第五七話 様々な情け
陸王は馬房の見える木立の下からなんとなく繋がれている馬を眺め、することもなく空を見上げた。空の高い場所に雲の連なりがあり、ゆっくりと流れていく。太陽の日差しも強い。今日は早くも、熱い風が吹き始めている。
流れる雲を目で追いながら陸王は、早く帰ってやらんとな、と腹の中で呟いた。
雷韋を待たせているのだ。小人族の洞に。雷韋とは色々約束をした。その中の一つに、吸血鬼を滅して雷韋の身が安全になったら、必ず迎えに行くと言うものがあった。
今では風球も散ってしまって、連絡を取る手段もなくなっている。陸王は、雷韋に心配をかけてしまったことが心苦しかった。陸王の予想では、自分が魔族の性を現していた時点で風の精霊が散ってしまい、風球が失せてしまったのではないかと推測している。
陸王と雷韋の最後の連絡となったのは、雷韋が風の精霊に耳飾りを預け、それが陸王の元に届いたときまでだ。本当にぎりぎりの状況で耳飾りは届いたのだ。そしてそれ以降、ふっつりと連絡が絶えた。雷韋には、彼の少年が思ったとおりに陸王が正気を取り戻せたかどうかは伝わっていないだろう。今頃、不安を抱えているはずだ。そのことが酷く申し訳ない。
雷韋の不安を払拭出来るのは陸王だけだ。一刻でも早く戻ってやらねばならないと思うのに、まだ陸王はここにいる。それもこれも、紫雲を待たねばならないからだ。いっその事、紫雲を放って戻ってやろうかとも思うが、流石にそこまで勝手は出来ない。それに、紫雲からも聞きたいことがある。
陸王と吸血鬼が塔の外へ飛び出たあと、室内で何がどうなっていたのか。もう深く考えたくはないが、室内には玄芭と玄史、兵士達に愛鈴姫がいたのだ。皆がどれほどの痛手を負っているのか、それくらいは気になる。さっきの紫雲の様子からするに、そう深刻な状態ではないのだろうが。
それでも姫は衰弱していると兵士から聞かされていた。領主と大臣である玄芭や玄史よりも、医師が優先したくらいなのだ。吸血鬼が人質として奪ってからずっとあの部屋にいたのなら、何をされていてもおかしくはない。少なくとも、姫には魔代魔法の眠りの術がかけられていた。姫から魔気の名残のようなものを感じたから間違いない。それは既に紫雲が解いているはずだ。だから純粋に、身体的な問題で医師に優先されたのだろうと思う。子供は回復も早いが、同じくらい衰弱も早い。その辺りのことも、陸王は紫雲に聞いておきたいのだ。玄芭に怒りを覚えたとは言え、陸王も人でなしではない。姫が今回の一連の出来事の発端になっていたとしても、飽くまでも彼女は被害者の一人だ。子供に関しては、気になることや思うところはそれなりにある。
その理由の一つとして、陸王自身も雷韋を抱えているからだ。陸王にとって雷韋は、自分の子供のようでもあり、弟のようでもあった。雷韋個人として見れば、陸王は雷韋を一人前の精霊使いと捉えている。盗賊としてもなかなかだ。なのにその脇で、雷韋を放っておくことが出来ない自分がいるのも確かだった。人として一人前に見ているのに、庇護欲も同時に掻き立てられる。陸王にとってその感情は、なかなかに厄介だった。時に相棒であり、親であり、兄である。雷韋に対して、そんな複雑な感情を抱いていた。
深夜、吸血鬼と相対していた時のことだが、雷韋を精霊使いとしての相棒と信頼できなければ、あんな戦い方は出来なかった。あの時は雷韋を一人前の精霊使いとして、陸王は完全に信頼していた。確かな相棒だったのだ。
それとは逆に、今は不安を覚えているだろう雷韋を、早く迎えに行ってやりたいと思っている。無事な姿を見せ、安心させ、護ってやりたいという庇護欲だ。親や兄弟として、あの少年を捉えている。
その部分で、陸王の中には肉親に近い感情があるのだ。
仮にだが、本当に親や兄弟として始めから雷韋とかかわっていたなら、陸王は何があっても雷韋を護りきるだろう。何かとてつもない問題が起こってどうしても護りきれないなら、最悪、一緒に死ぬ覚悟もある。
だが、そこが引っかかっているのだ。
玄芭のことだ。
娘が人質に取られる前に、どうして護ってやることが出来なかったのか?
確かに相手は魔族だ。簡単に『護り切る』ということも、ただの人族には敵わないだろう。
ならば何故、殺してやることが出来なかったのか?
