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Clockworks!  作者: 阿武曇
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第二章 「職人試験 上」

第二章 「職人試験 上」



   1



 夕暮れの街トワイライトヒル北東部にある繁華街から少し南下した位置に門を構える、時計職人育成学校――ユグドール学園。神話に登場する世界樹の名を冠するこの学園は、四方を海で囲まれた広大な島国――アースフィリアでも名門校として知られている。

 時計職人を志す全ての生徒を育成出来るよう、通常の勉学を学ぶ普通科とは別に、時計の修理に必要な知識と技術を磨く技師学科と、時計の製造に関する学識と工程を身につける製造学科の二つの専門学科を設け、生徒は各々が目指す専攻職(ジョブ)を実現させるべく日夜励んでいる。

 ユグドール学園は四年制であり、一年次は普通科のみが義務とされ、専門学科は二年次より選択が可能となる。三年次からは専門学科のみとなり、四年次の最後に行われる卒業試験に向けての専門的な講義と実習のカリキュラムが編成され、四年次は依頼を中心とした自主学習が基本とされている。学園に来て講師に補習を頼む生徒もいるが、大抵は学園生活から遠ざかり、自主的に動く生徒が多い。

 二年次の前期末には職人試験が始まり、ビギナーから職人へとランクアップが可能かどうかが問われる。これに不合格した生徒は留年措置となるので、生徒は気合いを入れてこれに臨む。ちなみに、四年次の卒業試験に合格すると卒業資格が取れるだけでなく、職人のランクを一段階上げることが許可されている。職人のランクは『新米(ルーキー)』『一流(プロフェッショナル)』『三ツ(アステリズム)』の三段階で、三ツ星が最上級の職人とされる。ラキやリドの父親は、これに値する職人である。

 ランクは依頼の完遂数で昇級し、一定ノルマを達成すると、ギルドから階級に見合った新たなライセンスが授与される仕組みとなっている。

 つまり、職人試験の合格者は『見習い』から『新米』になり、卒業試験に合格すれば『新米』から『一流』にランクアップする――ということだ。

 端的に見れば、すぐにランクを上げられそうなシステムだが、ビギナーからルーキーの難易度とルーキーからプロの難易度との間には、雲泥の差とも言うべき壁がある。確かにユグドール学園は四年制ではあるが、この学園を四年で卒業する生徒はほんのわずかなのである。過去に定年通りに卒業した生徒は、今年で創立五十年を迎える学園史上、十数人しかいなかったという。それら天才とも呼ぶべき人物らが、例外なく三ツ星職人なのは言うまでもない。

 三ツ星になると、政府や街役場、ギルドなどの公的機関と専属契約を結ぶことが出来、それまでの依頼で受け取っていた報酬が霞むほどの利益が得られるようになる。無論、依頼される内容も報酬に応じてハードなものとなるが、一流をも越えた技術を持つ職人には失敗など許されないし、その可能性は限りなく低い。依頼側も『絶対に成功させたい仕事』として依頼するのであるから、その重圧は想像を絶するものだろう。

 しかし、ユグドール学園の生徒だけでなく、数多の時計職人見習いが三ツ星を夢見なくなる日など、天地が逆転する確率と等しい。

 どのような難解な依頼でも必ず完遂し、職に殉ずる精神を貫く――。

 これほどまでに輝かしい人生を望まないビギナーなど、この世にはいまい。

 全てのアスリートが世界大会優勝を志すように、全ての時計職人は三ツ星を志すのである。そして、多くの人々の暮らしを最前線で補助するべく、日夜努力しているのだ。

 ――などという思考にリドが浸っていたのは、睡魔やら疲労やらに緩み掛けていた身体と精神を引き締めるためである。

 職人試験の開催まで、残り一週間を切っていた。

 一昨日辺りから、学園の中は殺気だったような緊張感で張り詰めていた。既に合格している三年生と四年生は懐かしむ面持ちで、新入の一年生はこれから経験するであろう重大な関門への逃避願望と軽い絶望感に喘いでいるのだが、それら一切を拒絶するどころか認識する余裕すらない雰囲気を、当事者たる二年生は振り撒いている。

 昼を過ぎ、日差しもやや傾いて暖かな陽光が差し込むこの三時限目の講義で、普段なら睡眠学習に徹するラータでさえ必死にノートに板書しているのだから、二年生の緊張感はいよいよピークに達しようとしていた。

「では、次は粋玉の説明に入ります」

 メガネの位置を修正し直して、先生が復習を兼ねた講義を進める。

 隣でラータが焦ったように文字を綴っているが、恐らく次の解説の要点を漏らさずに板書するのは不可能だろう。普段から真面目に受けていればいいのにと思う一方で、毎日の授業を眠らずに受講するラータはラータじゃないなと思い直した。

 ――仕方ない。あとでノートを見せてあげよう。

 そんなことを考えつつ、リドはノートのページをめくった。そこには、イラストのついた綺麗な板書が書き込まれていた。

 先生の解説を耳にしながら、リドの視線はページ内を追い掛ける。

 粋玉、という石がある。

 数ある鉱石の中でも、特異な性質を有したものをそう呼ぶ。

 あらゆる特性を外的な干渉から吸収する鉱石――粗晶石を素とし、自然現象を介して粋玉は生まれる。人工的に完全復元することは不可能であり、粋玉が生じる条件を再現しても、特性は付与されない。

 この特徴をさらに研究することで、現在の電灯や冷蔵庫が開発された。

 確認されている種類は――三種類。

 一つ目は、ブラッディジェム。別名:灼爛石とも呼ばれ、紅蓮に染まった火を纏う粋玉である。粗晶石が長い年月を経て溶岩などの高温物質に晒されたことで形成され、空気を焦がすほどの熱を内包している。衝撃を与えると熱が爆発的に膨張して発火し、その際に消費した熱は体温や気温から補うとされる。

 二つ目は、ハニーライト。別名:雷晄石とも呼ばれ、蜂蜜色をした強い電荷を持つ粋玉である。粗晶石に何度も落雷が直撃したことで形成され、雷と同等の電荷を内包している。衝撃を与えることで電荷を放出し、消費した電荷は大気中の電子や生体電気を取り込んで自己発電するため、特性が失われることはない。

 三つ目は、フロストオア。別名:白霜石とも呼ばれ、純白に輝く冷気を秘めた粋玉である。粗晶石が長きに亘り凍土に閉ざされたことで形成され、絶対零度の冷気を内包している。あらゆる水分を凝結させるが、粋玉自体が対象に触れねばならない。他の粋玉と異なり、周囲の水分に干渉する性質のため、特性を補う必要がない。

 板書されたノートをそこまで俯瞰して、リドは顔を先生に向けた。今年で最後の三十路となった女性教師は、フレームの細いメガネの位置を修正し直し、

「――これら粋玉の特性から、主に対械獣戦闘用に武工具へ組み込まれるのが通例です」

 若さを表現したいのか、若干高めの声音で付け足した。

 うんうんと自分の知識に間違いがないことを確認していると、すぐ左から愚痴が鼓膜をノックしてきた。多少の焦燥を孕んだ声に、リドの意識が苦笑を浮かばせた。

「うわあ、やっば! 聞き逃した………。解説早いっつの!」

「ノート、見る?」

 髪の毛をくしゃくしゃと乱暴に乱したティアの方へ、リドは自分のノートをスライドさせた。開かれたノートを見て、ティアの慌てた表情がぱあっと明るくなる。

「いいのっ? 本当に?」

「うん、いいよ」

 そう答えてからラータを一瞥すると、さっきまでの頑張りで気力を使い果たしたのか、安らかな寝息で睡眠学習に没頭していた。

 そんな親友の姿に嘆息するけれど、解りきっていたことなので今さら呆れはしないし、ノートを写させてあげなきゃという思いにも変化はない。

 それはリドという少年がどうしようもなく友達思いなのもあるが、単に親友と一緒に職人試験にパスしたいという思いがあるからだった。ラータだけではない。今、隣で必死にリドのノートを書き写しているティアとも、一緒に進級したい。

