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第二章 違和感


 名古屋駅に到着した時、時刻は八時を少し回っていた。


 ホームはいつも通り混雑していた。


 スーツ姿の会社員。


 学生。


 旅行者らしい家族連れ。


 誰もが自分の予定を優先して動いている。


 岡崎の研究施設で何かが起きたらしい。


 そんなニュースは流れている。


 だが、それだけだった。


 日本人は災害に慣れている。


 地震もある。


 台風もある。


 事故もある。


 だから多くの人は思う。


 そのうち原因が分かるだろう、と。


 恒一もその一人だった。


 名鉄へ乗り換える。


 知立行きの電車に乗り込む。


 座席は埋まっていた。


 吊革を握る。


 スマホを取り出す。


 またトレンドが変わっていた。


【研究施設周辺立入禁止】


【自衛隊出動】


【政府緊急会見】


【謎の生物?】


「謎の生物?」


 思わず口に出る。


 投稿を開く。


 画像が表示された。


 遠くから撮影された荒い写真。


 巨大な鳥のようにも見える。


 翼を広げた黒い影。


 だが解像度が低すぎる。


 コメント欄も荒れていた。


『どう見ても鳥』


『ドローンだろ』


『またデマ』


『政府が隠してる』


『現地だけどマジで変なの飛んでた』


『だから何でも陰謀論にするな』


 恒一は閉じた。


 こういうのはいつものことだ。


 大きなニュースが起きればデマも出る。


 東日本大震災の時もそうだった。


 コロナの時もそうだった。


 誰かが面白半分で作った画像かもしれない。


 真面目に考えるだけ無駄だ。


 窓の外を見る。


 曇り空。


 変わらない景色。


 少なくとも、この時はそう思った。


 自宅から見れば事故のあった研究施設に段々と近づいているというのに。



 知立駅へ到着した頃には、耳鳴りはすっかり治まっていた。


 駅前はいつも通り。


 コンビニ。


 ファストフード店。


 通勤客。


 学生。


 変わった様子はない。


 ただ。


 鳥がいなかった。


 恒一はふと気付いた。


 駅前にいつもいる鳩が見当たらない。


 カラスもいない。


 空も妙に静かだった。


 気にするほどではない。


 だが少しだけ違和感が残る。


 そのまま会社へ向かった。



 午前八時四十分。


 朝礼が終わる。


 いつも通りの仕事が始まった。


 油の匂い。


 機械音。


 空調の風。


 変わらない。


 はずだった。


 九時を過ぎた頃。


「ネット繋がらないんだけど」


 事務員が言った。


「また?」


「メール送れない」


「サーバー落ちたんじゃない?」


 誰かが答える。


 特に気にする者はいない。


 通信障害など珍しくもない。


 だが十分後。


 工場全体で同じ症状が出始めた。


「電話も変じゃないか?」


「繋がったり切れたりする」


「携帯も重いぞ」


 ざわつく。


 それでも作業は続く。


 止める理由がない。


 原因も分からない。


 仕事を優先する。


 それが社会人だった。



 十時過ぎ。


 工場長が珍しくテレビをつけた。


 普段は昼休憩以外にテレビをつけることなどない。


 そのため皆の視線が集まる。


 ニュースキャスターの顔は妙に強張っていた。


『政府は先ほど会見を開き、岡崎市の研究施設周辺五キロ圏内へ避難指示を発令しました』


 避難指示。


 その言葉に空気が変わる。


『なお現時点で事故原因は不明です』


 画面が切り替わる。


 研究施設。


 上空からの映像。


 そして。


 巨大な穴。


 施設の半分が消えていた。


 テレビで見ると余計に現実感がない。


 CGみたいだった。


『政府は安全のため住民に屋内退避を呼び掛けています』


「大げさじゃね?」


 若い社員が言った。


「なんか隕石でも落ちたのか?」


「だったらニュースになるだろ」


「もうなってるじゃん」


 笑いが起きる。


 誰も深刻には考えていない。


 それが普通だった。


 日本の真ん中で異世界への穴が開いたなどと。


 そんな発想に辿り着く人間はいない。



 午前十時三十分。


 恒一は機械の調整作業をしていた。


 ふと。


 窓の外が暗くなる。


 曇ったのかと思った。


 顔を上げる。


 何かが横切った気がした。


 鳥?


 いや。


 大きすぎる。


「今なんか飛ばなかった?」


 近くの社員も気付いたらしい。


「見た」


「ドローン?」


「でかくね?」


 数人が窓の方を見る。


 しかし既に何もいない。


 空だけだった。


 曇り空。


 いつもの景色。


「気のせいだろ」


 誰かが言う。


 みんな仕事へ戻る。


 恒一もそうした。


 ただ。


 胸の奥に小さな引っ掛かりだけが残った。



 十分後。


 再び影が横切る。


 今度は全員が見た。


 黒いもの。


 翼のようなもの。


 一瞬だった。


 だが確かにいた。


「おい」


「見ただろ今」


「鳥じゃねえぞ」


 作業室の空気が少し変わる。


 誰かが冗談めかして言った。


「ドラゴンじゃないですよね」


 笑いが起きる。


 だが長くは続かなかった。


 誰もが窓の外を見ている。


 曇り空。


 遠くの雲。


 静かな工業地帯。


 何も見えない。


 それなのに。


 妙な圧迫感があった。


 理由は分からない。


 ただ本能が何かを警戒している。


 そんな感覚。


 恒一は無意識に窓の外を見続けていた。


 その時だった。


 窓の向こうに。


 何かが現れた。


 あまりにも突然だった。


 近い。


 近すぎる。


 黄色い目。


 鱗。


 濡れたような牙。


 それがガラス越しにこちらを見ていた。


「――は?」


 誰かが呟いた。


 理解が追いつかない。


 鳥じゃない。


 飛行機じゃない。


 ドローンでもない。


 生き物だ。


 だが。


 何の生き物だ。


 その答えを誰も見つけられないまま。


 ガラスが軋んだ。


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