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第八話 犠牲

 すっかり夜も更けて、やっと子供が寝付いてくれたと、妻が寝室の方からランプを手に出てきた。

 それを夫が溜息交じりに聞いている。

 夫は妻が卓につくのを待ってから、口を開いた。

「ここからだと遠くにはなるが、叔父の家にあの子を預けよう。いつ吸血鬼が来るとも限らないんだ。司祭様も言っていただろう。若い女と子供を吸血鬼は狙うと。この村は危険だ。夜が明けたら早速発たせた方がいい。これまで我慢しすぎた」

「でも」

 妻は言いよどむ風に言葉尻を濁して、寝室の方を振り返る。

「もし心配だというなら、お前も一緒に行ってもいいんだ。お前もまだ若い。吸血鬼に襲われるとも限らん」

 夫が言うと、妻の方は不安げに顔をしかめた。

「それなら、貴方も一緒に行きましょう」

「いいや。ここには畑がある。一家で移住するにしても、土地をなんとか手に入れなければならない。その為には、金も必要になるだろう。だが、うちにはそんな蓄えはない。一時的な話だ。夜が明けたら、お前はあの子を連れて叔父のところに行け。吸血鬼は男は狙わないそうだから、俺のことは心配いらない」

「でも、不安だわ」

 妻は落ち着かなげに、左の手を右手で包み込む。

 夫は妻を労るように、片手を伸ばして彼女の手に触れた。

「叔父は字が読める。ここの様子を上手く伝えられるように、お義父さんに手紙を書いて貰おう。夜が明けたら、まず俺が手紙を頼んでくる。その間に、お前は村を出る準備をしろ」

「どうしても私もここにいては駄目? あの子を一人にするのは辛いけれど」

「そうだ。あの子も一人じゃ辛いだろう。お前も一緒に行ってやれ」

 妻は少しの間沈黙したが、夫に手をぎゅっと握られて意を決したようだった。こくりと頷くと、席を立つ。

「分かった。じゃあ、これから用意をするわ。大した荷物はないでしょうけど、子供の服はいくらか必要になるでしょうから」

 そう言って、握られた手を名残惜しそうに放してから、出てきたばかりの寝室へと向かう。

 妻は扉の前で小さく吐息を吐き出してから扉を静かに開けた。

 途端、何の前触れもなくその場に倒れ込む。その光景に、夫は何を見たのか瞬間分からなくなったが、すぐに席から立ち上がって妻のところへと駆け寄っていった。

「どうした、おい!」

 声をかけて揺さぶるが、全く反応がない。と、何かの気配を感じて夫は寝室内に顔を向けたが、その途端、夫までが妻の上に被さるように倒れ込んでしまった。

 立て続けの大きな物音に、やっと寝付いたと思われていた、三、四歳の子供が目を醒ます。寝台の中でもぞもぞと動き、

「母ちゃ……」

 幼い声がそこまで言って、以降、言葉どころか物音まで途絶えた。


          **********


 三度あったのだ。強く濃い魔気が放たれた気配が。

 陸王はそれにすぐ気付いた。

 陸王自身も実は魔族だからだ。

 人と変わりなく生きることの出来る高位魔族。理性も知性も普通の人族となんら変わらない。いや、高位魔族と言うよりは、陸王は魔人だ。神と堕天使の間に生まれ落ちた。

 父親はこの世に夜と闇をもたらした闇神(あんじん)羅睺(らごう)。現在、羅睺は心が闇に堕ちて魔神となってしまっているらしい。堕天使の母はと言えば、もういない。陸王を最期まで護って死んでいったのだ。陸王の母を死に追いやったのは、父親である羅睺だった。陸王は母親の腹の中で生命を得ると同時に、父親殺しを予言された。その事が原因で、母親は死んだのだ。羅睺に殺されそうになったところを逃げ出して、逃亡の果てに死んだ。

 陸王は、だから魔人なのだ。堕天使のなれの果てである魔族よりも、高次元の存在だ。

 そんな存在だから、通常ではあるはずのない、強く濃い魔気が発されたのを感じられた。魔気が発されたことを陸王は知覚したが、あまりにも局地的なため、魔人ではなく魔族であれば感じ取れたかどうか分からない。高位の魔族なら辛うじて感じ取れたかも知れないが、場所の特定までは出来なかっただろう。

