その19 幸せは呼び寄せるもの
僕が拘置所に来たのはもちろん生まれて初めてのこと。
やや緊張しながら三木綾乃さんと対面するのを待っている。
そばには係員がひとり。おそらく僕と三木さんの会話が始まってもずっと無言で聞いているんだろう。テレビドラマでもそうだもんな。
──あ、何か差し入れした方が良かったのかなぁ…?
慣れない場所に、ちょっとの待ち時間の間にもあれこれ考えてしまう。
思い立ったら吉日とはよく言うけど、僕は思い立つのがいつも手おくれだからどうしようもない。
でも、程なく三木さんが現れたので、差し入れのことなど頭から吹っ飛んでしまった。
「…森田さん!!」
三木さんはかなり驚いた様子で目を丸くしていた。
「どうも、お久しぶりです」
僕が軽く会釈をすると、彼女は僕より深いお辞儀をした。
「すみません…本来なら私の方からお詫びに行かなければならない立場なのに…」
どうやら三木さんは、僕がここに謝罪を求めに来たものと勘違いをしてるようだ。
「いえいえ、そんなことはどうでもいんです」
「・・え?」
ふと横を見やると、係員の人はやはり退席せずにそばにいた。しかも蝋人形のように無表情で動かない。
まぁいいや。聞かれてマズイことなんて何もないんだから。
僕は口ベタなので、話し始めるきっかけにいつも苦労する。
言葉に詰まってシドロモドロしていると、三木さんの方から口を開いた。
「森田さん、あなたがここに来られた理由はわかりませんけど、私はあなたに対して謝ることしかできません。許してもらえるとは思っていませんが、今の私にはこれしか…」
僕は慌ててそれを否定する。
「とんでもない。僕は三木さんに謝って欲しくて来たんじゃありません」
「でも…卑劣なことをしたのには間違いありませんから」
「そうですか…じゃあこれで充分、三木さんの謝罪の言葉は受け止めましたから、今日でもうそのことはキレイさっぱり忘れて下さい」
「なぜですか?なぜそんなに簡単に許していただけるんですか?」
三木さんは真剣な顔で僕に問いかける。
「僕のことに関しては、三木さんに責任はないからです」
「──えっ??なぜですか?私は森田さんを陥れた女なんですよ?」
三木さんは最初からまっすぐに僕を見ている。
こういったケースは、視線を落として目を合わさないものかと思ってたけど、逆に彼女の心にウラがないことがわかる気がする。
彼女の気持ちそのものが、アリアリとその表情に現れているのだ。
「三木さん。それはあなたの意思でやったことじゃない訳ですから、僕を陥れたことにはなりません」
「でも…森田さんがゆりかさんと離婚する原因を作ったのは私なんですよ」
やっぱり三木さんは責任を重く感じてるようだ。
「あの…言葉が悪いかもですけど、三木さんは利用されただけです。暗示をかけられてしてしまったことは、あなたの意思ではありませんよ」
僕の言葉に三木さんの表情が少しだけゆるんだように見えた。
「森田さんにそう言ってもらえるなんて、私、少し救われた気がします」
「僕は本当のことを言ったまでですよ」
「私…いろんな人から自分をこれ以上責めるなとか言われるんですけど、ご迷惑をかけたご本人様が許してくれない限り、私は自分を責め続けるべきものだと考えていました。またそうしなければ反省したことになりませんもの」
やはり彼女の本心はそうだったんだ。
来て良かった。彼女の重荷を少しでも軽くしてあげないと。
「三木さん、僕がココに来たのはですね、失礼な言い方ですけど、あなたが絶望的になって精神的にも参ってないか気がかりだったからなんです」
少し首をかしげる三木さん。
「…なぜ私のことなんか気にかけてくれるんですか?」
「だって、三木さんも僕同様、巻き込まれただけじゃないですか。でなけりゃ、あなたは絶対こんな場所にいる人じゃありません」
「でも、結果は結果ですから…それに私は人を殺めました。どんな理由があっても許されることではありません」
「それはわかります。わかりますけど、僕が言いたいのはですね。三木さん自身が、自分の人生を反省だけで一生終わらせて欲しくないんです。ここで自分の未来を諦めて欲しくないってことです」
「・・・・」
「あなたはここで充分に罪を償うんですから、刑期を終えたら胸を張って社会復帰してもらいたいんです」
「森田さん。。どうしてそこまで?」
「昔、三木さんに作ってもらった手作り弁当、本当においしかったですよ。催眠術にかかってたとは言え、心がこもっていたに違いありません」
