その3 わからない。。
滞りなく葬儀は終わった。
葬祭場の出口で、参列者の人の群れに深々とおじぎをし終えると、次に私は何をしたら良いのかわからなくなった。
頭の中は空虚そのもの。何も考えられないから、ただ突っ立っているだけの私。
今の私はたぶん、人の目から見れば夢遊病患者のように映っているだろう。
目に力も入らないから、うつろになっているのが自分でもわかるし、姿勢も猫背になっている。
不意に、横から私に声をかける女性がいた。
「ゆりか、しっかりしてね。あんたにはいずみちゃんとひなたちゃんがいるんだよ!」
美智代が知らないうちに私の肩を支えてくれていた。
「そうよゆりか。今は辛いけど、あなたたち家族にはまだまだ未来があるんだから!」
翔子も知らないうちにやって来て、私の手を握っている。
「あ…ごめんね。美智代も翔子も。私、大丈夫だから」
「無理しないの!アタシ、この後も時間空いてるから、ゆりかと一緒にいるよ。今夜家に泊めてもらってもいい?」
美智代はいつも優しく気遣ってくれる。親友ってホントありがたいと思う。でもそれって逆に気の毒…
「美智代の方こそ無理しないで。不幸のあった家にわざわざ泊まるなんて、気持ち悪いでしょ」
「そんなこと言わないの!アタシがゆりかと一緒にいたいの!今夜は思いっきり話そ。思いきり泣いてもいいんだよ」
「良かったら私も泊めさせて。しばらくいずみちゃんともお話してないし」
「翔子…」
「じゃあ決まりね!私、家に電話してくるから、またあとで来るね」
みんな私を心配してくれている。
みんな私が夫の死のショックと悲しみでウツになってると思ってる。
それはそうかもしれない。今の私がこんな状態なら…
でも正直な話、それは間違っている。
確かに人の死はショッキングなことだけど…悲しみはそれほど感じない。
彼との関係…英之さんと私の仲はすでに完全に冷え切っていた。
会話のない夫婦。家庭を顧みない夫。異常なほど多い接待。そして度重なる女遊び。
日に日にエスカレートしてゆくさ中、彼に降りかかった天罰。
死に値するほどの罪があるかというと、決してそうではないかもしれない。
けど、こんな状況で悲しむことなんて、今の私には正直不可能。
もし、私がここで大泣きしたとしたら、それこそ名女優。
結局、葬儀中にも告別式にも、1滴の涙も出なかった私。
こんな私って、よっぽど薄情な女なのかな…?
さっきまで何も考えられなかった自分が、知らずのうちに自己分析しているなんて、妙に可笑しくてたまらない。
こんな私の今の表情を見ている人たちは、きっと頭がいかれてると思ってるに違いない。
ふと、英之さんの遺影を見た。
予期せぬ事態に帰らぬ人になってしまった夫。
でも私は彼の死よりも、加害者の犯した行動の謎ばかり考え始めていた。
三木綾乃……かつて卓さんと問題を起こした女。
彼女がなぜ英之さんを殺すことになったのか?
お通夜から告別式の間、誰もその理由を教えてはくれなかった。もちろん私が聞きもしなかったせいもある。
でもきっとまわりはみんな知っているはず。殺人事件だもの。テレビをつければきっと、各局のワイドショーが報道していることだろう。
外にはマスコミ関係のリポーターの姿がチラホラ見え、カメラマンに向かってマイク片手にしゃべりまくっている。
私にインタビューもしてないクセに、たぶん勝手な憶測でものを言ってるのだろう。
きっと親戚の人たちが、私に配慮して会見は断ったのかもしれない。
身内はみんないい人ばかりだった。
控え室でテレビをつけないのも、私に事件の背景や内容を伝えたくないためだろう。
────でも私は知ってしまった。。
テレビなんか見なくても、自分のケータイのワンセグや、その日のトピックニュースなどがすぐに閲覧できる。
最新記事の閲覧でわかったこと。三木綾乃の自供によるものだ。
彼女と英之さんは学生時代からの顔見知り。
この記事によると、長年恋人同士だったらしい。
ただ、彼女にとってはその関係が終わっておらず、現在進行形が続いていた。
そこへ私と英之さんの結婚が内定し、彼女は関連子会社に飛ばされた。
つまり、恨み辛みが凝縮し、限界点を超えた上での犯行ということになる。
彼女にとっては、英之さんはまさに裏切り者だったのだ。
今わかってるのはここまで。これだけではまだまだ疑問が残る。
なぜ、何年もこんなに月日が流れてからの犯行なのか?
