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第八七話 思わぬ報酬

 翌日。

 今日も暑い日だった。夏草は濃い匂いを発し、それを風が吹き流している。そう言えば、今日は風が少し強いようだ。その風に吹かれて、熱された空気も運ばれていく。このところ、ずっと晴れ続きだ。そろそろ雨が降ってもおかしくはない。空には雲はうっすらと疎らにあるだけで、雨雲は浮いていないから、今日は雨は降らない確率が高かった。

 昨夜、村長から村の者達に話がなされ、そのことでようやく自由を手に入れた雷韋(らい)が宿の脇にある草地に腰を下ろして精霊の唄を鼻歌で歌っていた。そんなことをしているところへ、村長がこちらにやってくるのに気付いた。片手には小振りの木製の箱がある。

 吸血鬼を滅ぼした報酬の用意が出来たのかもしれない。昨日、村長は昼前には村々から使いがそれぞれに金を持ってやってきて、纏まった金額になると言っていたからだ。

 それでも雷韋はその場から動かず、精霊達が歌い交わす言葉を鼻歌で歌い続けていた。

 精霊の言葉であるから、本来はきちんとした言語だ。言語だが、人の耳に入る言語は唄に似て聞こえる。しかも精霊の言葉というのはすぐに変調して、言葉の音階が変わってしまう。そのままを鼻歌で歌えば、自然、下手くそな音程の外れた鼻歌になってしまうのだが、雷韋はそれでも構わず精霊の唄を鼻歌で歌い続けていた。雷韋の鼻歌を聴いた者は、雷韋が音痴であると思っただろうに、雷韋はなんの恥ずかしげもなく歌うままだった。

 花が疎らに咲いている青々とした草地にいる雷韋に、案の定、村長は近づいてきて声をかけてきた。

「今日は。随分と機嫌良く鼻歌を歌っているね」

 村長が声をかけてきたので、雷韋は鼻歌をやめて笑いかけた。

「随分下手くそな鼻歌だと思ったろ。俺が歌ってたのは精霊の唄なんだ。精霊の言葉は唄みたいに聞こえるんだけど、すぐ変調しちゃうから、そのまま歌うと俺の鼻歌もへったくそな鼻歌になるってわけ。言っとくけど、俺が音痴なんじゃないぜ?」

 にっかり笑って言った。

「そうでしたか。精霊の唄。初めて聞きましたよ」

「だろうな。精霊の声は精霊使いにしか聞こえないし」

 そこまで言うと、雷韋は立ち上がった。

「ほかの村から使いが来て、報酬が揃ったのか?」

「えぇ。陸王(りくおう)殿と紫雲(しうん)殿は宿にいますかな?」

 それに対して、雷韋は頷いてみせた。

「ん。俺が外に出てくるときは、保存食とか色々買ったり揃えてたから、今頃はもう部屋で落ち着いているか、食堂にいるかだなぁ。俺も一緒に行くよ」

「そうですか。では一緒に」

 村長は様々考えることがあるだろうに、悩みの片鱗すら見せずに雷韋と共に宿の中へと入ってきた。

 けれども、食堂の中に陸王の姿も紫雲の姿もない。と言う事は、部屋にいるのだろう。

「二人の姿がないけど、どうする? こっちに呼んでこようか? それとも部屋に来る?」

「そうですね。少々金額が大きいので、部屋にお邪魔させて貰いましょうか」

「ん。んじゃ、行こうぜ」

 雷韋は村長より先を歩き、二階へ向かった。

 二階の扉を開ける際に、村長が来た旨を雷韋は言いながら扉を開ける。

 部屋では、陸王も紫雲も得物の手入れをしていた。陸王はいつものように刀の手入れをしているところだが、紫雲は珍しく鉤爪にヤスリをかけているところだった。

「あれ? 二人とも、揃って武器の手入れか? 村長が来たけど、どうすんだよ?」

 雷韋がどこか文句めいて言うが、村長は気にしなかったようだ。

「今日は。昨夜はゆっくり休めましたか?」

「あぁ、そこそこにはな。こっちもすぐに終わる。掛けて待っててくれ」

 陸王が、雷韋ではなく村長に目も向けずに声を返す。

 村長もそれを無礼とは取らなかったのだろう。「では、失礼して」と言葉を払いながら椅子に腰掛ける。

 陸王はそれを尻目に、小さな布に丁子油(ちょうじゆ)を染み込ませてからそれで刀身を拭って、鋼の刀身と空気を直接触れないようにした。油の染みた布で(なかご)までを拭い、懐紙で刀身を挟んでから茎から(はばき)と鍔を填めて柄の中に収める。そのあと、しっかりと茎を柄の中に収め終えたのを確認して、最後に目釘を刺して刀をもとの一本に戻した。刀が元の姿に戻ったあとも、陸王は刀身の状態を見ていたが、刀の手入れなど子供の頃から行っている慣れた作業だ。問題があるはずもなかった。

