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Clockworks!  作者: 阿武曇
1/6

第一章 「技師見習いのとある一日」

この作品は、某出版社の新人賞のために書き下ろしたものです。

1次選考にすら通らなかった駄作ですが、楽しんで頂けたら幸いです。

プロローグ



 ――カチリ、カチリ、カチリ。

 秒針が定期的に奏でる音が、耳朶に触れる。

 ――ゴウン、ゴウン、ゴウン。

 黄金色の巨大な歯車がガラガラと音を立てて回り、その回転運動によって時計の針が動くたび、腹の底が重く震える。

 シューシューと時折漏れ出る蒸気が、まだあどけなさの残る顔を熱する。被ったハンチング帽を脱いで、堪らず少年は薄汚れたシャツで額を拭った。シャツに付着したリペアオイルが肌にこびりつき、少年の額に横一文字の黒い線を描く。

 少年は手にしたレンチで巨大なボルトを締めながら、一人で来るんじゃなかったと後悔していた。いくら自分が多少の修理をこなせるとはいえ、さすがにこの大きさの時計を単独で修理するのは、些か無理があった。

 では、仕事を中断して学園に援助を頼むかと言うと、そういうわけにもいかない。

 一端引き受けた仕事は、最後までやり遂げる――。

 それが、少年の時計技師としてのモットーなのだ。

 そしてそれは、名高い父親の口癖でもあった。

 だから、少年は手を動かし続けた。

 四つ目の大きなボルトを締めたことで止まった蒸気漏れに一息ついて、少年はやっと休憩することを思い立った。

 複雑な蒸気基盤から離れて、硬い金属製の床に敷かれたレジャーシートに座る。シートの上には、家から持参した水筒と簡素な弁当箱が置いてあった。

 少年は疲労を少しでも体内から追い出そうと、

「ふうっ」

 と深呼吸して、弁当箱を開けた。中に入っているのは、白いパンに挟まれた野菜のサンドイッチだ。

 それを一つ掴んで、口に放り込む。緑黄色野菜をふんだんに使ったサンドイッチは、エネルギー補給にこそ向かないが、疲れた気分をリフレッシュするには最高に向いている。

 金属製のパネルを組み合わせるようにして作られた床が、硬くて痛い。せめて天然石で作ってほしいと思う。結局はそれも石なので硬いが、しかし鉄よりはマシだろう。

「はぁー、疲れたな」

 ごろん、と寝転び、あまりの大変さに少しの間だけ眠ってやろうかと企んでみる。だが、それをしてしまったら依頼を期限までに完遂出来ないので、仕方なく断念した。

 冬場なら寒くて寒くて恨みすら覚えるこの冷たい床も、草木が息吹く春のおかげか、火照った身体を心地よく冷やしてくれた。

 ――ゴウン、ゴウン、カチリ、カチリ。

 蒸気漏れを直したせいか、時計の稼働音がクリアになった気がする。すぐにとはいかないが、この密閉空間の暑さもきっと和らいでくれることだろう。

 少年は依然寝転んだまま、現在の修理状況を確認する。

 今回受注した依頼は、地元の時計塔の修理だ。蒸気を主な動力源にして稼働するコーリント式クォーツ時計。現在では、最もポピュラーな形式の時計である。

 配管の断裂によって漏れた蒸気の嵐は、耐熱加工が施された鉄板で補強し、今はもう治まっている。あとは、時刻を正確なものに修正するだけだ。

 少年は時間を確認するために、懐から美しい銀色の懐中時計を取り出した。

 ユキハガネという鉱石で造られた、豪奢ではないが高級感のある時計だ。目立った傷は見当たらないが、しかしどこか年季を感じさせるそれは――少年の宝物。

 また、父の形見でもある。

 革製の手袋をはずして、蓋を開く。

 カチッ、カチッ、カチッ、という小刻みな音と共に、細い秒針が時を正常に動かしている。文字盤の中心部――時針が重なる交点の下――には、深紅に輝く鉱石が大きさに反比例するようにして、その存在を主張していた。

 アカシャ・クォーツ。

 人々はそれを、『運命を導く神の御欠片』と呼んでいる。太古の昔から人々に厄除けの媒体として用いられてきた鉱石で、その精神は現在にも深く継続されている。

 どういうわけかこの鉱石は、時計に組み込むと永遠に規則正しく振動するという性質を持っており、またそのクォーツ時計を所持する者は必ず幸せになれると言われている。

 特定の鉱山からしか発掘されず、数も稀少だったために、時代の変遷と共に噂に尾ひれがついたのではないか……というのが有力な学説らしいが、突き詰めればそれも数ある仮説の一つなので、信憑性は低い。

 遠回しな事情やら学説やらを一切省いて言うならば、『なんかいろいろと不思議な力のある鉱石』ということである。

この鉱石を組み込んだ時計の所有者が生涯を幸せに過ごした事例は少なからずあるのだし、目立った不幸が起きなかったというのも事実である。わざわざそれを科学的に証明する必要はないのでは? というのが少年の意見だったりする。

 それに、そういった不思議な特徴を取り除いて残る性質――絶対的に正しい時刻を刻み続ける性質――が事実ならば、時計に関わる人間としては充分である。

「……難しいことは、解んないや」

 まあ、結局はそういうことなのだが。

 ――人々のニーズに合った時計を提供する。

 それが、時計職人(クロックワークス)の存在理由なのだから。

「よしっ、元気回復っと」

 少年は腹筋の力で起き上がり、水筒に入ったドリンクで喉を潤してから、再び蒸気基盤に歩み寄った。基盤の中にある水晶機関の蓋を開き、小さい歯車がくるくると回っているその中央で、少年の視線は止まる。

 深紅に輝く鉱石が、不安定に明滅していた。クォーツが正しく振動していない証拠だ。クォーツが正しく振動すると、鉱石は電灯のように光るのである。

 少年はその明滅するクォーツに、自分の懐中時計を近づけた。

 歯車にシャツの袖を巻き込まれないように注意しながら、しばらくそのままじっと待つ。すると、次第にクォーツの輝きが安定してきた。

 一分が経過したときには、クォーツは安定した光を放っている。

「ふう、あと十三個か……」

 溜息まじりに呟いて、上を見上げる。

 その視線の先には、同じような水晶機関がいくつも設置されていた。

 中型の時計塔ともなれば、これだけのクォーツを使用しなければならないのは知識として心得ているが、修理する身からすれば堪ったものではない。

「やっぱり、一人で来るんじゃなかった……」

 再度溜息をついて、少年は残りのクォーツの調整作業に徹した。

 ひどく疲れるし大変だが、時計技師ゆえに、時計の重要さは承知している。

 あらゆる気候が地域ごとに固定化しているアースフィリアには夜が明けない地方もあり、だからこそ正確な時を報せてくれるアカシャ・クォーツは、多くの人々に重宝されてきたのだ。

 一刻も早く、修理を終えねばならない。

 少年は気合いを入れて、調整に集中する。

 作業はまだ、終わりそうにない――。



第一章 「技師見習いのとある一日」



   1



「――依頼の完了を確認。お疲れ様、リド」

「ありがとう、エリーヌ」

 リドはハンチング帽を被り直しつつ、疲れた笑みを返した。エリーヌはセミショートの銀髪を軽く揺らして、その笑顔から逃げるように俯く。相変わらず、恥ずかしがり屋さんだなあと、リドは微笑ましくなる。まあ、単に嫌われている可能性もあるが……。

 エリーヌは、依頼斡旋所の受付嬢だ。歳はリドより二歳下の十二歳。目が大きく瞳が綺麗で、まるで人形に命が宿ったようだと詩人的な評価をするのは、さすがに言い過ぎだろうか。しかし、ラータの「神秘の森に住まう妖精さんのような(以下略)」よりは妥当だよねと自分で自分の評価を補強しておく。

 件の可憐な少女ことエリーヌは、軽く赤面しながらも時折こちらをチラチラと上目に盗み見ていた。瞳を少し潤させて、「あ、あうあう……」と声にならない声をその色素の薄い唇から漏らしている。

 なにか言いたいのかなと、リドは取りあえず待ってみることにした。

「う、うあ……」

 リドの意図に気がついたエリーヌが、慌てたように自分を急かす。しかし、気持ちが先走っているせいで舌が空回りし、言葉は口唇から出てもすぐに霧散してしまう。

 あたふたするエリーヌを柔らかい視線で見守りながら、リドは小首を傾げるようにして彼女の言葉を促してみる。

「あ、あの……ね? そ、その、」

「うん、なに?」

 軽いもどかしさを感じながらも、リドは笑顔を崩さない。正直に言うと、時計塔の修理を終えたばかりなので今すぐにでも眠りたいのだけれど、己の都合を優先するために小さい女の子との会話を強制的に打ち切って帰宅するなど、お人好しのリドには出来なかった。

