第四章 「暗転」
第四章 「暗転」
1
試験終了のブザーが鳴った。
観客の声援も、ピークに達している。
凄まじい熱気と興奮に背中を押され、リド、ラータ、ティアの三人は隔離リングを出たところで集合した。
「やったな、リド!」
「うん! ラータも、おめでとう! ティアもね!」
「あたしに掛かれば楽勝よ!」
互いに合格を祝う三人。
そんな彼らを祝福するように、初夏の日差しがスポットライトのように三人を明るく照らす。ここで紙吹雪でも舞っていれば、お祝い気分は最高潮となっただろう。
「お、やべ。試験官が見てるから早いとこ出ようぜ」
まだ試験を控えている受験者はいるのだ。いつまでも、こうしてフィールド内にたむろしていては迷惑が掛かる。
ラータの言葉に首肯して、三人は肩を並べて出口へと向かう。
――そのときだった。
「な、なんだコイツ!」
なんの前触れもなしに聞こえた悲鳴が、三人の視線を用具搬入口へと誘う。演習に使う器具などを収納しておくその入口から、
「うああああっ」
悲痛の声と共に、全身を炎で包まれた試験官が駆け出してきた。しかも、一人二人ではない。次の試験で使うサミジナを運搬しようと動いていた試験官の全員が、炎に身を焦がして悶絶している。
突然の異様な光景に、三人の本能は危機感を察知した。
お祭り気分で騒いでいたギャラリーも、異変に気づいて静寂になる。
先までのお祝いムードなど、野外演習場からは欠片も残さず消失していた。
「な、なんだよ……?」
「一体、なにが……?」
ラータとティアの戸惑いに答えるようにして、用具搬入口から信じられないものが姿を現した。
ぬっ、と薄暗い闇を押し出すようにして出でたのは――械獣。
サミジナのような形状をしているが、その大きさは一回りほど勝っている。体躯の各所に装われた外殻は、黄金色の部品を巧みに凝らしたように装飾され、銀と金が織り成す高級感が印象的だ。
額からは、大小一つずつの角が存在を主張し、どちらの角も太く洗練された鋭さを体現している。恐らく、機械部品ではなく、武工具の強化パーツを結合させて自作したのだろう。日差しを受けて反射する様に、威圧感がある。
そして、サミジナと決定的に異なるのは、胴体の背中から生えた人型の甲冑である。銀色の機械部品で構成されたその姿は、まるでおとぎ話に登場する騎士そのものだった。その騎士の周囲を、ラッパのような形をした物体がいくつも浮遊している。
炎に身体を燃やされたスタッフの元へ、数人の試験官が駆け寄る。現れた械獣の傍から退避させようというのだろう。倒れたスタッフの衣服や身体に火傷の痕はないが、彼らはピクリとも動かない。
全身を燃やされる痛みのショックで、気絶したのか。
はたまた、寿命を削られて絶命したのか。
リドには、後者のように思えてならなかった。
ぐったりと横たわるスタッフを、必死に械獣の傍から離そうと試みる試験官たちに対して、械獣はさして興味もないように悠然と立ち尽くしている。
しかし、視界の隅で動く物体を目障りだと感じたのか、械獣が巨躯を回転させた。その勢いで尻尾が鞭のようにしなり、試験官たちに襲い掛かる。遠心力がプラスされた衝撃は凄まじく、試験官たちは短い悲鳴を上げて、フィールドの端まで飛ばされる。
その惨状を目の当たりにして、停止したように静寂だった空気が崩壊した。
「きゃあああああっ!」
観客席から上がった悲鳴を引き金に、野外演習場は恐怖によるパニックに支配される。いち早く事態を危惧したスタッフが、アナウンスを通して避難を促す。
『落ち着いてください! 他人を押さないように避難してください!』
しかし、そんな声に耳を傾けて従う観客は皆無だった。
悲鳴と怒号が、フィールド内にも伝わってくる。
「おいおい、なにがどうなってんだよ! なんで違う械獣が混ざってんだ!」
ラータが、サミジナとは異なる械獣を指差して叫んだ。