 通常、魔気は広範囲で対象は無差別だ。だから魔気が流れてくることで、同族には魔気を辿ることが出来る。だが今回は、短く等間隔に発された。それも、非常に限られた範囲で。いや、個別に用いられたのだ。そんなものを感じ取ることは、同じ魔族でも不可能かも知れない。

 魔族の神である魔神に最も近い魔人だから、感じ取ることが出来たといえる。

 陸王は三度同じ場所で発された魔気の異様な濃さを追って、村の中を駆け抜けた。すぐ後ろには紫雲がついてくる。更にその後ろには村の男達が数人、手に手に松明を持って二人を追いかけてきた。

 光の球を再び(あらわ)して陸王が走って行く先に、一軒の家が現れた。それほど大きくもないが小さすぎるという事もない、納屋が併設されて建っている普通の農家だ。

 陸王は確かにその家の方向から魔気を感じていた。今もまだ薄く感じられる。

 辿り着いて、扉に飛びついた。だと言うのに、中から閂で鍵が掛けられているのか扉は開かない。

「おい! この扉を開けろ」

 陸王は扉の向こうに大声を浴びせかけたが、家の中はしんとしている。人の気配自体は確かにあるが、扉を開ける者はいなかった。扉をどんどんと乱暴に叩くが、それでも中はしんとしていた。蹴破るにしても、扉はやけに頑丈そうである。

 陸王の行動を見て、

「納屋から中に入れないか見てきます」

 紫雲は納屋の方へと向かった。

 そこに村の男達が到着した。皆、息を切らしている。

「この家がどうかしたのか?」

 男達の中から、息切れと共に声を上げる者があった。陸王はそれには答えず、

「お前ら、下がっていろ。根源魔法(マナティア)で扉を吹き飛ばす」

 そう言って、自らも少し離れた。

 男達は困惑を顔に浮かべながらも、陸王が下がったことによって、己らも下がる。

 陸王は軽く目を閉じ、左手で印契(いんげい)を組み、右手は扉の中心部へと翳した。短く詠唱を唱えると、大きな炸裂音がしたと同時に扉が内側へと粉微塵に吹っ飛んだ。その音に驚いたように紫雲が納屋の方から戻ってきたが、陸王は険しい顔つきのままに家の中に飛び込む。陸王のあとに紫雲も続いたが、何が起こったか分からない男達は顔を見合わせるだけだった。魔術など見たこともないのだから、目の前で行われた魔術に対しても、何が起こったのだか理解が追いつかないのだ。

 もっとも、魔術を知っていても、陸王が使った魔術がどんなものかは理解出来なかったに違いない。『根源魔法』と陸王は言ったが、それは言霊を操っておこす魔術だ。

 この世には様々な魔術があるが、陸王は雇われ侍という事もあり、共通語で扱える根源魔法を囓っていた。傷を回復させる時にも、回復の術は根源魔法で行う。これが使えると使えないとでは、戦でも雲泥の差が出るのだ。魔術が使えれば、何かと有利だ。

 陸王は、今は詠唱を唱えたが、回復の術や光の球を顕すくらいなら『言霊封じ』で魔術を行使出来る。

 言霊封じとは、同じ魔術を何度も使ううちに魔術を昇華し、魂に術が刻まれていることを言う。

 しかしそれも、単に魔術を使えばいいというものではない。魔術的(センス)が必要なのだ。つまり魔術に対する素養だ。素養がなければ、何十回、何百回同じ術を唱えても言霊封じに昇華出来ない。

 言霊封じにして術を持っていれば、印契や詠唱を用いずに魂から魔術をその効力のまま引き出して発現させられる。

 陸王は魔術で吹っ飛ばした扉の埃が舞う中に入り、すぐに奥で折り重なるようにして倒れている男女二人を発見した。急いで二人を助け起こしてみたが、二人からは濃い魔気が漂ってくる。紫雲もそこへやって来て二人の状態を確認したが、紫雲にもその様子は常態ではないと察せられた。

 更に陸王は光の球で照らしながら、寝室の方へと入っていく。

 そこには三、四歳ほどの男の子の姿が寝台の上にあったが、濃い魔気が残留し、夫妻と思われる二人が生きていたのとは逆に、子供の方は呼吸が止まっていた。首筋にも指を当ててみたが、鼓動はない。子供から血の臭いがしていたので、出血しているのは確実だった。

