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第五六話 燻る怒りと宥めの記憶

 見る光景だけでも地獄なのに、それ以上の事実を知るのも地獄だった。腹の底で黒い感情が蠢く。有り体に言えば、胸くそが悪い、反吐が出る。人質を取られたとは言え、この非常識な贄の数。玄芭(げんば)が何を考えていたのか、陸王(りくおう)には理解出来なかった。

 さっさと紫雲(しうん)を捜し出して、とっととゴザック村に戻ろうと思った。が、地下への入り口に目が釘付けになる。

「これで一人分です。この方は身体がばらばらに崩れていますから、ほかの方の遺体と混ざらないよう気をつけてください」

 言って、指示を出しているのは紫雲だった。鼻から下は白い頭巾で覆っていたが、服装や髪型、声や話し方で彼の人だと分かる。

 陸王が驚きのまま凝視していると、視線に気付いたのか紫雲がこちらへ顔を向けた。鼻から顔半分が隠れているが、向こうも陸王を見つけて驚いているのが分かる。

 紫雲はすぐに軽く片手を上げて陸王に合図を送ってきた。陸王もつられて合図を返しそうになったが、急激に馬鹿らしくなって、ぴくりと反応しかけた腕は下ろしたまま拳を握る。そんな陸王に、紫雲は苦笑したようだった。なんとなく、気配でそう感じた。

「陸王さん、吸血鬼の始末は終わったんですよね? その報告に来てくれた兵士がいたんですが」

 今度は手での合図ではなく、直接声をかけてきた。

「とうの昔に終わってる。それより手前ぇ、こんなところで何してやがる」

 不機嫌も露わに言い遣った。

「遺体処理の指揮だけ任されまして」

 陸王は思わず舌を打っていた。続けて、馬鹿野郎が、と腹の中で毒づく。

「あと七人分ほどの遺体で終わります。外で待っていて貰えませんか。ここ、臭いがきついですから」

 紫雲のあまりもの人の良さに、陸王は苛立ちを通り越して呆れ果てた。苦虫を噛み潰したような表情(かお)をして、その場をあとにする。

 陸王は腐敗臭で一杯の邸から、紫雲に言われるままにさっさと出てきた。本当に胸くそ悪く、反吐が出そうだ。あの腐った空気の中にいるだけで、こっちの方が(はらわた)から腐りそうだと思う。別に死人のことを悪し様に言っているのではない。あれだけの犠牲者を出した玄芭の性根が腐っていると言いたいのだ。同時に、玄芭に(くみ)するような紫雲もどうかしているのではないかと思ってしまう。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、まともなことが考えられない。陸王は自身で冷静さを欠いていると感じた。

 そもそもが吸血鬼にとどめを刺したあとからおかしくなったのだ。知らぬ間に、魔族の本能に引き摺られた。

 おそらくそうだと思うが、雷韋(らい)が風球で送ってくれたのだろう紅玉(ルビー)の耳飾り。あれの到着に気付かなかったら、陸王は今頃何をしていたか本気で分からない。悪ければ人を殺していたかも知れないのだ。時折、陸王は魔族の本能に引き摺られることがある。今朝のように。

 その苦さを噛み締めて、陸王は上着の内懐から赤い石のついた耳飾りを取り出す。

 涙型に整えられた紅玉の耳飾り。

 これは以前、陸王があの少年に買ってやったものだ。雷韋に贈った『鳩の血(ピジョンブラッド)』は、紅玉の中でも特上の品だと言う。宝石にはそれほど詳しくない陸王が、紅玉の耳飾りを選ぶならどれがいいかと宝飾店の店主に尋ねたところ、『鳩の血』が一番品がいいものだと勧めてくれたのだ。その時はたまたま雷韋が暴走しかけていたときでもあった。陸王の目の届かない場所で、勝手に行動する可能性があったのだ。雷韋は対であり、陸王にとっては魂の半身だ。決して失えない存在。失ったが最後、陸王の生命も失われる。だから勝手なことはしてくれるなと、諫める意味も込めて買ってやった。何よりも、雷韋が欲しがっていた時期でもあった。

 陸王は雇われ侍故に実入りがいい。侍はこの世で一番の剣技と精神性を持っていると言われている。契約期間中だけだとしても、君主に高い忠誠心を見せる。戦に出でれば、そこらの傭兵のように簡単に逃げたり、引くこともない。ぎりぎりまで戦い抜き、そのまま生命を落とす者すらある。それ故に雇われ侍は引く手頭で、一般的な傭兵が金貨一枚で雇われるところを、雇われ侍は金貨五枚という高額で雇われるのだ。高い場合は一日につき、金貨五枚。少ない場合であっても、一戦(ひといくさ)、金貨五枚だ。出陣すれば出陣するほど、支払われる金額は上がっていく。