彼の言う通り、今回の試験に使われる械獣はサミジナに統一されているはずだ。それなのに、現実には全く異なった――しかも明らかに強さを凌駕する械獣が混ざっている。
毎年、職人試験で使う械獣の捕獲には、三ツ星や一流の職人を起用していると聞く。そんな実力者たちが、械獣の種類を見間違えるはずがない。
ともあれ、事態は急を要する。
急がなくては、命が危ない。
「に、逃げよう! リドもラータも早く!」
ティアが急かすように手を引っ張る。リドはその慣性に従い――そうになって、しかし逆らった。
「え、リドっ?」
手を振りほどかれたティアが、驚いた顔をする。それに対し、リドは「ごめん、」と謝罪してから、理由を告げる。
「まだ、観客の人たちの避難が終わってない」
リドが避難を拒絶したのは、パニックに慌てる観客の姿を視界に捉えたからだった。
フィールドと観客席の間には、分厚い強化プラスチックの壁が設置されているが、弱小個体の攻撃ならいざ知らず、人の身体を軽々と殴り飛ばすほどの威力を充分に防ぎ切れるとは思えない。すぐに、防護壁の〝寿命〟が尽きるだろう。
ましてや、観客の大半がパニックに囚われているのだ。正しい判断すら出来ないところに防護壁が崩壊しようものなら、パニックの度合いが悪化するのは明白である。
そして、試験官が避難誘導に参加しているこの状況では、械獣を束縛するものはなにもない。食欲を満たすために、観客席を襲撃するのは時間の問題と言えた。
「でも、ここにいたらオレらも危険だぜっ?」
ラータが最もな意見を言う。
「そうだけど、僕らはもう職人なんだ。械獣から人々を守るのも、職人の役割だよ。無理して勝つ必要はないけど、観客の避難が終わるまでは時間を稼がなきゃ」
「リド……」
強い眼差しのリドに、ティアは呆気に取られた。
またもや自己を犠牲にして、他者を救おうとしている。きっと、リドの脳内には自分を優先するという考えがないのだろう。彼のアイデンティティは、救世主のように純白なのだと、ティアは再認識した。
「仕方ないわね……」
一度言い出したら、リドは絶対に言葉を曲げない。そんな頑固なお人好しは嫌いではないけれど、たまには自分の身を大切にしてほしいと思う。好きな人が傷つく姿を見たいなどという乙女など、いないのだから――。
「リドに付き合ってあげる。倒せるかどうかは解んないけどさ、いい線まではイケるんじゃない?」
内心を賛同の言葉で秘匿して、ティアは重厚なハンマーを持ち上げた。風を唸らせて肩に乗せられたハンマーが、ティアの凛々しさを増長させる。
やる気に満ちた二人の顔を交互に眺めたラータが、あからさまに溜息をついた。
「ったくよお……、どうしてお前らはそんなに格好いいんだよ」
鑢を握る手に滲んだ汗を拭う。力一杯握った柄が、頼もしさと共に自信を彼に与える。
「これじゃあ、オレがヘタレみたいじゃんか……」
「え? 今さら自覚したわけ?」
苦笑するラータに、ティアがいつものノリで相槌を打つ。
「うるへー」
ラータもおどけたように返し、覚悟を決めて械獣を見やる。その双眸に、怖れの色は見当たらない。
「上等だ! オレの格好いい戦いっぷりを見せてやるぜ!」
「はいはい、ほら行くわよ」
鑢の切っ先を械獣に向けて決めポーズをキメたラータの襟首を、ティアが掴んでずるずると前進していく。
そんな二人の行動が、リドは心から嬉しかった。
断られたら一人でも戦う気だったのだが、この二人が味方してくれるのなら、どんな械獣が相手でも怖くない。
手にしたレンチを握り締め、リドは械獣へと戦意を向けた。
ビギナーからルーキーへと職人デビューした三人が、械獣へと近づいていく。それぞれ違う武工具を手にして、異なる思いを胸に秘め――。
デビュー戦は幕を開ける。
◇
昨日は、興奮で眠れなかった。