当時なぜ、英之さんに一途だった彼女が、突然卓さんを誘惑する行動に出たのか?
この誘惑に関してはまだ、マスコミ報道はされていない。
私の推測にすぎないけど、ひょっとしてあれは、英之さんへのあてつけ?
彼に振り向いて欲しくて、害のない卓さんを利用しただけだとしたら?
うん…それなら辻褄は合う。充分あり得ること。
でも…でも、もしあの当時、私がここまでわかっていたなら…
私と卓さんは離婚する必要がなかったかもしれない。。
「ゆりか!ねぇゆりかっ!」
美智代の呼びかけに、推理の世界から我に返る私。
「ハッ(゜〇゜;)」
「ボーッとして何考えてたの?気持ちはわかるけど、ゆりかがそんなんじゃ子供たちが可哀そうよ。あんたは母親なんだからね!」
確かにそう…美智代の言うとおり。
でも気持ちはわかると言った美智代だけど、私の本当の気持ちはたぶんわかってはいない。
「・・・ごめんなさい。自分ではしっかりしなきゃって思ってるんだけど…」
「幸い、向こうで森田がひなたちゃんの面倒見てるからいいけどさ」
美智代に言われて、少し離れたところにいる卓さんとひなたに目をやった。そのとなりにはいずみもいる。
「そうだったわ…卓さんにはずっとお世話になりっぱなしで…」
美智代があきれ顔になるのもよくわかる。私自身、ろくに母親らしいことをしていないもの。情けない自分。
そんな恥じるような、そして申し訳ないような気持ちで再び卓さんとひなたたちを見やると、私にとって衝撃的な光景が目に映った。
────手話だ。。
さっきまでアヤトリをしていたはずなのに、卓さんは手話でひなたと会話している。
いつの間に手話を…
しかも、ひなたに向かって優しい笑顔で。
手話特有の不自然なほどの大きな口パクと表情で。
…いや、口パクじゃない。ちゃんと声も出している。補聴器をしているひなたに、声でも聴こえるようにちきんと話している。
私は衝撃と共に、感動を覚えた。
「ねぇ、ゆりか」
となりにいる美智代が穏やかな口調で言う。
「え?」
「今こんなときにここで言うのも、不謹慎なんだけどさ…」
「いいわよ。美智代だもの」
「どういう意味?^_^; まぁいいけど」
こんなときに、こんなジョークが言えてしまう私って、ホント馬鹿みたい。精神が狂ってる。
「ごめん。つい…」
「いいのよ。全然気にしてないから」
「なら良かった。で、さっき美智代が言いかけた続きって何?」
「えっとね…」
美智代は更にそばに寄って来て、片手で口を半分覆いながら小声で私に耳打ちした。
「アタシ、思うんだけど、あんたが頼れる人は森田しかいないんじゃないかな?」
私はその意見に言葉が返せなかった。
無言のまま、ただ卓さんを言葉にならない複雑な気持ちで眺めているしかなかった。
ふと、何気に視線を5メートル程横にずらすと、車イスの父が卓さんたち3人の光景を、私同様じっと眺めている姿が見えた。
昔から“卓さんギライ”の父。一瞬ヒヤッとしたけれど、父の表情は意外にも穏やかで、むしろかすかに微笑んでいるように見えるのは、私の錯覚なんだろうか?
(続く)