 それに、かわいいエリーヌとのお喋りは癒されるのだ。

「しゅ、修理。大変だった、でしょ?」

 早口にならないように舌を制御しながら、エリーヌがおずおずといった様子でリドを見上げた。

「ああ、うん。あんなに大きな時計、一人で修理したのは初めてだったしね」

 友達を連れていくべきだったよと、照れ臭そうにリドは後頭部を掻く。

「でも、修理……一人で出来た。リドは、すごい」

 エリーヌが早口ながらも力強く称賛する。無垢な眼差しで見られ、リドは思わず「そ、そんなことないって!」と大きな声で首を横に振った。

「別に大したことなんてしてないよ。損傷も軽微だったし、械獣も出なかったし」

 称賛を否定されて呆然とするエリーヌに、必死になって弁明するリド。なんでこんなに焦ってるのだろうと思わなくもないが、それを解明する暇もなく、リドの頭は言い訳を高速で思案し始める。

 誰がなんと言おうと、本当に大した修理はしていなかった。自分がやったことなんて、蒸気漏れを止めて時刻を修正しただけである。もし損傷がひどかったのなら、一人で修理など出来るはずがない。しかも、受けた依頼は自分のような技師『見習い』でも受注可能なレベルのものだった。見習いで受けられる依頼は、どれもさほど難しいものではない。

 それに、械獣。

 アレが出現しなかったのが大きい。仮に修理の途中で出くわしていたら、こうも簡単にはいかなかっただろう。

「だからね、その、」

 さっきよりも目のウルウル具合が増したエリーヌにしどろもどろになって、リドの焦りは本格的になる。こんな小さい女の子を泣かせてしまったら、あとで友人たちになんて言われるか解ったものではない。特にティアなんかに知れたらと思うと、背筋に冷たいものが走った。

「んーと、つまり、」

 頭をフル回転させて言い訳を思案していると、

「――リド!」

 エリーヌの鈴を鳴らしたような声で呼ばれ、

「はいっ」

 思わず、気をつけで返事してしまった。

 気をつけの姿勢を維持したまま、リドはなにを言われるのだろうとハラハラして言葉を待つ。普段ならば絶対に聞くことのないエリーヌの大きな声に、リドは彼女の発言内容を予想する。

 一、『なにをこの程度の依頼で調子に乗ってるの?』――これは土下座するしかない。

 二、『すごいって、リドの技量の低さがすごいって意味だよ?』――これは落ち込む。

 三、『リドなんて大っ嫌い! 顔も見たくない!』――案外これが一番ショックかも。

 三つ目のなんて言われたら、もうショックで立ち直れないんじゃないかと怯えながら、軽く震えて空気を振動させているエリーヌを恐る恐る見つめる。自分の思考がマイナスに働いていることにも気づかないほどに、リドの心中はアクセル全開だった。

 俯こうとする頭を強い意思で制すようにして、エリーヌの震える唇が空気を吸った。

「リドはすごい、よ? だって、えっと……その、」

 意思の制御範囲を越えたのか、エリーヌの頭が下を向く。「あうあう……」という言葉にならない音を口にしながら、エリーヌは膝の上に重ねた指をせわしなく動かした。

 そんな彼女をホッとしたように見やり、

「ありがとう、エリーヌ」

 と、リドはエリーヌの銀色の髪を優しく撫でた。エリーヌがいい子で良かったと心底思う。エリーヌの銀髪を毛先に向かってゆっくりと撫でながら、リドはとある友人のことを想った。

(ティアもこんな感じならいいのに……)

 本人に聞かれたら、間違いなくどつき回されるだろうが、しかしこれはリドだけの意見ではない。せっかくの容姿が、あの不器用な性格と男勝りな言動のせいで台無しになっていると考えるのは、彼女を知る全ての男の感想とイコールである。

「それじゃあ、僕は行くね」

「う、うん……。お疲れ、様」

 若干名残惜(なごりお)しそうに返答するエリーヌに、リドは微塵も気づかずに踵を返した。

 ギルドを出ながら、リドは重いまぶたを緩慢な動きでこする。

 いくらビギナーが受注可能な依頼だったとはいえ、時計塔に丸一日缶詰だったのだ。通常の修理時間の倍以上の時間が掛かってしまったし、これからは友人と受注しようと漠然と考えながら、睡魔に負けそうな身体を前に進める。

 疲労と眠気と闘いながらもリドが自宅に到着したのは、それから十五分ほどあとのことだった。

(シャワーを浴びないと……)

 胡乱な頭で思考するが、意思に反するようにしてリドの身体は一直線に寝室へと向かう。まるで身体に意識があるみたいだなーなどと他人事に思いながら、リドはベッドへと倒れ込んだ。

 リドの意識は、瞬く間に闇へと落ちる。

 シャワーはおろか着替えすら行わないまま、技師見習いの少年は眠りについた。

 夜は静かに、けれども秒刻みで更けていく――。



   2



「なんか、凄い失礼なことを言われたような気がする」

 その言葉に、リドの心臓がどきりと跳ねた。そんなわずかな反応を目ざとく見ていたのか、透き通るような碧眼がまっすぐにリドに向けられる。

「………」

「じーっ」

 効果音を自分で口にしながら、凛々しい顔立ちの少女がリドの顔を覗き込む。彼女の視線を極力気にしないように、あくまでも自然な様子でリドは昼食を続けようと試みる。

 震えそうになる手で、弁当箱からサンドイッチを取り出す。例のごとく、今日も野菜たっぷりのものだった。

 一向に目を逸らそうとしないティアの射抜くような視線を右の頬に感じながら、リドは平静を装ってサンドイッチを口に運んだ。

 まさにサンドイッチを齧る瞬間。

「特に、昨日の二十刻ぐらいに」

「――っ、ごほ、ごほっ」

 ティアの言葉に、思わずリドは噎せてしまった。

 昨日の二十刻と言えば、リドが依頼を終えてギルドに顔を出し、エリーヌとお喋りをしていた頃である。口には出していないものの、ティアに関する少なくともプラスではないことを想ったのは事実であった。

 まさか、そこまで正確に感じ取っていたとは思わなかった。

(地獄耳っていうのかな、こういうの)

「あ、今もなんか失礼なこと考えたでしょ」

「へっ? いや、なにも!」

 さらに鋭くなったティアの目つきに、リドは全身から汗を噴出させる。

「ううん、絶対そうだ。あたしの悪口センサーがビンビン反応してる」

 なんて実用性のないセンサーを持っているのだろうと考えてから、もしやこれも感じ取られたかと焦るリド。しかし、当のティアは変わらずこちらをひたすら見入るだけで、どうやらバレてはいないようだ。

「サンドイッチガオイシイナー」

「リド、カタコトになってるぜ」

 横合いから、ラータがニヤニヤ顔で指摘してきた。ティアとリドのやり取りを楽しんでいるらしく、先ほどから堂々と二人を眺めている。

「ソ、ソンナコトナイヨ?」

「ははっ、お前って本当に嘘が下手なのな」

 だらだらと汗を流すリドを笑って、ラータは箸で摘まんだ唐揚げを頬張る。

「正直に白状した方がいいと思うぜ? 『ティアをオトコオンナと言ってごめんなさい!』とか、『ティアなんかに彼氏が出来るはずがないとか思ってすいません!』とか。あ、『ティアが女の子だったなんて知らなくてごめん!』ってのも――おべあっ」

 ラータの言葉が途中で消えたのは、ティアの華麗なアッパーが顎にキマったからだった。とても女子とは思えない力で放たれたその拳は、胡坐をかいていたラータの身体を宙に浮かすほどの威力を秘めていた。

「やかましいのよ、馬鹿ラータ!」

 一泊遅れて、ドサリと重い音を伴いラータが背中から着地。がばっ、とすぐに起き上がると、ラータは両目に涙を溜めながら抗議の声を上げた。

「ってえな! なにしやがるっ!」

「顎を殴ったのよ」

 ティアがしれっとした顔で事実を告げる。

「んなこたぁ解ってる! オレがなにしたってんだ!」

「悪口を言ったじゃない」

「悪口ぃ? どこがだよ! どれも事実じゃねーか」

「もう一発、叩き込むわよ?」

 叫ぶラータに一歩踏み出して凄むティアの背後に、修羅が見えた気がした。ゴゴゴゴッ、という音が空気を振動させているような錯覚さえ覚える。

 じりじりと歩み寄るティア(+修羅の影)に怯えたラータが、話の矛先をリドに戻した。

「ま、待てティア! そもそも、この話題の発端はリドだろうっ?」

 その言葉に、ティアの身体がピクリと反応し。

「……そうね」握った拳をそのままに、ティアの顔がリドに向いた。連動する形で、修羅の顔もあとに続く。

(こ、殺されるッ!)