『飼われる』ということは、即ち殺されるということだ。一度奪われたら、二度と戻ってこない。陸王がもし玄芭の立場だったなら、愛鈴を殺して自分も死んだろうと思うのだ。それで全ての決着がつく。なのに玄芭は他人を犠牲にし続けた。犠牲を出し続けるほど娘が生きる糧であるなら、吸血鬼に徹底的に抵抗するか、それが叶わぬなら共に死ぬかの二択しかない。魔族を相手に、どちらも取らないというのは不可能なのだ。だから陸王は玄芭に怒りを覚えた。
レイザス村で屍食鬼に変じた子供を陸王は殺した。
邸に放置されていた無惨な屍体の山は、惨いという言葉を通り越している。
成らぬ保身の結果があれらだ。村人も大勢殺されている。怒りを覚えぬわけにはいかないだろう。
それらは本当はもう考えたくないことだった。なのに考えてしまう。理由は分かっている。納得がいかないからだ。だから、頭の中でぐるぐる回る。出口を求めて。
出られる出口などないというのに、と詮なく思う。そう思ったところで、陸王の顔に苦笑が浮かんだ。本当に詮ないことだった。出口は陸王が納得するまで現れない。だから本気で誰かに納得させて欲しかった。答えが欲しい。これだと納得出来る答えが。けれど、そんなものは玄芭に直接問い質さない限り、無い物ねだりをするのと同じことだ。彼のことはなるべくなら考えたくない。話はしてみたく思うが、それより先に腹が立つだけだ。
陸王は深く息を吐き出して、「早く戻ってこい、紫雲」と呟くのが精一杯だった。
屍体処理の指揮を任されたと言っていたが、まさか全てを始末するまで面倒を見なければならないという事はあるまいな、と思う。もしそんな事になるのだったら、陸王は一人で先に帰らせて貰おうと思った。厩舎にも誰もいないし、勝手に借りて行ってしまえばいい。借りた騎馬は、あとからゴザックかレイザスの村長から返還して貰えば問題なかろう。人がいないのだからしょうがない。
紫雲を待つ間、陸王は暇に飽かせて様々なことに思いを馳せた。とは言え、どれも益体もないことばかりだ。今考えていたことから別のことへと思いを致して、更にまた別のことへと考えが巡る。何一つ、まともに頭の中に定着しない。思考が空回りすることもあったが、空回りしたとて、何も困るようなことはない。どれもこれもほとんど意味を持たないものばかりだからだ。陸王の頭の中は、めまぐるしくぐるぐると回った。
そうしている内にも太陽は東から中天へと向かって徐々に移動していく。
太陽の位置からして、まだ一時課から半刻ほどしか経っていなかったが、その時間の流れが長いのか短いのか、陸王自身にもよく分からなかった。
待つ事自体を特に陸王は苦手とはしていない。戦では潜伏して、攻撃を有利に運ぶために待つことも多いからだ。だが、今は戦時ではない。緊張感もないから、色々と益体もない考えばかりが浮かんでは消えていった。
待つことを苦にはしないが、いい加減、暇を『暇』として認識し始めた頃、ようやく紫雲が陸王のもとにやって来た。
「すみません、すっかり待たせてしまいましたね。でも、捜したんですよ。貴方がどこに行ってしまったのか分からなくて」
「ここにいるだろうが、ったく」
言いながら立ち上がり、尻から土埃を払う。
「で? 屍体処理の指揮取りってのは終わったのか」
それを聞いて、紫雲が困ったように小さく笑った。
何があったのかと問えば、遺体の処理法で、遺体処理に駆り出されていた隊長達が紛糾したのだということだった。
紫雲は埋葬という手段を執ると思い、各人、例えばらばらに崩れてしまった遺体でも、その人ひとり分の破片まで個別に分けたらしい。が、いざ埋葬の指揮を執るはずの隊長達に現場の指揮を渡そうとしたところで、意見の食い違いがあったというのだ。
有り体に言ってしまえば、埋葬組と焼却組だ。
その時点で、まだ屍体が邸の中から発見された理由は知れ渡っていなかった。
初めに、紫雲が屍体を納めてあると教えられた場所に向かい、そこから発見されて初めて邸の中に屍体があることが周知されたのだ。屍体を地下から運び出した者達はどうして出た屍体なのか、皆、はっきりとしたことは知らなかった。
それは隊長達も同じだ。
そこで埋葬組と焼却組の話になるが、取り敢えずとして、どういう経緯で死人が出たのかは置くとしても、屍体は皆、邸の召使いの服を纏っていた。埋葬組は、遺体本人達は邸の者であるから、懇ろに葬るべきだという考えに立った。逆に焼却組は、例え邸に仕えていた者であったとしても、埋葬するには数がありすぎるし、第一、埋葬するべき場所がないという言い分に立った。その上、屍体の頭は悉く潰されていて、誰が誰だか分からない。腐敗が酷く進んでいるものもある。だから一度に全てを焼却して、合葬するべきだと主張したのだ。
紫雲としては、どちらの言い分も分かる。合理的に考えれば、焼却の方が色々いい面もあると思った。埋葬には時間がかかるし、屍体も腐敗が進んでいて、埋葬してやるにも早くしてやらなければ屍体から疫病が発生する可能性も考えられたからだ。勿論、砦の中で共に生活してきた家族のようなものであるから、顔を潰されていようが、一人ひとり埋葬してやりたいという気持ちになるのも理解出来た。こちらは気持ちの問題である。それ以上に、邸の中で不明者が出ているのは知られている。腐敗や傷で顔が分からなくとも、遺体の姿形からどれが誰だか判明もするのだ。そうなると、余計に気持ちを大切にしたくなってくる。
それで意見が対立し、引き継ぎをするにも余計な時間がかかったというのだ。
結局、これまで屍体を放置してきたこともあり、全て地上に揃った屍体から疫病を発生させないためにも焼却するのが望ましいという、紫雲の進言で決着がついた。
「ご苦労なこったな」
「えぇ、全くです」
言って、肩を竦める。




