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 それは熱量  (サラエ編)

 落人は一人も出てこない物語です。

 竜たちだけのお話。


 ちょっと変わった竜の世界の側面だと思って、お読みください。



「 それは熱量  (サラエ編)」





 ふと目覚めたその日は世界が美しく見えた。

 何が変わったわけでもないのに、よく食べてよく眠ったその日。


 目覚めとともに、世界に許された気がした。









「へえ、これは貴重な…」

 火属性の竜か。

 目の前で呟く相手にいらいらした。

「なんだよ! 俺は見世物じゃない!!」

 声を張り上げて、俺より8つは年上だったクロム・バランに叫んだのはもう20年は前の話だ。

「……なるほど。元気ですね」

 にこりと微笑んだ姿は、次代の竜の長として足らぬものはないように見えた。





 属性と呼ばれるものがある。

 竜の一族だけによるものなのかは不明だが。

 その種類は、主に5種。―――水、火、土、風、木。…金と呼ばれる属性は古代種が持っていたといわれているが、まああくまでもそれは伝承だ。見たことのある奴はいない。

 竜における属性の比率は偏っている。

 水に親和性を持つ竜族における水属性の竜――水竜の比率は凡そ7割。

 土を纏い、土に暮らす土属性の竜――土竜が2割。

 残る一割の個体数はどんぐりだ。

 風を纏い、雲を起こし雷を発することができると称される風属性の竜――風竜。

 木の育成を助け、実りを整え、大地を癒すとされる木属性の竜―――木竜。

 そして。

 火を噴き、火を操り、死を与える火属性の竜―――火竜。


 俺は火の竜だった。








   ◆◇


「師匠。はら減りました」

「うむ。――――肉を焼け」

 俺が火の竜だということは、見るものが見ればすぐに判ることらしい。

 赤いたてがみに赤い鱗。…それに加えて、竜紋が全てを語るらしい。

 まあ、赤い竜体=火竜ではないので、竜紋と呼ばれる竜の鱗に浮かび上がる独特の紋様がなければ、わかりにくいかもしれませんねというのは某次代の族長さまの云い分だ。

 けっ、俺が知るわけねえだろばあか。

 ……口に出して言う前に、笑顔の往復びんたが降ってきたので俺は言ってない。何にも言ってないですよ、言えなかったもん。

「安心しろ、補助はしてやる。―――実焔と純火の複合能力だ。やれ」

「――――俺、たまには焦げてる半生以外の肉が喰いたいよ」

「じゃあ、自分の能力を磨くことだな」

 頑張れ、少年。

 火竜の能力の師匠であり、巡礼者でもあるサイヴルが己の食事に戻った。

 中までしっかりと火が通り、肉汁滴るステーキ肉は美味そうだった。

「……っちくしょう!」

 くるりと振り返ると、自分の分の生肉に塩を振り、しっかりと揉みこんでから手近にあった蓮の葉を濡らしてから肉を包んで、浅く掘った土の中に入れた。

 土を被せてから、その上に小枝を組む。

(師匠くらい能力があったらこんな作業しなくても十分なんだけどな)

 そんなことを思いながら、意識を集中させた。

 火属性の能力を、竜たちは3つに分類している。

 実焔じつえん炎燥えんそう純火じゅんかの三つ。―――――そして、それらを総称して『炎舞えんぶ』と呼ぶ。

 俺が炎舞を行う際の補助具に使っている道具を取り出す。

「……まだ、そんなもんがないと使えんのかおまえは」

「その方が、確実にこなせるんですっ!!」

 まぐまぐと肉を噛み切ってる師匠には文句は言わせたくはないと思った。 

 取り出したのは、調律用の小さなクラッカーだ。

 糸で括った錘が二つ。

 錘の反対側を、右手の中指に通したリングに通して結び付ける。――――糸の長さは同じでなくちゃいけない。

 振り子を使った玩具だ。

 指を上下にタイミングよく振ることで、錘はぶつかり、一定の速度での音を発する。それだけの道具。

 もっとも、これを扱うにもコツがいるんだけどな。

 こつこつこつこつ。

 小さな錘は俺のために時を刻んでくれた。

 眉間の上に意識を集中する。

 耳は音を拾い、体感する律を補正してくれた。

 その音を基本に、火を生むのだ。

 幻影のようにただようオドを拾い、煽る。

 速く速く速く。

 空気を擦り、熱は生じて、回転する。

 回転した熱は酸素を取り込み、さらにその熱を上げていく。

 ぱちりと熱に曝された空気が音を立てる。

「……実れ、焔ッ!!」

 命じれば、火はジツとなった。

 小さな火の穂が最初に生まれた。

 木々を喰らって、それは大きく育った。

「おお、すごいすごい。ちゃんとったねえ」

 冷やかしの声が聞こえたがそこは無視だ。

 どうせ、俺の実焔は小さいし、遅いよッ。

【いいけどさあ、実焔はスピードが命の技だぜ】

 こんなチビに出来んの? 