 父の影に隠れたリドの本質を見て、触れて、理解してくれた友人らと。

 これからも笑い合い、ふざけ合い、楽しい学園生活の日々を送りたい。

(職人試験、絶対に――)

 ――絶対に、受かろう。

 リドは固い決意を胸に。

 ラータは夢の中で誓い。

 ティアは痛む指を気にして。

 教室内の時計職人見習いの全員が、覚悟にも似た思いを心に縫い止めた。

 カチリ、カチリと。

 時計の針は、明確に試験日を手繰り寄せる。



   2



 とある帰り道。

 少し息抜きも兼ねて、リドは繁華街へと立ち寄った。

 職人試験を控えている今、こんなところで油を売っている時間などないのだが、しかしたまにはこうして休むことも重要なことだろう。

 そんな言い訳じみた考えで自分を納得させながら、灰色の石畳で靴音を奏でる。

 繁華街は四つの商店街から成り、第一商店街は日用雑貨、第二商店街は飲食店、第三商店街は娯楽、第四商店街は宿泊施設などが立ち並ぶ。

 今、リドが歩いているのは第二商店街だった。

 小腹が空いたこともあり、有名なドーナツ店【ミスター・ドナルド】へ入店した。店内は木造で、喫茶店のような落ち着きのある内装をしている。

 深呼吸すると、ドーナツの甘い香りとコーヒーの香ばしい匂いが、リドの肺を満たした。今まで名前しか知らなかったミスドだが、なんとも癒される空間である。

「いらっしゃいませ」

 レジに立つ女性店員の声に少しの会釈を返して、リドはショーウインドーを覗き込んだ。

 丁寧に陳列された幾種類ものドーナツが、電灯に照らされて整列している。種類が豊富にあり過ぎて、逆にこれというものを選べない。

 女性店員の営業スマイルに急かされ、リドは無難なプレーンドーナツを選択した。合わせてアイスコーヒーも注文し(ココアがなかった)、トレーを受け取って席へと移動する。

 空いていた適当な席に腰を下ろし、コーヒーを一口啜る。

「……ふう」

 冷たい液体が食道を通って胃へと落ちる感覚を捉えてから、気分をオフにする溜息をついた。

 鼓膜に届くジャズミュージックに浸りつつ、ドーナツを頬張る。甘さ控えめな味は、リドにミルクをオーダーすべきだったかなと軽い後悔を生ませたが、コーヒーとの組み合わせはこれはこれでイケると思い直し、咀嚼途中のドーナツをコーヒーで浸す。

 そうやってドーナツの消費に勤しんだあと、改めて店内を見渡した。

 テーブル席は比較的空席が多く、外回りの休憩中らしいOLや、子どもの相手をしながらドーナツを一口サイズに千切る主婦、疲れた顔の中年男性ほどしか見当たらない。

 音量低めのBGMが充分に聴き取れるくらいに静かな空気に、リドは言葉に出来ない不思議な感覚に見舞われた。

 職人試験を控えたビギナーが一様に忙しない学園とは、まるで別世界のようだ。

 残ったドーナツを口に放り込み、失われた口内の水分をコーヒーで潤わせて、リドは思考に耽る。

 時計職人見習いとしての最初の関門は、遂に翌日となっていた。

 勉強が足りているかどうかは自信がないけれど、講義はしっかりと受けていたし、大丈夫だと思いたい。余程のことがない限り、最初のペーパーテストを落とすことはないだろう。面接も、多分だが問題ない。

 修理技術に関しては、エリーヌの協力のおかげもあって、時計修理の依頼を何度か受注することが出来たので、同年代のビギナーよりは経験を積めたように思う。第二週の実技演習も、落ち着いて臨めば乗り切れることだろう。

 さて、問題は第三週である。

 職人試験三週目の内容は、対械獣戦闘実技演習。

 修理途中に械獣と遭遇してしまった場合を想定し、武工具を用いてこれを排除出来るか否かが問われる。

 実習のときみたくダミーではなく、試験では本物の械獣が相手となる。

 いくら脅威の低い械獣が相手とはいえ、受験者の大半は初の戦闘である。緊張しないわけがなかった。

 今までに比較的多くの依頼をこなしてきたリドであっても、械獣とは戦ったことがない。

 こればかりは、勉強でカバー不可能な問題だからこそ、どうしようもない不安が胸中に渦巻く。

 もちろん、知識としては戦術を知っている。努力家たるリドが、械獣の種類と戦い方を学んでいないわけがない。しかし、どんなに械獣の弱点を心得ていたとしても、自身にそこを攻めるだけの実力がなければ意味がない。

 対械獣戦闘を習う実習では、想定する械獣の動きを勝手に予想して(とはいえ個体の習性に倣ったものだが)、戦術や動きを学んでいる。だが、未だ謎の多い械獣が、こちらの予想通りに動いてくれるという保証はないのだ。

 実習での成績は良かった方だと言っても、リドは不安を拭いきれなかった。

(うわあ、緊張してきたな……)

 テーブルに突っ伏して、

「はああ……っ」

 と、深い溜息を漏らす。

 けれども、胸中の不安は少しも晴れはしなかった。



   ◇



 ――同時刻、ユグドール学園屋上。

 夕暮れの街と称されるだけのことはあり、トワイライトヒルから望める夕焼けは綺麗の一言に尽きる光景である。国宝にも指定される橙色の空を眺めながら、ラータは感慨に耽っていた。

 ――どうして自分は、時計職人になろうと思ったのか。

 職人試験を明日に控えているというのに、今さらなことだと自嘲する。が、ビギナーではなく職人として生活する分岐点ともなる試験だからこそ、その問いは思い過ごすことの出来ないものだった。

 思い返せば、明確なきっかけらしいものはない気がする。

 ただ、子ども心に憧れていたのだと思う。自警団や司法官とは異なる形で、人々の暮らしを最前線で支える職人の姿に、幼き頃のラータは夢中だった。

 前期小学校を卒業する頃には、時計技師になりたいと詳細に夢を描いていたし、確実になるのだと信じて疑わなかった。

 しかしそれでも、無理やりに理由を述べるなら。

 やはり、それはラータの生まれ育った環境に由来するのだろう。

 鉱石の採掘業者だった父の収入は少なく、母もパートをしていたが、一般の家庭よりも生活は貧しかった。四人兄妹の末っ子に生まれたラータは、未成年ながらも家庭を支えるために働きに出る兄や姉の姿を、一人遊具で遊びながら眺めていた。

