第五八話 砦の内部事情
陸王は背中を伸ばすように伸びをしてから、厩舎に顔を向けた。
「じゃ、馬を拝借して戻るか」
「そう言えば、私達が乗ってきた馬はどうなったんでしょうか?」
「さてな」
興味もないと言った風に返して、陸王は厩舎へ向かった。
厩舎の中はやはり無人だった。馬が馬房に入れられているだけだ。そのことで紫雲が無断拝借を不安に思って「誰かに知らせた方がいいのでは?」と陸王に提言したが、陸王はまともに話を聞く風でもなく生返事を返しただけだった。そんな事より、陸王は帰ることだけに集中していた。轡をつけていた馬もいたので、鞍の準備だけして陸王はさっさと馬房から馬を連れ出してしまう。
紫雲は陸王の身勝手さに呆れたが、なんだかんだで馬は必要なため、自分も馬の用意をして厩舎から連れ出した。
そこまではよかったが、問題が起きたのは城門でだった。
警備に当たっていた兵士達には、砦の中で起こった出来事のほとんどを知らされていなかったからだ。ただ、夜勤をしていた者達からは深夜、侵入者があったとは聞かされているようだが、邸からは情報が来ていないのだろう。砦内では見知らぬ陸王と紫雲が城門を越えようとやって来ても、当然黙って通してくれるはずもない。城門も、内側の門が閉ざされていた。
元々、砦の中にいた者達にだって、まともな情報が行き渡っていないのだ。塔で事件が起こり、玄芭と玄史、姫が負傷したと聞かされている程度だだろう。そこにもってきて、いきなり邸の中からは屍体が見つかっている。誰も彼も、何が起こったのかさっぱりなはずだ。
ただ、一部の者達には吸血鬼のことが知られているようではあったが。その者達の存在がなければ、陸王と紫雲はこうして放っておかれたりはしない。今頃は逮捕されて、砦の混乱の中、牢に叩き込まれていただろう。
やはり知っている者は知っていたのだ。だからここまで素直にやってこられた。
「とにかく、侵入者の余所者はここから出すなと上から命じられている。お前らを外に出すことは出来ん」
陸王は馬の前に立つ兵士二人に向かって、追い払うように手を振った。
「出すなと言われているが、逮捕しろとは言われてねぇんだな」
「それは……」
陸王の指摘に、兵士は困惑したように言葉を濁す。
「逮捕はしないが、外にも出さねぇってのは変だろう。確かに城門をぶっ壊して砦に入ったのは俺達だし、邸でも騒ぎを起こした。だからそこら辺の事情聴取がしたけりゃ、拘束くらいしろ。それさえしないで、ただ砦に残れってのは変だろうが」
「だが、上からの命令だ。俺達はそれに従うだけだ」
兵士の言葉に不機嫌を表し、陸王は吐く息と共に言い遣った。
「だったら、俺達はどうしたらいいか確認くらい取ってこい。それで拘束するってんなら、そうすればいい。逃げも隠れもしねぇ。ここで待っていてやるから、お前さんらのどっちでもいい。行ってこい」
乱暴に言って、下馬する。紫雲もそれに倣った。乱暴ではあるが、陸王の言っていることに納得出来たからだ。
二人の兵士は目を見合わせてから、片方が駆け足で邸の方へ向かっていった。残された方の兵士は、陸王と紫雲に馬の手綱を渡すように言ってくる。それに素直に従って渡すと城門脇にある小型の厩舎に連れて行かれ、馬はその厩舎隣にある馬柵に繋がれた。繋いだあと、兵士は馬の首を何度か撫でていたが、急に怪訝な顔を陸王達に向ける。と、そのまま走ってやって来た。
「おい、お前ら! あの馬は砦の馬じゃないのか?」
「あぁ、借りて帰るところだった。外の跳ね橋は俺が壊しちまったから、馬に堀を越えて貰うつもりでな」
陸王は素直に認めた。全く悪びれる様子もなく。
「砦の馬を民間人に貸すなんて、誰が許可した?」
「誰も」
「誰も?」