あまり眠れなかったせいで、結構な寝不足気味だったのだが、そんなものは野外演習場へと足を踏み入れた瞬間には消し飛んでしまっていた。
想像以上の熱気と興奮が、スタンド全てから放たれ、防護壁の向こうの受験者たちに声援となって響いていた。
一緒に来たギルド所員の面々は、真剣な面持ちで受験者の実力を評価している。きっと、コネを作りたい職人を選定しているのだろう。
(もっと楽しめばいいのに)
隣の席で盛り上がっているキィーナみたいに、お金に絡むような算段はなしにして応援すべきだ思うのは、自分が子どもだからだろうか。
エリーヌは、銀色の髪の毛を風に揺らしながら、そんなことを考えていた。
来場した理由は、もちろんリドの姿を見るためである。通常は受付嬢はこういった催しを見学することはないのだけれど、今のエリーヌはプライベートでリドを応援しに来ているのだった。
一人で来るのが恥ずかしくて、キィーナに同行してもらったのだが、仕方ないと同伴したはずの彼女が一番に盛り上がっている。元来、お祭りごとが好きな性格らしいし、エリーヌはキィーナのこういった子どものような一面は凄く好きだった。
何度目か――多分六度目のブザーが鳴ってから数分後、エリーヌの心臓は視界から得た情報にいち早く反応し、ドクン、と胸を高鳴らせた。
身長の三分の一ほどもあるレンチを片手に、リドが入場したのだ。
ユグドール学園の制服姿のリドは、ギルドに訪れるときの私服姿とは違った感じがして、エリーヌの瞳にはとても格好良く映った。学園には制服があるが着用は強制でないため、私服で通う生徒の方が多い。リドも、放課後に依頼をこなせるようにと、普段は作業着で通っている。しかし、今日は大事な試験なこともあってか、受験者の全てが制服姿だった。
乙女フィルターを通過しているせいもあるけれど、今日のリドはいつもの数倍――いや、数十倍男前に見える。気合いを入れて引き締まった表情は、彼の優しい面影を残しつつも、頼れる男然とした雰囲気を醸し出している。
(うわ~、格好いいな……)
頬を軽く赤くして、エリーヌは一心にリドを見つめる。その熱っぽい視線に感づいたキィーナが、エリーヌの頭を撫でた。
「リドっち、なんか格好いいね」
「……うん!」
こくんと頷くエリーヌは本当にかわいくて、今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られる。
それをなんとか自制して、キィーナはリドに声援を送る。
「リドっちー、頑張れーッ! ほら、エリちんも!」
手でメガホンを作って叫ぶキィーナに倣って、エリーヌも控えめだが精いっぱいの応援を送る。
試験開始の合図があり、リドと械獣の戦いが始まった。
リドの雄姿は、それはもう格好いいの一言に尽きた。恋人がいるキィーナでさえ、そのあまりにも迷いのない動きに、鼓動を速くしたくらいだ。普段は見れない頼れる一面が、リドの全身からは滲み出ていた。
械獣を倒し、見事合格した受験者三名(残りの一名は、早々にリタイアしていた)の奮闘に、ギャラリーが歓声を上げた。
「今日は、リドっちの合格祈念パーティーをしないとね! エリちんが招待するんだよ?」
「そそ、そんな……! 無理だよ、キィーナ。恥ずかしい……」
両手をバタバタと振って、首も左右に振るエリーヌを微笑ましく思ったときだった。
悲鳴が聞こえ、数人の試験官が吹き飛ばされ――。
――現在のパニック状態に至る。
混乱した観客が一斉に出口へと殺到したせいで渋滞が発生し、スムーズに避難が進行していない。
本末転倒もいいところである。
「大丈夫、エリちん?」
転んだエリーヌを助け起こす。我先にと避難する観客にぶつかったのだ。体格の小さいエリーヌにとって、この人波は暴力の集合体である。自分ならまだしも、エリーヌを連れての避難は難しいだろう。
(取りあえず、違う出口を探して……)
