでに冷めきってたの。もうお互い愛情のある関係ではなくなっていたし…」
「だからって…」
「ええ。確かに彼の死はショックだったし、悲しかった。けど正直、悲しみより不安が大きかった。残された子供たちのことを思うとね」
「・・・」
「私って薄情な女かもしれないけど、是枝の死にはあまり泣けなかった。結婚したとたん、豹変するように変わってしまった彼。出張だと言っては家に戻らない日も多くなった」
「…そうだったんですか」
「そんな中、彼は殺された。でも事件の背景にあった事実を聞かされたとき──是枝が人を陥れたために恨みを買ったと知ったとき、私は彼への同情が消えうせたの。そして新たに思ったのがあなたのこと」
「なぜ私のことなんか…」
三木さんは、いまだ不思議そうな表情を変えずに私を見つめていた。
「聞いてくれる?実は私もね、過去に暗示にかけられたことがあるの。それで、ある人を深く傷つけてしまったわ」
「えっ!?」
「もし私がその暗示を別な目的のために悪用されたら…って思うと、三木さんを責めることなんて到底できないの。どうしようもないのよ。暗示にかかりやすい人は、言われるがままになってしまうもの」
「あなたは…とても寛大な人なんですね。。」
「寛大だなんて全然。ただ暗示に関しては理解できるだけ。だからあなたの本当の気持ちを充分に理解して納得したいの。暗示にかかっていないあなたをね。この事件は起きるべくして起きたことだと」
「起きるべくして…起きた?」
「そう。愛してたんでしょう?是枝を。私と彼が知り合う前からずっと…」
「う…」
「だから許せなかった。利用するだけ利用して、暗示が解けた頃には彼は私と結婚していた」
「…そこまでわかってるのなら…」
「いいえ。これはあくまで、報道の情報と警察の人に伝え聞いたことのみです。私は、あなたの口から事実を知りたいの」
(続く)