 陸王は吉宗の刀身を鞘に収めると、やっと村長に向き直る。

「待たせちまったな」

 鞘に収めた刀を片手に卓へと着き、吉宗は卓に凭せ掛けた。

「いいえ、大切な作業だったのでしょうから、私が多少待つなどどうでもよいことです」

「それで、金が用意出来たって事でいいんだな?」

 陸王は頓着なく尋ねた。

 村長も気分を害した様子もなく、膝の上に載せた小箱と上着の懐から大小二つの革袋を取り出した。それらを卓の上に置くと、硬貨の金属質な音が大きく響いた。

 約束の額は金貨三枚だ。それを六つの村から等分に支払ったとすれば、一つの村で銀貨十五枚分払えばいい。それで銀貨九十枚、金貨にして三枚分になる。

(あらた)めてください」

 村長は小箱と革袋を陸王に差し出した。

 陸王は何に気兼ねすることもなく、金が入っているだろう小箱から開けた。中には銅貨がぎっしりと詰まっている。革袋も倒すようにして硬貨を取り出す。片方からは銀貨が、もう片方は銅貨が入っていた。陸王はまず銀貨を数え始める。

 雷韋は陸王が銀貨を数え、そのあとに銅貨を数えていくのを黙って見守り、紫雲は我関せずで相変わらず鉤爪にヤスリを丁寧に掛けていた。

 ややあって、陸王は数え終えた。

「銀貨で五十五枚、銅貨で千五十枚。こいつに前に受け取った銀貨十七枚から二枚引いて、合わせて金貨三枚分だな。銀貨は二枚返す」

 陸王は懐から小さな革袋を出した。中を空けると、銀貨が出てくる。数えれば、銀貨が十七枚ある。そのうちから二枚を村長の側に押しやった。

「これで丁度だ。一筆書くか?」

「いえ、それは結構です。それより」

 と、村長はまだ何かを持っているようだった。さっきの革袋より小さいが、それを卓上に置くと、また硬貨のぶつかる音がする。

「そいつは?」

 陸王は訝しげに眉根を寄せて、村長に問いかける。

「はい。これは砦からです。つまり、領主様と玄史(げんし)大臣様から」

 村長の言葉に、紫雲までもが顔を向けた。

 そして、大きく反応したのは雷韋だった。

「え? これから貰いに行くんじゃないのか?」

 そう言う雷韋を放置して、陸王と村長は話を進めていく。

「領主様と契約なさったんですよね」

「あぁ、そうだ。俺が砦に連れて行かれた時にな」

 陸王が答えると、樸人(ぼくと)村長は言った。

「その分を預かっていたんです」

 村長の言うのに陸王は頷いて、革袋を引き寄せて、中身を取り出した。革袋の中から現れたのは金貨が一〇枚だった。

「約束どおりだ」

 陸王は平然として言うが、雷韋は平静ではいられなかった。

「ちょっと待ってくれよ。契約したとは昨日言ってたけど、金貨で一〇枚? 一〇枚で!?」

 陸王は雷韋に頷いてみせた。

「本来なら吸血鬼の屍を見せなけりゃならなかったが、生きいてる吸血鬼を見てるなら屍体なんざ必要じゃねぇだろう」

 言う陸王から、雷韋は紫雲へと目を向けた。流石に紫雲も請け負った金額に驚いているようだった。呆気にとられて、ヤスリ掛けの手が止まっている。

「ご苦労だったな」

 陸王が樸人に言うと、彼はゆっくり首を振る。

「いえ、私はただ預かってきただけですから。吸血鬼を滅ぼしたのは貴方達です。改めてお礼を言います。有り難うございました」

「いや、俺は金のために動いただけだ。雷韋と紫雲は違うがな」

「いいえ、動機などどうでもよいのです。貴方達三人が私達を救ってくれたことには変わりありません」

 陸王はそれを聞いて、結果としてはな、と小さく口にした。

「それでは、約束の報酬はこれで全て支払いました。銀貨十七枚のうち、二枚は私が」

 言って、懐に革袋に入れた銀貨二枚をしまう。

 陸王と樸人村長の会話がどんどん進んでいく。銀貨を受け取った樸人は今にも席を立ってしまいそうだ。雷韋はそれに対して慌てた。

「ちょ、いくらなんでも多すぎじゃね?」

 雷韋が言うも、樸人は首を振り、陸王は当然という顔をして言う。

