浮気旅行の準備なんかしない
一日中、異世界の事を思い出しながらぼーっと椅子に座っているうちに、夫の晃一が帰ってきた。ただいまも言わず、携帯電話の画面を見ながら入ってきて、鞄をどさっとソファに投げ置いた。
「風呂入ってから飯」
と晃一は言った。
「あー」と言って恵美留は立ち上がり、シンクの前に立った。
何を作ろうか、と冷蔵庫を覗くと、
「え、今から作るの? 今日一日、何やってたわけ? 部屋の掃除をしてたとも思えないけど」
と晃一が言った。
「十日もほぼ徹夜で魔族と戦い、ようやく魔王を倒したと思ったら、気が付いたら異世界から戻って来てて夕食の支度遅れてごめんなさい」とでも言えばいいのか、と恵美留は思ったが何も言わなかった。
「ほんと使えねえな! そんで出張の用意出来てんの?」
「あ、まだ」
がたっと音がして、キッチンの椅子が倒れたのは晃一が蹴ったからだった。
この人、と恵美留は思った。場末の酒場にいた奴隷商みたいだ。
やたら威張って、力のない奴隷や大人しそうな村人にしか威張れないケチな小男。
恵美留はついニヤッと思い出し笑いをしてしまった。
「何がおかしいんだ!」
「いえ、別に」
晃一は財布と携帯電話を手にし、
「外で食ってくるから、その間に出張の用意しとけよ」
と言って、部屋を出て行った。
恵美留は倒れた椅子を元通りにしてから、寝室へ入った。
十年ぶりだが、生活の様式は全て覚えている。
夫にとっては昨日から続いている生活に過ぎない。
いつもの出張の用意をスーツケースを取り出して眺め、
「そうそう、この出張は仕事じゃなくて浮気旅行なのよね」
と恵美留は呟いてから手を止めた。
「なんで夫の浮気旅行の準備なんかしなくちゃいけないのかしら。ばかばかしい」
晃一のスーツケースを蹴飛ばしといて、恵美留は自分の着替えや貴金属、通帳やカード、大事な物を全て取り出し集めた。
「アイテムボックス」
空間にシュっと箱が現れ、恵美留はその箱に全てを収めた。
ボックスのストレージは千もの枠があり、異世界での生活で三つほど埋まっていた。
新たな枠に現世界のアイテムを入れた。
「さーて、バイバイ」
小さな手提げに電話と財布を入れて恵美留は玄関から出ようとした。
ドアを開こうと思った瞬間、ぱっとドアが引かれて開いた。




