その9 マイナス思考(後編)
ひなたがお昼寝している間に、私は自宅の電話から卓さんと話をしていた。
今の私に揺るぎない覚悟なんて全然ないけれど、改めて自分自身を見つめ直すためには、卓さんに子供たちのお世話を押しつけるわけにはいかない。
「私ね、つい先日、警察の人から三木綾乃の自供内容を聞いたの」
「えっ?…あの人が何かしゃべったんですか?」
「ええ。彼女がなぜ、英之さんに手をかけたのか…その動機も全てわかったわ」
「全て・・・ですか?」
そう呟いたきり、黙り込んでしまった卓さん。でも私はお構いなしに話し続けた。
「英之さんには申し訳ないけれど、私は三木綾乃を憎めなかった。その動機に至るまでの事実を知らされたとき、私は驚いたのと同時に、自分の不甲斐なさも痛烈に感じたの」
「…不甲斐なさ?」
「ええ。なぜ私は途中で気付かなかったんだろうって。なぜ私はすぐ人を信用してしまうのかって」
「…でもそれはそれで…自然なんじゃないでしょうか?」
「そうかもしれないけど、私、そんな自分が嫌なんです。誰もみな、好きこのんで傷つきたくなんかないでしょう?」
「…そうですけど。。」
「私は人が好きだから、人間不信にはなりたくない。でもこのままじゃなりそうなの」
「…僕もそのきっかけを作った人間のひとりですから何にも言えません。。」
私は卓さんの言葉にハッとした。
「ごめんなさい。違うの。卓さんを信用できないと言ってるわけじゃないの。ただ、今の私には、人を信じる基準がわからないの」
「そんなの…誰にもわからないですよ」
「いいえ、私は人より鈍感。今もそのことで混乱してる。だから…だから私、これからは人と関わらなければ自分は傷つかないと思ったの」
「それはちょっと…」
「無理かもしれないけど、自分の力だけで生きて行かないとって」
「気持ちはわかりますが…」
「私はいいように利用されただけ。ごめんなさいね。卓さんにはさっぱりわからないでしょうけど、説明しない方があなたのためだと思うから」
「・・・・・」
「私思ったの。私の結婚生活って何だったんだろうって。こんな事実を知ったら尚更、毎日が茶番なお芝居だったような気がして…」
「そんなことは決してないですよ。それにゆりかさんには、しっかりしたいずみやひなたちゃんがいるじゃないですか。今までの嫌な過去は封印して、これからのことを考えましょうよ」
こうした卓さんの言葉は嬉しいけど、彼に心配をかけてしまうことが逆にまた辛い。
「だから私も少しだけ考え直したの。ここ数日、冷静になって考えたら、ちょっとだけ変わった見方ができるようになって来たの」
「…それを教えてもらってもいいですか?」
「ええ。つまり私は心が弱すぎるから、いつも被害者気どりでいたんじゃないかって」
「被害者気どり?どういうことです?」
「私は辛い経験をするたびに、いつも運のせいにしていたの。自分では何も努力もせずにね。そして悲劇のヒロインになったつもりで、ただ嘆いてただけ」
「…でも、予測できないことが起きればみんなそうなります。自分の運命を呪ったりすることだって、誰にでも少なからずはあると思いますよ」
卓さんが私をフォローしてくれている。傷つけまいと…これ以上落ち込まないようにと…でも私は彼に甘えてはいけない。
「さっき私は人を信じる基準がわからないと言いました。でもあとでハッキリわかったの。人を信じる基準は自分でしっかり決めて判断しなきゃって」
「ええ、わかります」
「今までの私は、全てが曖昧なうちに判断していました。いえ、判断と言えるものじゃありません。私には人を疑うという行為は失礼だという固定観念があって、関わった全ての人を信頼していたと言えるかもしれません」
「それは決して悪いことじゃないと思いますけど…」
「でもそれはとても愚かなこと。ただのおバカなの。今の私は全然ダメ。だから被害者気どりなの。騙された私にも責任がある。付け入るスキを与えた私の責任は思いわ」
「そこまで考えなくても…」
「いいえ、私がもっとしっかりしていれば、こんなことは起きなかったんだもの」
「・・・・」
「卓さん、わかってくれた?決してあなたが邪魔だとか、世間体がどうだとか、そんな理由で離れましょうって言ったんじゃないの」
「…はい。。」
「卓さんは今の私といるとダメになる。私の方こそ、卓さんに迷惑ばかりかけてしまう。卓さんの自由さえ奪ってしまう。そんな権利は私にはないわ。卓さんには卓さんの人生がある。私のためにあなたの将来を犠牲にしないで」
「・・・ゆりかさん。。」
「これがあなたと離れようと思った理由です…今まで本当にありがとう。。」
私は一方的に電話を切った。もう話せない。話すことができない。
卓さんに涙をすする音を聞かれてしまうから…
卓さんに私の涙声をこれ以上聞かせるわけにはいかないから…
(続く)




