アラサーゲーマー、ズル休みをしたらRPサーバーの竜宮城にハマった話
同じ会社に6年勤めていた。
来年で30歳。
少し前に“独身貴族”という言葉が流行ったが、積立投資を始めてから使えるお金がない。
決まった時間に起きて、会社へ行き、愛想笑いをして、帰りにコンビニで酒は買わずに冷凍食品を買う。
恋人はいない。
もちろん結婚の予定もない。
家ではずっと対人ゲームをしていた。
勝てば少し気分が良くなる。
負ければ苛立つ。
知らない誰かに舌打ちをして、また次の試合へ行く。
そんな毎日だった。
退屈なのは、自分のせいだ。
本当はわかっている。
何か始めればよかった。
転職でも、他の趣味でも、恋愛でも。
でも結局、何も始めなかった。
そのくせ、「社会が悪い」みたいな顔だけは一人前だった。
人生を変えるような大きな出来事があったわけじゃない。
仕事で、小さなミスが少し続いただけだ。
送信先を間違えた。
確認を忘れた。
締切を勘違いした。
ただそれだけ。
なぜか全部どうでもよく感じ始めていた。
ミスのことを忘れたくて、帰りの電車で動画アプリを開いた。
いつも見ているゲーム配信者が、最近流行っているゲームを配信していた。
ゲームの中で店を経営したり、警察になったり、時には犯罪者になる。
プレイヤー同士が役になりきって生活する、“RPサーバー”というものらしい。
簡単に言えば、大人のおままごとだった。
数年前、海外で流行っていると聞いた時は、正直何が面白いのかわからなかった。
ゲームの中で仕事をして、知らない相手と会話をして、役になりきって生活する。
そんなものの何が楽しいんだ、と。
でも人間なんて単純なものだ。
自分の好きな配信者が楽しそうにやっているだけで、いつの間にか抵抗感は消えていた。
結局よく知らないものに排他的なだけ。
家に帰ると、気付けば切り抜きを見ていた。
警察視点。
ギャング視点。
救急隊視点。
ただのゲーム動画のはずなのに、続きをドラマみたいに追ってしまう。
「ここだけ見たら寝よう」
そう思いながら次の動画を開く。
気付けば窓の外が明るくなっていた。
スマホの時計は、朝の5時を過ぎていた。
天井を見ながら思った。
会社、行きたくないな。
別に熱があるわけじゃない。本当に体調が悪いわけでもない。
ただ、今日はもう現実に戻りたくなかった。
6年以上働いてきて初めてだった。
ズル休みのために有給を使ったのは。
午前9時までは起きていた記憶がある。
動画を流しながら、ベッドに横になって。
次の切り抜きが始まったところまでは覚えていた。
そこから先の記憶は曖昧だった。
目を開けると、寝る前とは違う窓から日が差していた。
スマホを見る。
16:03
何をするにも微妙な時間だった。
腹が減って、近所のコンビニへ向かった。
寝癖はそのまま。
髭も剃っていない。
パーカーを羽織っただけの姿で、ぼんやりと自動ドアへ近づく。
すると、店から出てきた女性に声をかけられた。
「あっ! 珍しいですね!」
「・・・・・・え?」
一瞬、誰だかわからなかった。
「ああ、店員さん」
私服だったから気付かなかった。
昼休みによく行く、あのコンビニのレジの女性だった。
「ユニフォームじゃないから、誰かわかりませんでした」
「あはは、私もです。小嶋さんがこの時間にいるの珍しいから、びっくりしました」
彼女はにこやかに言った。
在宅勤務の日、昼飯を買いに行く時くらいしか顔を合わせない。
それでも数年も通っていれば、店員の苗字くらいは自然と覚える。
前に荷物の発送手続きをした時、「小嶋って意外と珍しい字ですよね」と話しかけられたことがある。
確かに家族以外の小嶋さんにリアルで出会ったことがない。
それ以来、彼女は名前を覚えてくれていた。
「今日は休みですか?」
そう聞かれて、小島は少しだけ考えた。
別に隠すようなことでもない。
そう思いながらも、なぜか少し言い訳じみた口調になった。
「夜更かししちゃって・・・・・・初めてズル休みしました」
“初めて”の部分だけ、妙にはっきり言った。
自分でも何を弁解しているんだろうと思う。
彼女は少し目を丸くしてから、ふっと笑った。