 そうやって家族みんなで助け合う様を眺める幼少期を過ごしたラータは、年齢的な観点から自分だけ働かずにいる状況に、気まずさにも似た感情を抱いていた。

 ――子どもだから、働かなくていいんだよ。

 ラータが自分もなにか仕事がしたいと申し出たときに、家族は口を揃えてそう言った。気持ちだけで充分と微笑む家族の温かさが、逆にラータには辛かった。

 そんなときだったのだ、テレビで時計職人についてのドキュメント番組を見たのは。

 ランク制で、階級が高いほど収入も高い。専門の教育機関で受験出来る試験に合格すれば、境遇や学歴を問わず職人になれるというところも、ラータには魅力的だった。

 そしてなにより、自分たちだけでなく、他の大勢の人の生活さえ支えられる仕事である。

 だから、ラータは時計職人を志した。

 応援してくれている家族のためにも、絶対に職人試験に受からねばならない。

「気合い、入れねえとな」

 そう一人ごちて、フェンスにもたれ掛かっていると。

「なあに、やってんの?」

 男勝りな幼馴染みが、屋上のドアを開けてこちらに歩いてきた。

「なんだ、ティアか」

「なんだとは失礼ね。あたしじゃ不満なわけ?」

「別にそういうわけじゃねえよ」

 左手をひらひらと振って否定し、ラータは空を焦がす夕日を眺める。白い雲さえも赤く染まり、まるでトワイライトヒル上空の全てが大火事になっているかのようだ。しかし、太陽は身体の半分近くを水平線に浸食されているので、その火事が沈静化するまでそう長くはないことを、ラータは悟った。

「なに、たそがれてんだか」

「うるへー」

 ティアがラータの横で、同じようにフェンスに身を預けた。なんとなく、少し前までの思考を感づかれたくなくて、ラータは夕日から視線をはずして背を向ける。

 そうしてから、ちらりとティアを一瞥し、

「ベンキョーはどうよ?」

 恐らく自分と同じく、あまりしていないだろうことを訊く。

「まあまあ、かな」

 微妙な答えを返して、ティアは「あんたは?」と問い返す。

「まあまあ、だな」

 言外に同じだと告げて、ラータは首をぐるりと回した。記憶旅行の時間は存外に長かったようで、首の骨がパキパキと軽快な音を内側で鳴らした。

 そんな幼馴染みを横目で見て、彼がなにかしらの考えに耽っていたことを直感したが、ティアはその内容について言及しないことにした。

 普段なにも考えていないお調子者のラータが、一人で長い時間思考することなど、滅多にないことである。

 けれども、だからこそ。

 ラータという少年が一心に思考するときは、本人にとって重大なことなのだ。そして、そんな一面を誰にも知られたくないからこそ、一人になるのである。

 自分の来訪に対して場所を変えなかったことから、思考していた内容の答えは出ているようだが、やはりそれを訊くのはいくら幼馴染みとはいえ、無粋な行いであろう。

 ラータから視線を逸らし、ティアは屋上からの風景を俯瞰した。足早に帰路につく生徒は、きっと二年生なのだろう。一刻も早く勉強しようと思っているに違いない。

 まあ、本来なら自分もラータもそうすべきなのだけれど、たまには休憩も必要である。さすがに、今までサボっていた分の膨大な板書の書き写しが終わったばかりなのだ、少しくらい休んだって罰は当たるまい。

 互い、口を開かず。

 軽い沈黙が生じる。

 しばし経って、ラータがぽつりと呟いた。

「職人試験さ……」

「ん?」

 自分に対しての呟きかどうか迷ったが、取りあえず相槌を打っておく。どうやら正しかったらしく、ラータは続けた。

「受かろうぜ、必ず。なにがあっても絶対に」

「うん」

 いつもなら、「はあ? 当たり前でしょ? なに言ってんのよ」と言うところだが、しかしラータの真面目な意思表明に、そんな返しはとても口に出来なかった。

 真面目な声と表情のまま、ラータが沈黙を殺すように言葉を紡ぐ。

「リドとさ、一緒に職人になろうぜ。そんで、エリーヌちゃんとかキィーナさんとかとまた笑い合えるように、頑張ろう」

 静かに、けれども力強く思いを言葉にしたラータに、不覚にも一瞬ドキッとしたティアであったが、すぐにその動悸を気のせいだと心のゴミ箱へ投げ捨て、

「そうだね、そうしよう」

 と、ごまかし半分に真面目な返答をした。


 夕日が、水平線に飲み込まれる。

 それぞれの見習いが、想い、誓い、覚悟する中、職人試験は着実に迫る。



   3



 わいわいがやがやと賑わう教室。

 チャイムの鳴り終わりと同時に帰宅する生徒もいれば、親しい友人と集まって会話を交わす生徒もいる中、リドは軽く吐息を落とした。

 それで疲労と緊張が解決することはなかったが、幾分かは解放された気分にはなれた。

(やっと終わった……)

 長時間の着席で凝り固まった筋肉を伸びでほぐし、リドは心も身体も弛緩させる。そうやって解放感に少し浸ってから、帰宅の準備をし――

「はああー、疲れたあー」

 ――ようとしたら、一つ前の席にラータがどたっと現れた。この親友にしては珍しく勉強したのか、目の下にはクマが出来ている。

「お疲れ、ラータ」

「ういー、マジで疲れた。もうね、面接とか別人だったかんねオレ。面接官もその変わり様に涙ちょちょぎれ。リドにも見せたかったぜ」

「そっか、じゃあ面接は大丈夫なんだ。筆記はどう?」

 リドの質問に、ラータの顔が少し曇る。どうやら、あまり自信のいく出来ではなかったようだ。確かに、普段の定期テストで出題されるものとは違い、難しい問題も多かった。『南方に位置するサンタフォールシティに建設された時計台には電力駆動のオーランド式が採用されているが、その理由を街の問題点を明確にしてから述べろ』などという記述問題は、一夜漬けのラータには難解だったろう。ちなみにリドの答えは、『降雪量の多いサンタフォールシティでは日が昇らないという気候状の問題があるため、雪が溶けず、蒸気駆動や水力駆動などの稼働構造では充分な稼働が望めないため、オーランド式が採用された』である。時計は、たとえアカシャ・クォーツを内蔵しても、環境に適した駆動系を適用しないと上手く稼働しない。そのことを理解しているかを問う問題だったのだろうが、リド自身も完全に正解しているかあまり自信がなかった。

「いや、でも! リドに教えてもらったところとかはバッチシだぜ。平均点は行ったな、間違いなく」

「リドに感謝しなさいよ、馬鹿ラータ」

 にししっ、と笑うラータの横からそう言ったのは、帰り仕度を整えたティアである。

「あたしもあんたも、リドがいなかったら落ちてた可能性高いんだからね」

「んだよ、解ってんよ」

 ティアの指摘に唇を尖らせるラータ。

 リドとしては、別にそんな恩を感じられる覚えはないのだが、義理堅いこの友人二人はそれで良しとは思っていないようだった。

 その証拠に、このあとは繁華街のファミリーレストランで昼食を奢ってくれることになっている。

「さ、行こうぜ。オレ、もう腹ペコで死にそう」

「リドに感謝するためのごはんなんだからね?」

 あんたも奢るのよと釘を刺し、ティアが先導するように「行きましょ」と促した。

「ういー」ラータは存在自体を弛緩させたような口調で。

「うん」リドはやや遠慮がちな声音で。

 未だ解放感冷めやらぬ教室を後にした。

 まだ職人試験は終了したわけではないが、それでも面倒な筆記試験が過ぎ去った事実は、緊張感と不安に囚われていた生徒たちに束の間の休息を与えていた。

 残るのは、専攻職の実技審査と対械獣戦闘の実技審査だけである。

 どちらも自分の実力と知識が問われる試験だけに、受験者たちの心中は穏やかでない。きっとこの休息を終えたら、また緊張と不安と闘うことになるだろう。それが解っているからこそ、今訪れている解放感は貴重だった。

