その後のペリエ城
王都での再会の後、ペリエ城に帰ったユーリとシャリナ...
相思相愛の二人は幸せな日々を送るが、極めつけの箱入りであるシャリナは結婚の意味を知らず、ユーリはどう説明するべきかと苦悩する...
「ペリエ城の雇われ城主」のその後を描く物語──
二人は無事に結ばれる?
王都から帰還して1ヶ月
ようやくシャリナの体力は回復に向かっていた。
毎日が楽しく、シャリナは今が一番幸せだった。
…こんな日が訪れるなんて夢のよう。
春の木漏れ日の下、ユーリと二人きりで湖畔を眺める...
馬はユーリが操り、相乗りで少し遠い場所まで来ていた。自分の馬に乗りたいと言ったが、ユーリは「まだ駄目だ」と言って許してくれなかった。
「このお菓子はね。ヴァルダーがアンナに作り方を教えたのよ。」
焼き菓子を口にしながらシャリナは言った。
「あいつが?」
「そうなの。彼が生地を捏ねているのを見た時は驚いたわ。想像出来ないでしょう?」
シャリナはさも嬉しそうに笑い、遠く王都のある場所を見つめた。
「ヴァルダーはまだ王都にいるのかしら....」
「…シャリナ。」
ユーリが言葉を遮り、シャリナに顔を近づけると、額と額を押し付けた。
「あいつの話はするな。」
「ユーリ?」
ユーリはシャリナを抱き寄せた。柔らかな感触を思う存分確かめる…
シャリナは抗わず、その胸に顔を埋めた。最近のユーリは頻繁にこうなる...一日を過ごすうちに何度も。その度に嬉しくて切ない気持ちになるのだ...
「気をつけろ、お前の夫は嫉妬深いんだ。」
声は少し威圧的だった。言葉どおり、ヴァルダーの名前を口にすると、決まってユーリは不機嫌になる。
シャリナはユーリを見上げて尋ねた。
「それはヤキモチ?」
「ああ、そうだとも...」
正直に答えて唇を重ねる...ユーリはこのままシャリナを奪いたい衝動と必死に戦った。
…ペリエに帰ってからはずっとそうだ...お前が愛おしく、その全てが欲しかった...
欲望に抗ってシャリナを解放すると、シャリナがじっと自分を見つめていた。菫色の瞳はいかにも魅惑的で、いつもの子供っぽさは感じられない...
「ユーリ...私ね、変なの。あなたとキスをすると...あの...」
説明に困って赤面した。この切なくて苦しい気持ちの正体がシャリナにはまったく解らなかった。
…シャリナは何も解っていない。
ユーリは訝しげに妻を見遣った。こんなにも無垢な人間がいるなど信じられない事実だ。
「お前の母親が亡くなったのはいつだ?」
ユーリは問うた。
「確か八歳の頃よ。」
「それから誰がお前の世話をした?」
「アンナのお母さんよ....どうしてそんな事を聞くの?」
…やはりか。
思った通りだった。
シャリナの父親は娘に教育係をつけなかった。アンナの母親もすでに他界しており、知識が無いのも無理はない…
ユーリは失笑した。
…父親も老公爵も、シャリナを一生箱に入れておくつもりだったのか?
「...何がそんなに可笑しいの?」
シャリナの疑問に、黙って亜麻色の髪を撫でる…疑う余地のない清らかな妻、俺はどうやってお前を手に入れたら良いんだ?
