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第六三話 精霊の二面性

 その日、陸王(りくおう)達が思っていたように、村は蜂の巣を(つつ)いたような騒ぎになった。村長からの話で、砦であった出来事、姫を人質に取られたことから領主が村を贄にしたことが知れ渡ったのだ。この一連の出来事は、最も被害の大きかったレイザスの者にとっては絶対に許されないことだろう。今すぐに領主を殺しに行くべきだという者から、砦に火を放てばいいという者まで様々声が上がったようだ。『ようだ』というのも、宿の部屋にいると、一階の食堂兼酒場に集まってきた男連中が大声で話してるのが漏れ聞こえてくるからだ。今も下では騒ぎが続いている。既に陽も暮れて、いい加減時間が経っているというのに。

 それもやむなしだ。吸血鬼が出ないと分かって安心して出掛けられるようになったのと、真実を知り領主への怒りが一気に爆発したせいだろう。

 酒の入った男達も気が大きくなっているせいもあるだろうが、興奮が興奮を呼んでいる。さっきから罵声と怒声が二階まで響いてきている。

 雷韋(らい)は男達の領主に対する罵詈雑言が聞こえてくるたびに寝台の上で身体を縮こませ、目をぎゅっと閉じ、耳を強く押さえている有様だ。まるで男達の悪意が雷韋に向かっているかのように。こんなに煩くては、領主の罪のことも考えられない。

 昼間、陸王に言われたことを雷韋なりに整理しようとしていたのに。

「いい加減、煩ぇな」

 罵声、怒声が響く部屋の中に、ぽつりとそんな言葉が落とされた。

 頭の下で手を組んで、寝台に横になっている陸王の声だ。言葉とは裏腹に、感情のあまり乗らない口調だった。

「静かにして貰うよう、お願いしてきましょうか? もういい時間ですし」

 窓際に持ってきた椅子に座って夜空を見ていた紫雲(しうん)が問うてくる。

 陸王はその言葉に、片手を上げてひらひらと振った。

「無理だろう。と言うか、俺達が顔を見せれば火に油を注ぐようなもんだ。更に興奮するだけだろう」

「それは……確かに」

 渋い顔で紫雲が頷く。

 昼間、遅めの朝食を摂っていたとき、村長から話を聞かされた村人が大挙して宿に押し寄せて来たのだ。領主はどんな具合だ、吸血鬼を匿っていたのは本当か、何故匿っていたのかなど、様々なことを興奮のままに一遍に問われて、場を滅茶苦茶にされて食事を中断しなければならなくなったくらいなのだ。だから夕食は早めに部屋で摂った。

 最初のうちは部屋にまで押しかけられて困惑を通り越して迷惑千万だったが、宿の主人の計らいと陸王の苛立ち混じりの言葉に、男達はすごすごと一階へ戻っていった。その代わり、真っ昼間から酒を飲んでくだを巻くという今の事態になっている。

「それにしても参りましたね。こうなることは予想していましたが、予想以上の騒ぎです。これでは雷韋君だって落ち着けませんよ」

 紫雲は痛ましそうに、横になって蹲っている雷韋に目を向けた。

 その間も下での騒ぎは収まる気配を感じさせない。誰かの言葉に誰かが乗っかり、更にその上に乗っかるという有様だ。

 下の騒ぎに、流石に陸王も起き上がる。

「ったく、煩ぇな。いつまで騒いでる気だ。晩堂課(ばんどうか)(午後九時の鐘)はとうの昔に鳴っただろうが」

 苛立ち紛れの声。普通なら、晩堂課が鳴れば店は終いだ。それが今夜はまだ店が閉まらない。

 陸王も、魔族としては下から立ち上ってくる負の感情は精神的な馳走だ。勝手に精神が喰らってしまう。けれど陸王はそれを喰らいたくない。自分が魔に連なる者だと、自分に自分で証明するようなものだからだ。気分は高揚しているが、同時に、そんな己に嫌悪も感じている。陸王の方も、苛々するなと言う方が無理な相談だった。

 陸王が左のこめかみを親指で揉んでいると、不意に雷韋から小さな呻きが上がり始めた。陸王も紫雲も、腰掛けていた姿勢から雷韋のもとへと急ぎ、近寄った。

「どうした、雷韋」

 陸王が声をかけるも、雷韋は怯えた獣のように唸り続ける。瞼はぎゅっと強く瞑ったままで、両耳も押さえていた。

「雷韋君? 雷韋……」

 声をかけながら、紫雲が雷韋の肩に手を置こうとしたときだった。

 それまで閉ざされていた目が大きく見開き、肩に置かれようとしていた紫雲の手を払い除けたのだ。昼間なら細く尖っている瞳孔が、興奮のためか、丸く大きく開いている。夜という事もあるだろう。雷韋の目は猫目だ。明るいときには瞳孔が絞られ、暗くなると光を求めて開く。それでも今の雷韋の瞳孔は、大きく広がりすぎている。