 リドもラータもティアも、それを充分に承知している。ファミレスでの昼食は、リドへの感謝会が主だが、実は残りの試験対策も兼ねてのものである。むしろ、リドからすれば後者の方が重要に思えて他ならない。

 勉強が一番! という考えは持っていないけれど、しかし職人試験はただの試験ではないのだ。通常の試験以上の気持ちで臨み、準備をしなければ合格出来ない。それに、この試験に落ちれば留年措置となる。それだけは、絶対に避けたい。

 まあ、とはいえ。

 そう思うリド自身も、この独特の解放感をまだ味わいたいのだが。

「なあに、食おっかなー」

「言っとくけど、割り勘にはしないからね。自分で食べた分は自腹で払いなさいよ」

「んだよ、ケチ。そんなんだから、男が寄りつかな――うべっ」

「うっるさい!」

「ティ、ティア? それ以上本気で圧迫したら、ラータのこめかみが砕けちゃうよ」

「止めないで、リド。こいつが消えれば世界は平和になるわ! 世界のためよ」

 ミシミシと骨が軋む音が聞こえてきそうな威力を秘めるアイアンクローを鬼の形相でキメながら、ティアが低い声で告げる。ラータはというと、あまりの痛さに声も上げられないようだった。

「さ、行きましょ」

「う、うん……」

 依然ラータのこめかみをがしりと掴んだまま、彼を引きずるようにして歩くティア。その背に続きつつ、リドは彼女に対する発言には細心の注意を払おうと思った。

 昇降口を出ると(階段に差し掛かってもティアは一向に手を離さなかった)、まだ昼前ということもあり、太陽は元気よく業務に励んでいる。その日差しの強さに、リドは初夏の到来を肌に感じた。

(ついこの前まで春だと思ってたけど、いつの間にかもうそんな時期か)

 空を仰いで思うリドだが、すぐにそれもそうかと納得する。

 なにせ、今自分たち二年生は職人試験を受験中なのだ。二年次の前期末に開催されるわけだから、季節的にはもう初夏の匂いが漂う頃である。このところ、試験対策ばかりしていたし、気がつかなかったのも仕方ないと言えよう。

 それはそれとして、夏と言えば夏休み。

 まだ気が早い気もするが、長期休暇が近いだけでも頑張ろうと思えるものだ。

 そんなことを考えて歩いていると、

「あれあれ、ティアぽんじゃん」

 おーい、と手を振る女子生徒が近づいてきた。その姿を見るまでもなく声から判断したのか、ティアも手を振って応える。ちなみに、このときやっとラータのこめかみは五指の牢獄から釈放された。

「なーにしてんの?」

「イーリこそ。帰ったんじゃなかったの?」

「えへへー、今日は占いで道草すると吉! って出てたからね。秀才のイーリさんは、絶賛ぶらぶら中なのだよ」

 ふふんと自慢げに胸を張る親友に「ああ、そう」と呆れ気味に返答し、

「あんた、頭はいいけど実技は大丈夫なわけ?」

「心配ご無用。イーリさんの運勢は試験期間中うなぎ登りなのさー」

 ティアの心配に迷いなくそう返して、イーリは手に持つ『人生バラ色占い大全』をポンポンと叩いた。

「運がツキ過ぎてて困っちゃうよー。うははは」

 高笑いまでするイーリに、ティアは溜息をついた。

 この親友、頭脳は学年トップクラスなのだが、見ての通り占いを妄信しているのである。運勢を一日の参考にすることはティアにもあるが、イーリの場合は人生の選択さえも占いで判断してしまうのだ。彼女が時計職人を志しているのも、占いでそう出ていたかららしい。

 かわいそうな子の印象の強い彼女だが、しかしティアは一概にイーリの占いを否定出来ない。なぜなら彼女の占いは、時折だが未来予知にも匹敵する的中率を誇るのである。

 事実、ユグドール学園の生徒の中で、イーリの占いに助けられた経験のある生徒は少なくない。なにを隠そう、ティアも何度か世話になったクチである。

 だから、

「ほどほどにしときなさいよ」

 としか言えなかった。そんなティアの心中を知ってか知らずか、

「あれ、リドぽんも一緒じゃん。やっほー」

「こんにちは、イーリ」

 さっさと会話の矛先をリドに変更する。イーリとリドは親しい間柄ではないが、友達ではあった。ティアと行動を共にしていることが多いので、必然的に話すようになったのだ。

 余談だが、イーリもリドを噂から判断しなかった人物である。彼女曰く、『そんな不確定要素で物事を見るほど、イーリさんはバカではないのだよ』――だそうだ。とても占いを絶対として生きている人間のセリフとは思えないが、リドは堂々と答えたイーリに好印象を持っていた。

「元気してた?」

「うん、イーリも元気そうだね」

 柔和な表情のリドに、イーリは白い歯を見せて笑顔になる。

「うんうん、リドぽんは相変わらず紳士だねー。女子のハートを撃ち抜いちゃうわけだ」

 無邪気な笑みをニヤニヤ笑いへと動かして、イーリはティアを一瞥した。その笑みと視線の意味に、ティアは瞬時に赤面する。

「ちょ、イーリ!」

「なんでもない、なんでもなーい」

 うはははは、と気持ちよく笑ってから、イーリはリドの隣で両のこめかみをさするラータを見た。

 その行動から全てを察したのか、

「ああ、なるへそー」

 と、合点がいったという顔をする。

「ダメですなー、ラータくん。ティアぽんは見た目とは裏腹にデリケート女子なんだから、言葉を選ばないと」「見た目と裏腹って、あたしが女の子じゃないって言いたいの?」

 じりりと詰め寄るティアに、イーリは無駄に上手い口笛を奏でつつ、そっぽを向いて怒りを回避。歯軋りして威嚇するティアに臆することなく、ラータとの会話に復帰する。

「ティアぽんに限らず、女の子は些細なことを気にするもんなのさ。だから少しはリドぽんを見習った方がいいよ」

「んなこと言われてもよー、ティアが短気過ぎだっつの」

 リドにはこんなことしないくせにと内心文句を垂れるラータだが、幼馴染みの鉄拳制裁はもうお腹いっぱいなので、気持ちを切り替えるついでに話題も変える。

「道草するなら、オレらと来るか? 今からファミレス行くんだケド」

「ファミレスとなー? 食事がてら、勉強会とか?」

「おう、まあそんなとこだな」

 一言で目的を言い当てられ、リドは舌を巻いた。

 イーリが秀才だからなのかは解らないが、彼女は時折こういったプチ未来予知をすることがある。学園で人気のイーリ占いの的中率が高いのも、今のようなプチ未来予知によるところが大きい。彼女は、占いで提示されたわずかな情報の詳細を妄想で補強し、足りない部分を補完しているのだ。