「えー意外です。小島さん、そういうのしなさそうなのに」
「自分でもそう思ってました」
苦笑しながら答える。
「でも、たまにはいいじゃないですか。なんか……大人になるとズル休みって逆に難しいですよね」
逆にってなんだろうと思いながらも、その言葉に少しだけ救われた気がした。
本当は朝からずっと、罪悪感みたいなものが頭に残っていたからだ。
「まあ……寝て起きたら夕方でしたけど」
「あはは、終わってますね」
笑いながらそう言う彼女につられて、小島も少しだけ笑った。
弁当を買って家に帰ると、自然とパソコンの電源を入れていた。
静かな部屋に、ファンの回る音だけが広がる。
コンビニの袋を机に置き、YouTubeを開く。
おすすめ欄には、またRPサーバーの切り抜きが並んでいた。
『ギャング抗争』
『新人警察、初出勤』
『バーで起きた修羅場』
昨夜あれだけ見たのに、指は迷わず動画を押していた。
ゲームの中の連中は、やけに活き活きとしていた。
笑って、怒鳴って、失敗して、誰かに必要とされている。
ただのゲームのはずなのに。
ぼんやり思った。自分より、ちゃんと人生をやっている気がする。
気づけば、小島はRPサーバーについて検索していた。
昨夜から見ていた動画は、有名配信者しか入れない招待制サーバーらしい。
だが調べてみると、誰でも参加できるサーバーは意外と多かった。
初心者歓迎。
住民募集中。
警察・救急・飲食スタッフ募集。
まるで求人サイトみたいな文言が並んでいる。
いくつかのサーバーを比較しているうちに、小島は少し変わった募集を見つけた。
誰でも応募はできる。ただし、参加には簡単なSNSアカウント審査があるらしい。
荒らし対策なのだろう。
参加人数も、他の大型サーバーほど多くない。
小島はむしろその方が良かった。何百人もいる場所は疲れる。
紹介動画を再生する。
雨に濡れたネオン街。
走り抜けるスポーツカー。
クラブで騒ぐ人間達。
その中に、一際派手な看板が映った。
『RYUGU』
海中を思わせる青いネオン。
巨大な熱帯魚のホログラムが、店の入口を漂っている。
ゲームの中なのに、妙に空気があった。
気づけば応募フォームを開いていた。
年齢。
軽い自己紹介。
遊べる時間帯。
数分で入力は終わった。
どうせ落ちるだろう。そんな気持ちで送信する。
だが、2時間後。スマホが震えた。
招待コードが届いていた。
アカウント登録画面を開く。
キャラクター名。
入力欄を前にして、少しだけ悩んだ。
本名をそのまま使うのは、なんとなく嫌だった。
だからといって、気の利いた名前も思いつかない。
結局、苗字を少し変えるだけにした。
“小嶋”を“子島”に変える。
入力してみると、妙にしっくりきた。
読みは一緒なのにまるで、少しだけ別人になったみたいだった。
子島として初めて街に降り立った時、小嶋は少しだけ笑ってしまった。
思っていたより、ずっと馬鹿らしかったからだ。
ゲームの中なのに、皆きちんと信号を守っている。
コンビニで雑談をして、バーで酒を飲み、タクシーを呼び、知らない相手に「お疲れ」と声をかける。
大人が本気でおままごとをしていた。
だが、その空気は不思議と嫌ではなかった。
初心者案内を受けながら街を一通り周り、最後にと案内されたのはクラブ『RYUGU』という場所だった。
海中みたいな青いネオン。
ゲームの中なのに、妙に空気がある。
店内は思っていたより騒がしかった。
笑い声。
グラスの音。
誰かの歌声。
カウンター席へ座る。
すると、白いドレス姿の女が隣へ腰掛けた。
長い銀髪。
どこか作り物みたいに綺麗なアバターだった。いや、作りものなんだけど。
「ご新規さん?」
落ち着いていて奇麗な透き通った声だった。
「そんな感じです」
「ふふ。緊張してます?」
「まあ・・・・・・こういうの初めてなんで」
女は少し楽しそうに笑った。
「名前、なんて言うんですか?」
苗字だけ登録していて名前を考えていなくて焦った。
「・・・・・・太郎です 」
言った瞬間、自分でも意味がわからなかった。
別に苗字だけ答えればよかったと後悔する。
「太郎?」
「いや・・・・・・なんか、とっさに」
女は肩を揺らして笑う。