ペリエ城に戻った後も、ユーリはこの難問に悩み続けていた。
寝室は一つになっており、シャリナは毎夜自分の腕の中で眠っている…それ以上触れなかったのは、単にシャリナの体が回復していなかったからだ。
…だがもう限界だぞ。時々自制が効かなくなる。
ユーリは自分でも驚くほどシャリナを愛していた。その心に他の男がいると思うだけで、心穏やかではいられなくなるほどだ。
「シャリナに理解させねばならん…俺が獣になる前に。」
その夜、シャリナはいつも通りに寝室に入った。ユーリはまだ隣の部屋で仕事をしているようだ。
「疲れた...」
遠出をしたせいで疲れていた。日々回復はしているものの、以前のようには動けない…
「ユーリ、先に寝ます。おやすみなさい。」
シャリナは扉越しに声を掛けた。
「…ああ、おやすみ。」
バリトンの声が帰ってくる。
シャリナは安心してベッドに入った。隣室に彼が居ると思うだけで心が満たされる...すぐに眠りに落ちてしまった。
「…シャリナ」
微睡みの向こう側でユーリの声が聞こえた....いつもながら素敵な声だ。
「愛してる...」
耳元でユーリが囁く…シャリナは手を伸ばしてユーリに触れた。
「…私もよ。」
応えると唇が触れる…
…ああ、また。
切なさに負けて目を開き、シャリナはユーリを見つめた。
「起きたか.?」
「ええ」
「起こしてすまないが...聞いてくれ」
「どうしたの?」
「…俺はお前を愛してる。知ってるな?」
「知っているわ。」
「お前も俺が好きか?」
「もちろんよ。」
ユーリが何故こんな質問をするのか分からなかった。
毎日毎日言っているのに…
「シャリナ…これから俺がすることはお前を愛するが故だ。お前にとっては初めてのことだろうが、驚かないでくれ。」
「…え?」
シャリナがポカンとしている間に、ユーリが上衣とシャツを脱ぎ捨てる…それを終えると、シャリナの隣に横たわって顔を近づけた。
漆黒の瞳が見つめている…なんて素敵なのだろう。
「ユーリ...私、どうかしてる?」
シャリナは言った。
「いつもこうなってしまうの...どうしようもなくなってしまって...」
「…どんな風にだ?」
「体が…疼く感じよ。」
ユーリは口角を上げた。穢れなき妻…たとえ知識は無くとも、シャリナは自分を求めている…受け入れる準備をとうに終えているのだ。
「...それはお前が大人になった証だ…結婚し、妻になり、俺とひとつになる。」
「ひとつ?」
「そうとも。」
その声音はとても優しかったが、眼差しは真剣だった。意味は解らなかったが、この切なさを止められるのなら、ユーリに全てを委ねようと思った。
「ユーリ...」
シャリナは微笑みながら答えた。
「愛しているわ。...私、あなたとひとつになりたい。」
「シャリナ…」
ユーリも微笑んだ。歓びに心が震える。
…シャリナは知らないだろう、拓かれる痛みを。
それだけはどうすることもできなかった。通らねばならない試練だった。
…泣かないでくれよ。
ユーリは密かに願った。嫌悪されては敵わない…乱暴に扱うなどもっての外だ。
やがて、シャリナはすべてを理解した…
ほどなく二人は一つになったが、ユーリの不安は的中し、シャリナは泣きべそをかいてユーリを困惑させた。
罪の意識は拭えなかったものの、泣きながら「幸せよ」と告げるシャリナが愛おしく、ユーリもまた至福の夜を迎えることが出来たのだった。
翌朝
ユーリは目覚め、隣で眠っている妻を見て微笑んだ。
年齢相応のあどけない寝顔…白い肌が朝日を浴びて輝いている。
「シャリナ」
声をかけて妻の瞼が開くのを待つ。早く愛らしい瞳で見つめて欲しかった。
「...もう起きる時間なの?」
シャリナが眠そうに言った。
「いや...まだ少し早い。」
「...良かった。」
シャリナは言うと再び眠りに入ろうとした。ユーリは苦笑し、シャリナの耳元で囁いた。
「妻よ、俺を満たしてくれないか?でないといつまでも仕事にならん…」
こそばゆさに身動ぎしながら、シャリナはようやく瞼を開いた。大きな瞳でユーリを見つめる。
「朝よ、ユーリ。」
シャリナは微笑んだ。
「朝も夜も関係ない。」
ユーリがすかさず応酬する。『漆黒の狼』は情熱的で、今すぐにでも襲いかかって来そうだった。
…嬉しい。
シャリナは歓びを感じた。ユーリが大好き過ぎて、また体が疼いてしまう…
「たくさん愛して...旦那様」
ユーリは安堵した。どうやら嫌われずに済んだようだ…
「いいとも。」
二人は微笑み合いながら抱き合った。
結婚の誓いを結んでから、すでに二年の月日が過ぎていた…
一年後──
ペリエ城が喜びに包まれた。
皆が待ち望んでいたシャリナの懐妊…それが現実のものとなったからだった。
ユーリの喜びは言うまでもなく、シャリナには感謝の気持ちしかなかった。しかし、子供はおろか結婚すら縁遠い身だっただけに、父親になる事実が今ひとつ実感できない…
