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第八六話 優しさと区別

 雷韋(らい)は先に行っていた陸王(りくおう)に駆け寄ると、情けない顔で陸王を上目使う。

「俺って、なんにも出来ないのな」

 ぽつりと呟いて、陸王の反応を伺う。

 陸王は陸王で、ちらと雷韋を見下ろすが、特に顔に表情は表れない。

「何も出来ねぇんじゃねぇ。俺達には、もうすることがないだけだ」

「そんで明日、金貰ったら出ていくのか?」

「そうだ。明日は村を発ったら一度砦に行くぞ。玄芭(げんば)と契約している」

「領主と? いつ契約交わしたんだよ。なんの契約だ?」

「お前が城下町からゴザックに来た日に、玄芭と玄史(げんし)とちょっとな。それに村には用もないのに、いつまでもいられんだろう」

「用もないって……」

 雷韋から落胆の声が出たが、陸王は容赦しなかった。

「なら、お前にこの領地の領主を見つける事は出来るのか? それとも、人食いをやった玄芭を励ますか? 吸血鬼に操られていただけだから気にするなとでも? あるいは、玄史の行動を肯定してやるか? 吸血鬼を招き入れたのは不運が重なっただけだが、そのあと贄を差し出し、この村まで好きにさせたのは玄史だぞ。人質を取られていたってのは言い訳にしかならん。あいつが様々やった事への免罪符にするには、無理がありすぎる」

「そ、んな言い方しなくったって……」

 陸王の言いように、一気に気力が削られて、雷韋の表情も声もしょぼくれたものに変じる。

 それ以上、雷韋の言葉が続く気配がない事をよしとしたか、陸王は僅かに言葉を柔らかくした。

「所詮、俺達は余所者だ。ここでの役目が終わったなら、あとは大人しく去ればいい」

 幾分、優しげな口調だったが、言葉そのものには続ける言葉を許さない響きがあった。雷韋もそれが分かったのか、あとに続ける言葉は発さなかった。

 その二人を、紫雲(しうん)はなんとも言えない心持ちで見遣っていた。陸王の言い方が、あまりよいとは感じられなかったのだ。雷韋が続ける言葉を許さぬ言葉選びが、些か酷いと思った。あんな言われ方をすれば雷韋じゃなくとも、誰だって何も言えなくなるだろう。

 二人は対で互いがいないと駄目な癖に、陸王は時として雷韋をこっぴどく突き放すようなことを言う。そんな姿を見ると、対とはなんだ? と疑問を持ってしまう。

 とは言え、陸王の言うのも分かる気がするのだ。陸王は雷韋を突き放すとき、自分達ではどうにもならないときに突き放す。言葉選びは悪いが、言う言葉は正論でもあるのだ。

 今だって、領地のことは自分達にはどうしようもない事だ。ここのことは、ここの者達に任せるしかない。この領地の問題がどう転んでも、それは陸王にも雷韋にも紫雲にも、一切関係ないのだ。そこにあるのは事実であり、冷たいとか冷たくないなどの感情で語るべき物事ではない。そもそも、そんな風に考える事自体が間違っているのだ。

 それでも雷韋はそう考える。なんであれ、自分のことのように考えるのだ。陸王とはまるきり正反対だ。

 もしそれが対の証なのだとしたら、うまく出来ていると皮肉なまでに思う。

 見事なまでに二人は正反対であり、どちらが欠けても困ることになるからだ。何かを判断するにも、二つの意見をより合わせて一つの答えを出す。一人ひとりでは一方的になり、均衡が保てない。

 それに気付いて、思わず紫雲は頭を振った。面白いほど腑に落ちたからだ。そして、改めて対というものは不思議だと思った。

 対に出会っていない紫雲にはまだまだ分かりかねることも多いが、一つ納得出来ると、次の疑問にぶち当たる。それらを一つ一つ知っていくのが愉快で心地よかった。無数にかけられた掛け金が、一つずつ外れていくような感じなのだ。

「雷韋君」

 名を呼ばれて、雷韋は紫雲を振り仰ぐ。

「今だけでも何も考えないようにしましょう。自分のするべき事だけを考えて、ね?」

 紫雲に改めて言われると、雷韋は自分の表情が暗くなり、気分まで曇っていくのを感じた。

「俺は、そんな風に考えらんないよ。俺はこの領地と関係ないかも知んないけど、でも、いろんな事、見聞きしちゃったんだ。知らなかったときには戻れない」

「雷韋君は優しすぎますね」

「んなことないよ。普通だよ」

 一度、ちらと紫雲を見たが、すぐに俯いてしまう。

 俯いている雷韋の頭を一撫でして、紫雲は言った。

「損得関係なしに、誰かを心配できる。それを優しいと言うんですよ」

「優しいとか意識したことないけど、困ってる人がいたら力になりたいって思うじゃん」

「ほら、そこですよ。困っている人がいたら助けたくなる。一番初めを覚えていますか? 吸血鬼に襲われている人達を助けたいと思ったから、吸血鬼を滅ぼした。ただ、その先が間違っているんです。君は、吸血鬼に苦しめられている人達というその延長線上に、領地の問題が浮上したことをそのまま繋げて考えているんです。そこ、普通は繋ぎませんよ。少なくとも私は繋げません」