 だから雇われ侍として生きてきてこの方、陸王は金に困ったことがない。普段の生活もいたって質素なものだ。だからと言って、質素倹約を旨としているわけではない。単に金の使いどころを知っているだけだ。侍は皆そうだ。重要な情報を買うときや生命にかかわる事柄に対しては、決して出し惜しみはしない。

 雷韋に紅玉の中でも最高級だと言われる『鳩の血』の耳飾りを買う時も、出し惜しみはしなかった。雷韋の行動如何によっては、陸王も生命の危険に晒される。謂わばあれは、未来への投資だった。欲しがっているものの中で買ってやるなら、高品質のものの方がいいだろう。陸王にとって、宝飾品を買うということは高価な買い物の内に入る。普段の陸王自身の生活とは縁のないものだからだ。しかし、雷韋が間に挟まるならそうでもない。欲しがっていた耳飾りを買ってやることで生命の保証が出来るなら、随分と安い買い物と言えた。

 高くて安い買い物の効果は絶大だった。雷韋が無茶をしなくなったわけではない。陸王の心を鎮めるために、雷韋は耳飾りを使ったのだ。

『鳩の血』と呼ばれるだけあって、本当に鮮やかな血の色をしている。

 紫雲とはまだ付き合いが浅いが、出会った当初、殺し合いになった。紫雲は修行(モンク)僧で、魔物や魔族の調伏を役目としている。対して陸王は、魔に連なる者だ。陸王が魔族の系譜だと知った紫雲は、陸王を殺そうとした。その時、陸王は紫雲の鉤爪の攻撃で、腹に大穴を開けられたのだが、それが引き金となって、魔族の本能に引き摺られて紫雲をたったの一撃で半殺しにした。放っておけば死ぬ怪我を負わせたのだ。それだけに留まらず、更に念入りにとどめまで刺そうとした。

 そこに割って入ったのが雷韋だった。買ってくれた『鳩の血』の耳飾りのように紅い瞳になっていると指摘して、陸王を正気に戻してくれたのだ。あのときの衝撃は忘れられない。雷韋を引き留めるために使った小手先の技が、そのまま自分に跳ね返ってきたのだ。痛いところを突かれた。それ以上に、血の色を表している石が己の中の狂気を鎮めてくれたのだ。

 今回もまたそうだった。陸王の大きな掌の上にちょこんと鎮座している耳飾りを、雷韋はまた自分のために使ってくれた。片方だけだが送りつけて、陸王を正気に戻してくれたのだ。

 恥ずかしい話だが、雷韋の心遣いは正直心地いい。あの小さな少年はいつだって真っ直ぐに陸王を見ていてくれる。陸王の中の正気も狂気も全て受け入れて。それが陸王には何よりも心地よいのだ。

 決して存在を否定されない安堵を得られる。

 耳飾りを見つめていたら、自然と雷韋のことに思いが至り、玄芭のことで乱れた心がいつの間にか静まっていた。

 陸王は一度大きく深呼吸してから、肩越しに背後の邸を振り返った。深夜からたった一晩いただけなのに、妙に長く滞在したような、それでいて、陰鬱な印象を残す場所に思わされた。確かに陰惨な場所ではあったのだが、一口では言い表せない暗い何かを想起させるのだ。

 陸王は、駄目だ、と己を叱咤した。やっと落ち着いた心に、再び暗雲が立ち込め始めたからだ。顔を前方に戻し、心の中の靄を散らすように(かぶり)を振る。もうこれ以上、この邸とも砦ともかかわりたくなかった。

 邸から離れて、陸王は厩舎のある方まで歩いて行った。帰るにも馬が必要だ。跳ね橋を兼ねる城門を壊してしまったせいで、また馬の力を借りて空堀を飛び越えなければならない。

 やれやれと呟いて、厩舎の近くにある木立の下に腰を下ろす。

 木立のもとからは厩舎の中の一角が覗えた。馬房がいくつも連なっていて、それぞれに馬が繋がれている。今は時間ではないのか、面倒を見る者の姿はなかった。いや、それだけではない。人気そのものが辺りにないのだ。そう言えば、邸の方には大勢の兵士達もいたが、こちらに歩いてくる中で兵士の姿は見ていなかった。下男のような男の姿もない。

 皆、屍体処理に借り出されてしまったのだろうか。数は正確に数えていなかったが、屍体が並べられている廊下へ出たときには少なくとも一〇体。それから運ばれて追加された屍体を合わせれば、二〇体ほどは屍体があった。あれを全て処理するとなると、かなり大がかりなことになる。それだけに、人手はいくらあっても余るという事はないだろう。

 と、陸王は不意に嫌なことを思い出してしまった。

 腐敗する屍体のことだ。見ようとも思わずに見た屍体だったが、どれもこれも見事なまでに腐敗して、どこにどんな風に虫が湧いていたかまで鮮明に思い出してしまった。鼻先に臭いまで甦りそうだ。

 陸王は慌てて頭を振り、嫌な記憶を追い出した。

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