気が付いたら現代に戻っていた
「明日から二泊の出張だから、用意しといてくれ」
と夫の晃一が言ったが、妻の恵美留は何も言わなかった。
日野晃一35才、妻、恵美留28才。結婚3年目。
恵美留は黙ってかすかにうなずいただけだった。
晃一はそれを見て一瞬は不愉快そうな表情をしたが、出張という名の浮気旅行なので、ただ舌打ちをするに留めておいた。
「朝から辛気くさい顔を見せるな。こっちまで憂鬱になる」
晃一はそう言って仕事鞄を手にして家を出て行った。
恵美留はしばらく玄関で突っ立っていたが、やがてふっと笑ってから肩をすくめた。
「びっくりしたぁ」
頭を軽く振ってから、キッチンへ戻りテーブルの上を見た。
目玉焼きにベーコン、食パン、コーヒーメーカーからはよい匂いが漂っている。
どれもこれも少しだけ手をつけ、食べ散らかしてあるのは晃一の悪い癖だ。
食べた後も片付けもしないし、読んだ新聞も広げたまま。
それを毎日、毎日、食事を作り、掃除をし、洗濯をし、やりくりをし、三年間。
挙げ句に子供を授からない事をまるで恵美留だけに非があるように罵る晃一とその家族達。
恵美留は洗面所の鏡を見た。
恵美留、28歳。
あの日、夫を送りだした後、目眩がして床に倒れた。
気がついた時には、見知らぬ夜の森。
真っ暗な森と不気味な獣の咆吼。
必死の思いで逃げだし、助けてくれた村人はまるでファンタジー小説の世界。
王国、魔物、勇者、魔法。
設備されていない森や街道には魔物や魔族が現れ、人を攫い、作物を荒らす。
貧しい人間は盗賊に身を落とし、もっと貧しい人間を奴隷にする。
そして恐怖の象徴、魔王。
全ての魔を生み出し、もっとも恐るべき存在。
しかし人間は鍛錬し魔法を極め、魔王討伐を胸に掲げていた。
恵美留は幸い魔力を保持、それもすばらしく豊富な魔力量。
最強魔術師として勇者のパーティに選ばれるほどの。
そして異世界に転生して十年、苦労に苦労を重ね勇者のパーティはついに魔王を討伐し凱旋した、はずだった。




