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第九話 抗わない美徳

 村長の家に辿り着く前、いくつも篝火が焚かれた村の中心部には若い男、老いた男達がそれぞれ輪を作って話し込んでいた。その中を歩いて行くと、皆一様に眉をしかめる。今夜の犠牲者が出たと、落胆とも憤りとも取れる眼差しで、子供の亡骸をじっと見つめるのだ。

 陸王(りくおう)樸人(ぼくと)村長の家に向かっていたが、村長自らが村の中心部へとやって来たのに気付いて、家まで向かう歩みを止めた。

 村長は陸王の連れてきた子供を見、ここまで案内してきてくれた男から事情を説明されて、酷く虚しい溜息を溢した。

 数度首を振って、それから陸王の目の前までやってくると、陸王の腕の中にいる子供の顔を確認する。

「まさか、こんな幼い子供まで……」

 子供を見る眼差しは、まさしく痛ましいと言った風だった。いや、それ以上の痛みがあった。そんな眼差しを向けながら村長は、子供の頬を一撫で二撫でする。

 撫でる手に、既に優しいぬくもりが返ってこない事は陸王が一番よく知っていた。寝室から連れ出した時はまだぬくもりがあった。それがここまで来る間に、どんどんと失われていったのだ。今では酷く冷たい物体へと成り果てている。

「樸人、今のうちに殺してやった方がいい。人の心を失っていても、二度恐ろしい目に遭わせたくない」

 陸王が言うと、樸人村長は幾度も頷いた。

「そうですな。その通りだと思います」

 村長は返して、いつの間にか陸王と村長を中心にして輪を作っていた男達に言う。

「誰か、杭と(つち)を持ってきておくれ。それと、司祭様はどちらに?」

「私ならここにいますよ、村長」

 司祭はと問われて、その司祭が自ら名乗りを上げた。見ればまだ若い。三十代半ばほどだろうか。傍らには従僕とも思える若者が付き従っていた。まだ十代後半ほどだ。二人とも、服装は僧服だった。と言うことは、若者は既に助祭か何かなのだろう。従僕なら僧服を着る事はないからだ。

 司祭の姿を見つけ、村長は落胆したように「この子に祈りを」と呟いた。村長の落胆は、まだ幼い子供が犠牲になったことに由来しているのだろう。彼の瞳は悲しみで一杯だったから分かる。

 頭を砕かなくてはならないことも、村長には辛いに違いない。

 陸王は、足下にゆっくりと子供の屍体を寝かせてやった。

 人は生まれたからには死へ向かって生きる。人の生の終着点は死なのだ。こればかりは抗えない。だが、こんなに幼いうちに死を迎えてしまっては、なんの為に生まれてきたのか分からない。人生を謳歌することなく、魂は光竜(こうりゅう)のもとへ戻っていくのだ。対もいるに違いないのに。相手はこの村のうちの誰か、それもまだ子供だろう。対極が死ねば、遺された極も近いうちに狂い死ぬ。

 陸王は、この子は誰の生命の綱だったのだろうと漠然と思った。子供の死を見て、自分は絶対に死ねないと思う。陸王は雷韋の生命の綱だからだ。また、雷韋は陸王の生命の綱だ。どちらも互いに繋がっている。

 遺すことも遺されることも、どちらも御免だ。

 強く、そう思う。

 司祭が子供の傍らに屈み込むのを見て、陸王は数歩下がった。これから何を行うか分かっているからだ。人が死ねば導きの言葉を呟く。それも神聖語(リタ)で。短い祈りの言葉とは言え、神聖語は陸王にとって呪いの言葉だ。天慧(てんけい)に天上を追い落とされた堕天使のなれの果てが魔族。陸王は魔人だが、それでも天慧の言葉である神聖語は、そのまま呪いの言葉なのだ。

 近くにいたくはないが、この状況であまり離れても人におかしく思われる。司祭の呟きを、平静を装って聞かねばならない。その覚悟は数歩下がった時に出来た。たった一言に耐えるだけでいい。

 陸王が肚を括った時、司祭は助祭から聖水が入っているだろう小瓶を受け取って、その水で額に三つ叉の熊手のような文様を描く。祈りの呟きを口にしながら。

 それを聞いて、陸王はぞっとした。攻撃的なものではないから威力はさほどないものの、背筋がざわついたのだ。じわと全身に脂汗も浮く。けれどそれだけだ。祈りの言葉が終われば全て終わる。密かに息を吐き出した時、司祭と助祭は子供の亡骸から離れていた。

 そのあと村の男達が三人で死体を囲み、一人は先端の尖った杭を子供の眉間に押し当てて持ち、一人は子供の頭を地面に固定し、一人は槌を手にして振り上げた。手慣れた風に見えるその姿から、事はあっという間に終わるだろうと思い、陸王は更に下がる。