視線を辺りに巡らせて、キィーナが避難経路を模索する。しかし、どの出口も人だかりが出来ていて、とてもスムーズに行けそうになかった。
「あーもう、少しは落ち着けっての」
怒声や悲鳴で混沌とする様に、毒づくキィーナ。その彼女の耳に、エリーヌの焦ったような声が飛び込んできた。
「キ、キィーナ! あれ!」
エリーヌが指差す先には、パニックを生み出した存在――試験のときとは違った姿をした械獣に歩み寄る、三つの人影。
やっと対抗出来る職人が来たのかと思ったが、しかしその人影には見覚えがあった。
「え? まさか――」
よく目を凝らせば、先導するように歩いているのはリドである。さらに、その背中に続くのは、彼の親友のラータと友人のティアではなかろうか。
「リドっちに、ナンパくんに、ティアちゃんっ? もしかして……」
時間稼ぎでもするつもりなのだろうか。
いくらなんでも、危険過ぎる。
だが、リドの性格からして退くことはしないだろう。それに、試験官が避難誘導に全力を注いでいるせいで、あの械獣に対抗可能な戦力はフィールド内にあの三人しかいない。
キィーナは、歯痒い思いに心を焼いた。
キィーナとエリーヌに出来ることは、三人の無事を祈ることだけだった。
2
サミジナよりも大きい体躯を揺らす械獣を前にして、リドは戦術を思案する。
「こいつはベレトって械獣で、サミジナの上位種なんだ。見た目は似てるけど、パターン攻撃型じゃないから、注意して!」
リドの声に反応したのか、ベレトが三人に正面を向けた。武工具を構えて立ち塞がる三人を、じっと見据える。
ベレトの巨躯を仰ぎながら、ラータが焦ったように言う。
「こいつのゼンマイって、どこにあんだっ? 尻尾は外殻に覆われてんぞ!」
械獣を倒すには、ゼンマイを攻撃しなくてはならない。サミジナと似た形状をしながらも、ベレトのゼンマイは尻尾には存在していなかった。
「あっ、あそこ! 甲冑の頭!」
ティアが、叫んで指を差す。
確かに、騎馬の頭部にゼンマイが確認出来る。扇形のゼンマイはゆっくりと回転しながら、騎士の頭部の額で稼働を続ける。
位置を確認して、ラータが絶句した。
「おいおい! あんな高いとこ、攻撃が届かねえって!」
サミジナよりも一回り大きいだけでも厄介なのに、そこからさらに高所のゼンマイを破壊するなど、ルーキーにとっては至難の業と言える。
しかし、そんなラータの言葉をリドは否定する。
「いや、大丈夫。方法はあるよ」
リドは高速で知識を検索し、ベレトとの有効な戦術を思い出す。
「械獣には実体がないけど、外殻には痛覚に似たものがあるんだ。だから、まずはベレトの前脚を攻撃して、姿勢を低くさせよう!」
集中を絶やさずに告げるリドに、ティアは状況も忘れて見惚れそうになった。優しいだけでなく頼りにもなるなんて、これ以上にない魅力である。
ティアは、自分がさらにリドを好きになるのを実感した。
「僕が正面から攻める。ラータは右から、ティアは左から回り込んで!」
「おう」
「オッケー」
リドの指示を合図に、三人が一斉に動く。
自分に向かって駆けてくる物体を敵とみなしたベレトが、大気を震わす嘶きを上げた。
前脚を振り上げ、臨戦態勢。
しかし、三方向から同時に接近する敵に対し、ベレトは攻撃順位に戸惑う。
「らああああッ!」
その隙を逃さず、ティアが疾走の勢いをそのままに、ハンマーを振りかぶって渾身の一撃を左脚に叩きつけた。ドゴンッ! という重い音を響かせ、足の外殻がごっそりと砕ける。砕けた外殻から覗く本体は、黒い霧を凝縮したような形状をしていた。
痛みに苦悶し、怒りをティアに向けたベレトに、今度はラータが、
「無視すんな、馬野郎!」
外殻の隙間に鑢を突き刺し、力任せに引き斬った。ガキンッ、という掘削音が確かな手応えを彼の腕に伝える。
「グガァァアッ」
騎士が激痛に叫び、欠損した外殻が地に落ちる。