ほどなく祝福のために訪れたクグロワに吐露すると、彼は眉を跳ね上げながら朗らかに笑うのだった。
「男とは皆そんなものだ…私も一度だけそれを感じる機会があったが、妻ほどには実感できず、困惑するばかりだった。」
「…は」
ユーリは眉をひそめた。
「その話は初耳だぞ。」
「他言するのは初めてだからな。」
「未婚じゃ無かったのか…」
「彼女は内縁の妻だった。正式な婚姻は結んでおらぬ。」
「なるほど…それは意外だな。」
「若さ故の戯れよ…子が産まれておれば、正式に迎えるつもりではあったのだ。」
「…何故そうしなかったんだ?」
「彼女は不慮の事故に遭い、我が子を連れて先立った…まことに不幸な事故だった。」
クグロワが静かに瞼を閉じる…その表情は憂いを帯び、いかにも悲しげだった。戦場に至っては屈強な戦士も、妻子の死には痛烈な痛みを感じているらしい…
…理解はできる。今の俺なら…
ユーリも表情を曇らせた。シャリナのいない人生など考えられない…おそらく想像を絶するほど虚しいに違いない。
「生きている間にひ孫の顔を見られるとはのう…『漆黒の狼』の子を抱ける…喜ばしいことだ…」
「全ては計画通り…だろう?」
「何を言う…シャリナが拒絶すれば、無理にとは考えていなかった。そなたがシャリナを傷付ける様なら、容赦なく切り捨てるつもりでおったのだ。」
「おいおい、勝手に雇っておいて、それはないだろう。」
「雇ったのは私ではなく、あの娘の意思だ……シャリナはそなたを好いていた。思い煩う程にな…」
シャリナに感謝するが良いぞ。と言いつつ、クグロワはビールを口に流し込んだ。
経緯はともかくとして、シャリナの体内には我が子が宿っている…
いずれ自ずとそれを実感できるだろう。
「双子?」
ユーリは目を丸くした。
シャリナが嬉しそうに微笑んでいる…すでにお腹は大きくなり、小柄な体格の妻はかなり辛そうだった。
「ええ、今日お医者様に告げられたの。お腹の中に二つの心音が聞こえるって…」
「それでそんなに大きいのか…」
「一度に二人の親になるなんて信じられないわね。」
「それは嬉しいが、これ以上大きくなったらお前のお腹が破裂しそうだ…」
「それはないと思うけど…確かに他の人より大きいかしら…」
…なんてことだ。
ユーリは思わず渋面になった。
我が子には対面したいと思う…しかし、シャリナが無事に出産できる保証はない。産褥の悪さから命を落とす母親も多くいると聞く…これは一か八かの賭けだ。
「心配しないで、ユーリ。」
シャリナが言った。
「私の命に代えても、子供達はちゃんと産むわ。」」
「な…」
ユーリは愕然とした。
「この身に代えるとは何だ…馬鹿を言うな!」
「もしもの話よ…」
「もしももへったくれもあるか!」
「だって、この子達は次代のアンペリエールだもの…大切な存在よ。」
「シャリナ…」
自分の胸ほどしかない妻が大きく見える…シャリナはすでに『母』の顔になっていた。寂しいと言って泣いていた少女の面影はもうどこにも無かった。
「子供は大切だが、お前を失っては身も蓋もない。」
「ユーリ…」
「誓ってくれ。俺よりも先に逝かないと…」
…優しいユーリ
シャリナは幸せを感じた。彼はきっと素晴らしい父親になる…こんなにも慈しんでくれるのだから…
「…誓うわ。」
シャリナは頷いた。
「決してあなたを置いて逝ったりしない。」
「…約束だぞ。」
念押しをすると、ユーリはシャリナを加減しながら抱きしめた。
妻の無事を心から願うばかりだった…
その年の厳冬
大広間の暖炉が赤々と燃える時節に
シャリナは無事出産した。
女児と男児の双子。
髪は黒く、ユーリのそれを色濃く受け継いでいた。
連絡を受けたクグロワが駆けつけ、祝福とともに名を与える。
リオーネとカイン
それが二人の名となった。
ひ孫を抱いたクグロワが感動のあまり涙を流す。…
嫡男であるカインに「いずれブランピエールの全てを与える。」と彼は告げた。
早くも「公爵」になる運命を背負わされた息子をユーリは「気の毒」と感じたが、何も持たずに放り出された自分の様に『はぐれ騎士』になるよりは、はるかにマシな人生になるはずだとも思う…
やがて雪解けが進み、春を迎えた。
リオーネとカインが揃って父を見つめていた。
声をあげて笑う様になり、それが可愛くてたまらない。
特にリオーネはよく笑い、逆にユーリを喜ばせた。
あまりの可愛さに「絶対に嫁にはやらん」とユーリに豪語させ、周囲を苦笑させるほどだった。
「困ったお父様ね…カイン?」
大人しいカインのつぶらな瞳を覗きながらシャリナが微笑む…
賢く聞き分けのいいカイン…きっと立派な『騎士』になるだろう。
ユーリはようやく実感した。
「これが俺の護るべき者…大切な家族だ。」
〜その後のペリエ城〜
おしまい




