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第2話 終末の家族

 ヴェルデの谷に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。丘の上から感じていたただの寂寥感ではない。それは、希望を失った者たちが吐き出す、重く澱んだ溜息のような空気だった。


 踏みしめる地面は固くひび割れ、生命の温もりを拒絶しているかのようだ。一歩進むごとに、私の心にも灰色の土埃が降り積もっていく。

と、視界の端で何かが動いた。


 崩れた井戸の傍ら。そこに、小さな女の子が人形のようにぽつんと立っていた。着ているものは襤褸と呼ぶのがふさわしく、長い間洗われていない髪が、生気のない顔に影を落としている。


 その瞳が、私たちを捉えた。それは子供特有の好奇心に満ちた眼差しではなく、見慣れぬものを警戒し、値踏みするような、あまりに大人びた光を宿していた。

私は思わず足を止め、喉の渇きを覚えた。どんな言葉をかければ、この子の心をこじ開けることができるのだろう。


「こんにちは」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど優しく響いた。けれど、その優しさこそが、この子にとっては最も警戒すべきものだったのかもしれない。女の子は小さな獣のように素早く身を翻すと、あっという間に廃屋の闇へと溶けていった。



「怖がらなくていいのよ。私たちは、みんなを助けに来たの」


 しばらくすると、村の奥から老婆が現れた。杖をついて、足取りは重い。


「旅の方ですか?こんな寂れた村に、何の用でしょう」


「私は星織りのルナリスです。この土地を再生するお手伝いがしたくて参りました」


 老婆の目が、驚きに見開かれる。


「星織りの…本当ですか?」


 私はペンダントを示し、軽く星の光を灯す。老婆は感動に震え、涙を流した。


「ああ、神様…ついに私たちにも希望が」


 老婆の呼びかけで、村人たちが次々と姿を現す。大人も子供も含めて、二十人ほどだろうか。皆、栄養失調で痩せ細っている。


「私たちにできることがあれば、何でも言ってください」


 私の申し出に、村人たちは希望の光を瞳に浮かべた。村長らしき老人が進み出る。


「星織り様…もしよろしければ、井戸の水を清めていただけませんでしょうか。毒に侵されて、もう三年も使えずにいるのです」


「もちろんです」


 私は井戸へ向かう。確かに水は濁り、異臭を放っている。星崩れの影響で、地下水まで汚染されているのだ。


「シオン、手を貸して」


「分かった」


 私たちは井戸の縁に立つ。私が星織りの力を集中させると、シオンも胸の装置を光らせる。


「あなたの力も使いましょう。きっと、一人より効果的なはず」


 シオンは頷き、手を井戸にかざす。すると、水面に美しい光の波紋が広がっていく。


 私の星織りとシオンの力が共鳴し、井戸水の毒素が分解されていく。やがて水は透明になり、清らかな輝きを取り戻した。


「すごい…」


 村人たちの歓声が上がる。子供たちが嬉しそうに手を叩いている。


「ありがとうございます、星織り様!」


 老人が深々と頭を下げる。


「いえいえ、お礼には及びません。私たちも、お世話になりたいと思っています」


「もちろんです!何もお構いできませんが、どうぞお泊まりください!」


 こうして、私たちはヴェルデの谷に滞在することになった。


 夜、村人たちと共に食事を囲む。清めた井戸水で作った料理は格別の味だった。


「明日は畑の土壌も改良してみます」


 私の提案に、農夫の男性が目を輝かせる。


「本当ですか?もう何年も、まともな作物が採れずにいたんです」


「シオンの力も借りて、きっと豊かな土地に戻してみせます」