 占いが凄いというより、イーリの妄想力が優れている――と言っても過言ではない。仮にこの世に妄想検定なるものがあったら、間違いなく彼女は一級の実力者だろう。

 ラータの誘いに、しばし「うーん」と迷っていたイーリだったが、

「うん、いいよー。ファミレスで昼食兼勉強会ってのも、道草に分類されるしね」

 その誘い、乗ったぜ! と親指を立てて賛同の意を示すイーリを引き連れ、四人は繁華街へと足を運ぶ。



   ◇



「リィ、右へ回り込め!」

「はい!」

 師匠の指示通り、がしゃがしゃと騒音を立てる敵の側面へと弧を描くように駆ける。手にした壁時計用の時針を握り直し、

「たあああっ!」

 気合い一閃。

 その衝撃のせいで、時針が半ばほどで折れてしまったけれど、敵の外殻を傷つけることには成功したので問題はない。

 バックステップで距離を置き、腰の作業ポーチから新たな時針を取り出す。鉄製の時針を握る手が、汗で濡れて不快感を生む。

(何度経験しても、まだ慣れませんね)

 金属が擦れる甲高い音を奏でて振り返る敵を睨みながら、ユイリィは思った。

 緊張のせいで暴れる心臓が、ユイリィの体内に低くも強い振動を与える。その鼓動を深呼吸で抑制させる間も、視線は敵から逸らさない。

 械獣――サミジナ。

 今、ユイリィが対峙している敵の名称である。

 馬の姿をした械獣で、群れをなして行動することの多い種類とされている。現に、今戦っている相手は十体目のサミジナだった。

 そのサミジナが、体躯を翻らせて嘶いた。

 まるでおとぎ話に登場する騎士の馬のように、サミジナの身体には銀色の装甲が光っている。しかし豪勢な装飾はなく、その装甲は数多の機械部品から形成されていた。

 械獣の正式名称は、〝機械部品外殻所有猛獣〟。

 略して、械獣。

 闇色の本体を隠すように機械部品を装い、強固な外殻を有した〝身体を持たない猛獣〟。

 アカシャ・クォーツに群がる習性を持ち、時を食らう化物。

 それが、械獣と呼称されるものの正体である。

(サミジナは、猪突猛進のパターン攻撃型。常に側面を取るように動いて、急所を叩く!)

 前足を振り上げて、疾走の前動作を取るサミジナ。

 ユイリィは、軽く腰を落として回避の準備をしてから、タイミングを計る。

 ドクンドクンという心音を耳にしながら、ウイリーのような態勢を戻したサミジナに集中し、意識を相手の臀部へと固めた。

 蹄を鳴らして、サミジナがユイリィに向けて疾走を開始。黒い煙のような鬣を風に溶かして、馬の械獣が凄まじい速度で迫る。

 眉間から突き出た長針でユイリィを貫こうと、サミジナが頭部を下に傾けた。

(まだ、まだ……ッ)

 秒刻みで近づく死の一撃に対して、ユイリィはギリギリまで動かない。すぐに動ける態勢を維持しつつ、タイミングを計り続ける。

 サミジナの一角が視界の半分を埋めたとき、ユイリィは曲げた膝を爆発させた。左へと瞬発力を解放させた少女の身体が、闘牛士が闘牛をかわすように動く。

 流麗な動作で側面へと回り込んだユイリィは、逆手に握った時針を振り上げ、狙いを定める。

 回避されて直進するサミジナの姿を視界の隅で捉えながら、ユイリィは視線を臀部から伸びる尻尾へと照準した。

 そして――、

 時針を力いっぱい振り下ろす。

「はあああっ!」

 鋭く呼気を吐いて繰り出された一撃が、サミジナの尻尾――金色のゼンマイへと直撃した。ガキンッ、という高い音を鳴らして、ゆっくりと回転していたゼンマイの動きが不規則になる。

 ユイリィの一撃が功を奏し、サミジナの動きが鈍った。

 その隙を逃さず、傍から戦況を静観していたラキが、

「もらったぜ!」

 頑強な拘束具をゼンマイへと嵌め込み、その回転を停止させる。すると、先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように、サミジナは眠ったかのごとく静かになった。

 拘束具が外れないことを確認して、ラキが退屈そうに息を吐く。

「ふうー、終わったー。ったくよ、こんなんおれらにやらせることかよ」

 早速、文句を垂れる師匠に、「仕方ないですよ」とユイリィが言葉を返す。

「成功率が最も高いと信頼されての依頼、ということですし。それに、私たちだけに依頼されているわけでもないみたいですよ」

 腰に巻いた別のポーチから依頼書を取り出し、内容を確認する。ユイリィの言う通り、そこには『多重受注可』の印鑑が押されていた。

 ラキとユイリィ以外にも、腕の立つ職人が同じ依頼をこなしているのだろう。確かに、毎年大人数の受験者がいる職人試験で使うのだから、自分たち二人だけでは全ての生徒に割り当てられる数の械獣を捕獲することは出来ない。……いや、プライドに賭けてそれはないが、しかし相当の日数を掛ける必要があるだろう。

「信頼ね……。まあ、報酬は充分だからいいんだけどよー」

「また、お酒に費やさないでくださいよ? 生活費がないんですから」

「ええーっ? そりゃねーよユイリィ! 仕事終わりはアルコールって相場が決まってんだぜ? アルコールを取られたら、なにを糧に生きていきゃいいのか解んねーよ」

「そんなにショボくれた顔をしないでください。それと、その発言はアルコール中毒の方のセリフです。ラキ姉はまだそのような域に達してないでしょう? だから控えてもらいます」

 ぴしゃりと言う愛弟子に、ラキは駄々っ子のように「いーやーだー」抗議の声を叫ぶ。

「リィはまだ未成年だから、酒の魅力が解んねーみたいだけどよ。酒ってスバラシイんだぜ? 飲んだら気持ちよくなれんだって!」

「クスリの売人みたいな文句を言っても無駄です。確かに私はお酒が飲めませんし、アルコールの魅力なども理解出来ない子どもですが、生活費を預かる身として、ラキ姉のお酒好きを見過ごすわけにはいかないんです」

 懐から家計簿を取り出し、ユイリィはそれを開いてラキに突きつけた。

「ほら、先月の生活費なんてほとんどお酒に消えてるじゃないですか。そのせいで、先月の大半を野宿で過ごしましたよね? お風呂にも入れず、お酒も飲めず、ラキ姉は泣いてたじゃないですか。『お酒はほどほどにするから!』と私に誓ったことをお忘れですか?」

 下から見上げるようにして言葉を並べるユイリィに、ラキは「うっ……」と言葉を詰まらせて後ずさる。

「むしろ、博打をやめろと言わない私に感謝すべきでは? お酒と博打、本来ならどちらもやめて頂きたいのですが、そこまですると本当に抜け殻のようになりかねないので、お酒の方を控えるよう言ってるんです。まあ、いずれは博打もやめてもらいますが」

