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第五五話 自身の危機と邸の危機

 見つけた赤は、小さい。

 だが、やはり赤い色だ。

 身体が自然とその赤い色を手に取ろうとする。

 指先が触れる。硬く、温度はない。

 指先で摘まんで、拾い上げてみた。

 見た事がある。

雷韋(らい)……?」

 小さく言葉が出る。己で口に出した言葉に、陸王(りくおう)の意識は完全に現実へと引き戻された。

 手にしているのは、涙型の紅玉(ルビー)の耳飾りだった。それも片方だけ。片方だけだが、それを雷韋の耳飾りだと確信する。

 ──赤

 ──紅

 その時、突然、心臓が鷲掴みにされたような気がした。ぎゅっと心臓が縮み上がる感覚だ。実際にはそんなはずはないのに、その感覚だけが陸王の身体の中で暴走した。同時に、まずいと目を閉じる。

 ついさっきまでの、おかしな感覚に耽っていた自分を思い出したのだ。血の匂い、死の匂いに惹かれていた自分を。

 落ち着けと、何度も腹の中で繰り返す。

 見られていなかったか? と静かに目を開け、吸血鬼の亡骸を灰に帰する朝陽が昇るのを共に待っている兵士達へと視線を向けた。

 彼等は仲間と一緒にいるというのに、それぞれ視線を外して俯き気味に立っていた。口を開いている者もいない。

 陸王のやったことに対して、皆、気を逸らせようとしているのだろう。ぎこちなく、妙な気の遣いあいがそこにはあった。

 皆の様子はおかしいが、陸王の正体に気付いて様子がおかしくなっているわけではないようだった。

 なによりそのことに心底、安堵する。

 どの瞬間かは分からないが、きっと瞳が紅く変じていたはずなのだ。吸血鬼にわざと見せつけた以外で、紅く変化した感触が残っていた。変化していた間の時間感覚は残っていなかったが、誰か一人にでも見られていたら危なかった。

 それにしても、全てを思い出させてくれたのは、雷韋の耳飾りだった。一体、どうしてこれがここにあるのか?

 陸王の足下に落ちていたのは確かだが、いつこんなものがこんなところに──?

 ふと気になった。雷韋だ。今、どうしているのかと。

『雷韋?』

 意識を雷韋の側へと向ける。だが、雷韋へ向けた意識に反応が返ってこない。心の内で、はっきりと名を呼んでもみた。幾度も。なのに繋がらない。もっと確かな感触が欲しくて、陸王は内懐を探ってみた。風球を収めてあるからだ。けれど、そこには何もなかった。いや、幾許かの金を入れた財布はあるが、珠玉らしいものがなにもないのだ。球体の存在がなくなっている。はっとして、紫雲(しうん)の名をも呼んでみた。それにも反応が返ってこない。吸血鬼を殺すまでは、雷韋とも紫雲とも意思の疎通が出来ていたのに、今は出来なくなっている。

 そう言えば、と思い出す。風球は数日の間しか存在できなかったのではなかったか? ある程度日が経つと、風の精霊が散ってしまうのだとか。紫雲から、そんな事を聞かされた覚えがある。

 だとしたら、時間切れだ。

 陸王は思わず溜息をついた。あと一刻(約二時間)でも早く効力が切れていたら、もしかしたら、まだ吸血鬼との決着をつけていられなかったかも知れないと思ったのだ。

 吸血鬼とまともに殺り合ったとしても陸王は負ける気はしなかったが、雷韋との連携があったからこそ、あそこまで上手く吸血鬼を嵌められたとの自覚はあった。

 もう一度溜息をついてから、陸王は髪を掻き上げた。が、半乾きになっていて、半ば固まっていた。ごわごわして気持ちが悪い。それにべたついてもいた。血を頭から被ったのだから致し方ないが、それでも気持ちはよくない。早く陽が昇ればいいと思った矢先、城壁の向こうから陽が差してきた。

 朝陽に当たって、陸王を汚していた吸血鬼の血液が青白い炎によって、半ば燃えるようにして灰と化していく。

 陸王が吸血鬼の屍体に向いたときには、既に場の者の視線は屍体に集まっていた。首を断たれた屍体は音もなく燃え上がり、見る間に灰となって風に流されていく。地面に出来ていた血溜まりも、蒸発して綺麗に消えてしまった。

 その様子を証人になると言ってこの場に残った兵士達と陸王の計九人で、確かに確認した。

 兵士達の中から、溜息が漏れる。

「吸血鬼って、本当にいたんだな。伝承の中の生き物かと思っていたが」

「領主様達の意識がなかったって言うのも吸血鬼のせい、か……」

 今更ながら、ぽつりぽつりと兵士が口を開く。だから陸王も言ってやった。

「もう終わったことだ。吸血鬼はご覧の通り灰になって散ったし、あとは卿と大臣殿が無事であれば、それだけで万々歳だろう。死んだ者は帰っちゃ来ねぇが、生きているってことが重要だ」