 私がシオンを見ると、彼も小さく頷く。その表情には、これまで見たことのない充実感が浮かんでいた。


「僕にも、人の役に立てることがあるんだ」


「当然よ。私たちは仲間なんだから」


 シオンの瞳に、温かな光が宿る。記憶を失った彼にとって、この村での体験は新しいアイデンティティを築く第一歩になるだろう。


 食後、私たちは村の外れで星空を眺めた。


「綺麗だね」


 モカが感慨深げに呟く。


「星崩れで星座は歪んでしまったけれど、それでも美しいものは美しい」


 私の言葉に、シオンが反応する。


「星座…僕には、正しい星座の配置が分かる気がする」


「本当?」


「あそこの星たちは、もう少し右にあるべきだ。そして、あの星は本来もっと明るく輝いていたはず」


 シオンが指差す方向を見つめながら、私は彼の言葉に深い意味を感じ取る。


「もしかして、あなたは星崩れ以前の星空を知っているの?」


「わからない…でも、確信がある。あの星たちは、間違った場所にいる」


 シオンの声には、不思議な確信が込められていた。まるで、星々が彼の古い友人であるかのように。


 その時、村の中から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「星織り様!星織り様!」


 息を切らした村人が駆け寄ってくる。


「どうしたの?」


「子供が…マリアちゃんが倒れて!高熱で意識がないんです!」


 私たちは急いで村へ戻った。小さな家の中で、七歳ほどの女の子が母親の膝の上で苦しそうに呼吸している。頬は火のように赤く、全身に汗をかいていた。


「いつからこの状態?」


「今朝から調子が悪そうでしたが、夜になって急に…」


 母親の声は涙で震えている。


 私はマリアちゃんの額に手を当てる。尋常ではない熱さだ。普通の病気ではないかもしれない。


「星の毒かもしれません」


 シオンが静かに診断を下す。


「星の毒?」


「星崩れの影響で、体内に星の欠片が蓄積される病気です。放置すると…」


 シオンは言葉を濁したが、その表情で重篤な状況だということが分かる。


「治療法はあるの?」


「星織りの力で、体内の欠片を取り除く必要があります。でも、とても繊細な作業で…」


 シオンの躊躇に、私は決意を固める。


「やってみる。あなたも手伝って」


「でも、失敗したら彼女の命に関わる」


「失敗なんてさせない。私たちなら、きっとできる」


 私の強い意志に、シオンも覚悟を決めたようだ。


「分かりました。僕が星の欠片を探知するので、あなたが除去してください」


 私たちはマリアちゃんを囲んで治療を開始した。シオンが胸の装置を光らせ、体内をスキャンする。


「左の肺の近く…小さな欠片が三つ」


 私は繊細な星織りを展開する。髪の毛ほど細い光の糸を体内に送り込み、欠片を一つずつ包み込んでいく。


「慎重に…血管を傷つけないで」


 シオンが的確な指示を出す。彼の知識は、記憶を失っているとは思えないほど正確だ。


 一つ目の欠片を除去。マリアちゃんの呼吸が少し楽になる。


 二つ目も成功。頬の赤みが引き始めた。


 そして最後の一つ。これが最も心臓に近い位置にある。


「ルナリス、無理しないで。あなたの力も限界に近い」


 シオンの心配をよそに、私は集中を続ける。汗が額を流れ、視界が霞んできた。でも、諦めるわけにはいかない。


「お願い…この子を救わせて」


 私の祈りが通じたのか、最後の欠片も無事に除去できた。マリアちゃんの熱が下がり、穏やかな寝息を立て始める。


「やったの?」


 母親が恐る恐る尋ねる。


「大丈夫です。もう安心してください」


 私の言葉に、部屋中から安堵のため息が漏れる。