「あって困ることはねぇだろう。第一、村からは金貨三枚分しか受け取ってねぇ。一人頭金貨一枚だ。そのほかは領主の玄芭(げんば)達からだろう。金貨一〇枚で仕事を請け負ったんだ。貰いすぎも何もねぇ。約束どおりの報酬だからな」

「ん~、でもぉ……」

 雷韋が渋るように言うと、樸人が小さく笑い声を上げた。

「急な大金で驚きましたか? ですが吸血鬼を滅ぼしたという事は、この金額を受け取ってもおかしくないと思いますよ」

「そうなんかなぁ?」

「私からもお願いします。どうか受け取ってください。それだけのことを成してくれたのですから」

 そこまで言われてしまっては雷韋も渋ったり、困ったりという態度を見せることが出来なくなる。正直なところ困惑しているが、あまりにも遠慮するのは失礼になると思ったのだ。

「ん~、分かったよ。貰いすぎな気もするけど、貰っとく」

「そうしてください」

 村長はそこまで言うと、空になった小箱を手にして席を立った。

「それでは、本当に有り難うございました」

 軽く頭を下げると、樸人村長は部屋を出て行った。

 それまで村長が座っていた席に今度は雷韋が腰を下ろしたが、どこか浮かない顔をしている。

「どうした、しけた面して」

 陸王が揶揄(からか)い半分に言うと、雷韋は卓の上に整理されている銀貨や銅貨の山を眺めて言う。

「金、沢山貰っちゃったけど、あんま嬉しくないな」

 言い終わるまで眺めていただけだった硬貨に手を伸ばして、銀貨を一枚指先で弄び始めた。

「ここにあるのは、働いたことに対する報酬だ。素直に喜べ」

「ん~、なんだろうなぁ。俺達が来る前も、あとも、結構人が死んじゃってるのが気分よくないって言うか」

「ま、そんな事もあらぁな」

「で、さ。こっちが金貨一〇枚?」

 雷韋は一〇枚積み重なっている金貨を指さす。

 樸人の目の前で(あらた)めた金貨だ。

 金貨を指さしながら眺めている雷韋を放って、陸王は銀貨と銅貨の山を三等分に分け始めた。多少銅貨が多くなったり少なくなったりするかも知れないが、基本は同数で分けられるだろう。

 雷韋は物珍しそうに、陸王が金を分配していくところを眺めている。

 陸王は先に五十五枚の銀貨を手早く分けていき、それが終わると、千五十枚もある銅貨に取りかかった。銀貨は比較的に少なかったが、銅貨は千五十枚と数が多いだけに、分けるにも時間がかかる。それに銀貨は十九枚が一組、十八枚が二組とそれぞれに分かれている。これに銅貨で均等になるように分けなければならないのは、実に面倒この上ない。雷韋は見ているだけで頭が痛くなりそうだったが、陸王はなんのこともなく銅貨の山から三百三十枚を取り分けている。それを銀貨十九枚と一緒にして、残った銅貨を半分の三百六十枚ずつに綺麗に分けて、銀貨十八枚と一緒にした。

「あ~、これで等分になったのか?」

 雷韋が戸惑った顔で陸王に問うてくる。

「そうだ。これにそれぞれ金貨三枚と銀貨一〇枚をつける」

 言って、金貨を三枚ずつつけたが、金貨一枚が残ったままだ。これを三等分にしなければならない。銀貨にして一〇枚ずつに。

「銀貨三〇枚なんてもってねぇから、街に戻ったら両替商に頼むか。手取りは多少少なくなるがな。それを承知したなら、どれを手に取ってもいいぞ」

 なんでもないことのように言うが、雷韋は戸惑ったままだ。何度も目をしばたたいて、三等分になった硬貨の山を眺めている。その顔を見て、

「お前、まさか計算が出来んのか?」

 今度は陸王の方が驚きのあまり戸惑いを見せた。それに慌てたのは雷韋だ。

「計算くらいできっけど、ほんとにこれで等分なのか? あんた、計算早くね?」

「まさか、暗算が出来んのか? こんなもん、日ノ本じゃガキだってすぐに計算するぞ」

「『あんざん』? それって子供産むときの……」

「なわけあるか。暗算ってのは、頭の中で計算することだ。俺は村長から金を受け取ったとき、銀貨が何枚あるか銅貨が何枚あるか数えたからな。結果、計で金貨三枚分の硬貨があるのを確認した。その数から三等分にしただけだ」

