その16 実行犯・世良拓真
実行犯・世良拓真
拓真の行動は素早かった。
いずみが玄関のドアを開けたと同時に走りこみ、閉まる寸前でドアノブに手をかけた。
拓真は覆面で顔を覆い、正体を隠している。
いきなり入って来た覆面の男に、大きく目を見開いて仰天するいずみ。
拓真は間髪入れず、いずみのみぞおちにパンチを1発。
「う…!!」
うずくまったいずみの両手をすぐにつかんで後ろ手で縛り、リビングまで引っ張りこんで床に倒し、とどめに再度、腹部に蹴りを入れた。
「うぐっ!ううぅ…」
呼吸困難で苦しむいずみ。
「よし!これでしばらく動けないだろ」
その間、ひなたは床にペタンとへたり込み、恐怖で泣きじゃくっているだけだった。
拓真もそれは予想済み。幼児なんて自力で逃げられるはずもないから、姉さえいち早く黙らせれば、そのあとはどうにでもなる。
あまりにガキがうるさければ、その場で始末してやろうとさえ思っていた。
だが、持って来ていた粘着テープでひなたの口を塞ぐと、それほど騒音にもならなかったので、始末する考えはこの時点では遠のいた。
リビングとキッチンの境目に、不釣り合いなヨーロッパ調デザインの太い柱が2本、吹き抜けの2階の天井まで伸びていて、いずみとひなたはそのうちの1本に体をくくりつけられた。
「おい、金はどこだ?知ってたら今のうちに言っといた方が身のためだぞ」
拓真は持参して来た包丁の面の部分で、いずみの頬を2度3度と叩く。恐怖で唇が震えるいずみ。そしてそれは体全身への震えにも繋がった。
とその時、誰かのケータイの着信音が部屋に響いた。拓真が音源の元を目で追うと、リビングのテーブルの上に無造作に置かれている一つのケータイがあった。
「お前のかっ?」
即効で首を左右に振るいずみ。
「だよな。お前は俺が玄関からここまで引っ張って来たんだからケータイをテーブルに置く暇なんかない。とすると…」
拓真はそのケータイを手に取り、着信相手も見ずに電源を切った。
「ちくしょうめ…誰か帰って来てやがるな…」
そう呟いて、このリビングの360度を見渡す。緊張と恐怖で静まり返った異様な空気の中、ある方向からのかすかな物音を拓真は聴き逃さなかった。
「あっちは…浴室か?」
包丁を持ちながらゆっくりと慎重に目的地まで歩いて行く拓真。
「……ぶっ殺してやる!」
脱衣室で身動きの取れなくなっていた是枝英之の恐怖はピークに達していた。
風呂上がりの体にはバスタオルを巻いたままの立ちんぼ状態。
リビングで何か大変なことが起こっていることはすぐに察知できた。
せっかく今日はいつもより早く帰って来れたから、先に風呂でも済ませておこうと思ったのが今はこんなザマ。しかも足音は徐々にこっちの方へ近づいて来る。
『強盗なのか…それとも殺人犯なのか…』
実際は数秒のことなのに、気の遠くなるほど長く感じた時間。まさに生きた心地がしないとはこのこと。
ついに脱衣室の扉が勢いよく開かれた。目の前には包丁を持った覆面の男。
「こ…殺さないでっ!頼むっ!お願いだから殺さないでっ!」
覆面の拓真を見るや、とっさに口から連呼して出た是枝英之の命乞い。
「手を頭の後ろにまわせ!ちょっとでも手をずらしたら殺す!」
「は…はいっ!」
背中に包丁を突きつけられながらリビングへ連れて来られる是枝。
そして柱に縛られているいずみとひなたを確認した。
いずみたちもまた、是枝の姿を見てあぜんとしていた。いつも帰りの遅い是枝が、まさか先に帰宅して風呂に入っていたとは思ってもみなかったのだ。
不意に是枝の体に巻いていたバスタオルがハラリと解けて床に落ちる。
すぐに目を背けるいずみ。それでも是枝はバスタオルを拾おうとしない。見かねた拓真が是枝にどなり散らす。
「バカヤロウ!さっさとタオル拾って隠せ!汚ねぇもん見せんじゃねぇ!」
「す、すいませんっ。ではこの組んだ手を外してもいいでしょうか?」
「俺に同じことを2度言わせるな!死にたいのか?」
「ひ、拾いますっ!拾いますから殺さないで下さいっ!!」
声もひっくり返るほど慌てふためく是枝。
威厳のある父親らしい姿など、かけらも見当たらなかった。
いずみはそんな是枝の姿を目の当たりにして絶望的になった。
頼りにならない義父。情けないほど哀れな声で命乞いする英之。
いずみが心の中で必死に叫んでいたのは別な人物の名前。
“卓くん…助けて。。卓くん…戻って来て。。卓くん…”
(続く)