「ありがとうございます!本当に、ありがとうございます!」


 母親が私たちの手を握り、涙を流して感謝する。


「私たちにできることをしただけです」


 疲労で膝が震えそうになるのを、私は必死に堪える。シオンが気遣うように支えてくれた。


「大丈夫?」


「少し休めば平気よ」


 実際には、かなりの消耗だった。でも、マリアちゃんが救えたという事実が、疲れを上回る喜びを与えてくれる。


 翌朝、私は鳥のさえずりで目を覚ました。体の疲労は残っているが、心は晴れやかだ。


 外に出ると、シオンが井戸の傍らで空を見上げていた。


「おはよう。もう起きてたの?」


「機械生命体だから、睡眠は必要ないんだ。君はもう少し休んでいた方がいいんじゃない?」


「大丈夫よ。それより、今日は畑の改良に取りかかりましょう」


 私たちは村人たちと共に、荒れ果てた畑へ向かう。土は固く、雑草が蔓延っている。


「まずは土壌の星毒を中和する必要があります」


 シオンの分析に基づき、私は大規模な星織りを展開する。土の一粒一粒に光を浸透させ、蓄積された毒素を分解していく。


「すごい…土の色が変わっていく」


 農夫の男性が感動の声を上げる。確かに、灰色だった土が徐々に茶色い健康な色合いを取り戻している。


 作業は丸一日かかったが、三つの畑を完全に浄化することができた。


「これで作物が育つようになります」


「種はあるんですか?」


 村長が困ったような表情を見せる。


「実は、もう何年も新しい種を手に入れることができずに…」


 その時、モカが「きゅうきゅう」と鳴いて私たちの注意を引く。


「どうしたの、モカ?」


「あっちに、野生の穀物があるよ!食べられるやつ!」


 モカが指差す方向に、確かに穂を実らせた草が群生している。


「本当だわ。この種を使えば、来年には収穫できそう」


 私たちは種の採取を手伝い、畑に撒く作業も行った。星織りで成長を促進すれば、通常より早く芽吹くはずだ。


 夕方、作業を終えた私たちは村人たちに見送られて出発の準備を始めた。


「もう行ってしまわれるのですか?」


「ええ。他にも助けを必要としている場所があるかもしれないから」


「でも、いつでも戻ってきてくださいね。ここは、あなたたちの故郷でもあるのですから」


 村長の温かい言葉に、私の胸が熱くなる。


「必ず戻ってきます。その時は、もっと立派な村になっているでしょうね」


 マリアちゃんも元気に手を振ってくれる。昨夜の高熱が嘘のように、頬には健康的な赤みが戻っていた。


「星織りお姉ちゃん、ありがとう!」


「元気でいるのよ、マリア」


 私たちは村を後にし、次の目的地へ向かう。心に温かいものを抱えて。


「良い体験だったね」


 歩きながらモカが呟く。


「私たちの力が、本当に人の役に立てるんだって分かったわ」


「僕も…自分の存在意義を少し理解できた気がする」


 シオンの言葉に、私は微笑みかける。


「記憶がなくても、あなたは確実に成長してるわ。きっと、本当の自分を見つけられる」


「ありがとう、ルナリス。君がいてくれて良かった」


 私たちの前に、夕焼けに染まった道が続いている。まだ見ぬ冒険と出会いが待っているのだろう。


 その時、シオンが突然立ち止まった。


「どうしたの?」


「何か…聞こえる」


 シオンが耳を澄ませる。私にも、微かに音楽のような音が聞こえてくる。


「あれは…星の歌?」


「星の歌を知ってるの?」


「分からない。でも、懐かしい旋律だ」


 音は遠くの森から響いてくる。私たちは音の方向へ足を向けた。


 森の奥で、私たちは不思議な光景を目にする。一人の男性が、巨大なハンマーを振るって何かを打っている。火花が飛び散り、金属音が響く。そして、その音が美しいメロディーを奏でているのだ。