痛みに、がくんっ、と姿勢を低くしたところへ、リドのレンチが炸裂。
「はあああっ!」
両手で振り抜かれたレンチは、頭を下げた馬の頭部に直撃した。勢いに乗ったその衝撃は、小さい方の角をへし折ることに成功する。
見事な三連撃であったが、しかしベレトは膝を折らない。
赤い光彩を怒りで燃やし、ベレトが反撃を開始する。
前脚を高々と振り上げ、威嚇の声を上げる。すると、それまで騎士の周囲をふわふわと浮遊していた楽器群が、回転運動を開始した。騎士を中心に円を描くようにして回り出した楽器群は、段々と速度を増していく。速度の上昇に伴い、規則正しかった配列が崩れ、個々が命を得たかのように動き出す。
乱回転するラッパの群れが円の直径を広げていき、回転は不規則かつ複雑になっていく。
楽器群がベレトの周囲を狂ったように回転する様を警戒して眺めていた三人は、械獣の攻撃に備えて集中を高めた。
右前脚で地面を軽く削ってから、ベレトが闘争の声を響かせる。
フィールドに反響する嘶きが、リドの警戒心を刺激する。
「来るよ!」
直後、ベレトが巨体を力強く前進させた。駆け足の回転は遅いものの、歩幅が広いため、一度の踏み込みで進む距離が大きい。外殻に覆われた太い脚が生み出す脚力は砂塵を散らし、疾走を生む。
頭を低く前へと突き出すように走るベレトは、乱回転する楽器群を従えて三人へと突進した。
迫りくる巨躯に、慌てて三人は三方向へ回避。機械部品を組み合わせて創造されたラッパの群れが、それまで三人が立っていた場所をベレトの巨躯に追随して削っていく。地面が削られた際に跳ねた小石が、飛び込みから半身を起こしたリドの頬に当たった。それだけベレトの突進力は凄まじく、また危険であることを、リドは恐怖と共に認識した。
「マ、マジかよっ! あんなの食らったら、マジで死ぬって!」
ラータが震える声で叫ぶ。ティアは叫んでこそいないが、それは単に言葉を発する余裕すらないからだった。気を引き締めていないと、このまま立ち上がれそうにないほど、身体は恐怖と緊張に硬直していた。
実戦――。
先ほどの試験とは比較出来ない、緊張と恐怖。死と生が、わずかな境界で隣り合わせる乾いた時間。張り詰めた糸のような空気に喉は渇き、口内の水分は残すことなく蒸発した錯覚さえ覚える。舌に感じるのは、パサパサとした酸素の味と砂のようにザラザラとした触感だけ。心臓が早鐘を打つにも拘わらず、時間は水中のごとき遅さに感じる。
水の中でもがくような息苦しさに、思わず呼吸方法を忘れそうになる。リドは、自らの軽薄な行動と自己満足を呪った。しかも、かけがえのない友人二人を巻き込んでいる。ティアとラータを危険な状況に追いやっていることに、自責の念が渦巻いた。
しかし、悔いている暇などない。まだ、観客の避難誘導は完了していないのだ。ギャラリーに視線を向けずとも、未だ止まぬ悲鳴と混乱が鼓膜に届いている。
(せめて、援軍が来るまでは……っ)
挫けそうになる心を叱咤して、リドは立ち上がった。ここで自分が折れてしまったら、戦いに巻き込んだ二人に申し訳が立たない。無理してでも、リドは戦う決意をした。たとえその結果として大怪我をしようとも、気持ちを折らないことが巻き込んだことへの責任である。
「もう一度、やってみよう!」
ラータとティアに声を掛けて、リドはベレトに戦意を向けた。二人が逃げ出し、自分の声に非難を投げてきたらどうしようと弱気になったが、
「そうだね。さっきの、結構いい線いってたし!」
「今度こそ、跪かせてやるぜ!」
リドの不安は杞憂に終わった。二人はリドの両隣に並び立ち、各々の武工具を構える。その姿からは、リドを責めるようなものは感じられない。むしろ、三人一緒ならどうにかなると信じているような、不思議な力強さに満ちていた。
(ありがとう……ラータ、ティア)