 言い知れぬ恐怖が、リドの背筋を冷やした。怒ったときのティアは、そこらの械獣よりも恐ろしい。

 ラータを見ると、安堵の表情を浮かべていた。視線で抗議の意を訴えると、合掌して謝罪を伝えてきた。

 「ごめん」で済むようなことではない。男子の身体を宙に浮かすほどの一撃なんて顎にもらったら、間違いなく比喩もなしに死んでしまう。ラータが無事だったのは、普段から殴られ慣れているからなのだ。

「さあ、リド? 聞かせてもらうわよ」

 鬼と化したティアが、ゆっくりと近づいてくる。サンドイッチを持った手がガタガタと震え、そのせいで具が地面に落ちていることすら、今のリドには止める余裕がない。

 視線を外したら殺されるという言葉の意味を、身を以って体験する日が来ようとは思わなかったと心中で嘆きながら、リドは止まりかける思考を必死に回転させる。

 考えた挙句、正直に話すことにした。

「――ってことなんだ……。ごめんね、ティア」

 リドの話を聞いているうちに怒りが冷めたのか、ティアの背後に出現していた修羅は消えていた。ティアのまなじりも、通常に戻っている。

「つまり、エリーヌみたいにおとなしかったら、あたしも女の子らしいのにってこと?」

 リドの話を要約するティアの表情は、どこか不機嫌そうだった。少し斜めに俯いたその顔は、見方によれば落ち込んでいるように見えなくもない。

「うん……。かわいいのにもったいないなーって思って……」

 弁明するように続けたリドに、ティアは赤くなって詰め寄った。

「かっ、かわいいっ? あたしが、かわいい? ホ、ホントに?」

「う、うん――ごめん!」

 突然詰め寄られて動揺したリドが頭を下げたが、「かわいいか、そうかそうか」と嬉しそうな笑みでいるティアは、それに気づいていないようだった。

 一気に上機嫌になったティアに、リドは困惑の色を隠せない。

(さっきまで怒ってたのに……。どうして急に喜んでるんだろ)

 十代の乙女頭脳は、本当にどんな勉学よりも解らない。

「嘘じゃないでしょうね?」

「うん、嘘じゃないよ」

 覗き込むようにして確認を取るティアに、リドはぶんぶんと頭を縦に振って応えた。

「なら、許してあげる」

 ルンルンランランと鼻歌を奏でながら、ティアがくるりと回って生い茂る芝生に腰を下ろした。春の陽光を吸収し、全身から放出しているのではと思うぐらいに上機嫌なまま、食事を再開するティア。満面の笑みで、購買で買ったパンを頬張る。

 その様子を一人面白くなさそうに見ていたラータが、不満の声を漏らした。

「おいおい、そんなのってありかよ。オレなんてアッパーだぜ、アッパー」

「なによ、なんか文句あんの?」

 花色の機嫌に水を差されたティアが、キッ! という視線でラータを見る。

「だってよ、オレのときと反応が違い過ぎじゃん」

 唇を尖らせて言うラータは、まるで駄々をこねる子どものようだ。

「いくらリドのことがす――ぐはあっ」

「だ・ま・れーッ!」

 ティアの怒声によってラータの声は掻き消され、固く握られた右の拳はラータの顔面の中心を突き刺していた。ズドムッ、という奇妙な効果音がもたらした威力のほどは、見ているだけでもとても痛そうだとはっきり解るぐらいのものだったので、リドは正確にその度合いを考えることを放棄した。

 荒く肩で息をするティアの顔は、真っ赤である。

「馬鹿ラータ! ラータのばーかばーか!」

 顔を押えてうずくまるラータに怒涛の罵声を浴びせて、ティアは少し潤んだ瞳をリドに向けた。

「……聞いた?」

「な、なにを?」

 問い返すリドに、ティアはさらに赤面しながら、

「だからっ、その、ほら」

「………?」

「……す……とかなんとか」

 俯くように言ったせいか、最後の方はごにょごにょとよく聞こえなかったけれど、どうやら彼女が『ラータの声が聞こえたかどうか』を訊いているらしいことは、なんとかリドにも察することが出来た。

「き、聞こえてないよ?」

「ホントに?」

「うんっ」

「……そう」

 ホッとしたような残念なような曖昧な顔で、ティアは静かに庭園から出ていってしまった。

 もしやまたなにかしてしまったのかと不安になっていると、やっとのこと苦痛から解放されたらしいラータが、鼻の辺りをさすりながら立ち去っていくティアの背中を見つめた。

「あちゃー、さすがにさっきのはマズかったか」

「ぼ、僕、なにか嫌なこと言ったかな?」

 焦って訊くリドに、ラータは「いんや」と答える。

「十中八九、オレだから心配すんなって」

 人波に消えゆくティアの姿を最後まで見ながら、ラータが後頭部をがしがしと掻く。

「あー、もう。しゃあねえな」

 いかにも面倒だというように装って、ラータが「悪ノリがすぎたかー」と呟いた。

「わりぃ、リド。ちょっくら謝ってくっからさ、オレの弁当見ててくれな」

「うん、行ってらっしゃい」

 快諾するリドに苦笑しつつ、ラータは人波を掻き分けるようにしてティアを追いかけていった。

 なぜだか落ち込んでしまった(リドにはそう見えた)ティアのフォローは、リドには出来ないことだ。彼女とは学園に入って以来の友達だけれど、しかしリドの知らないティアの一面は無数にあるのだ。

 だから、ここは大人しく彼女の幼馴染みのラータに任せるべきだと判断したのである。それに、ラータはお調子者だけれど、決して悪意からの言動ではないことは親友のリドが誰よりも解っていることであった。

(ラータも悪いって思ってるから謝りに行くんだしね)

 ティアも不器用だが、リドからすればラータも同じくらいに不器用に思える。

 ラータがからかって、ティアを怒らせて。

 ティアがそれに物理的に応対して。

 最後はラータが頭を下げる。

 これは、リドが知る最も日常的で平和な学園生活だった。

「やっぱりあの二人、お似合いだなー」

 きっといい夫婦になるに違いないと頷きつつ、弁当箱に手を伸ばす。

 手にしたサンドイッチは、やっぱり野菜のものだった。



   3



 昼食時間が終わり、三時限目の講義が始まっていた。

 横長の黒板に白い文字を記しながら、白髪頭の先生が時計について解説している。

「以上のことから、時計は人々に欠かせぬものとなったのであります」

 平坦な声で、先生が時計の歴史を説明し終えた。今やっている授業の内容は、だいぶ前に習ったところだった。つまりは復習中なのだが、教室内の生徒のほとんどが睡魔に屈している。起きている生徒も、うつらうつらと頭を船漕ぎさせていた。

 リドが眠くなるの必死に堪えて耳を傾けているのは、この授業がもうすぐ行われる『職人試験』の範囲だからだった。

 職人試験――。

 それは、まだ『見習い』の時計職人が正式に職人と認められるか否かを判断される試験である。試験は三週間に亘って行われ、第一週にペーパーテストと面接。第二週に専攻職の実技審査。第三週には対械獣戦闘の実技審査が行われる。最後の実技審査では、本物の械獣が相手となるため、生易しい試験でないことは確かだろう。

 この職人試験に合格して初めて、ビギナーは晴れて職人と呼ばれることを許される。一般の職人らが携帯しているように、いつでもアカシャ・クォーツの所持が可能となるのだ。

 ビギナーの中でも、親が職人だったという理由でクォーツを持っている人も少なくないが、稀少かつ高価な代物のクォーツの所持は職人にしか許可されていないので、ビギナーはギルド発注の正式な依頼を受けたときのみ、クォーツの所持が許されることになっている。

 リドが時計塔の修理の際に持っていた銀色の懐中時計も、いくら名高かった父の形見とはいえ、所持出来るのは依頼を受注したときだけである(そのため、普段はギルドにある)。

「次に時計の種類についてお話するので、しっかりと板書するように」

 先生の講義が、試験範囲最大のヤマに差し掛かった。リドは頭を強く振って、脳内と全身から眠気を追い払う。シャーペンを握る指に意識を向け、先生の解説を漏らさぬよう必死に書き綴っていく。

『現在、四方を海に囲まれた国たるアースフィリアでは、五種類のクォーツ時計が使用されている(どれも大仕掛けのものなので、一般の人が持つものではなく、時計塔や大時計台などに用いられるものに限る)。アースフィリアは地域ごとに気候が固定化しているため、各々の気候に見合った構造を持つ型式が採用され、人々の生活を支えている』。

 リドはそこまで書いて、そのすぐ下に時計の種類を箇条書きしていく。

 ――蒸気で動くコーリント式は、気候の安定した都市規模の街に建設される型式。

 ――電力で動くオーランド式は、日が昇らない南方地域に多く見られる型式。

 ――水力で動くレイフォル式は、雨量の多い東方地域に建設される型式。

 ――風力で動くシュリーネ式は、暴風が止まない西方地域に建設される型式。

 ――日光で動くザイーネル式は、日が沈まない北方地域に建設される型式。

 書き終えてから、リドはザイーネル式の脇に『先進技術を用いた型式のため、まだ試験運用中!』と注釈を書き足した。

「――というのが、主な時計の種類であります。えー、最後のザイーネル式の内部構造は非常にオーランド式と酷似しており、機関部には日光を電力に変換する特設セクションがあるのが特徴です。オーランド式の発電セクションと混同しないように」