 男性は竜の特徴を持っていた。鱗に覆われた腕、背中に小さな翼、頭部に角。竜人と呼ばれる種族だ。


「こんにちは」


 私が声をかけると、男性は作業を止めて振り返る。精悍な顔立ちだが、目元は優しい印象だ。


「旅の方ですか?こんな森の奥まで、珍しい」


「私たちも音に誘われて。素晴らしい音色でしたね」


「ありがとうございます。私はガルド、鍛冶師をしております」


 ガルドと名乗った竜人は、丁寧に頭を下げる。


「何を作っていらっしゃるんですか?」


「農具です。近くの村から注文を受けまして」


 彼が指差す作業台には、美しい鋤や鍬が並んでいる。実用的でありながら、芸術品のような仕上がりだ。


「見事な技術ですね」


「お褒めいただき光栄です。あ、もしよろしければ、お茶でもいかがですか?日が暮れる前に、ここを出るのは危険ですよ」


 ガルドは親切に私たちを工房に招いてくれた。


 工房の中は整理整頓が行き届き、様々な道具が整然と並んでいる。しかし、武器の類は一切見当たらない。


「武器は作らないんですか?」


 私の質問に、ガルドの表情が曇る。


「昔は作っていました。でも、もう…人を傷つけるものは作りたくないんです」


 その声には、深い痛みが込められていた。


「何かあったんですね」


「ええ。私が作った剣で、多くの命が失われました。戦争の道具として使われ、罪のない人々が犠牲になった」


 ガルドは遠い目をして続ける。


「竜人は戦士の種族と言われますが、私は戦うことよりも、何かを創り出すことに喜びを感じるんです。だから今は、生活に役立つものだけを作っています」


 彼の心境に、私は深く共感する。私も星織りの力で人を傷つけた過去がある。


「素晴らしい選択だと思います。ガルドさんの農具があれば、きっと豊かな実りをもたらすでしょう」


「ありがとうございます。そう言っていただけると、報われます」


 お茶を飲みながら、私たちはお互いの旅について語り合う。ガルドも、各地を回って農具を届ける旅をしているのだという。


「もしよろしければ、一緒に旅をしませんか?」


 私の提案に、ガルドは驚く。


「私のような者でも、お役に立てるでしょうか?」


「もちろんです。私たちは荒廃した土地を再生しようとしています。あなたの技術があれば、きっと多くの人を助けられる」


 シオンも賛成の意を示す。


「あなたの作る道具は、星の力とも相性が良さそうです」


「それは…嬉しい申し出ですが、私は戦いには参加できません」


「戦いなんて望んでいません。私たちがしたいのは、創造なんです」


 私の言葉に、ガルドの表情が明るくなる。


「創造…そうですね。それなら、ぜひご一緒させていただきたい」


 こうして、私たちの仲間にガルドが加わった。


 その夜、工房で休息を取りながら、私たちは今後の計画を話し合う。


「次はどこへ向かいましょうか?」


「東の方に、大きな湖があると聞いています。そこも星崩れの影響で汚染されているとか」


 ガルドの情報に、私たちは興味を示す。


「湖の浄化は、大規模な星織りが必要になりそうですね」


「僕も協力します」


 シオンの申し出に続いて、ガルドも口を開く。


「浄化に必要な道具があれば、何でも作らせていただきます」


 仲間が増えることで、私たちにできることの幅が格段に広がった。一人では不可能だった夢も、みんなとなら実現できるかもしれない。


 外では夜風が木々を揺らし、星々が瞬いている。歪んだ星座も、いつかは元の美しい姿を取り戻すのだろうか。


「シオン」


「何?」


「あなたが知っている正しい星座を、いつか教えて」


「ああ…もし記憶が戻ったら」


 シオンは空を見上げながら答える。


「記憶が戻らなくても構わない。今のあなたも、大切な仲間だから」


 私の言葉に、シオンは微かに笑みを浮かべた。感情表現の乏しい彼の、初めての笑顔だった。


「モカも嬉しいよ!お友達が増えて!」


 モカが元気よく鳴く。


「私たちは家族のようなものね」


「家族…」


 ガルドが呟く。


「久しぶりに、そんな言葉を聞きました。故郷を出てから、ずっと一人でしたから」


「もう一人じゃありません。私たちがいます」


 私の言葉に、ガルドは感動したように目を潤ませる。


 こうして、私たちの小さな家族は三人と一匹になった。それぞれに過去の痛みを抱えながらも、新たな絆で結ばれている。


 明日からまた旅が始まる。きっと様々な困難が待ち受けているだろう。でも、もう一人ではない。


 大切な仲間たちと共に、私たちは希望の光を灯し続けるのだ。


 星々が見守る中、私たちは静かに眠りについた。そして夢の中で、美しく蘇った世界の姿を見た。


 その世界では、すべての種族が手を取り合い、星々が正しい位置で輝いている。私たちが目指すべき未来の姿が、そこにあった。

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