「雷韋、どうしたんだ」

 陸王が穏やかに声をかけてやると、雷韋は陸王の方へ目を向けて言った。

「みんな、みんな散らしてくれ。みんなの悪意で精霊が狂い始めてる」

「みんなってのは、下の連中のことか?」

 雷韋はそれにうんうんと何度も頷いた。その様は、まるで怯えきっているものだった。手は耳から離れ、自分の両腕を抱くようにする。

「で、精霊が狂い始めてるってのはなんだ。どんな精霊だ」

「外にも、ここにも、どこにでもいる」

 陸王と紫雲は辺りを眺めた。目に見えるのはランプ一つで照らされた広く薄暗い部屋と、窓の外には夜の世界が広がっているだけだ。

 陸王は再び雷韋に声をかけた。

「精霊なんてのは俺達には見えも感じられもせん。どういうことになっている。なんの精霊がお前に悪さしてるってんだ」

「闇の精霊だよ。みんなの悪意に反応して、みんなにも俺にも狂気をぶつけて煽ってくる」

 そこまで言うと、また耳に手を押しつけた。それが闇の精霊の声を遮ろうとしている仕草なら、無駄だ。精霊は物質を通り越して声を届けてくる。

「お前、闇の精霊ってのは人に安らぎを与えるとか前に言ってなかったか?」

「そうだよ。安らぎを与える。でも……」

 そこからは呟くようにぽつぽつと雷韋は語った。

 闇の精霊には二面性があると。いや、どんな精霊にでも二面性はある。よく作用すればよい結果に、悪く作用すれば悪い結果になる。自然災害が正に悪い結果として、顕著に精霊の二面性を現す。地震、洪水、山火事、竜巻などだ。精神を司る精霊もいるため、人の精神に異常を引き起こすこともある。

 そんな中で今、闇の精霊は人間の負の感情に影響を受けて狂気を孕んでいる。安らぎを与えてくれる力より、強く負の感情に引き摺られているのだ。その狂気が人に作用し、更にまた人の負の感情が大きくなる。闇の精霊は、そんな悪循環を引き起こしているのだ。それは放っておけばどんどん加熱し、増加する。

 雷韋は細い声で呟いて、やっとそこまで説明した。その後も、精霊の声がよほど苦しいのか、雷韋は獣が敵を威嚇するように喉を唸らせた。

 それを耳にした瞬間、反射的に陸王は一歩飛び退()さった。

 鬼族の唸り声は魔族にとって酷く嫌な音なのだ。魔族以上の魔人である陸王さえも一歩退()いてしまうくらいに。いや、本当ならもっと離れたかったが、雷韋の苦しむ声だと思えば退くのも一歩だった。

「陸王さん、今の声は?」

 陸王は一歩歩を進めて元の場所に戻ると、寝台に片手をついて雷韋の頭を撫で始めた。

「鬼族の威嚇の唸り声だ。心底嫌だと思ったときにでるらしい。本人に出そうという自覚がなくても勝手にな。ついでに言うと、俺はこの声に影響される。唸りを聞いただけで心底ぞっとする。さっき一歩退いちまったのはそのせいだ。魔族に効果があるらしいからな」

 言って、陸王は上体を元に戻そうとしたが、頭に置かれたままの手を雷韋が取った。瞑っていた目を開けると陸王へ視線を移し、懇願してくる。

「一人は嫌だ」

 言った雷韋の瞳は警戒色の黄色に変色していた。

 それを確認して、陸王は落ち着いた声を出す。

「俺は何も言ってねぇぞ。離れるともなんとも言ってねぇだろう」

 苦笑めいた口調で雷韋を宥めた。

「だって、あんた今、下に行こうとしたろ?」

「お前、自分で言ってただろうが。人の悪意を闇の精霊が煽るってな。その元凶を散らせば、精霊も少しは散るだろう。どうだ、理屈はそうだろう」

「そんなの! ……紫雲に頼めよ。あんたと離れたくない。精霊の声が怖いんだ」

 始めは激したかのように叫んだが、すぐに囁くような頼りない声になった。

 陸王はそんな雷韋相手に懊悩の影を見せたが、紫雲がすぐに引き継ぐ。

「私が行ってきます。こちらも疲れていますし、雷韋君の状態がよくないのも事実です。すぐに一人残らず追い返してきますよ」

 それだけ言って片手をあげると、紫雲は階下へと降りていった。

 扉が開かれたとき、聞こえてくる声も大きくなる。階段には窓が一つあるだけで下の扉も閉じているため暗く、そこから闇の影響も大きくなったが、雷韋は必死に陸王の手を両手で握っていた。引き倒されるかと思うほど強く、きつく。

 紫雲が下へ降りていったあと、それまで以上に階下が騒がしくなったが、少しずつ騒ぎは収まっていっているようだった。

 その間、雷韋の身体が小刻みに震え出す。下のことで、何か不測の事態が起きたのかも知れない。騒ぎはほぼ収まったように感じられたが、逆に不満が高まった可能性もある。闇の精霊がもし呼応したとしたら、雷韋が震え始めたわけも理解出来た。陸王も己の目で何が起こっているのか確かめに行きたかったが、雷韋が手を離してくれそうにもない。

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