 忘れもしない、師匠との初対面のときの愚痴は多感なサラエ少年のなかでは十分なトラウマになっている。

 上下に振るクラッカーは、素直に音を鳴らしてくれている。

 その音を元に、炎となった熱を操る。

 焦げないように。

 焦げないように。

 腹が鳴りそうなほどに空腹なサラエは、必死だった。

 こつこつこつこつ。

「ふあ。――――眠い」

 先に食事が終わったらしい師匠がごそごそと転がった音がした。

「まだ寝ないでくださいよ! 補助してくれるって約束じゃないですか!」

「ああうん、――――火事には気をつけろ」

 それだけはガチで気をつけろよー。んじゃおやすみー。

 がさごそと動く師匠の気配が増した。―――――寝る気か、このろくでなし竜!! 

「あんたなあ、たまには師匠らしく指導の一つもしてくれよ!!」

 つい、キレた。

「………あ」

「………え?」

 サイヴルが呆けた顔で、肩にかけてた野営用の毛布から指を出していた。

 俺の大事な夕飯(予定)の方向に向かって。

「燃えてる」


「――――――――俺の肉!!!」


 ちょっと眼を放してたら、火が暴走していた。

 わたわたと、消火のために土をかけたり師匠に泣きついたりして何とかかんとかなった頃には、俺の飯は半生焦げ飯へと進化していた。

 退化じゃないんだ、退化じゃないっ!!

「炭化?」

「どや顔で言ってんな! バカ師匠!!」

「やかましい、くそチビ。美しきお師匠さまとお呼び」

 なんなら、麗しきお姉様でもいいぞ。

「ぜっってえ言わねえ!!」 

「生意気」

 そう言いながら師匠は、暴走した火のせいでまるまる燃えた小枝の炭を放り投げてきた。

 俺は絶対信じない。 

 火竜の一人、竜族のサイヴルが目下のところの「炎舞」の第一人者だなんて。

 そして、竜族の美女20人のなかに入ってるなんて、そんなこと。


「俺はぜってえ、信じねええええ!!」


「やかましい、ガキ」

 早くその炭喰って寝ろ。


 俺の荷物を丸ごと投げてよこした師匠なんか、美女なんかじゃねえやい!
















   ◇◆◇



「師匠…」

「―――バカ弟子が」


 朦朧とした意識のなかで、師匠の声を聞いた。 






 巡礼と呼ばれるシステムがある。

 それは、竜族の火竜たちに符合するシステムだ。

「――― 本気ですか。クロム・バラン」

「ええ、そうですよ。美しきサイヴル」

 目の前に立って俺を睨んでるのは、橙色のメッシュが前髪に入った女だった。

「いくらなんでも巡礼に連れ出すには早いでしょう。こんなチビ」

「ですが、もう決まったんですよ。サイヴル」

 ついは貴女です。

「………貴方が長になられる日が頼もしいような怖いような感じがしますよ。クロム・バラン」

「光栄ですね」

 にこりと返した長の長子は、一歩下がった。

 大きなため息をついて、代わりに一歩前へ出た師匠が差し出した手は、かさかさでそっけない手で、でも暖かい、――そんな感じがした。

「お前なんか、対じゃなくて弟子だ弟子。―――― それで十分でしょう?」

「お好きにどうぞ」

 我々《バラン》は関与はしません。 

「……とりあえず、あんたへの土産は今後一切買わないことにしたよ」

 ざまあみやがれ、天然腹黒多重人格。

「そんな、ひどいです!! サイヴル!」

 僕の楽しみはそれだけなのに!