「え? でも……」

 雷韋はぱっと顔を上げて、紫雲の言葉に心底驚いて彼を見た。

「それはそれ、これはこれと、別々に考えるものです。問題が違いすぎるんですから」

 雷韋はその言葉にもきょとんとした。虚を突かれた気分になったのだ。

 雷韋はなんとか言葉を発しようとしたが、言葉が何も浮かんでこない。

「だから雷韋君は優しいと言うんです。もう別々の事象なのに、最後まで面倒を見てあげたくなるなんて」

「思わないか?」

 やっと雷韋から出た言葉は、その一言だけだった。

「普通は思わないと思います。少なくとも、私は思いませんね。君ほど優しくないので。それは陸王さんも同じだと思いますよ」

 雷韋は目をしばたたかせた。そんな回答があるとは思わなかったからだ。予想外の方向から答えを突きつけられて、歩む足も止まる。

 それまでの二人の会話を聞いていた陸王が肩越しに振り返って、舌打ちをした。

「何をくそくだらん話をしていやがる」

「くそくだらんって……」

 今度、言葉を失ったのは紫雲だった。雷韋との会話を聞いていれば、そんな言葉が出てくるはずがないと思ったのだ。全く唖然とする。

 逆に雷韋はその場に立ち止まって、陸王を見遣った。

「なんだ」

 なんともいやったらしい声を出して、雷韋の深い琥珀色の瞳と視線を合わせる。当然、足は止まっている。

 少しの間、二人の視線は真っ直ぐにぶつかっていたが、ふと雷韋の目元が和らいだ。その雷韋の視線はすぐに紫雲へ向けられた。

「紫雲、あんたはどうか知んないけど、陸王の目は優しいぜ。優しくない事なんてない」

 雷韋の言葉を聞いて、紫雲は怪訝に眉根を寄せる。雷韋は完全に勘違いしていた。紫雲の言った冷たい優しいは、人としての根底のものではない。物事を様々に区別出来るかどうかだ。

 紫雲だって、陸王を冷血漢だと思っているわけではない。だが、冷徹な部分があるのは分かっている。紫雲もそうだが、陸王はその部分で物事を区別しているのだ。

 なのに雷韋は、全く勘違いしている。

 陸王は普通には優しさを持っているだろう。特に雷韋に対しては、少し異常なくらいの優しさを示すときがある。そんな陸王だ。雷韋と視線を合わせて、冷徹な視線を向けるわけがなかった。

 なのに雷韋はその区別もつけず、陸王のもとへ行ってしまった。再び歩き出した陸王を追う雷韋の足は、心なしか軽いようだ。

「なぁ。あんたも紫雲みたく、吸血鬼のことは吸血鬼のこと、領地のことは領地の事って分けて考えてるのか?」

 陸王は溜息をつきながら前髪を掻き上げる。その様は呆れ果てたというものだった。

「当たり前だろう。吸血鬼の始末は請け負ったが、領地のことまでは知らん。そんなもの、ここの連中の好きにさせりゃいい」

「やっぱ、面倒は見てやんないんだな」

 気落ちしたように肩を落とす。

「そこまで面倒見てられん」

「そっか」

「俺はお前の望みは聞いたぞ。吸血鬼を始末するって事はな」

「うん」

 陸王の言葉に、雷韋は小さく控えめに頷く。

「だが、これ以上は正直、俺の手に余る。そこまで相手してられるか。分かったら、さっさと宿に戻るぞ」

 言って、陸王は雷韋の飴色の髪をわしゃわしゃと掻き回した。

「ちょっと! 髪ぐちゃぐちゃにすんのやめろってば」

 慌てて陸王からほんの少し距離を取る。

「寝たら一緒だろ。どうせ朝になるまでに(もつ)れやがる」

「だからって、今からぐちゃぐちゃにすることないだろ?」

 精一杯の文句を口にする雷韋を、陸王は安堵したように見ていた。その視線に、雷韋は不思議な顔をする。

「なにさ?」

「少しは元気が出たかと思ってな」

「あ……」

 陸王の弄る調子に合わせていて、いつの間にか雷韋は普段と変わらぬ心持ちになっていた。

「雷韋。考えてもしゃあねぇ事は考えるな。化け物をぶっ殺すことは出来ても、俺達には領地のことは手に余る。そもそも、ここは他人の土地なんだ。俺達がどうにか出来る場所じゃねぇ。諦めろ」

「そっか。俺達が……住む場所じゃないんだよな。他人の土地、か。それはそれ、これはこれ……って、紫雲が言ってたみたいに分けて考えなきゃ駄目なんだな」

「残念ながらな」

 言う陸王を見上げたまま、雷韋は頷いた。

「じゃあ、明日出ていった方がいいんだな。いつまでもいても意味ないし、未練がましいもんな。……うん、分かったよ」

 それまで陸王に向けていた顔を、今度は紫雲に向けた。

「紫雲、困らせてごめん」

 言われて、紫雲も優しい笑みを雷韋に向けた。

「雷韋君の心が決まったようで何よりです」

 雷韋はそこで一度視線を下げてから、もう一度紫雲に目を合わせる。

「決めなきゃさ」

「そうですね」

「んじゃ、宿戻ろ。寝なきゃ」

 言うと、雷韋は左手で陸王の腕を取り、右手で紫雲の腕を取って、後ろ向きのまま歩き出した。

「現金な」

 陸王が呆れて言うと、紫雲は苦笑を零し、雷韋は裏も表もない子供の笑みを晴れやかに見せるのだった。

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