 魔族は匂いに敏感だ。特に血の臭いには。魔に連なる者として、陸王も匂いには敏感だった。だから子供が出血しているのが分かった。

 陸王は寝台に両手をつき、長く息を吐き出した。

「陸王さん、そこにも誰か?」

 陸王の気配に、紫雲は眉根を寄せて声をかける。

「その二人の子供だろうな。まだ三、四歳の坊主が死んでいる。死因はまず間違いなく失血死だ」

 それを聞いて、紫雲は衝撃に息を止めた。数秒で呼吸を再開したが、何に殺られ、これからその子がどうなるのかも分かってしまった。

「紫雲、その二人は解呪してやれ。どこまで回復するか分からんが」

 強すぎる魔気を浴びれば、人はどこかに支障が出てくる。神聖魔法で解呪したところで、五体満足というわけにはいかないだろう。陸王の看たところ、二人の状態は悪く、それから言っても身体(しんたい)か精神のどちらかがやられているはずだ。よくても、身体のどこかに異常が残ってしまう。

「貴方の見立てでは、障害が残ると?」

「多分な。よけりゃ、精神は正常でいられる。それも、子供を殺されたと知れば異常を来すかも知れんが」

「そうですか」

 紫雲は辛そうに夫妻に目を落とした。きっと彼等は、酷く嘆き悲しむだろう。自分の身体に障害が残るだけではなく、子供を殺されたのだ。正気ではいられなくなるかも知れない。こればかりは時間が解決してくれるのを待つほかなかった。

「俺はこの坊主を村長のところまで連れて行く。吸血鬼の毒が回って屍食鬼(グール)として目覚める前に殺してやった方がいい。二度怖い思いはしたくなかろう」

「そうですね。お願いします」

 紫雲が返したその頃になって、村の男達がそろそろと中に入ってきた。

「おい、何が起こったんだ?」

義亨(ぎりょう)達は無事なのか? 生きているんだろう?」

 倒れている夫妻を見て、男達は声をかけてくる。

「義亨さんとは、この男性ですね。奧さん共々強い魔気に冒されて、解呪して、どこまで元に戻るか。それに息子さんの方は、既に失血死しています」

 紫雲がそう答えた時、陸王が寝室から子供の骸を両手に抱いて出てきた。

 その子の血の気のなくなった肌の色に、男達は皆一様に呻き声を上げる。吸血鬼に血を吸い殺された者が、この先どうなるか分かっているからだ。

 その場の全員が暗澹たる気持ちになる。

 子供の亡骸を抱く陸王は、そんな中にあっても気持ちを切り替えるように紫雲に声をかけた。

「二人の解呪は任せたぞ」

「分かりました」

 紫雲からの返事を受け取り、陸王は家を出て行こうとした。

 男達は死んだ子をどうするのか尋ねてきたが陸王は、

「村長にも死亡を確認させて、そのあと屍食鬼として目を醒まさないうちに頭を破壊する」

 それだけを無機質に言って、家から出た。陸王が出ていく時、一人だけ男がついてきた。ほかの者達は、夫妻の面倒を見るために残ったようだ。

 一人だけついてきた男は、陸王の背後から松明で足下を照らすようにして声をかけてきた。

「なぁ、あんた。あんたはどうして、あの家で異変が起きたことが分かったんだ?」

「侍ってのは気配に敏感だ。大陸じゃ考えられんかも知れんが、日ノ本では夜戦をする。魔族がいないからな。だから人の動きを暗闇で感知して、それを叩くのは戦場(いくさば)じゃ普通にあることだ。人相手にさえ気配を感じられるのに、それが化け物だったらもっと簡単に分かる」

 もっともらしいことを並べ立てているが、魔気を感じたと言えないのだからほかに言いようがない。とは言え、暗闇の中で人の気配を感じ取る能力は本当にある。決していい加減な嘘ばかり並べ立てたわけではなかった。事実、それだからこそ侍はこの世で最も強いのだ。

 そのあと、道々会話は特になかったが、途中で陸王が道を見失ったため、男が案内をしてくれた。

 こんな時、光を顕していても道順までは覚えていられないことを陸王は一人、ひっそりと失笑していた。

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