「変なの」
「自分でもそう思います」
「ふふ。浦島太郎じゃないんだから」
苦笑いしかできなかった。
「私は乙姫」
女はそう名乗った。
それが、本名ではないことくらいわかった。
そこからは乙姫と他愛ない話をした。
この街で起きた事件。
常連客の噂。
現実の話は、一切しなかった。
それが妙に心地良かった。
「お、楽しんでる?」
色々話していたら時間いっぱいになっていたらしく、町を案内してくれた人が戻ってきた。
派手なスーツ姿のアバター。
たしか高橋とかそんな普通な名前だった気がする。
「そろそろ閉店なんで、会計だけお願いします」
「・・・・・・会計?」
小嶋は間の抜けた声を出した。
男は少し不思議そうな顔をする。
「え、うん」
「いや・・・・・・これって案内みたいな感じじゃないんですか?」
「案内はしたけど、奢るとは言ってないよ?」
あっけらかんと言われた。
小嶋は一瞬固まる。
現実でもクラブなんて行ったことがない。
当然、こういうゲーム内文化も知らなかった。
恐る恐る金額を見る。
普通に高い。
「・・・・・・払えないです」
正直に言うと、男は笑った。
「あー、じゃあ借金だね」
「借金?」
「この街、最初はだいたい皆そう」
男は慣れた様子で説明した。
この街では、運営から金を借りられるらしい。
そして仕事をして返済していく。
タクシー
飲食
清掃
時には違法な仕事まで。
それが初心者向けの導線になっているらしい。
「まあ初期ストーリーみたいなもん」
「・・・・・・」
「もちろん、クラブに来ない人もいるけどね。子島さんはそのまま入ったけど」
「いや・・・・・・普通に説明してほしかったんですけど」
「説明すると皆帰るから」
そう言って男はケラケラ笑った。
乙姫も隣で小さく笑っている。
「でも、借金ある方がこの街楽しいですよ」
「なんでですか」
「理由ができますから。この街にいる理由」
その言葉に、小嶋は少しだけ黙った。
現実では、どこにも理由なんてなかった。
会社へ行く理由も。
生きる理由も。
全部なんとなくだった。
でも今、画面の向こうでは“借金を返す”という、わかりやすい目的ができていた。
気づけば、子島は毎晩ログインするようになっていた。
会社が終わると急いで帰宅する。風呂より先にPCをつける。
最初は客として通っていただけだった。
だがいつの間にか、店側に混ざって働くようになっていた。
客の案内。
トラブル対応。
酔っ払いの介抱。
ただのゲームのはずなのに、不思議と楽しかった。
「子島さん今日いる?」
「ヘルプお願い!」
「助かった、ありがとう」
そんな言葉をかけられるたび、子島は少しずつ街で起きている時間が伸びていった。
現実では、誰かに期待されることなんてほとんどなかった。
だが竜宮には、自分の居場所があった。
乙姫も毎晩のように店へ来た。
騒がしい店内でも、彼女だけは妙に静かでRPガチ勢だと思った。
飲み物を飲む音もしない。
キーボードの音もない。
生活感がまるでない。
なのに、不自然ではなかった。
むしろ最初から、この街に存在しているものみたいだった。
「子島さんって、優しいですよね」
ある夜、乙姫が言った。
「そうですか?」
「ちゃんと人の話聞いてくれるから」
現実では、そんなことを言われたことはなかった。
会社ではミスが増えていた。
会議中、眠気で意識が飛ぶ。
メールの確認漏れ。
遅刻。
上司の声も、どこか遠かった。
頭の中ではずっと、竜宮の音楽が流れている。
それでも、ログインをやめられなかった。
ある夜、営業終わりのクラブで乙姫が言った。
「太郎さん、今日ちょっと元気ないですね」
「そうですか?」
「うん。なんか疲れてる感じ」
小嶋は少しだけ黙った。
今日は昼間、珍しくコンビニの店員に「最近疲れてません?」と言われたばかりだった。
ただの偶然、そう思った。
でも、妙に引っかかった。
「まあ……仕事がちょっと」
誤魔化すように答える。
乙姫は小さく笑った。
「ちゃんと寝た方がいいですよ」
「それ、この前も言われました」
「じゃあ皆思うくらいには疲れてるんですよ」
その言い方が、少しだけ現実に近かった。
小嶋は、その日から乙姫を妙に意識するようになった。