驚いたのか、陸王に向かって顔を突き出してくる。
「貸し出しの許可を貰おうにも、厩舎には誰もいなかった。下男でさえな。だから返却はゴザックかレイザスの村長に頼むつもりだった」
陸王が飄々と返事を返すのを見ていた紫雲は、目元に手をやって「だから言ったのに」と呆れて呟いている。
呆れているのは紫雲だけではなかった。兵士も呆れて口が塞がらないという風に、ぽかんとしている。城門の狭間から覗いている門兵達も渋い顔だった。
兵士がぽかんとしていたのも束の間、
「なんて図々しい男だ」
そう罵りの言葉を吐き捨てて、厩舎とは反対側にある城門脇の詰め所に戻っていった。そこに戻って腕を組んで仁王立ちになり、陸王達を睨み付けている。
それを遠目に眺めつつ、紫雲が陸王に苦言を呈した。
「だから拝借するならするで、誰かに許可を貰えばよかったんですよ。私達を外に出してはいけないという事になっているなら、最初から借りられません。ですが、借りることが出来たのなら、ここで足止めを喰らうことはなかったはずです。ここで捕まるのが分かっていたんじゃありませんか?」
それなのにどうして、と少しきつい口調で言う紫雲に陸王は目を向けもしないで答えた。
「俺達を放置させておいた奴が誰なのか知りたかった」
「どういう意味です?」
怪訝な顔で問うてくる。
吸血鬼を滅ぼしたあと、陸王が邸に入っても、誰にも咎められることがなかった。場が混乱していたのは分かるが、それでも陸王は一目で余所者だと分かる。そんな陸王が邸の奥へ向かっていく間、一度も、誰一人として咎めてくる者はなかった。
誰かが放置しておくように命令していたに違いない。
紫雲が誰に言われて屍体処理の指揮を任されていたかは知らないが、これもまた兵士達は紫雲の指示どおりに動いていたようだった。
「誰かの差し金、と言う事ですか?」
「お前は誰の指示に従って屍体処理なんざしてた」
「あれは領主の弟だったと思いますが、大臣の玄史さんです」
それを聞いて、陸王は紫雲に向き直った。
「意識を取り戻したのか? かなり血を吸い取られていたはずだが」
「確かに。状態は悪かったです」
「姫さんの方も医者が優先して診たと聞いたが」
「えぇ。彼女の方は魔代魔法で眠らされていて、血が穢れていました」
「呪か術か?」
「いいえ。吸血鬼の血を飲まされていたようです。口の中に飲まされた跡が残っていました。それは神聖魔法で払ったのですが、それでも衰弱が酷くて。最低限、栄養分として、生きていられる程度の血液を与えられていたんだと思います」
陸王は聞いて、腕を組むと片手を顎に当てて僅かに考え込んだ。
「玄史は意識を取り戻したんだな?」
「僅かの間だけ。私に、西良という家令に例の場所に案内させろと、それだけ言って意識を失いました」
家令に案内をさせろと言われたが、元々塔にいた兵士や、爆発が起こったことでやって来た兵士に出入り口を塞がれた状態で、どう出て行っていいのかも分からなかった。しかし、兵士を掻き分けてやって来た男がいた。いや、掻き分けてきたのではない。兵士が男のために道を空けたのだ。
男は五十路ほどの細身の男で、髪に白いものが随分と混じっていた。身形もきちんと整えられている。彼は紫雲に目を留めて、挨拶でもするかのように小さく一礼をしてきた。それから階段の方へと手で促してくる。
紫雲も流石に分かった。彼が西良という家令なのだと。そうして西良は場に集まってきていた兵士の中から五人ほどを選び出して、階段を降りていった。紫雲もすぐに続く。どこへ向かっているのかは知らないが、追っていくと、例の地下室に繋がる扉へ連れてこられたのだ。
あとは陸王が見たように、五人の兵士のほかにも塔の爆発に狼狽えている者達を更に引き連れて来て、屍体を地上に運ばせたというわけだ。