 舌打ちをしたあと、仕返しにクロム・バランの楽しみである各群れの特産土産は買わないと宣言した師匠と、素直にショックを受けた長の嫡子は仲がいいのかなとか思ったのは覚えている。





 巡礼者はレイラインを巡る。

 レイラインとは、いわゆる聖跡が一直線に並ぶラインのことを言う。

 大地のエネルギーの通り道といわれるレイラインはそのラインを中心に雌雄の二本のエネルギーラインが蛇行していると言われる。

 雄性アポロのラインは天の父神を崇める聖跡を辿る高所のライン。

 雌性アテナのラインは先と比較して力は弱いものの、井戸や泉、または地母神などを崇めたとされる聖跡をたどる。

 それに付随してか単純に婚活的な意味があってのものかは知らないが、火の竜たちは対をなして巡礼をこなす。

 右行うごうと呼ばれる女性の火竜。

 左行さごうと呼ばれる男性の火竜。

 巡礼する彼等は、レイラインのエネルギーを吸収し、己の持つ能力を鍛えるとともに、近辺の群れの警備や里を離れた場所で生活する竜族たちの様子を見る。

 レイラインの近辺に己の棲みかを選ぶ竜族はなにしろ多いから。

 おかげで、レイラインの別名をドラゴンラインともいう。―――― まんまだとかいうな。


 ―――以上が、『どうでもいいけどそろそろ師匠起きてくんないかなあ』とか思う巡礼歴5年目に突入したサラエ少年による判りやすい巡礼者の説明であった。






「お師匠さあん! 荷物の番はいいけど、そのまま爆睡ってひどくないですかー」

 俺は、井戸まで水汲みに行ってたっつーに。

「………ん? 」

 半分諦めつつも様式美で叫んだサラエ少年だったが、彼の保護者兼対である師匠のサイヴルは惰眠を貪っていた。

「そうですよね、師匠ってそう言う人ですよね」

 いいんです知ってました、ええ。

 二度寝に入った師匠を横目に、お湯を沸かしだしたサラエだった。

 汲みに行く前に鍋へと移しておいた残りの水を地面に置いた。

「―――― 熱を熾せ」

 燃え草もない地面におかれた小鍋の中で水から追い出された空気たちが泡となって上っていくのが見えた。

 純火―――熱を操る炎舞だ。

「さて、お茶でも沸かすかあ」

 沸いた湯に茶葉を入れて、二人分のコップに注いだ。

 いい匂いが経ちあがる頃には、要領のいい師匠どのは目覚めることだろう。



「そういえば、そろそろ《Jの会》があるぞ」

「まじっすか!」

 やりっ、稼げる!

 にんまりと笑ったサラエ少年は、巡礼者たちの集いである《Jの会》に参加するのは既に5回目だ。

 酒がつきものの宴会に、まだ若いサラエはちんまりとしているしかないかと思われがちだが。

 気さくな火竜のおやじたちは賭けカードの相手がいなくなるとサラエを巻き込む。

 そして、酔うとともに負けていくおやじたちはサラエに小銭を稼がせてくれるのだ。

「ああ、ピッシーノがおまえと遊びたいとか伝言廻してきたぞ」

「まだ俺を着せ替えさせる気ですか、あの婆さんは!」

 同じく巡礼者の先達でもあるレディ・ピッシーノは手芸を趣味にしている火竜の貴婦人である。まだ幼い少年であるサラエなんぞ着せ替えさせてなんぼだろうという変わった信念を持っている。

「……伝えておくか? それ」

 今ならまだ廻せるけど。

 渡りの鳥族から届けられた文を折りたたみつつ、師匠が尋ね返してきた。

「止めてください。―――俺はまだ女になりたくはありません」

 むしろ、ずっと男でいたい。 

 着せ替えサラエの半分以上の衣装はなぜか女性の格好である。

 そのような屈辱の選択を強いる火竜の婆どのにも言えるものなら言っておきたい少年サラエの本音だった。




 鳥族に一粒の銀を渡しながら、すぐ次の竜族のもとへと文を回しに行くよう促した。

 鳥族はその羽をはばかせ「まいどあり」と言うように、一度空を回った後に次の待ち人のもとへと去って行った。

 そして。

 ちゃりんともう一枚の銀が俺の財布から師匠の手へと移っていくのを下唇を噛みながら見守った。

「よかったな、優しい師匠で」

「………」

 ピッシーノの婆さんへの告げ口という名の文を付けたそうとするのを止めたサラエ少年に、口止め料をねだった師匠が『優しい』といえるのかは残念ながら不明である。


(――――俺は、優しいなんて絶対ぜえったい! 認めないんだからな!!!!)