 だが。

 槌を振り上げた男が勢いよく振り下ろした時、子供の目がかっと開いた。男の顔から一気に血の気が引き、情けに負けて手から中途半端に力が抜けた。辛うじて杭を打ったが、勢いが抜けて中途半端に杭が刺さる。途端、子供がケダモノのような悲鳴を上げた。子供だからこそ与えられる恐怖に、男達の腰が皆引けてしまった。三人の男達はどれもこれもその場に尻餅をつく。その間にも、子供は悲鳴を上げながら起き上がろうとしていた。

 その場にいた輪を作る男達の幾人からも悲鳴が上がり、周りの輪も乱れる。

 それを見て取り、内心腹立たしささえ覚えつつも、陸王は起き上がろうとしている子供の顔面を蹴りつけた。その拍子に半端に刺さっていた杭が外れて、眉間に開いた穴から血が噴き出す。俯せに転がった子供に素早く歩み寄り、陸王はもう一度仰向けにするように蹴りつけて、鼻の辺りから顔面を足で押さえつけた。既に陸王の手には槌が握られていたが、杭は少し離れた場所に転がってしまっている。

「誰でもいい。杭を拾って寄越せ!」

 怒鳴りつけるが、誰も動かなかった。陸王の子供を蹴りつけるという蛮行に、その場の者達は怖じ気づいてしまったのだ。

「聞こえねぇのか! 杭を持ってこいと言っている」

 周囲の者達を睨め付けながら怒鳴ると、年若の助祭が不意に動いた。子供の頭から外れて転がっている杭を手にし、急いで陸王のもとへとやってくる。

「お願いします」

 素早く言うと、陸王に杭を手渡した。

 その間も子供は陸王の足を無造作に引っ掻こうとしてくるが、所詮子供の力だ。引っ掻かれたところで靴やズボンを裂けるわけではない。今も呻き声を上げながら靴の底を噛んでいるが、尖ってもいない歯は、靴の革を通ることはなかった。

 陸王は杭を手にして穴の開いている箇所へと杭の先端を押し当てると、そのまま力任せに槌を打ち下ろした。骨を砕く鈍い音がして、そのまま頭そのものがばっくりと割れる。割れた頭からは、赤が濃すぎて真っ黒に見える血液が流れ出て地面に広がっていった。血で桃色に染まった脳漿も零れだしてくる。

 子供の動きも声もぴたりと止まり、陸王の足を引っ掻こうとしていた手もばたりと無機質に落ちた。陸王が足を退()けると、子供の見開かれた両目と鼻から血が流れ出していた。遅れたように、耳からもどろりと血が流れ出してくる。頭を破壊され、完全に死んだのだ。二度と起き上がってくることはない。

 陸王はそれを見届けると、一息を長く吐き出した。一仕事終えたという風に。実際、一仕事だったのだが。

 それよりもと、陸王は腹に据えかねたことがあって槌を持っていた男を見遣った。まだ男は尻餅をついたままの格好だ。

「おい、貴様」

 腹の底から陸王は声を出した。

 陸王の声に、男は一度身震いをする。

「どうして一撃で仕留めなかった。お陰で二度恐ろしく痛い思いをしたんだぞ、この子供は」

 (なじ)るように言うと、男は顔を逸らして言い訳がましく返してきた。

「そんな事は、あんたに言われなくても……。でも、出来なかった。俺達はその子が生まれた時から知っているんだ。村の一員なんだからな」

「だからこそだろう、馬鹿野郎が。吸血鬼に襲われた時と、屍食鬼として目を醒まして殺されるとき、二度恐ろしい思いをしたんだ。二度目は人の心こそ持っちゃいなかっただろうが、恐ろしく、苦しい思いをした。本当に村の一員だというなら、一撃で仕留めにゃならなかったはずだ。村の一員であり、不幸にあったことを可愛そうだと思うなら、尚更な」

 正論だった。正論であるからこそ、場にいる村の男達には何も言えなかった。槌を持っていた男は当然だ。

 そこに、「分かります」と呟きが響いた。言ったのは助祭の青年だった。陸王を真っ直ぐに見ている。

「貴方の言い分はもっともです。この子が苦しむと思ったから、僕は貴方に杭を渡しました。でも、村のみんなの気持ちも分かります。この子が生まれた時、司祭様と一緒に祝福を与えに行きました。生まれたばかりのこの子は、顔が真っ赤でくしゃくしゃで……。だけど、愛おしかったです。新しい村の一員が生まれたと思って、嬉しかった。みんなも同じだと思うんです。貴方が言うのは間違っていないけれど、生まれた時から知っている子に情けをかけてしまった人の気持ちも汲んでください。私達は、貴方のようには出来ない。貴方のようにしたくても、出来ないんです」