西良以外は、誰も彼も地下の惨状に呻きを上げたほどだった。
紫雲だって例外ではなかった。夏の暑さで腐敗が進んだ屍体など、そう簡単にお目にかかれるものではないからだ。
「なら、全てを知っているのはその家令って事になるな。そいつが俺達に自由を与えていたってわけか」
「推測が正しければ、そう言うことになりますね。それに、私に場の指揮を執って欲しいと言ってきたのも家令です」
「吸血鬼の存在を知っていたのは、玄芭と玄史、それに家令の西良か。あと兵士の中にも知っている連中はいるな」
「多くはないでしょうが」
紫雲から目を逸らし、陸王は舌打ちした。玄芭への怒りが再燃したのだ。
「何に対して苛立っているんです?」
紫雲が静かに問うてきた。口調は完全に凪いでいる。
「色々とな」
「そうですか」
そう返したきりで、紫雲はそれ以上口を開くことはなかった。だから陸王も口を利かずに、時間だけがゆっくりと流れていくのをただただ待った。
やがて邸の方へ去った兵士が戻ってきた。それを見つけて、詰め所にいた兵士も出てくる。
「おぉ、戻ってきたか! で、どうなんだ?」
詰め所からやって来た兵士が声をかけた。
ここまで走ってやって来た兵士は、肩で息をしながら駄目だとでも言うように手を左右に振った。
「何もするなと言われた」
「どういうことだ」
「知るか。団長から直接、かかわるなと言われた。かかわらず、出て行かせろってよ」
「嘘だろ?」
「嘘じゃない。……だからお前ら、出て行っていいぞ」
戻ってきた方はまだ息が上がっていたが、手でしっしと二人を追い払う仕草をする。
だが、詰め所からやって来た方は、
「駄目だ、駄目だ。出ていくのはいいとしても、馬は置いて行け。あれは砦の馬だからな。そこらの駄馬とはわけが違う」
そう言って、厩舎の方へと歩いて行き、両腕を広げる。
「馬の一頭や二頭、どうでもいいだろうが。馬がいなけりゃ、空堀を飛び越えられん。第一、このまま連れてどこかへ行っちまうわけじゃない。ゴザックかレイザスの村長に預けて発つつもりだ。連中がここへ連れてくるだろう」
陸王はそう言うと、両腕を広げる兵士を押し退けた。そのついでとでも言うかのように、肩越しに振り返ってもう一方の兵士に「いいだろう」と声をかける。兵士は大きく息を吐き出すと、
「戻してくれるなら、仕方ないだろう。その代わり、必ず返却しろ」
少し怪訝な風に見ていたが、意外とあっさり許可をくれた。
「なら、話は決まりだ。行くぞ、紫雲」
陸王はそれでもまだ陸王の前に立ち塞がる兵士を力尽くで押し退けて、どんどん歩いて行った。あとには紫雲も続く。馬が繋がれている馬柵に来たところで、城門の上から覗いている兵士達の視線も感じたが、それは無視した。
さっさと綱を解くと、二人は騎乗した。それに合わせるように城門が開かれていく。城門まで行くと、跳ね橋が降りていくところだった。今は半分程度降りていて、少しずつ第一の城門が見え始めている。徐々に姿を現してくる第一の城門は、破壊されたままになっていた。当然だろう。破壊されて、まだ半日も経っていないのだから。しかも朝を迎えたばかり。近隣の村から職人を連れてくるのはこれからだ。
第二の城門の跳ね橋が完全に降りてから門を潜っていったが、第一の門にも門兵がいた。外には出ていないが、城門の狭間から陸王達がやってくるのを注視している。少なくとも五人は確認した。
陸王が吹き飛ばした門と跳ね橋は、ほとんど形を留めていない。木っ端微塵の態だった。
それを横目に、陸王と紫雲は馬を駆り、一気に空堀を飛び越えた。二頭は順に着地し、僅かに荒ぶったが、すぐに陸王達の手綱さばきに大人しくなる。そして、街道を真っ直ぐに辿って進んだ。