 腰に手を当てて説教するユイリィは、聞き分けのない子どもを叱る母親のようである。低身長の少女が長身の女性を叱る光景は、とてもシュールだった。

 ユイリィの宣言に、ラキは心の底から「ええーっ!」と不満がる。

「酒も博打もダメって、リィはおれに死ねって言うのかよ!」

「それだけが生き甲斐みたいなことを言わないでください。全国のラキ姉を知る人が今のセリフを聞いたら、涙で大洪水が生じてしまいます」

 呆れるユイリィだったが、ぶーぶーと文句を口にする廃人の師匠を見かねて、ある提案を口にした。

「では、どちらか一つを禁止する代わりに、残った一つには目を瞑ることにします。お酒と博打のどちらを選択するのかは、ラキ姉に任せるので」

「きゅ、究極の選択じゃん! ……リィ、なんて残酷なチョイスをさせるんだ!」

「本当に、仕事以外は廃人ですね……。三ツ星の時計職人じゃなかったら、確実に社会不適合者です」

 こんな人がメイカー最高峰の実力者だというのだから、人生とは不思議なものである。旅の途中で彼女を拾った先代ラキは、本当に偉いことをしたなと感心するユイリィだった。

「うーん、うーん……。酒か、博打か………」

「さあ、どちらにするんですか? 捕獲したサミジナをユグドール学園に届けなきゃいけないんですから、早くしてください」

 今回、二人が械獣と戦っていたのは、ユグドール学園で行われている職人試験で使用される械獣を捕獲するためだった。特定地域に住まないラキが、こうして長い時間トワイライトヒルにいたのも、全てはこの依頼をこなすためである。

 繁華街とは逆の方角に位置する森林地帯でのサミジナ捕獲は、今日で依頼のノルマ数を達成した。苦労した甲斐があって、計五十近くのサミジナを捕獲出来た。

 この森林地帯のように、械獣が巣くっている一帯を頻出地帯と呼ぶ。テリトリーは械獣の種類によって場所が異なり、人々が暮らす街から離れた荒れ地や未開拓地などが指定されることが多い。

 また厄介なことに、地震や地殻変動などの自然現象によってテリトリーが移動することも稀にあるため、街役場はテリトリーが確定しない状況での街を囲む防御壁より外への無許可外出を認めていない。

 街から街を結ぶ道の中にも安全ルートは存在するが、付近にテリトリー移動の兆しが見受けられる際にはルートは閉鎖され、自警団や警備隊による調査が行われることになっている。しかしながら、いくら自警団や警備隊がパトロールに励んでも、時折、時計塔や時計台の内部に侵入する械獣が後を絶たないのが現状である。械獣がどのようにしてテリトリーから街の中へと侵入しているのかは不明であり、専門家による研究と調査が続けられているが、未だに解答は出ないらしい。

 ちなみに、ラキ一門のように対械獣戦闘に慣れた時計職人も、テリトリー移動の際には調査に同行することがある。猛獣との戦い方を心得ている自警団や警備隊だが、械獣との戦闘には不慣れなのだ。

 械獣退治も、時計職人の役割なのである。

 それからしばらく、「むー、むー」と呻って。

 ようやく、ラキは決断した。

「じゃ、じゃあ! 博打をやめる!」

「解りました。では、今後一切、賭けごとを行うことを禁止します。宝くじも含みますから、そのつもりで」

「解った解った! 酒はいいんだよなっ?」

 お目当てのオモチャをねだる子どものような目で、ユイリィに詰め寄る。その勢いに気圧されながらも、ユイリィは首肯した。

「やったーっ」

 バンザイして喜ぶ師匠をジト目で見つめて、

「……ですが、」

 と、付け足す。

 追加された発言に怪訝な顔をするラキに、ユイリィは家計簿を掲げて告げた。

「お酒の購入には、私の許可を通してもらいます! ちなみに、今日もこの後に械獣を運ばなければいけないので、お酒はなしです」

「なな、なんですとーッ!」

 驚愕と絶望とが同居する表情を浮かべて、ラキはへなへなとその場に崩れ落ちた。敗者のポーズで固まったまま、地面を涙で濡らす。

「裏切りだ……裏切りだ……汚い策謀だ……詐欺だよチクショウ……」

 ハスキーな声で繰り返すラキに、ユイリィは笑顔で止めを刺した。

「これは、決定事項です」

「うわあああん……」

 ちょい泣きを号泣へと発展させたラキの泣き声が、夕焼けの森に反響する。

 だが、テリトリー内に彼女を慰める人など、当然いはしなかった。



   4



 リドは、中型の疑似蒸気基盤の前に立っていた。

 試験用に作られた偽物で、蒸気動力は通っていないし、アカシャ・クォーツも存在しない。規模的には最も普及しているコーリント式クォーツ時計を講義や試験のモデルケースとして使用することは多いが、実際に修理するとなると難しいものがあると聞く。

 しかし、リドは他の受験者と違って落ち着いていた。今が試験中というのが信じられないくらいに、彼の心は穏やかであり、朝凪のようだった。

(良かった。コーリント式なら前に修理依頼を受注したし、難しくないかな)

 安堵しつつも、集中力は落とさない。慎重に疑似蒸気基盤を観察し、破損状況を分析する。この試験は破損箇所を的確に発見し、それに対し適切な修理を施して初めて得点となる。厳しい採点基準だと言えるが、人々の生活基軸に携わる職業なので当然だ。

 リドのジョブは技師なので、製造者ほど事が面倒ではない。メイカーは、用意された部品の数と種類から時計の型式を予想し、制限時間内までに基盤を組み立てて完成させなければならないのだ。無論のこと、完成出来なければ合格にならない。各型式の構造を理解し、正確な作業工程を暗記していなければ、メイカーを名乗る資格を与えてもらえないのである。

 だからといってエンジニアが楽な仕事なわけではないのだが、試験に臨む気構えとして、リド個人は製造者の受験者よりは気が楽だった。

 リドは疑似蒸気基盤を注意深く眺め、破損箇所をチェックしていく。

(蒸気配管の断裂と亀裂と欠損に、耐熱加工の剥離と水晶機関の油不足か)

 うんうんと頷きながら再度じっくりと眺め直して、自身の分析が間違っていないことを確認すると、リドは腰に提げた作業ポーチから工具を取り出した。革製のケースに包まれたそれらを床に広げてから、背後を振り返る。そこには、修理に使う様々な材料が並べてあった。

 大小の配管、ネジやボルトなどの各種部品、種類の異なるいくつもの鉄板、潤滑油から傷や汚れを修復するリペアオイルなどの油各種に至るまで、相当数の物が用意されている。

 修理作業に必要な材料が並べられたその長い机の向こう――入口付近のパイプイスには、三人の試験官が座っており、リドの行動の逐一を遠巻きに監視していた。試験の採点方法は、彼ら個々人の評価が話し合いによって得点化され、AからEの五段階評価に割り振れられる仕組みだ。Cの評価までが合格ラインで、それ以下だと不合格――つまり、職人試験自体に落ちることに繋がり、留年措置となる。

 手際、速度、修理状況の三点が採点の大部分を占め、その中でも修理状況が完璧に近ければ近いほど、他の二点が疎かであっても合格ラインに近づけると言われている。だから多くの受験者は、教科書に穴が開くほど睨めっこを続けて、修理手順の丸暗記に努める。

 そうやって得た知識ほど付け焼刃なのは世の常なのか、大抵は試験中に手順を忘却して四苦八苦するのだが、

(まずは、断裂した配管の交換と欠損箇所を補完して、と)

 彼は例年の受験者のそれとは違っていた。

 六個三対の目が光る中、リドは落ち着いた様子で机に歩み寄り、少し大きめの配管と少数のネジを手に取った。迷いなくそのまま踵を返すと、今度は、基盤下方の断裂して使い物にならなくなった古い配管を工具で外した。

「よい、しょっと」

 両手で静かに取り外した配管を床に置くと、先ほどの新品の配管を正しい向きで固定していく。固定具がきちんと留まっていることを確認し、配管が欠損していた部分にも同じことを行う。一切に無駄がなく手際がいいのは、やはり過去に修理依頼を経験したからであろう。修理しながら、リドは心の中でエリーヌに感謝した。修理依頼をキープし、優先的に受注させてくれたお礼に、今度なにかプレゼントしようと決めた。