 先生の説明を慌てて付け足し、リドは凝った首に手を回した。固くなった筋肉を揉みほぐし、視線を左右に振る。

「ぐがぁー……むにゃむにゃ」

 右隣のラータは、気持ち良さそうにいびきをかいていた。正直、うるさくて仕方がない。堪らず、シャーペンの先で腕を突いてみた……が、反応なし。どうやら爆睡しているようだ。さっき、ティアにはちゃんと謝れたのだろうか。少し気になる。

 次いで、左隣のティアをこっそりと見やる。

「カツカツカツカツ……」

 やたらと書く音が聞こえると思ったら、誰かと手紙を交換しているらしい。さすがにその内容まで盗み見るわけにはいかないので(無論そんな勇気もない)、リドは視線を再び黒板へと戻した。

 黒板のすぐ上に掛けられた時計を見れば、講義が始まってもう七十分も経っていた。いつの間にと思うが、人間集中していると時間の流れを感じないものだよねと自答し、残りの二十分は眠ることにする。

 先生の平坦な声は、まるで催眠効果でもあるかのように、リドを夢の世界へと導いていった。




 すうすうと寝息を立て始めたリドを、ティアはちらりと一瞥した。

(寝ちゃったのか)

 まあ起きていたとしても、別段会話があったわけでもないのでなんら変化はないのだけれど、しかし恋する乙女としては少し寂しい思いである。ティア自身は人見知りでもないから、意中の相手と話せないことはない。だが、今のような静かな空間での会話というのには、些か恥ずかしさを覚えるほどには女の子なのだった。

(うん、ま、仕方ないか)

 リドのかわいい寝顔を拝めると前向きに思考を変換して、ティアは書く手を止めた。友人への返信途中だったが、自分の気持ちを優先することに迷いはなかった。

 腕を組んで枕にしているリドの寝顔は、こちらを向いている。

(うわぁ、やっぱりかわいいな……)

 ティアはまじまじとリドを見る。生徒がみんなで睡眠学習中の今でなかったら、こんな大胆なことは出来なかっただろう。改めて周囲に座る生徒が爆睡していることを確認してから、リドの寝顔観賞を再開する。

 自分がいつからこの少年に惹かれていたのかは、自分でも解らなかった。明確なきっかけがなかったように思う。普通に友達から始まって、そしていつ頃か定かでないときにはもう、ティア・ハースマンという少女はリドが好きだった。

 誰にでも優しく、頼みごとを断れないようなお人好しで。

 自分と同い年なのに、時計に対して一生懸命な努力家で。

 見た目によらず頼れる部分があるけれど、恋には鈍感で。

 イケメンではないが、女心をくすぐるかわいさがあって。

 きっと、そんなところに自分は惹かれたのだろうと思う。

(けど、意外とリドって人気あるんだよね……)

 寝顔を微笑ましく眺めていたティアの表情が、多少の曇りを作った。好きな人の競争率が高いことを喜ぶべきか嘆くべきかなど、十代乙女にとっては逡巡の余地すらない。

 好きな人が多くから支持されているのに浮かれることなどないし、恋敵など少ない方がいいに決まっている。誰でも自分だけを見てほしいのだから、当たり前の話だ。

 リドを好きな女子には、二つのタイプがある。

 一つ目は、単純にリドという人物を知り、その性格やら外見やらにヤられた女子。これは、ティアやエリーヌが分類されるタイプである。

 二つ目は、リドの父親の知名度によって興味を抱き、残された資産を狙う女子。多分だが、こっちのタイプの方が多い気がする。

 リドの父親は、それはもう著名な時計職人として有名だったらしい。仕事で家を空けがちだったこともあり、詳細はリド自身もあまり知らないようだが、教科書に載るほどの活躍をしたのは間違いなく事実だと聞く。噂だと、あらゆる時計の修理もこなし、また制作することも出来た――とかなんとか。

(そんな理由で好きになるなんて、信じられない)

 不純にもほどがある。お金の重要性を軽視するわけではないが、少なくとも人を好きになる理由にそれを持ち出すのは、人として恥ずべきことだとティアは思う。純真無垢を気取るつもりはないし、理想主義者でもないけれど、恋愛や友情に関しては真っ当な気持ちで臨みたい。これを偽善だのなんだのと罵る輩がいるのなら、ティアは全力で反対する。

「う、んー……」

 リドが夢にでもうなされたのか、もぞりと動いた。びっくりして、ティアは慌てて視線を正面に戻す。しかし、リドが起きる様子はなかった。

「ふう……」

 安堵の息を漏らして、ティアは頬杖をつくようにリドを見る。

(そういえば、初めてリドに会ったときもこんな風に寝顔を見てたんだっけ)

 あれは確か、まだ学園に入学して日も浅かった頃だ。

 幼馴染みのラータが、面白い奴を見つけたとかはしゃいでいて、リドに興味が湧いたような気がする。さすがに突然声を掛けるわけにもいかないので、最初はラータにどんな人物なのかを訊いていた。そして、父親が著名だと友人に聞いたせいか、最初の印象は良家のお坊ちゃんだった。

 しかし、ラータから聞くリドのイメージと友人から聞くリドにまつわる噂話から連想する印象には随分と齟齬があり、どちらが真実なのか解らず歯痒かったように思う。

 そんな煮え切らない思いを抱えながら過ごすこと数日、本人との出会いは突然だった。

(まさか、最初の講義からずっと隣に座ってたのがリドだったなんてね)

 ティアは当時のことを思い出して、静かに笑みを漏らした。

 プリントに記載された名前をふと盗み見るまで、隣で寝ている少年がリドだと気づかなかったのも無理はないと思う。

 時計職人になるための専門学校たるこの学園に通う生徒の総数は、軽く千五百人を越えるのだ。だだっ広い教室にすし詰めにされた生徒の中の誰かはそうだと解っていても、それがまさか隣だったなんて、一体どれほどの人が気づけるだろう。

 リドという少年の名前と顔が一致してからは、彼を観察する日々が続いた。

 人見知りではないから会話するのは簡単だけれど、しかし最初の方はラータと話す姿を遠巻きに眺めていた。お調子者の幼馴染みの話に相槌を打ちながら楽しそうにするリドの笑顔は、ティアの心に強く焼きついた。目を逸らせない魅力が、そこにはあったのだ。

 そして気がつけば、彼らの会話に自分も混ざっていたのだった。

 話すようになってからは、もうリドを観察することをやめていた。というより、そんなことはすっかり忘れていたと言った方が正しい。それまで抱いていた警戒心(印象の齟齬のせいで正体がいまいち掴めなかったのが大きい)は綺麗さっぱり消え去り、入れ替わるようにして心に住み着いた感情が――恋心だった。

 友達として日々を過ごし、性格を知ったことで、ティアはリドに恋をした。第三者からすれば、第一印象とのギャップによって勢いで好きになったようにも見えるかもしれない。しかし、別にそれでもいいというのが、ティアの意見である。

(恋するのに、理由なんていらないもんね)

 飽きもせずにリドの寝顔をじっと見ながら、ティアの追想は教師の解説が一段落したことで、華やかな記憶の巻き戻しと再生を終えた。

 時計を見ると、十分以上も寝顔を観賞していたらしい。道理で頬杖をついていた肘が痛むわけである。

 講義の残り時間はもう五分もないだろうが、その全てを寝顔観賞に費やすことにした。

 終了のチャイムが鳴ったとき、ティアの視線にリドが不思議がったのは言うまでもない。



   4



「なあ、今日さ」

「うん?」

 一日の講義を終えて帰宅の準備をするリドに、ラータが肩をぐるんぐるんと回しながら声を掛けた。全ての講義を寝ていたせいで、肩が凝ったらしい。自業自得だと思う。

「ちょっくらギルドに顔出してみねえ?」

「依頼の受注?」

「それもあるケドさー」

 そこでラータは、ニヤけるのを隠そうともしないで右手を上に突き上げた。

「エリーヌちゃんに会いに行こうぜッ!」

「そんなことだろうと思ったよ……」

 ラータが自主的に依頼を受けに行くことなど、天地がひっくり返るぐらいにあり得ないことなので予想はしていたけれど、実際に口にされると、どうしようもない感情がリドの心中を埋めていった。

 ちなみに、内気なエリーヌはお調子者の代名詞ことラータを苦手にしているようで、リドは二人がまともに会話をしているところを見たことがなかった。多分だが、この先もないだろうと考えるのは薄情だろうか。エリーヌが親友との会話をさして楽しそうに思ってないことを知っていながらも、二人の間に立って繋ぎ役を演じないのだから、そうなのかもしれない。

(でも、ただナンパしたいだけのラータに協力するのもな……)

 ラータがエリーヌと話したがるのは、彼女がかわいいからに他ならない。これは間違いのない事実だと断言出来る。世界中の美女や美少女と仲睦まじくするのが生き甲斐だと公言するラータにとって、エリーヌのような美少女と仲良くなることは生きる目的なのである。ラータがそういった女性らに相手にされているかは置いておくとして、とにかく。