 雷韋は陸王の言葉を聞き、目を大きく見開いた。昼間だというのに、雷韋の細く尖った瞳孔が、興奮のために丸みを帯びている。

「それって、数が分かったからって、頭ん中だけで計算したって事?」

「そうだと言っただろう」

「え~?」

「『え~』じゃねぇ。足し算、引き算、かけ算、割り算さえ出来りゃ、簡単なこった」

 二人の会話を聞いていた紫雲が、

「数学は一般的ではありませんからね。大きな数の計算は基本的に高等教育ですから、仕方ないですよ。それに、ここまで大量の硬貨は普通は触らないですしね」

 致し方なし、という風に割って入った。だが陸王はそれを否定した。

「こんなもん、数学じゃねぇ。ただの算術だ、算術」

 そこまで言って、おもむろに陸王は両目を細めて紫雲を見る。

「まさか、お前まで算術すらできんとは言わんよな?」

「失礼ですね。私は修道院で育ったんですよ? 学問は一通り仕込まれました」

「そりゃ、ご苦労なこった」

 陸王は言うと立ち上がり、荷物の中から手拭いを取り出して戻ってきた。

 その様子に雷韋が不思議そうな顔になる。

手拭い(それ)で何すんだ?」

「金を纏めるんだよ」

 言いながら陸王は銀貨十九枚のものを選んで、手拭いの上で銅貨を三つに分け、横一列ずつ並べて包み込んでいく。続けて銀貨と金貨は財布に入れて懐にしまった。

「あ~、なるほどなぁ。そうやって纏めんだ。俺も真似しよっと」

 席を立ち、雷韋は自分の荷物袋の中から手拭いを引っ張り出してもどってきた。そして、陸王がやったように硬貨を纏めていく。

「そら、紫雲もさっさと分け前を受け取れ」

 陸王に言われて、紫雲は一度大きな溜息をついたが、そのあと荷物袋の中から手拭いを引っ張り出して雷韋同様、卓までやって来た。卓上の硬貨の山を見て、軽い溜息をつく。

「金貨一枚分の硬貨ともなると、やはり大変な量になりますね。これを見ると、受け取っていいものやら」

「銅貨が多いから、大量ではあるな。だが、それぞれが受け取るために分けたんだから、遠慮なく受け取れ」

 雷韋と紫雲の二人が同じ事をしているのを見て、陸王は出立準備を始めた。

 二人が金を纏め終えたときには、陸王は既に出立の用意が調っている。

「そら、お前らもさっさと用意しろ」

 一人だけ出発の用意を調えて、勝手な事を言う。

「え? もう行くのかよ。昼飯は? どうせなら食っていこうぜ?」

 雷韋が文句めいて言うが、陸王は首を縦には振らなかった。「早く用意しろ」と完全に出立状態だ。

 雷韋は不満顔で文句たらたらだったが、紫雲は外套を羽織って荷物を肩に負えば、それだけで出立準備完了だ。腰には、さっきまで手入れをしていた鉤爪を既に提げてある。

 紫雲まで準備を終えてしてしまっては、雷韋一人でガタガタ言っていてもしょうがない。仕方なしに準備を始める。とは言っても、腰に荷物袋を提げて、外套を羽織れば終わりだが。三人の中で、一番準備に時間がかからないのではないだろうか。

 雷韋は食事を摂っていけないことで、肩からがっくりと力が抜けていた。昼食は道を歩きながらの保存食で確定だ。

「あ~あ。今日出発するとしても、昼飯くらいは食っていきたかったのにな」

 未だぶつくさ言っているが、陸王はそれを無視して部屋を出て階段を下りていった。あとに続く紫雲に声をかけられて、雷韋も紫雲の前に階段を下りていく。最後尾は紫雲だった。

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