 次いで、リドは配管の亀裂を直す作業に取り掛かる。通常、配管の内側まで達していない亀裂はオイルと専用のパウダーで直すことが可能なのだが、今回の試験で出題された配管の亀裂は内側まで達していた。これは、亀裂部に代替品を溶接しなければ修復出来ない。

(これぐらいの亀裂なら、耐熱板を直に溶接しても大丈夫そうだ)

 深さはあるものの、亀裂の面積は大したことはない。本当なら耐熱加工済みの鉄板を溶接するのが正当な修理なのだが、用意された材料の中には材質の異なった鉄板しかなく、どれも耐熱加工がなされていなかった。

 リドは机から耐熱板を持ってくると、配管の内側の亀裂部にあてがった。それを溶接機で固定し、外側の亀裂部にも同様に施す。外側だけでなく、内側にも耐熱板を溶接したのは、強度の低くなった配管の破損部分を補強するためである。

(これで大方は終了、と……。後は、耐熱加工と油か)

 修理の約半分を終えて、少し溜息をつく。室内の壁時計を見れば、ここまで二十分強といったところだ。ペース的には悪くない。試験時間は五十分なので、まだ充分に余裕がある。取りあえず、時間オーバーにはならずに済みそうだった。

「よしっ」

 小さく気合いを入れ直して、再び机に向かう。今度は耐熱加工の剥がれた配管を修理するので、リドの両目は耐熱加工溶液を求めて動く。左右二往復して、リドは目的の物がないことを確認すると、代案を即座に思案し始めた。

(んー、耐熱加工を施す場所ってデリケートだからなあ……)

 耐熱加工は強度が低い部位に施すのが常識で、加工の剥離を修復する場合は専用の溶液を塗り直すのが定石である。配管を曲げるために厚さが薄い湾曲部分や配管の分岐点などがこれに該当し、強度が低いので耐熱板や耐熱加工された鉄板が溶接出来ないのだ。

 この修理は、恐らく教科書を丸暗記した受験者を篩にかけるための応用問題だろう。それ故、きっと配点も高いに違いない。うろ覚えな知識で修理を行って、逆に悪化したら事だが、リドには豊富な知識とわずかな経験があった。学園に入る前に、あのラキから直接指導を受けていたのだ、これしきの応用は想定内である。

 リドがラキから教わったのは、

(赤色鉄鉱のフィルムがあれば、代用出来るんだけど……)

 柔軟性があって熱耐久の高い赤色鉄鉱は、ある加工を施すとフィルム状になる特性を持つ。詳細な加工方法は忘れてしまったが、製品化に時間が掛かるので高価であり、多くの職人は安価な耐熱加工溶液を多用している。

 しかし、用意された材料の中には溶液が見当たらなかった。ということは、代替可能な物が用意されているはずだ。

 そう見当をつけて、リドはもう一度机に視線を巡らせた。

「――あった」

 長い机の左端、鉄板が重ねられた山の陰に、赤いフィルムが置かれていた。限界まで延ばされた赤色鉄鉱が、電灯の明かりに照らされている。光にかざすと、隔てた向こうの景色の輪郭がぼんやりと判別出来る。鉱石をここまで薄く加工する職人芸に、リドは驚いた。

 代替品を手に、基盤へと歩む。修理は、このフィルムを加工箇所に貼付し、水晶機関に潤滑油を流すだけだ。

 終わりが見えたことで緩みそうになる精神を抑えて、リドはフィルムを耐熱加工の剥がれた箇所に巻きつけた。ぐるりと配管を一周させたフィルムの端を糊代として重ねると、床に広げた工具の中から時計修理専用の強力な接着剤を手に取った。それを丁寧に塗り広げて、フィルムがしっかりと配管に固定されているのを確認する。巻いたフィルムがずり落ちないよう、フィルムと配管の境界に保護テープを貼るのも忘れない。

 最後は、水晶機関だ。水晶機関とは、都市や街に建設される大型クォーツ時計にある心臓部のことで、アカシャ・クォーツが内臓されている場所のことだ。水晶発振器を擁し、それを動かすための小さな歯車が複雑に回っている。この歯車の回転が鈍ると回転数が落ち、発振器の稼働が怪しくなるのだ。

 リドは潤滑油を掴むと、油を()し過ぎないように注意しながら歯車を潤していく。焦げ茶色の潤滑油がさらさらと歯車全域に及んで、回転速度が正常に戻った。今回は試験用の疑似水晶機関なので、水晶発振器にクォーツは接続されていない。本来ならば、これで不明瞭なクォーツの輝きは明瞭なものへとなる。

 水晶機関の蓋を閉めて、壁時計を振り返った。

 試験開始から四十分弱――修理完了。

「修理、終わりました」

 パイプ椅子に腰掛けた三人の試験官に申告して、畳んだ革製の工具入れを作業ポーチに戻した。

「では、退出してください」

 シャープな眼鏡を掛けた女性試験官に指示され、リドは試験場を後にした。ちゃんと修理出来たかどうか、手際は良かったかどうかを心配しつつ、同じく二次試験に臨んでいる友人二名のことを想った。

「三人で、受かるといいな」

 希望を廊下の空気に吐露して、リドは太陽の傾いた夕空を仰いだ。

 トワイライトヒルの夕焼けは、相変わらず綺麗だった。



   5



 二次試験から一週間。

 ユグドール学園の敷地内全域に響くスピーカーと歓声。

「さあ、始まります! 職人試験最終課題『対械獣戦闘実技演習』! ご覧ください、このギャラリーの数を! メディアの数を! 場内はとてつもない熱気と興奮に包まれております」

 学園の校舎の裏側にある、巨大な野外演習場。

 まるでスポーツに使われるスタジアムのようなフィールドを、ぐるりと囲むようにして設置された透明の強化プラスチック壁。

 厚さ十センチを越えるその防壁の外側には、幾多もの観客席が設けられ、その座席の九割は既に多くの人で埋まっていた。

 賑わう場内に、興奮気味の女声がスピーカー越しに響く。

「まだ開始前だというのに、この集客数! やはり、何度経験しても鳥肌が止まりません! 受験者のご家族だけでなく、ギルド所員や街役場の職員、果てには時計職人管理委員会(CSC)委員の姿も確認出来ます。正直、なぜ無料なのか解りません! 入場料を取れば学園の資産も――え? ちゃんとやれ? ああ、はい――と、いうわけで! 実況は私、ユグドール学園四年生のサニー・ライヴリーがお送り致します!