「おまえもだいぶ安定したな」

 術がほぼ習得できてきた。

「…へ?」

 師匠?

 

 今日も飯作りに余念のない野営の日々のなか、師匠が呟いた言葉に疑問符を返した。

 だって、あの師匠が俺を褒めるってあり得なかったし。





 火の属性を持つ火竜が、竜族のなかである意味特化していることを知っている。

 たとえば、巡礼。

 能力を強化し、鍛える旅。対となりて、連携と協調を習慣とする日々。

 たとえば、術。

 炎舞と称される能力の定義。――――他の4属の竜にはそのような細かな定義はない。

 たとえば、恐れ。

 旅の途中、肩が触れることにさえ怯えるものがいた。


 ―――― ねえ、師匠。 俺らは生きてる間、ずっとこんな思いをしていくのかな。









「ひと、宿るもの放れたり」

「ひと、やどるものはなれたり」


「ふた、満ちるもの集い足りて」

「ふた、みちるものつどいたりて」


「みつ、生れしもの踊りゆく」

「みつ、うまれしものおどりゆく」


「よ、崇めしもの―――無の終焉」

「よ、あがめしもの、むのしゅうえん」



 レイラインのスポットである聖域で、師匠が告げる聖句を真似する。

 曰く、これをすることで能力の暴走をおさえやすくなるとかなんとか。

 ……まあ、いいんですけど。

 正直、怪しい行動すぎてあんまり人前ではしたくないサラエだった。









「……このへんのはぐれは、大分すくないようだな」

「…そうですね」

 ぱんぱんと膝をはたきながら、聖域を出た瞬間に襲ってきた盗賊もどきを素手で片づけた師匠は呟いた。

 はぐれというのは、いわゆる群れから「はぐれ」たモノたちだ。

 身内を大切にする群れの中で、はぐれとなるものは某かの犯罪を犯して群れを追放された者たちが多い。

 もちろん、種族の特徴として成人した雄を群れから追い出すという儀礼を守る種族もいるとのことだが。

 だが、そんな場合の「はぐれ」は大抵はすぐに新しく群れをつくる。…己をボスとする新しい群れを。

 そう、だからこそ。

 ――――― 群れも作れぬようなはぐれこそが、厄介だ。

 奴らは罪を犯す。

 奴らは規律を無視する。

 恐怖も敬虔もすべて失って、先祖から受け継いできたその誇りさえも灰にした存在。

 聖域にはエネルギーが流れている。

 住みよい環境。住みよい路。住みよい――――獲物。

 全てがある場所に、はぐれはやってくる。

 巡礼者である火竜たちには、そのはぐれたちを倒し、捕縛し、各自の族へと報せを送る仕事が付随している。

 面倒な話だが、それをすることで自分たちの巡礼ルートの安全を図れるということもあるのでやらざるをえないのだ。……ねえ、師匠。俺なんかすごい貧乏くじひいてる気がするんだけど。

【火の竜は常に貧乏くじひいてんだよ。お前いまさらそんなこと知ったのか】

 真顔でそういってのけたのはいま容赦なく襲ってきたはぐれどもをたたきのめして、踏みつけている俺の師匠です。俺の師匠です。

 ……師匠、その踏みつける場所は。

 そのふみふみしてる場所は!!!


 ―――― 俺も見てるだけで…小さくなりそうな場所です。ふみふみいてええええええええええええええええええ!

 

 つい沈黙して身体の前を隠したくなったサラエだった。


 連中の男としての将来に冥福を祈ろう。

 …女って容赦ねえよな。


「……はやく、縛ってしまえ」

「は、はいっ!」

 荷物に常備してあるロープを取り出そうとした。


 たぶん俺はアホだったんだ。

 自分の背後で呻いていた相手が武器をとりだしたことに気付けなかった。

 その武器が師匠に向かって投げられたことにも。

 師匠が痛みに叫ぶまで。


「…っ!」

「師匠!?」

 振り向いたときには血が舞っていた。

 師匠の腹に刺さった刃は急所へと刺さっていた。


 緋。

 緋の色。


 ――――――――― 喪われる命の色。


「 ……ど阿呆がっ! 」

「ぐ…」

 そう叫んだ師匠が相手をもう一度足払いで蹴り倒した。

 最後の気力の抵抗だったらしいそいつは、気を失ったらしい。

 ……曖昧なのは、俺がそのときのことを覚えてはいないからだ。


「師匠!」


 気づけば、能力は暴走した。



 あらゆる火が踊り出す。

 樹に、葉に、土に、水にさえも火は灯り、荒ぶる。

 脳裏の奥で聖句によって整えられていた筈の世界への認識が、壊れて、牙解し、狂乱した。


「―――――――――――!!」


 叫ぶ声は、何の声に満ちたのか。

 師を刺した男も、

 俺に聖句を伝えようとする師も、


 