 青年の言葉を聞いて、陸王は呆れた溜息を漏らした。

「身内だってんなら、余計一気に殺ってやらなけりゃならんだろう。俺もな、昔、死んでも死にきれなかった身内の首を断ったことがある。その時、思ったよ。身内だからこそ、殺してやろうってな。化け物に操られて俺に襲いかかってきたのを全部斬った。首を断って、二度と起き上がれない状態にしてやった。それが俺なりの優しさだった。お前らもそうでなくちゃならなかったんだ。第一、これまでにも殺してきた事実があるだろうが。今更、情けをかける相手を間違えるな。生きている者が一番大切な存在なんだ。違うか」

 呆れとも憤りともつかない陸王の言葉に、今度こそ誰も何も言えなくなった。無論、助祭の青年も口をつぐんだ。

 少しの間しんとしていたが、そのうち何人かがのろのろと動き出した。下がって様子を見ていると、彼等の手には麻布や鍬などが握られている。

 それに気付いた司祭と助祭の青年は、布を受け取り、頭を割られたままの子供の身体を、布を持ってきた男と一緒に包んでいく。数人が、新たにそれに加わる。頭部は完全に破壊されているため、頭を包み込んだ部分は一瞬で赤黒く染まった。

 そこまでを見ていて、ようやく陸王は彼等が子供を埋葬しようとしているのだと気付いた。鍬を持った者は墓穴を掘りに行くのだろう。

 子供の身体を布で完全に包み終わると、そこへ周りの輪の中から外れて男達がやってくる。何をするのか見ていると、二人の男が無言で子供の肩と足の方を持って移動を始めた。

 墓地に連れて行くためだろう。

 彼等が移動を開始すると、司祭と助祭も一緒について行った。最後の祈りを捧げるためだろうと思われる。集まっていた村の男達も、共に移動を開始した。一口に言えば、これから葬儀が行われるのだ。

 中にはその場に残って、地面に染みた血を洗い流すように水を撒く者などもいた。

 陸王には、それぞれがすることをなしているように見えたが、そこへ村長がやって来た。

「陸王殿、我々は例え屍食鬼(グール)といえども、人を殺すことには慣れておらぬのですよ」

 ぽつりと呟くように言って、樸人村長も村の男達が向かった方へと歩み去っていった。

 陸王は呆れたように溜息をつき、前髪を掻き上げた。あれだけはっきりと「覚悟を持て」と言ったにもかかわらず、陸王の言葉は誰にも届いていなかったことに諦めの気持ちが湧いてきたのだ。この調子では更に被害が出たとしても、また殺し損ねて犠牲者を苦しめることになるだろうと思った。

 確かにここにいるのはただの農民で、人殺しとは無縁だ。それは分かるが、吸血鬼に狙われているのは確実にこの村なのだ。人外の化け物とかかわってしまった以上、肚を括らなければ、更に不幸を招く。なのにこの村の者は現実を見ているようで、実は見ていないのだ。

 それでも流石に殺すことに縁が出来てしまったためか、初めに子供の頭に杭を打ち込もうとした男達は手慣れた様子だった。あそこで子供が屍食鬼として目を開けなければ、一撃で仕留めていただろう。その程度の慣れは見て取れた。彼等の肝があと少し据わっていれば何も問題はなかったのだろうが、そうはいかなかった。怯んでしまったのは、相手が子供だということも手伝ったと思う。それでも、もっと非情になって欲しかった。男達ではなく、女子供が狙われているのだ。何がなんだといっても、今は非情に徹するべきだ。犠牲者の尊厳のために。それだからこそ、陸王はあの子供を家から連れ出したのだ。あの子の生命の尊厳を護りたかったから。同時に、恐ろしい思いをさせたくなかったから。

 その事に、村の者達は誰一人として気付いていない。

 恐ろしいのも、可愛そうだと思う気持ちも分かる。それを押して、犠牲者を弔うべきではないのか? それが死んでいった者達の尊厳を護るということではないのだろうか。なのに犠牲者を思うことよりも、村の者達は自分の気持ちを優先させた。

 陸王は怒りを通り越して、最早、呆れ果てていた。

 その情けなさに。

 大陸の農民は所詮、農民でしかあり得ないと思う。日ノ本の民と違い、戦う勇気を持たない。だから搾取されるがままなのだ。領主が動かないなら、徹底的に自分達で足掻いたらどうかと思った。いや、それが出来ないから搾取されるままなのだろう。金や食料と同じように、己らの生命すら搾取される。彼等はそれしか知らないのだろうから。それどころか、それをよしとするのだろう。

 抵抗しないことこそが美徳なのだ。

「阿呆らしい」

 陸王は篝火が照らす中に一人突っ立ったまま、呆れ果てて呟いた。

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