 試験開始まで、もうしばらくお待ちください!」

 実況効果もあってか、場内の熱気はさらに上昇し、野外演習場付近だけ気温が上がっている錯覚を覚える。

 観客の熱気と興奮の波は、受験者の控え室にも充分過ぎるほどに伝わっていた。

 ワーワーと空気を震わせるほどの盛り上がりが、受験者一同にさらなるプレッシャーを与える。大勢の人が見ている前で実技を行うのだ、緊張するなという方が無理である。

 リドは、何度目かも解らない深呼吸を繰り返す。

(落ち着け……。落ち着けば、大丈夫だから)

 そう自分を励まし、ちらりと隣に視線を配る。

 リドの右に腰掛けたラータは、両手を固く組み合わせて瞑想していた。祈るように握られた拳が、小刻みに微動していることから、無二の親友も緊張と不安に襲われているのが見て取れる。不謹慎かもしれないが、ラータが同じような思いでいることに、リドは内心安堵した。

 恐らく、今日はラータの家族も観戦しに来ているのだろう。その分、見にくる身内がいない自分はまだマシなのかもしれないと、リドは寂しい気持ちも少量に思った。

 次いで、反対方向へと首を捻る。

 そこには、リドと同じように深呼吸を機械的に行うティアの姿があった。過呼吸になるのではと心配になる頻度で、深呼吸は繰り返されている。普段は桜色の唇も、今では白くなって震えていた。

 そんな友人が心配で、リドは自分の緊張や不安を心の奥に押し込んでから、

「大丈夫?」

 と、気遣いの声を掛けた。

 リドのそんな行動から気持ちまでを読み取ったのか、ティアは弱々しくも力強い返事を返す。

「うん。緊張してるけど、動けないほどじゃないかな」

「そっか、頑張ろうね」

「うん!」

 こんなときでさえ、どうしようもなく他人思いのリドに呆れるが、今の会話のおかげで少しだけ気が楽になったのも事実だった。

 ティアは、リドのこういう気遣いというか優しい一面に自分は惹かれたんだろうなあ、と客観的に考えて、

(よし、気合い入ってきた!)

 強張っていた全身をほどほどに弛緩させ、気を引き締めた。

 軽い緊張感と、ほど良くほぐれた筋肉――まさに、ベストコンディションだ。

「リド、」

「ん? なに?」

「……ありがと」

 自分を万全の状態にしてくれた友人兼意中の相手に、ティアははにかんで礼を言った。リドはというと、その謝辞が一体なにに対してなのかを察しあぐねている顔をしていたが、マナーとして、

「う、うん」

 と、律義に返答だけはしてくれた。

 急にすっきりしたような表情になったティアに、リドは若干戸惑いつつも、

(まあ、よく解んないけど、結果的には大丈夫なのかな)

 そう納得して、もう一度だけ深呼吸。

 そうやって気持ちを整えてから、近くの机に置かれた時計を見やる。まだ、試験開始まで数十分ほどあった。

 控え室を包む濃厚な緊張感に支配されないように、リドは辺りを観察する。なにかしていないと、身体が固くなってしまう気がした。

 控え室といっても、部屋ではない。実習を学ぶ目的で造られた野外演習場には、そのような設備はない。トイレなどの最低限の設備があるだけだ。

 だから、受験者は演習場の外に設営された長大なテントに押し込められていた。長い布製の野営テントをいくつも繋げてあるからか、意外と窮屈には感じない。しかし、初夏の兆しが見られる外で、こうして大人数と一緒に待たされるのは、些か拷問のようなものがある。

 加えて、リドたち受験者はこれから重大な試験を行うのだ。春にしては高い気温と緊張感が仲良しこよしする控え室は、悪循環の溜まり場とも言えた。

 先ほど、それを代表して試験官に訴えた勇敢な受験者がいたけれど、『時計職人たる者、いかなる状況にも打ち勝つ精神力を備えて当然です』と返され、呆気なく追い返されていた。確かにそれっぽい文句だが、自分たちは試験の映像を見ながら冷房の利いた室内で採点をするくせに、一体どの口がそんなことを言うのかと思う。

 ちなみに、観客席は半ドーム状の天井から降る霧のおかげで涼しいらしい。

 思い返すだけで腹立たしくなりそうなので、リドは観察対象を切り替えた。

 控え室で順番を待つ受験者は、皆それぞれ違った集中をしている。ある者は教科書やら参考書やらを一心に読み返し、またある者は友人と戦術の確認を取っている。

 その中でも、ことさら異様なのは、やはりというか彼女しかいない。

「ふむふむ、今日の運勢は悪くないな」

 占いの書物を手にしたイーリが、緊張感の感じられない普段通りの声音でそう呟いた。隣席の生徒が異物を見るような目をしているが、当のイーリは全く意に介していないようだった。

 真向かいに座るイーリに、リドは調子を尋ねてみた。

「調子? うんうん、絶好調だよ。いやね、ここんとこのイーリさんはツキ過ぎてて怖いよ。リドぽんにもおすそ分けしたいぐらいだね、うはははは」

 上機嫌に笑って、イーリは『人生を生き抜く百の方法』という名の本をべしべしと叩いた。なかなかに分厚い本が、丈夫そうな音を立てる。

(それって、占いの本じゃないんじゃ……)

 リドが抱いた感想は、それくらいだった。イーリと会話する際は、あまり深くツッコんではいけないのがルールである。彼女の親友のティアがそう言っていた。

 鼻歌を奏で始めたイーリから視線を外し、リドはどれくらい時間を潰せたのかを確認する。残り、数分といったところだった。

 観察にも飽きたので、持て余していた思考を試験内容に向ける。

 今日この後すぐ、職人試験の最終課題『対械獣戦闘実技審査』が行われる。三週間に亘って開催される職人試験は、この課題をクリアすれば結果がどうであれ終了する。

 各週ごとに試験の結果が発表される採点システムのせいで、現在こうして最後まで残った受験者は、当初の四割ほどしかいない。それだけ、職人試験というのは難しいものなのである。多くの受験者は、恐らく先週の二次試験で落とされたのだろう。

 リドもラータもティアも、なんとかこうして最後まで残ることが出来たが、だからといって安心など出来るはずもなかった(ちなみに、ラータは合格ラインぎりぎりだった)。

 対械獣戦闘の技量を審実技査するこの課題は、職人試験最大の難問と評しても過言ではない。職務柄、械獣と遭遇する可能性の高い時計職人にとって、その脅威を自力で排除する力は必須技能とも言える。

 今回の試験で使用される械獣は、サミジナと呼ばれる馬の形をした比較的弱い種類らしいが、械獣は械獣である。一歩間違えれば、死にかねない。

(まあ、危なくなったら試験官が止めに入ってくれるみたいだけど)

 しかし、それも気休めにしか聞こえない。なぜなら、受験者の大半は械獣と戦うのが初めてなのだから――。

 試験は、フィールド内に設置された四つの隔離リング内で行われる。各リングは透明の強化プラスチック板で十字に仕切られ、独立しており、四人の生徒が同時に試験を行う形式のようだ。各リングの実技審査が終了次第、また別の受験者が試験を受ける。

 この試験の採点基準は、内容に則ったとても単純なものだ。

 即ち、械獣を倒したら合格で、倒せなかったら不合格――というものである。

 ただ試験に合格したいのであれば、械獣を倒すことにだけ集中すればいい。だが、職人になってから、報酬の高い依頼を指名で受けたいのであれば、出来るだけダメージを負わず、また速いタイムでの撃破を狙わねばならない。

 ――三ツ星や一流ほどの報酬は払いたくないが、それなりに腕の立つ新米に依頼したい。

 そんな考えを持つ街役場や時計職人の質を調べたいCSC、定期的に依頼を受注してくれる職人とのコネを作りたいギルドが観戦しに来場しているのは、こういった思惑によるところが大きい。

 職人試験というのは、様々な思いが一度に交錯する場でもあるのだ。

だから、受験者は気合いを入れて臨まねばならない。

(……頑張ろう)

 試験開始のブザーが鳴り響く中、リドは、ラータは、ティアは。

 決意と覚悟を胸に、集中を高める。


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