         ――――――― 世界が遠かった。











「この、バカ弟子がっ!!」


 本来なら、女の玉肌に傷をつけてくれたど阿呆に怒鳴りつけたいところだが。

 今はそれどころではなく、蹴りで気絶した阿呆は放置することにした。

 

「このバカっ。――――『ひと、宿るもの放れたり。ふた、満ちるもの……』……くそっ、今さらきくか!……」


 燃える火に囲まれながら、痛みと闘って呟いた聖句という名の鎮静呪文にまで文句をつけた。

 本態である竜体であればこれくらいの武器でやすやすと怪我などはしないのだが、…巡礼の旅の性質上、地面をゆっくりと巡るために人形をとっていたのが災いした。

 怪我は意外にも深いものだった。

 目の前のまだ火竜の運命を知らぬ弟子という名の被保護者に眼をやる。

『――― ちょっと、能力がアンバランスでしてね』

 思いだしたのは数年前。

 喰えない次代の竜族の長がサイヴルに投げ渡してきた小さな同朋。

『火竜はもとより感情に左右されがちですが、彼はあまりにムラが激しすぎまして』

 自分のことを嫌うあまりに、火の能力さえもまともに具現出来なかった程度にはそのときの感情に左右されてしまうのですよ。

 自己卑下の強い少年は、己の母親に養育放棄を受けていた。

 そのせいもあってか、火の竜であれば感覚だけで出来るはずの実焔や炎燥ができなかった。

『――俺。……やっぱり普通に生まれたかったなあ』

 いつだったかぽつりと呟いた少年の姿を思い出す。

 レイラインの交点となる聖域に集う水竜や木竜、土竜の家族を眺めながら呟く姿は寂しそうだった。

『―――こらこら。何をいうか、まるで火竜わたしがふつうじゃないかのような発言をするんじゃない』

『………師匠、普通のつもりだったの?』

 わあ、自分を知らないってこわいね。

 拳骨と一緒にこちらをむかせれば、暴言を呟くような生意気な少年ではあったが。

 それでも、独りぼっちじゃないと感じたのか、その表情は笑顔だった。









 波動を感知したのか、先ほど訪問した聖域の担当竜《番人》である水竜が訪れた。

 非常事態を認識し、遠方からの消火を行おうとしてくれているようだ。

 だが、この困ったぼうやの暴走にはそれだけでは間に合うまい。

「―――ふ。……覚えてやがれ、クロム・バラン…」

 本来、巡礼者となる火竜はある程度の能力を制御出来る年齢のものたちが対象だ。

 成長期の、しかもぶっちゃけまだまだ婚活も不要の若年者がなるものではなかったのだ。

 なにしろ『夫婦や恋人(あるいはその候補者)が対となる』巡礼者のセオリーを無視しまくってるのだから。

 サイヴルには、これだけ年の離れたガキを相手に恋などする予定は一切ない。

【あははは、大丈夫ですよ。サイヴルはどれだけ対を変えようとも伴侶なんてどうとでもなりますって】

 笑顔でそう述べた黒黒多重人格を思い出した。

【他の火竜どもを存分に脅して踏みにじって泣かして結婚させて伴侶という名の下僕にしてやってください。だーいじょうぶです! 僕は見ないふりしといてあげますよ?】

 いい顔で笑ったあの男に将来伴侶になろうという勇気ある女性が(もし)現れたなら、是非心から思いなおせと忠告してやろうとサイヴルは思っている。

【婚活上等。――なんなら、サラエよりもっと若くて有望なのをご用意してあげますよ?】

 能天気に花やら星やらを頭のまわりにうかべてのブラックトークだった。

 奴の竜体の色が真っ白だなんぞ冗談だろう。

 どこかで毎日奴の腹黒さを漂泊する係がいるに違いない。

 サイヴルは9割本気でそう思っている。

「クロム・バラン。……おかげで、こちとら婚活どころか玉の肌に傷ができたぞ」

 次に逢ったらいい男(下僕)紹介させてくれる。覚悟してやがれ。

 アラサ―目前のサイヴルの呟きだった。

 痛みをこらえて、人化する。

 深い傷を持つ身での転化は、人体であれ竜体であれ組織への負担になるのだが、今はそんなことは言ってはおられまい。

 本態となった身のほうが、能力は強化される。

 背の裏を通る感覚に意識を集中して、暴走する少年の炎舞を抑え込むことにした。

 ぱちりと渇いた空気の音が空間に響いている。

 熱を散らし、火を囲い、炎を潰した。