(なんか、癪なんだよね。僕に得ないし)

 つまりは、そういうことなのであった。

 それに、自分が仲を取り繕う役を演じたところで、どう考えても二人が友達以上の関係になり得る未来が想像出来ない。加えて、親友みたいに異性にストレートになれない自分が、ラータよりも気の利いた発言が出来るとは思えなかった。

(女の子って解らないし)

 ルンルンと上機嫌に前を歩く親友の背中をジト目で見ながら、リドはふるふると頭を振った。

 恋愛に疎いリドにとって、ナンパが正しいアプローチ方法なのかは解らない。しかし、草食系男子などとメディアで揶揄(やゆ)される現代のティーンエージャーの行動観点からラータを見てみると、もしかしたら親友はそういった類の同世代よりも遥かに行動的で、己の気持ちに純粋なのかもしれなかった。

 自らの感情を率直に公言出来ない恥ずかしがり屋の彼らに比べ、ラータはいろんな意味で積極的な少年なのだ。

 ――では、自分はどうだろう。

 リドは学園の正門を左折しながら、考えてみる。

 生まれてからの十四年間、リドという人間はどのように生きてきたのか。

 高名な父親を持ったせいか、比較的友人は多かったように思う。リド自身には、あまり父親の記憶はない。腕の立つ時計職人だった父は常に多忙で、基本的に家にはいなかったからだ。父もそれを申し訳なく思っていたのか、物心ついたときには親戚の叔父夫婦の家に預けられていた。父親についての情報は、叔父夫婦から聞かされていた。

 別段父親に憧れたわけではないが、リドが時計職人を志した頃。やはりというか、どこへ行ってもまずは父親と比べられた。リドは、正直それが嫌だった。誰も客観的に自分を見てはくれず、『あの親にしてこの子あり』に違いないという見方をされた。

 だから、そう。

 リドという人間は、あまり自分の内側を他人に見せない子どもだった。周囲の評価に対して不満を感じてはいたものの、仕方がないことだと諦観して生きていた気がする。

(ラータと会ったのは、中学のときだっけ)

 しかし、それはあくまで過去のことである。

 今のリドは、昔の――まだ小さかった頃のリドではない。完全に違うとは言い切れないけれど、少なくとも諦観した性格は改善されていた。

 大の親友、ラータと出会えたことで――。

 今のリドは、お調子者の親友に感化されて形成されたと言っていい。ラータと出会えなかったら、恐らくリドは今も様々なことに諦観して生きていたことだろう。

 そこまで思案して、リドは急に馬鹿らしくなって考えるのをやめた。深く追想するあまり、話題の軸がブレてしまっていたからだ。

(結論的には、僕は草食系に分類されるんだろうなあ)

 ただし、『ラータに比べれば』という条件つきであるが。

 別に、他の草食系さん方に張り合おうというわけではない。ただ、世間で認知されている草食系男子の定義に、自分は当てはまらないと思ったのだ。

 ――異性に対して積極的でなく、相手からのアプローチを待つスタンスの男子。

 それが、草食系男子であるとされている。

 しかし、リドは異性に対して消極的なわけではない。同い年のティアとも普通に会話出来るし、歳下のエリーヌとだって仲良くしている。学園の入学前に時計に関する基礎を叩き込んでくれた人も女性だったし、知人に限らずとも分け隔てなく接することが出来る。

 だから、『ナンパが大好きなラータに比べれば』、リドは草食系なのであろう。……まあ、実際のところ、多少の意地はあったのだけれど。

「うーしっ、今日こそエリーヌちゃんを落としてみせる!」

「毎回言ってるよね、それ」

 学園の真横に位置するギルドの前に到着して開口一番、ラータのお馴染みのセリフがリドに溜息をつかせた。全くと言っていいほどに相手にされない――むしろ、怖がられている節すらあるのだが、ラータの情熱と無駄に溢れるガッツは減衰する気配を見せない。諦めが悪いと表現すれば聞こえはいいけれど、リドからすればただのバカである。

「リド、ちゃっかり言外に無駄とか言うな。それ、地味に傷つく」

「って言われても、事実だし」

「いやッ! 今日こそ、今日こそ上手くいく気がするんだ……ッ」

「そんなこんなで、今日もラータはダメなのでした」

「モノローグっぽく否定しないで! まだ始まってすらねえよ!」

「結果は同じだよ……絶対」

「そこは、せめて『……きっと』って言ってくれよ! 親友だろうッ?」

「親友だからこそ、これ以上ラータが傷つく姿を見たくないんだ……」

「いやいや、オレ傷ついてねえよッ? エリーヌちゃんになんか微妙に怖がられてることに対して、これっっっぽちも傷ついてないから!」

 哀れむ視線のリドに、ラータが強がるように言う。

「そっか……。ラータは、強いんだね」

「やめて! 優しくしないで!」

 聖母のように微笑むリドに、ラータは目尻に涙を浮かべる。いつものやり取りを交わしながら、二人はギルドの入口を(くぐ)った。

 ギルドのロビーは、プロの時計職人やビギナーで混雑していた。各々の話し声が混ざり合い、でたらめな音楽を奏でている。がやがやと空気を埋める喧騒が、リドとラータの脳をぐらぐらと揺らす。

「うひゃー、相変わらずすげえ人だな」

 ごった返すロビーを見て、ラータが呻きにも似た声を出した。

「まだ夕刻前だし、平日なんてこんなもんだよ」

 隣で「うげー」と嘆くラータに、リドは苦笑する。一日置きに足を運んでいるリドにとっては見慣れた光景だが、あまり依頼を受けない親友には辟易する光景だったようだ。

 ギルドの内装は、古風な外見とは裏腹に意外とモダンである。木製の床下には暖房があるし、天井の四隅には空調機が設置されている。

 ギルドは二階建てで、一階は依頼を受注する個別窓口、依頼が掲示される大小一対の掲示板、所員や職人などが休憩に利用する喫茶店の三つのスペースで構成され、二階は所員の更衣室、依頼の受けつけと発注を行う執務室などの部屋で構成されている。

 二階は所員専用フロアだが、一階は一般の住人にも開放されており、喧騒を生み出す人混みの中には住人の姿がちらほら確認出来た。

 ぐわんぐわんと空気を揺らす喧騒に負けないように、気持ち大きな声でリドが言う。

「休日なんてもっと人が多いよ」

「マジかよ……。仕事熱心なこって」

「ギルドに来る人で、女の子目的なのはラータくらいだって」

 言うまでもなく、ギルドを訪れる人の大半は依頼を受注するのが目的である。中にはエリーヌや他の受付嬢とのお喋りを楽しんでいる人もいるだろうが、それも依頼を受けるオマケとしてのことだ。ラータのように、ナンパ目的でギルドに来る人などごく少数しかいない。

「さて、エリーヌちゃんは……と」

 早速、ラータが目的の少女を探して首を巡らす。

 リドはギルドの常連なので、まっすぐにエリーヌが担当する窓口を見つめる。ロビー奥に並ぶ個別窓口の、一番左から三番目。今立っている位置からだと全ての受付嬢が確認出来るのだが、その中でもエリーヌは一際小さく、しかし慣れた様子で仕事をこなしていた。

「あちゃー、仕事中か」

 やっと発見したらしいラータが、落胆の息を吐いた。

「まだ十六刻を回ったばかりだからね。仕方ないよ」

 がっかりした様子のラータにそう返して、リドは「でも、」と続けた。

「あと三十分くらいで奇数番号の窓口が休憩時間になるから、少し待てば話せると思うよ」

「本当かっ? うっし、じゃあ待とうぜ」

 途端にテンションを上げたラータは、ロビーの右側にある喫茶店【ガラスの靴】へと歩いていく。エリーヌが休憩時間になるまで、そこで時間を潰すつもりのようだ。

「いらっしゃい。ナンパくんは久しぶり、リドっちは一日ぶりだね」

「こんにちは、キィーナ」

 リドとラータがカウンター席に着くと、パントリーに立つ若い女性店員がにこやかな笑みで話し掛けてきた。営業スマイルではない、親しい友人に向けるような笑みを浮かべたまま、キィーナは二人の前に水を置く。