「・・・・」
「あなたは人を好きになったら、とことん尽くす人だと思いました。本来ならあなたは家庭的な人だと思います。だからきっと良い奥さんになれます。絶対幸せになって下さい。いや、なるべきです。幸せを呼びよせましょう!」
「森田さん。ありがとう…とても嬉しい言葉です。でもまだわかりません。なぜそこまで私のことを…?」
僕はまたチラッと係員を見た。こんな動かない人でも、僕が余計なことを口にしたら止めにかかるのだろうか?まぁいいや。気にしない気にしない。
「僕だって1歩間違えれば、本気で人を殺していたかもしれない場面が過去に何度かあったからです」
ここで横から大きな咳払い。見ると、無言で突っ立っている係員が僕に目で警告していた。やっぱり聞いてるんだ。
「森田さんがそんなことを?信じられない」
僕は係員を横目でチラ見しながら答える。
「一度は僕の別れた妻に救ってもらいました。まだ結婚する前でしたが…」
「ゆりか…さん?」
「ええ。それに今回の是枝くんのことについても、僕はこれを天罰だと心の奥で思っていました。今まで誰にも言えませんでしたが、僕は是枝くんを恨んでいました」
「。。。。」
「だから気持ちは三木さんとさほど変わりません。それなのに僕は今、再び幸せをつかみたいと思い始めました。それまでは、もう一生独身でいようと自分に誓っていたのに。。」
「それも…ゆりかさんなんですね?」
「はい。でもこんなの不公平じゃないですか。三木さんは服役しているのに、心の卑しい僕だけ幸せになるのは理不尽です」
「そんなことはないと思いますけど…」
「いいえ。僕の中ではそうなんです。僕も三木さんも被害者です。だからあなたにも幸せになってもらいたいんです。今は無理でも、社会復帰に、未来に希望を見出していて欲しいんです。そうじゃないと、僕だけ幸せになる資格なんてありません」
そんなにしゃべったつもりはないのに、のどが渇いている。面会時間もそう長くはとれない。
三木さんが優しく僕に微笑みかけた。
「森田さんは本当にいい人。そんな人を罠にかけた自分が恥ずかしいく思います。。」
「もうそれは言わなくていいですから」
三木さんはややうつむき、一呼吸おいてから再び僕に顔をむけたその表情は、確かにさっきよりも明るくなっていた。
「森田さん。正直私、昨日まで自分の将来なんて、もうどうでもいいって思っていました」
「やっぱり?」
「でも…今日こうして森田さんとゆりかさんが突然いらして、そして勇気づけられ…今はっきりと決意することができました。私、前向きに先を考えて生きて行きます」
僕は今の三木さんの言葉に仰天した。彼女の素晴らしい決意のあらわれのことではなく、言葉の最初に言ったこと。
「ちょっ、ちょっと…あのぉ、今ゆりかさんて言いました?」
「ええ。森田さんが来るほんの30分前くらいに、ゆりかさんもここにいらしたんです」
「Σ|ll( ̄▽ ̄;)||lええええ?」
「だから最初に私、驚いてしまって…二人ともここに来る約束でもして来たのかと思いました」
「いえいえいえ、全然そんな約束なんてしてませんよ」
「不思議ですね。偶然同じ日に来た二人が、私に恨みごとも言わずに救ってくれようとしているなんて」
「ゆ、ゆりかさんも僕と同じようなことを?」
「はい。ゆりかさんにも感謝しきれないほど有難い言葉をいただいたんですけど、それがあまりにも意外だったので、私は戸惑ってばかりいてお礼も充分に言えませんでした」
「…そうでしたか」
「だからお願いです。ゆりかさんに私の感謝の気持ちを伝えてくれませんか?前向きに考えるようになれたと」
「僕が…ですか?」
「ゆりかさんとやり直すつもりなら、会いに行くんでしょう?」
「そうは思ってるんですけど…」
「森田さん。彼女と絶対一緒になって下さいね」
「えっ?」
「森田さんとゆりかさんは似た者同士だと思います。感じる部分も通じ合うところも一緒。だから今日のような偶然も生まれるんじゃないかと思いました」
「そうでしょうか?」
「私からのお願いです。ゆりかさんと再婚して下さい。私が森田さんたちを引き離しました。だから元に戻ってもらうことで、私も救われるんです」
三木さんの言葉がとても嬉しかった。
「は、はい。頑張ります!o(・∩・)9」
勇気づけに来たつもりが、最後は三木さんに勇気づけられてしまった僕。
そうか…もう30分早くここに来ていれば、ゆりかさんに会えたのか。。
(続く)