友人の勇ましさに感謝して、嬉しさで泣きそうになるのを堪えて正面を見据える。馬の械獣は、ゆったりとした動作で三人に向き直っているところだった。
突進も空しく、攻撃対象を仕留め損ねたことに怒りを増長させたのか、ベレトの紅い光彩の輝きがギラつきを増す。周囲を乱回転するラッパの群れも、怒りの干渉を受けて激しく運動していた。
「行こう!」
リドの号令を聞いて、ラータとティアが先陣を切る。二人の背中に続く形で、リドも走る。
ベレトは、蹄を地面に叩きつけるようにして前脚を二度蹴りつけてから、首を巡らすように動かした――かと思うと、同時に猛々しい嘶きを上げた。闘争心に燃えた声に反応して、楽器群がその配列を正す。乱回転から一転、騎士の両側に左右三つずつ並ぶ。さらに、三角形になるように配列を変更し、騎士が発した「グガァアアッ」という咆哮を合図に回転を再開。三角形の位置を崩さず時計回りに運動するラッパの群れが、ベレトと共に三人を威圧する。
楽器群が陣形を変えたことになんらかの意図があると直感したリドだったが、しかし彼の知識の中には、それがどういった効果をもたらすのかを教えてくれる詳細がなかった。リドの不勉強に非があるわけではない。単純に、教科書には械獣の大まかな情報しか記されていないのだ。
械獣との間合いが、もう少しで数メートルになろうかというときだった。ベレトの両側で回転していた六個二対の楽器群が、一斉に音を奏でたのである。
音の発生に連なって、大気がたわむように歪んで三人を直撃した。音が鼓膜を震わせ、聴覚が刺激される。音が情報として脳に伝達され、その結果、三人は激しい耳鳴りと頭痛に襲われることになった。突然のことに、三人の足が止まる。
痛みはひどくないが、身体が動かない。どうやら、楽器群が放っている音が行動を制限しているらしい。
立ち止まった獲物を見下ろし、ベレトは光彩を燃やした。
「ヒヒィィインッ」
高らかに嘶いた後、ベレトの口腔が大きく息を吸い込んで、ぐぐっと反らされる。外殻が欠けた前脚を振り上げ、吸引する口元に蒼い炎が宿った。
――刹那、解放。
首を振るようにして吐き出された灼熱の帯は、密着状態にあった三人に容赦なく襲い掛かった。恐らく、全身を焼かれたスタッフは、この攻撃にやられたのだろう。
ベレトが炎を吐いた瞬間、音の拘束が解けた。ラータとティアは、炎を避けるためにベレトの側面へと飛び込むことで回避。しかし、正面を請け負ったリドには、逃げ道がない。
すぐさま後退して回避行動に移ろうとしたリドだったが、炎が迫るスピードの方が速い。
「「リド!」」
ラータとティアが、同時に叫ぶ。
炎がリドの身体を包み込もうとしたときだった。
ドゴォン! という轟音と共に、上空から巨大な瓦礫が落下してきた。落下地点より上を見れば、その瓦礫がドーム型の天井の一部だと解る。まるでチーズを切ったかのように綺麗な切り口を残して、天井の一部はリドとベレトの間に落下していた。
舞い上がる粉塵と灼熱の残滓の中に、ぶっきらぼうな女性の声が届く。
「まったく、世話の焼ける教え子だな。後先ぐらい考えて動かんか、馬鹿者」
リドが振り向くと、そこには厳しい目つきをした女性が立っていた。両手には黒い手袋が嵌めてあり、フルフィンガーの指先には鉤爪のようなものがある。その鉤爪の先端からは、きらきらと陽光を反射する細い鋼糸が伸びていた。
「え、あの……」
「どうした。初めての戦闘で腰が立たんか? 私はそんな軟弱な教育をした覚えはないぞ」
「す、すいません!」
尻もちから立ち上がり、ベレトに向き直りながら問う。
「イリーナ教官、どうしてここに? 研修で出張だったんじゃ……」
リドの質問に、イリーナは端的に答えた。
「つまらんから抜け出してきただけだ。……しかし、まさか帰って早々、械獣の相手をするとは思わなかったがな」
鋼糸を鉤爪に収納し、イリーナが指の骨をパキパキと鳴らす。