 しばし雑談を交わしたあと、キィーナが二人に訊いた。

「ナンパくんの目的は聞かないでも解るけど、リドっちはなに用? 依頼は終わったばかりじゃなかったっけ?」

「あ、うん。そうなんだけど……」

 言葉を濁すリドの表情から状況を察したのか、

「ああ、ナンパくんの連れ添い?」

 呆れた顔でキィーナが尋ねた。

 首肯するリドの隣で、ラータが「いやー、照れるなー」などと後頭部を掻く。そんなラータをジト目で一瞥して、キィーナがカウンターに頬杖をついた。

「リドっちも大変だねぇ、ホント。こんなのと親友って、疲れない?」

「こんなのって、キィーナさん相変わらずの毒舌――」

「うん、疲れる」

「即答ッ? 即答かよッ、リド! そこは普通フォローするところだろ!」

 驚愕するラータには一切触れず、キィーナはリドに同情する。

「だよねぇ……、私だったら絶対に耐えらんない。三日くらいでギブかな」

「あはは。人間、慣れればなんとかなるよ」

「リド、お前ってさらっとひどいこと言うよな」

 隣でしょげるラータに「冗談だよ」と告げて、リドはアイスココアを注文した。ラータも、「アイスティー、レモンつきで」と続く。

「お前の冗談、なんか本気っぽくて笑えねえんだよ」

「本気の冗談だからかな」

「……どっちの意味での本気なのかは聞かないことにします」

 嫌な汗を額に浮かべて、ラータがリドから視線をはずして腕時計を見る。まだ十数分しか経っていなかった。休憩時間まで、あと十五分強もある。

「はい、おまちどー」

 キィーナが、アイスココアとアイスティーを持って戻ってきた。オーダーを各々に前に置いてから、「で、」と会話の口火を切る。

「今日もエリちんに会いに来たの?」

「当ったり前ですよ!」

 キィーナの問いに、ラータが威勢よく答えた。気持ちのいいぐらいの返事である。やっぱりラータはナンパのときが一番活き活きしてるなーと、改めて思うリドだった。少しでもこの活力が時計関連に向けばいいのにと考えるのは、親友として野暮だろうか。

「はぁー」

 そんなラータに、キィーナはやれやれと首を振る。

「かわいそうなぐらい一途だねぇ……あ、尻軽だから一途じゃないか」

「かわいそうってどーゆーことですかッ? いや、オレは一途ですよ! オレの心はエリーヌちゃんに捧げると決めてるんです!」

「ナンパくんの一途は期限ありの一途でしょ、どうせ」

「なんてこと言うんですか!」

 ラータが、ばたばたと全身で抗議する。

「エリちんに捧げる心ってのも、下心百パーセントだって全国のみなさんも予想してるよ」

「全国のッ? せめて町内にしてください!」

(ツッコむところはそこじゃないと思う)

 下心なのは否定しないのを、正直者と見るかただのバカと見るか。二対八ぐらいで後者だろう。

「ま、どうでもいいけど。取りあえず、エリちんかわいそう」

「あの、どうでもいいで済まされる問題じゃないんですケド! オレのオトコ度評価に影響することで……」

「うわー、道端に転がってる小石並みに無駄な評価だね。そう思わない、リドっち?」

「うん、思う」

「だからリドッ! そこはフォローするところだろうが! なんで即答だよッ!」

 拳を振り上げて叫ぶラータに、しかしリドは無反応にココアを飲む。隣でわあわあと怒声を上げる親友には目もくれず、呆れ顔のキィーナに話題を振った。

「そういえば、マルコさんの調子はどう?」

「ん? ああ……相変わらず、かな」

 失笑するキィーナの表情から、リドは二人の近況を悟った。

 マルコ・クランツは、キィーナの恋人である。武工具を製作する鍛冶工房の駆け出しで、立ち場的にはリドやラータのような『見習い』のようなものらしい。

 武工具というのは、時計職人が械獣と闘うために用いる工具のことで、どれも武器としての一面を併せ持っている。警備隊や自警団のように剣や斧といった武器もあるにはあるが、ただでさえ多くの荷物を持って修理や製造に向かう職人にとって、無駄な重量は命に関わるし、所持品がかさばって戦闘準備に手間取るなんてことは本末転倒である。よって、修理や製造に使う工具に武器としての特性を追加させてあるのだ。

「また、こもってるんですか?」

「そうなの。マルコったら、『お前を幸せにするために稼いでみせる!』なんて息巻いてさ。家を出て、もうかれこれ一週間になるかしら」

「い、一週間……」

「すげえな……」

 リドとラータのこめかみを、ぬるい汗が伝った。

 マルコに工房に引きこもる癖があるのは知っていたけれど、今回のビョーキは相当長引いているようだ。

 努力家で恋人思いのマルコが、理由もなしにカノジョの元を離れるわけがない。きっと、今回もキィーナの発言が引き金になっているに違いない。

「理由?」

 尋ねるリドに、キィーナは呆れと恥ずかしさをないまぜにした顔をした。

「ほら、結婚関連を特集した雑誌があるでしょ? あれを読んでたときにね、結婚式にはお金が掛かるって書いてあって……」

「「あー、それで」」

「うん……」

 恐らく、キィーナがそのときに『お金ないしなあ』などと漏らしてしまったのだろう。だから、マルコは工房に引きこもって休日返上の連続勤務を行っている……らしい。

 呆れるほどに恋人思いである。

「んー、マルコさんの一途さは最早ビョーキの域に達してるね……」

「ああ。普通、そんな理由で一週間も働けねえっつーの。本気でキィーナさんに惚れてんだなーあの人」

「うん。凄いよね、本当に」

 感心したように頷き合うリドとラータに、キィーナは恥ずかしそうにする。

「別に今したいってわけじゃないから、地道に稼げばいいって言ったんだけどね」

 両手の人差し指を突き合わせながら、続ける。

「マルコってなんでも自分でやろうとするから、聞かなくて……」

 リドの脳内には、そのときの情景が安易に想像出来た。呆れたように引き止めるキィーナに、頭を下げながら男らしいセリフを口にするマルコ。カレシの気持ちと態度がアンバランスな光景だった。

 見た目も性格も草食系男子に分類されるマルコだが、誰かを気遣ったり想ったりすることに関しては、積極的に行動する。草食系だけれど、キィーナの前ではそうでない彼は、もしかすると現代のティーンエージャーが目指すべきオトコ像なのかもしれなかった。

 まあ無論のこと、弱気で腰が引けた態度は除くが。

 そんな感じで、三人がマルコの話で盛り上がっていると。

「あ、あの、」

 後ろから、鈴を鳴らしたような声がリドの耳をくすぐった。振り返ると、銀色の光沢を放つ髪を恥ずかしそうに揺らした少女が立っていた。

 その姿に、リドが微笑む。

「やあ、エリーヌ」

「こ、こんにちは、リド、キィーナ」

 ぺこりとお辞儀してから、エリーヌはリドの隣に座ってニヤニヤ顔のラータを初めて視界に入れた。

「――と、……さん」

「あれ? 心なしか、名前をちゃんと呼ばれなかった気が……」

 ラータが訝るような目でエリーヌを見る。エリーヌはその視線から逃れるように俯いて、指をもじもじさせた。

「きゅ、休憩のときに。リドの姿が見えたから……」

「そっか。ごめんね、疲れてるのに」

「う、ううん! リドとのお喋りは、楽しいから……」

「ありがとう」

 リドは、エリーヌの柔らかい髪を優しく撫でた。撫でる度に、銀色の粒子がこぼれるような幻覚が網膜に映る。キラキラと瞬く粒子は、喧騒で濁った空気を浄化していくように感じた。

 撫でられて嬉しそうにするエリーヌの様子を眺めて、キィーナがからかう。

「おやおや、エリちんはすっかりリドっちに飼い慣らされてるねぇ」

「き、気のせいですよ! うん、気のせいだ!」

 リドとエリーヌが反応する前に、ラータが勢いよく立ち上がって反論。両手を激しく左右させて、リドとエリーヌの間にさりげなく身体を滑らせる。

「こんにちはー、エリーヌちゃん! オレだよ、ラータ! 覚えてるよね?」

「え? あ、えっと、はい……」

 若干、自信なさげに小首を傾げるエリーヌ。人は覚えているが、名前が一致していないような顔だなとリドは思った。

「久しぶり! 元気にしてた?」

「……はい、元気です」

 少女がニコリと笑みを浮かべるのを見て、リドとキィーナは直感した。

((え、営業スマイルッ? 仕事モードで対応する気だ……))

 どうやら、エリーヌはラータを厄介な客と同じ人間だと見なしたらしい。

 しかし、当のラータは上機嫌だった。

(うおー、エリーヌちゃんが笑い掛けてくれているッ! これは、遂にオレのことを!)