 フォローに廻った水竜もまた竜体をとって、葉や土に水を与えている。

 少しでも火を生じさせないために。

 それでも、我を失ったサラエの暴走は収まる様子がない。

【このままじゃ、オドに酔ってこの子が狂う】

【ですが、もう手は……】

 相槌を打つ相手の竜に眼をやって、まだ手はあると知らせた。


【 ―――――――― 】


 口を開き、喉を震わせる。

 竜の鳴声だ。

 相手もまたその手があったと同様に鳴きはじめる。


【 ――――――――― 】


 世界の波動が共鳴する。


 唄いて。

 響け、この鳴く声。



【……っ】 

【―――来てくれましたか】


 しばらくして、遠近ざまざまの場所から聞こえてきたのは、同朋たちの声。


【 ――――――― 】

【 ――――――― 】

【 ――――――― 】


 空を覆うかのような竜形種、龍形種、の群れ。

 属性など関与することなく、非常信号(鳴声)を受け取ってくれた仲間たち。


 サラエの放った火と熱は、風竜の風に散らされ、水竜の水に溶かされ、土竜の土の壁に奪われて、――――木竜の癒しの波動によって鎮静されていった。



「――――バカ弟子。 ……これでも、おまえは火竜が《捨てられた竜》のようだというのか」

 竜族は、いかなるときも同朋を護って――――《愛して》くれているのに。



 古来より伝わる秘泉の水には劣るものの、聖域にて汲みとられた大地のエネルギーに満ちた泉で傷を洗い、治療を施されながら師匠であったサイヴルは呟いた。












 お母さん。

 お母さん、怒らないで。

 笑ってよ、お母さん。

 そうしたら僕も笑える。

 お母さんは綺麗だから、綺麗だからお願い笑って。

 お願い憎まないで。

 お願い怖がらないで。


 ――― 卵のなかで、あなたの声を聞いた。


 愛しているよと微笑んでいたあなたの声を聞いたから。



 だから笑ってお母さん。

 もう一度、愛していると微笑んで。



 きっと僕はそのために生まれてきたから。



 ――――――――――――――― その笑みに焦がれて生まれてきたのだから。


 

                                《棄てないで》













        ◇◆



 目覚めたとき、世界は美しく見えた。

 何が変わったわけでもない、この世界は。


 ――――――愛おしく思えた。 








「バカ弟子。――――お礼言っとけよ」

 大きな怪我を負っていた筈の師匠は平然と酒を呑み。

 いつのまにやら戻ってきていた聖域には、酔い潰れた竜族たちが転がっていた。

「………師匠、全部酔いつぶしたんですか?」

 酒豪の彼女にそう訊いたら。

「まさか」

 その返答に、よかったと思う間もなく。

「3分の2だけだ」

 平然と答えた病み上がりの師匠には、そろそろ断酒をすすめたいと思う。






 世界が美しく見えるのは、俺が世界を愛おしいと思ったからだろう。

 火は死を与える。

 火は孤独を与える。

 けれども、火は営みを許す。


「…… 無事でよかったです」

「おまえもな」


 ためらうことなく俺の無事を喜んでくれる、母のような姉のようなこの女性は。

 いつまでも俺の師でいてくれるだろう。

 

 それはきっと、火の竜としてではなく。


「あったかいですね」

「そうか? …子供の体温の方があったかいとおもうがなあ」


 おそるおそる抱きしめた俺に、そう返した師匠は。




 ―――――― きっと、俺の熱量。

 




 生きる糧。








                       了 by 御紋







 女性に夢見る少年サラエくん。

 師匠は美しき火の竜女サイヴル。

 そして、冒頭のクロム・バランは若かりし頃のバランさま。(嫡子時代)


 まあ、適当にそんな少年期だったらしい。

 彼が『美女を見たら口説くのが礼儀』という青年になったのは、なんでだろうね?



 ―――――――― とうとう、このシリーズにカナさんが出なかった。(泣)












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