声。
笑い方。
言葉の間。
どこか似ている気がする。
もちろん、考えすぎだ。この街には何百人も人がいる。
偶然似ているだけかもしれない。
でも乙姫は時々、現実の自分を見ているみたいなことを言う。
仕事でミスが続いている時。
寝不足でぼんやりしている時。
絶妙なタイミングで、「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。
もしかして、とそう思う瞬間があった。
聞こうかとも思った。
だが、この街では現実を詮索するのはマナー違反だった。
・・・・・・いや、違う。
本当は 壊れるのが怖かった。
もし違ったら。
もし、自分だけが勝手に特別だと思っていたなら。
結局、子島は何も聞けなかった。
ある日の昼。
コンビニで会計をしている時だった。
「最近、疲れてません?」
レジ越しにそう言われる。
反射的に答えた。
「まあ、最近夜入ってるんで」
言った瞬間、自分で固まった。
子島としてシフトが夜に入ってると答えてしまった。
結局リアルでもRYUGUのことを聞けるわけがなかった。
店員は少し不思議そうな顔をしたあと、「無理しないでくださいね」とだけ笑った。
その日の夜だった。
違和感に気づく。
サーバーに入れない。
Discordも消えている。
SNSも更新停止。
数時間後、運営から短い告知が出た。
《サービス終了のお知らせ》
たった、それだけだった。
子島は呆然とした。
RYUGUが消えた。
街も、人も、乙姫も。
全部。
その後しばらく、まともに眠れなかった。
会社でも、何度も無意識にDiscordを開こうとしてしまう。
だが、もう何もない。
耐えきれず、運営へ問い合わせを送った。
乙姫というプレイヤーについて。
数日後、軽い文面の返信が届く。
あー、乙姫ですね。
海外のAI VTuber見て試しに作ったAIキャラです笑
会話ログ学習型なんで自然だったでしょ?
小嶋は、しばらく文章を理解できなかった。
毎晩話していた相手。
救われた声。
自分を見てくれていると思っていた存在。
全部、AIだった。
なのに・・・・・・
数ヶ月後、小嶋は会社を辞めた。
給料は下がった。
安定もなくなった。
それでも、初めて自分で選んだ。
好きだった映像編集の仕事を、小さな会社で始めた。
忙しかった。
不安もあった。
でも、不思議と前より息がしやすかった。
ある日の雨の降る帰り道。
久しぶりに、あのコンビニへ寄った。
レジで声を掛けられる。
「あ、小嶋さん。久しぶりですね」
「どうも」
少しだけ緊張しながら答える。
会計を終えた時、店員がふと思い出したように言った。
「そういえば」
「はい?」
「サーバー復活するみたいですよ!」
小嶋の思考が止まる。
「・・・・・・え?」
店員はきょとんとしてから、吹き出した。
「やっぱり気づいてなかったんですか? 私、あのサーバーいたんですよ」
頭が真っ白になる。
「え・・・・・・」
「クラブRYUGUでボーイやってました」
小嶋は言葉を失った。
毎晩、同じ店にいた。
同じ時間を過ごしていた。
それなのに、気付かなかった。
店員はレジ袋を差し出しながら、少し楽しそうに笑う。
「小嶋だからって“子島”って安直すぎるし」
「……」
「途中から声で確信しました」
小嶋は何も言えなかった。
現実ではただのコンビニ店員が、竜宮では同じ店で働いていた。
境界が、急に曖昧になる。
「でも、なんか言わない方がいいかなって」
店員はそう言って、小さく肩をすくめた。
「この街、そういうの野暮ですし」
そのあと何を話したかあまり覚えていない。
ただ店を出るときに「じゃあまた夜勤で」と言われた記憶はある。
帰り道は濡れたアスファルトが街の光を反射して、キラキラと揺れている。
まるで、竜宮の中にいるみたいだった。
勢いで書きました。
主人公は子島と安直な名前で登録しましたが、日本書紀の浦島子(浦島太郎)から取っています。
みなさんはどんな風にネットネームをつけているのでしょうか。
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