 晴れやかな営業スマイルで『接客』を続けるエリーヌに、しかしラータは露ほども気づかず、一方通行な言葉のキャッチボールを開始した。

「仕事大変でしょ? 今度オレが遊びに連れて行ってあげるよ!」

「ありがとうございます」

「エリーヌちゃんみたいにかわいい子が依頼を斡旋(あっせん)してくれるなら、オレ毎日受注しちゃうね! 明日にでも依頼、受けに来るよ!」

「ありがとうございます」

「オレさ、将来お嫁さんにするんだったらエリーヌちゃんみたいな子がいいな!」

「ありがとうございます」

「最近おもしろいことが(以下略)」

「ありがとうございます」

「そういえば、もうすぐで話題の映画が公開され(以下略)」

「ありがとうございます」

「オレさ(以下略)」

「ありがとうございます」

 ………。

 これらの間にも、エリーヌの営業スマイルは崩れることはなかった。恐るべき、マニュアル対応である。その手慣れた対応は、小さいながらも受付嬢として彼女が大人に負けずに活躍していることを、リドとキィーナに認識させた。

 言葉のキャッチボール――というより壁当てに等しい会話が終わりそうになかったので、仕方なくキィーナが話を遮る。

「まあまあ、ナンパくん落ち着いて。取りあえず、なにか飲みなよエリちん」

「あ、はい。……じゃあ、リド、と同じので………」

「はいよ、座って待ってて」

 くすくす笑いながら、キィーナがココアをカップに注ぐ(予想していたのか、あらかじめ用意していたようだ)。

 着席しようとするエリーヌの動きが一瞬止まってから、迷いのない動作でエリーヌの腰はリドの隣席に落ち着いた。リドとラータ、どちらの隣に座ろうかという葛藤ではなく、『一つ空けて座る二人の間に座ると変な人の隣にもなってしまうから、リドの右隣に座ろう』という思考が完結するまでの空白だった。

 気持ちが報われないラータが、ひどく落胆とショックを受けた顔をしたのは述べるまでもない。



  ◇



 そのあと、エリーヌの休憩時間が終わるまで、リドとラータは楽しい時間を過ごした。

 今は、ギルドからの帰り道である。

 日は既に沈みかけ、辺りはほのかに薄暗い。夕焼け色に染まっていた石畳は藍色に染め変えられ、空を漂う雲までもが闇色の衣を纏って夜の演出を手伝っている。

 日の光が消えたことで街灯が灯り、街に住む人々の暮らしを支える。深い紫色の空には星が瞬き、仰ぎ見る者の心を安らかに癒す。

「くはー、楽しかったなー」

 隣を歩くラータが、満足したように言った。リドの記憶では、さしてエリーヌは親友に話し掛けてはいなかった気がするのだけれど、本人が楽しかったのならそれでいいのだろう。わざわざ水を差すことはない。

「しっかし、ビギナー向けの依頼ってショボイもんばっかなんだな。時計塔の掃除とか観光用パンフの作成とかよー、なにもオレらにやらせることかよ」

「仕方ないよ。僕らは見習いなんだから」

 苦笑して答えたリドだったが、本心はラータと同じだった。

 いくら見習いとはいえ、技を磨けるような依頼が少な過ぎると思う。昨日完遂した『時計塔のメンテナンス(修理も含む)』などの修理依頼は、半年に一度あるかないかのものなのだ。ああいった依頼は人気が高いため、即座に受けないと誰かに先を越されてしまう。エリーヌが秘密裏にキープしていてくれなかったら、リドは受注出来なかっただろう。

 そもそも、ビギナー向けの依頼が施行されたのは、知識に偏りがちの見習いに確かな技術力と経験を養わせるためだったはずだ。だが、今ではその目的は忘れられ、安い報酬で雑務を処理する体のいい手段として認知されている。

 無論、リドのような子どもが意見を役所に投書したところで、事態は望むように変化しないだろう。間違っているのは人々の認識の方なのだから、当然の話である。

(一刻も早く、職人にならないと)

 詰まるところ、それしか解決策はない。

 職人試験に合格してライセンスを獲得すれば、もっと職人らしい依頼が受注可能になる。

 絶対に落ちるもんかと意気込んでいると、

「お? リドじゃねーか」

 背後から声を掛けられた。

 振り向くと、五メートルほど後ろの路地に凹凸を描く二つの影が立っている。街灯の明かりが届かない位置なのか、上半身は影に包まれて確認出来なかったが、リドにはその人物が誰なのか解った。

「あ! 久しぶり!」

 その声に促されるようにして、影が数歩前に出た。

 雑に切られた赤いウルフヘアに、職人には考えられないカジュアルな格好。深緑の双眸は鋭く、形の整った唇は意地悪い笑みを湛えている。棺のように巨大な背嚢の中には、きっとお手製の時針が納められているのだろう。

 間違うはずがなかった。

 なぜなら、その人はリドにとって家族のように親しい間柄なのだから。

「こんなトコで会うなんて珍しいな。ギルドにでも行ってたのか?」

「うん。その、野暮用で」

 三ツ星の時計製造者で、時計に関する知識を教えてくれた恩師に、『親友のナンパの付き添いで行きました』なんて言えるわけがない。

「誰?」

 ラータの耳打ちに、リドは初対面かと思い当たる。

「前の家の近所に住んでた人で、アイーシャさんっていうんだ」

「それはプライベート専用だって言ったろ」

 耳ざとく聞いていたのか、ずいっと前屈みでリドに凄む。鋭い両目が細められ、狩りをするときの肉食動物のごとき視線がリドを射抜く。

「ご、ごめん……なさい」

「解ればよろしい」

 ニコッと快活な笑みでそう言って、改めてその女性はおどけた口調で自己紹介した。

「ただ今ご紹介に与りました、アイーシャ・リーベルと申します。職業は時計製造なんてのをちょびっと。一応、名の知れた者でしてね。ラキ=ラウロードなんて呼ばれてます」

 以後、お見知りおきをと腰を折るその姿に、ラータは驚愕の表情を浮かべた。

「ら、ラキッ? ラキ=ラウロードってあの凄腕メイカーのッ?」

「そうだよ。この人は、その四代目」

 肯定するリドに、ラータは複雑な顔をして固まる。誰もが憧れる人物に出会えた喜びと、実際に目の前にしたことへの驚きが雑じり合い、脳の処理機能が停止してしまったらしい。

 ラキ=ラウロードとは、メイカーの最高峰とも謳われる一門である。一つの土地に定住せず、各地を旅しながら時計を製造する。しかも、ただ建てるわけではない。この一門が最高峰と言われる所以は、独特の仕事方法にある。

 通常、メイカーは街役場からの指示を受けて、指定された場所に時計塔や時計台を建設する。しかし、ラキ一門はそうではない。街役場から指示を受けるのは同じだが、その先が大いに異なる。

 ラキ一門は、開拓されていない地域に時計を建造するのである。

 地域ごとに気候が固定化しているアースフィリアには、正確な時刻を半永久的に刻むことが可能な時計が重宝される。規則正しい生活を送るには、必要不可欠だからだ。街に必ず時計塔や時計台が存在するのは、これによるところが大きい。

 現在のクォーツ時計に用いられるアカシャ・クォーツはその性質を有しているが、どの時計に組み込んでも正常に働くとは限らない。詳しい諸説や学説を引用せず、端的にこの原因を定義するのならば、『クォーツの真価を引き出すには、対応する大きさを考慮する必要がある』ということだ。つまり、小さいクォーツで大時計を正常に導くことは不可能なのである(ただし、いくつものクォーツを同時併用すれば可能とされる)。

 ゆえに、大時計を建造する際には、まず組み込むクォーツを選定せねばならない。基本的には鉱山から発掘される純度の高い結晶が厳選され、指定の場所に時計を建造する流れに至る。

 しかし、なにもない土地に大時計を建造し、街を発展させることを生業とするラキ一門の場合は、その意味合いが重いものとなる。

 ――大時計は、街の象徴。

 ――いつなるときも、街は時計と共にあり、街は時計を中心に発展の途を踏む。

 言うなれば、ラキ一門は『時計を建てることで街を創っている』のである。

 また、人の手で開拓されていない土地には、械獣や猛獣が多く生息している。これらの脅威を徹底的に排除し、人が住める土地に開拓するのも、一門の業務内容に含まれている。

 そのような超凄腕メイカーと対面してしまったのだから、ラータの動揺も頷ける。

「よ、四代目……」

 ラータが尊敬の眼差しで、ラキ一門四代目棟梁を見上げた。熱のこもった視線をくすぐったく感じたのか、ラキは少し照れたように頬を掻く。

「よせって。そんな凄いことでもねーよ。ガキの頃から仕込まれてりゃ、嫌でも覚えるってもんさ」

「いや、すげえッス! だって女の人なのに、ラキ=ラウロードの名前を継ぐなんて! なあ、リド! 伝説的と言われる技術、お前は見たことあるのか?」

「うん、少しだけど」

「いいなーッ」

 地団駄を踏んで悔しがる親友に苦笑しつつ、急にラキがリドの肩に腕を回した。耳元に口を寄せて、ハスキーな小声で耳打ちする。

「お、おい! おれのこと変に話してねーだろうな! どうしてお前のトモダチはあんなにキラキラ目線なんだよ!」

「話してないよ! ていうか、ラキの名前を聞いて冷静でいられるビギナーなんていないと思うよ。少しは自分の有名さを自覚しなって」

「い、いや、でもなあ……」

「あのさ、いい加減人見知りする癖治したら?」

「う、うるせーよ」

「なに話してるんスか?」

 唐突に話し掛けられて、ラキの背中がビクッと震えた。ギギギ……という軋むような音が聞こえそうな動きで、ラータに振り向く。

「ええっ? ああ、いや。なんでも、ないよなー? リド?」

 変に裏返った声で同意を求められて、リドは仕方なく彼女に合わせることにした。

「うん、なんでもないよ」

 こそこそギクシャクする二人に首を傾げながらも、ラータが「それより、」と話題変換の言葉を発する。

「そこの子、さっきからすげえふて腐れてますケド」

 指差すラータの先には、腕を組んでそっぽを向く小さな少女がいた。自分に注意が向いたことを悟ったのか、少女は自分を指差すラータを見、ラキと密着するリドを見、最後にリドに親しげに腕を回すラキを見て、