「残業代は出んというのに、とんだ厄日だな……今日は」
「リド、大丈夫か――って、あれ? 先生なんでここに?」
「学園では教官と呼べと教えなかったか?」
駆け寄ってきたラータに、イリーナが凄む。その視線の強さに、ラータは敬礼つきで「すいませんでした!」と謝罪。
ティアも合流し、ラータと同じことを訊く。
「きょ、教官っ? どうして――」
「それ以上喋るな、ハースマン。質問は一度だけで充分だ」
面倒そうに結った長髪を掻きながら、イリーナがブラウスのボタンを開ける。
「ふうっ、学生に械獣の相手を任せるとは、ユグドールの試験官はなにをしている。教師の本分を全うせずに睡眠中か? 身体を張ってでも、生徒を守らんか」
フィールドの端で気絶している同僚の姿に呆れの息をついて、イリーナは「仕方ない、」と首を振る。
「アホトリオ、お前たちにも手伝ってもらうぞ」
ハキハキとした口調でそう言われ、自ずと三人の気は引き締まる。というより、彼女を目の前にして、姿勢を正さない生徒などいないだろう。
イリーナ・アウリエル、二十六歳。
ユグドール学園で実習教科を担当している教師で、三ツ星の時計職人でもある。厳格な性格だが気分屋で、しょっちゅう新人研修への出席を命じられる問題教師としても有名だ。
めったに褒めることをせず、スパルタ教育を愛すイリーナだが、学園内で一番生徒を想っている教師だと言われている。本人はひたすらにそれを否定しているが、有事の際はこうして駆けつけてくれるのだから、教師の鑑とも言うべき女性である。
イリーナが、械獣を睨んでつまらなそうにする。
「械獣――ベレトか。なるほど、お前たちでは勝てんわけだな」
首のストレッチを行いながら、イリーナが指示を出す。
「さっきの戦術は悪くなかった。が、倒すには武工具も実力も不充分だ。私が奴の動きを止めてやるから、お前たちはコンボを叩き込め」
臨戦態勢に入る教え子を見渡し、イリーナはゴーサインを告げた。
「今だ、行け」
指示を聞き、三人は同時に疾駆する。
方向は先と同じく、リドが正面、ラータが右、ティアが左だ。今度は心強いバックアップがいるので、三人の疾走は攻めることだけを考えた速度になっている。
と、再び向かいくる敵に、ベレトは口腔内に炎を宿した。一撃で終わらせようという狙いらしい。
大きく反った身体を戻すと同時に、ベレトの口から炎が吐き出され――
「やらせんよ」
――なかった。
鋼糸を巧みに操作したイリーナが、ベレトの口を固定したのだ。口腔内で不発に終わった攻撃に、ベレトは後退しようと試みる。だが、そうしようと動いたときには、天井から落下してくる瓦礫に退路を断たれている。左手でベレトの顎を封じつつ、右手で天井を切り裂いたイリーナの顔には余裕の笑みが湛えられていた。
下がれなくなったベレトの元へ、ティアとラータが到達。
全力を込めた攻撃を前脚の外殻へと直撃させ、残った外殻全てを粉砕した。外殻を完全に破壊され、ベレトがズシンッ、という音を立てて膝を折った。
「「リド!」」
友人の声を受けて、リドが跳躍。装甲に包まれた馬頭を踏み台にして、さらに上へと身体を浮かす。
「「いっけぇぇぇぇッ!」」
二人の声を背に聞きながら、リドはレンチを振り上げた。
頭を垂れた騎士の頭部――定期的に回転する金色のゼンマイへ、重力と体重を合わせた会心の一撃を放つ。
「おおおおおっ!」
覇気、一閃。
風を斬るように振り抜かれたレンチが、騎士の額を正確に捉えた。
「グガアアァアッ!」
ベレトが断末魔の声を轟かせた。金色のゼンマイは細い軸部分をへし折られ、霧散する。
そして、外殻に覆われた闇色の身体を空気に溶かし、外殻は無機物へと姿を戻す。
がらがら、じゃらじゃらと崩れるベレトの外殻を全身で聞いて。
リド、ラータ、ティアの三人は――、
長かった職人試験の幕を、ようやく下ろしたのであった。