「……ふん、だ」

 と、あさっての方角を睨みつけた。

 そんな愛弟子の様子を微笑ましく眺めて、ラキが少女に謝罪する。

「悪かったよ。別に無視してたわけじゃねーって」

 乱暴に頭をぐしゃぐしゃと撫で回しつつ、

「ほれ、お前も自己紹介しろ」

 少女の背中をポンと押して、促す。

「うわっとっと、」よろよろと少女が勢いに負けて、前のめりになった。

「ラキ姉、力強く押し過ぎです」

 ぼそぼそと文句を口にして、「あ?」「なんでもないです」訊き返してきた師匠から首を反転させ、正面のリドとラータに向き直る。

 腰に手を当て、足を肩幅に開いた少女は、小さく深呼吸してから名乗った。

「ユイリィ・アカバ」

 ――文字通り、名前だけ。

「「………」」

「え、ああ、よろしくね」

 いち早く意識を復帰させたリドが、軽く頭を下げた。

「うむ、よきにはからえ」

 漫画だったら、ドンッ! という効果音が描写されそうな姿勢のまま、ユイリィが薄い胸を張って、

「アホか!」

 スパァンッ、とラキに頭を叩かれた。「ラキ姉、強く叩き過ぎです」「お前は自己紹介もまともに出来ねーのか」唇を尖らせるユイリィにデコピンをオマケしてから、

「ほれ、もう一度」

 仕切り直しを命じる。

「――冗談だったのに。仕方ないですね……」渋々といった顔で、テイク・ツー。

「名前はユイリィ・アカバ、歳は十三。趣味はラキ姉と行動すること。将来の夢はラキの名前を継ぐこと。尊敬する人はラキ姉です――これで満足ですか?」

 威圧的に問うユイリィの視線は、リドに向けられている。どうやら、大好きな師匠とやたら仲のいい男として、敵視されてしまったらしい。

(僕、なんか嫌われてる……?)

 初対面の女の子に睨まれて、リドはショックを隠しきれない。顔中に黒い縦線が羅列したようなリドを見て、ラータがニヤリと笑った。

「ふははは、どうだリド! 女の子に好かれない気分は! 痛いだろう、心が痛いだろう!」

「い、痛い、です……」

 がくんと崩れる親友に、ラータは勝ち誇った笑みで追い撃ちを掛ける。

「このオレを差し置いてハーレムを満喫するお前への天罰だ! オレの気持ちを思い知れ! ふははは!」

 高笑いするラータだったが、

「その人は確かに嫌いですけれど、あなたはもっと嫌いです」

 ユイリィの宣言にすぐに沈んだ。

 敗者のポーズで項垂れるラータに、ユイリィがさらなるダメージを与える。

「人を嘲笑うなんて、人間として最低ですね。一体どんな教育を受けて育ってきたんですか? 人を見下さない分、まだそっちの人の方が存在価値があります。そもそも、どうして生きてるんですか?」

 無表情のユイリィの言葉が、ラータのヒットポイントを減らしていく様が見えるようだった。

 硬い石畳を砕いてマントルまで到達しそうなラータを不憫に思ったラキが、毒舌を吐き続けるユイリィの襟首を掴み、「そろそろやめとけ。そいつ、精神的に死にそうになってんぞ」「肉体的に死んでいないだけマシだと思いますが」しれっと悪びれもなく答える愛弟子に溜息をつく。

「どうしてこんなに歪んじまったんだか……」

 赤い髪をわしゃわしゃと掻き回し呟いてから、今やぐったりとしているラータに弁解と謝罪を述べた。

「あー、その悪かったな。こいつ、いつもこんなんだからよ……すまん」

 頭を下げるラキに、

「ああ、いえ、大丈夫、です、から」

 切れ切れに返すラータ。

 そんな親友を横目で見て、リドは彼が大丈夫ではないことを直感した。ラータがこれほどにまでに打ちのめされているのを見たのは、風船を木に引っ掛けて泣いていた幼女を助けようと人生初の木登りをし、幾度となく落下して全身血まみれになりながらも風船を見事獲得したのに、その幼女に怖がられて逃亡されたとき以来である。

 ラータの手相には女難の相がくっきりと出ていると言っていた占い好きの友人の言葉を思い出し、親友の報われなさに同情した。常に女性に対して紳士であろうと努力しているラータだが、その努力が結実する日はまだ遠いらしい。

 短時間で急激にやつれたラータは立ち上がる気力すらないようで、依然態勢を変化させない。そんなラータに焦ったラキが、再びリドの肩に強引に腕を回した。傍から見れば、ヘッドロックされているような構図である。

「ど、どどどどうしようっ? お前のトモダチ、全く動かねーんだけど! 死んじまってたりしねーよなっ? あの歳でユイリィが犯罪者になったりは――」

「しないから大丈夫だって! っていうか、その変に心配性なところも治そうよ」

「いや、だってよ! 初対面の相手を殺害とかシャレになんねーじゃんか!」

「アイーシャさん、人は言葉じゃ死なないから」

 あたふたするラキに呆れながら、リドがちらりと親友を一瞥する――と、ユイリィがラータの身体を木の枝でやたらめったらに突いていた。

「ツンツン、ツンツン、ツンツン……」

「いや、ユイリィちゃんッ? そんなかわいい効果音とは反比例して刺さってるから! 枝の先端が今にも脇腹を貫きそうだから! あと、地味に骨の隙間とか狙うのやめて!」

 痛みで生気を取り戻したラータが、枝を機械的に前後させる少女に悲鳴を上げる。その抗議を聞きながらも、ユイリィの右腕は止まらない。

「ラキ姉が謝ってるのに、どうしてしっかりと答えないんです? 歳上の人には敬意を払えとお母様に教育されなかったのですか? だったら私が丁寧に教えてあげましょう」

「その言い分だと、キミもオレに敬意を――痛ッ! ご、ごめんなさい! オレみたいな人間が偉そうなこと言ってごめんなさい!」

 敗者のポーズから流れるような動作で土下座に移行するラータに、ユイリィは一時停止。ガラス玉にも似た碧眼をまっすぐにラータに向ける。

「だったら、態度で示してください。……そうですね、私に忠誠を誓うことで今回の件は不問としましょう。どうしますか?」

 問うユイリィに、ラータの心が揺れる。

 しばしの沈黙が続いて――、

「誓い――」

「ませーんッ!」

 ラータの言葉が終わる前に、リドが声を張り上げて間に割り込んだ。歳下の少女に忠誠を誓おうとした親友の頬に、全力のビンタを往復させる。

「目を覚ましてラータ! 起きて! 起きた? いや、まだ足りないかな?」

 スパパパパパンッ、という音の果てに、ラータの意識が正常に覚醒する。

「……はっ! なにか恐ろしい夢を見ていたような気がする…………」

 頬を倍近くの大きさにしたラータが、背筋をぞくりと震わせた。身震いする親友に安堵して、リドはユイリィに振り向く。

「ちっ」

「ちっ……じゃねーだろ。なにさり気なく奴隷交渉してんだお前は!」

 ラキに一喝され、こめかみを拳で圧迫されるユイリィは、「い、痛いです。強く捻じり過ぎですラキ姉」涙目で痛みに喘ぐ。

「ほれ、言うことあんだろ。ケジメはつけろ」

 鈍く痛むこめかみを両手でさすりながら、ユイリィがラータに頭を下げた。

「すいません、少し冗談が過ぎました」

「全然少しじゃなかったケド……まあ、かわいいから許す!」

 枝で突かれた部位を気にしながらも、ラータは親指をビッ! と立てた。変に根に持たないところは、男らしいラータである。

(それにしても、凄まじい毒舌だったな……初対面なのに)

 そう思案したリドの視線から感想を読み取ったのか、ユイリィが初めて表情を作った。歳相応の照れたようなその表情は、思わず全てを許してしまいそうなほど、実にかわいらしものだった。

 脈拍を跳ね上げたリドとラータに、ユイリィは身体を左右に小さく揺らした。

「自分でも、なんてひどいことをと思うのですが……どうしても自重出来なくて」

 なにか理由があるのかと聞き入る二人。ユイリィはもじもじとしたまま、事情を告げる。

「――恥ずかしがり屋なんです」

 ………。

 ただの照れ隠しだった。

 唖然とする二人に、ニタリと笑ってしてやったりのドヤ顔を浮かべるユイリィ。

 もう二度と、ユイリィの言葉を過度に信じないと誓ったリドとラータであった。



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