「あぁ。それは確かにそうだな」

 陸王の言葉に対して、静かに頷く者もいる。

「あんたはこれからどうするんだ? レイザスの村長と契約してるって言ってたが」

「これからゴザックを経由して、レイザスに向かう。卿の目が醒める頃、また来るさ。報酬を貰いにな」

「そう言えば、どうして吸血鬼は砦に逃げ込んできたんだ?」

 その辺りを知らない者も砦には多いだろうが、それは陸王が説明することではない。玄芭(げんば)玄史(げんし)の役目だ。第一、陸王だって身内を人質に取られたと予想を立てただけで、本当のところは知らなかった。レイザス村を贄にしていたことも陸王から言うことではない。玄芭がどう出るかは知らないが、必要とあらばレイザスの樸人(ぼくと)村長が暴露するだろう。村長にはその権利がある。いや、襲われた村の者皆にか。

 そう考えて、陸王は余計な事は言わず、適当に返答を返してから紫雲を捜しに邸へと向かった。紫雲がいなくとも村には戻れるが、そんな事をしたら雷韋に何を言われるか分かったものではない。あとから戻ってくるだろう紫雲にもだ。

 なんとなくだが、紫雲から嫌味の百連発くらいは喰らいそうだと感じる。自分で予想を立てておいてなんだが、全く嫌な気分になった。

 と、そこで思い出したことがあった。塔を破壊して吸血鬼と落ちてきたときには、兵士達がわらわら集まってきていたが、いつの間にか塔の周辺から人が消えていたのだ。その理由は分からなかったが、邸の入り口に向かうと、破壊されたままの扉から邸の中が覗えた。やたらと人がいる。兵士だけではなく、召使いの姿も多い。召使いが多いのはそれだけ邸が大きく広いからだろうが、兵士の数まで多いのは何故だ。領主の容態が悪いからばかりとは思えない。

 入り口に近づいていくと、中から強い腐敗臭がしてきた。むわっと鼻につく嫌な臭いだ。甘いような、苦いような独特な匂い。それに、腐敗臭に混じって刺激臭もする。こちらは鼻をつくような臭いだった。どちらにせよ、腐敗にかかわる異臭だ。

 陸王は異臭のする邸の中に入っていったが、誰にも咎められることはなかった。皆、それどころではないと言った風情で動き回っている。

 玄関付近の内装は、扉が破壊されているだけで以前に見た光景と変わらない。大理石の床に、柱には紗が掛けられている絢爛さだ。その映えとは真逆に、異臭は強くなった。虫も大量に飛び回っている。飛び回っていると言うよりも、どこからか湧いていると言った感じだ。

 実は、先だって玄芭を訪ねてきた際と、夜中やってきたときにもこの異臭は微かにしていた。しかし、前者の時には自由行動など出来なかったし、昨夜は血臭を追うことが最優先だったため、異臭については考えないことにしていたのだ。

 玄関先にもいたが、泣いている者がかなりいる。様子は、一人で顔を覆っていたり、身を寄せ合って泣いていたりと様々だ。それも男女関係なく。僅かに女の方が嘆いている向きが多いかも知れない。

 そうやって泣いている者もいるが、召使いの中にも慌ただしく駆け足で行ったり来たりしている者達もいた。兵士の姿は玄関よりも、邸奥に大勢いるように思えた。

 陸王は誰にも咎められないのをいいことに、異臭が強くする方へと足を向けた。紫雲はおそらく、医者と一緒に玄芭達についているような気がしたのだ。だから多少放っておいてもいいだろうと。

 臭いの元を辿っていくと、兵士が彷徨(うろつ)く姿が多くなる邸の奥に向かっていくことになった。それに臭いの元を辿ってきたからか、もう鼻が麻痺するほど酷く臭いが辺りに充満していた。臭いに目が刺激されて、自然と涙が出てくる。それほど強烈な臭いだった。邸のどの辺りなのか判然としなかったが、虫がいるだけではなく鼠も出始めている。いきなり足下を走り抜けるから、驚くし、歩きにくい。

 とある廊下に、それはあった。

 広めの廊下だったが、そこに屍体が何体も並べられていたのだ。並べられている数だけで、一〇体以上ある。臭いも今まで以上に強烈で、その臭いの元が屍体だ。皆、この夏の暑さで腐敗しきっている。皮膚は変色し、ぶくぶくに膨らんで体液を流している屍体もあれば、鼠に囓られたか、骨が露出している屍体もあった。辛うじて服を身に着けているから、男か女かの区別だけはつく。

 屍体が並ぶ奥に目を向けてみれば、地下への入り口があることが分かる。兵士の出入りがあるので、そこが地下への入り口なのだと判別できた。屍体はそこから運び上げられてくる。一体一体板に乗せられて、ゆっくりと丁寧に。全部で何体の屍体が出てくるのか知らないが、兵士の話し声が聞こえてきたので、まだまだ地下にあると知れた。兵士の話によれば、古い屍体になればなるほど腐敗が進み、板にも乗せられない状態だということだ。

 暗澹たる気持ちになる。この屍体達は吸血鬼の被害者だろう。皆、頭を潰されているのだ。屍食鬼(グール)になる前に潰されたのだろう。あの化け物は、村の者だけでは飽き足らず、邸の者にも手を出していたのだ。屍体になった段階で頭を潰されているとすれば、これも贄の一部なのだろう。

 そして思う。吸血鬼とはどれだけ貪欲なのかと。そもそも、吸血鬼が現れたのはここ半月程度だ。その僅かな間に、村の犠牲者以外にも、これだけの贄がどうして必要になるのだろうか。普通の魔族も食欲旺盛で貪欲だが、この短期間にこれほどの被害を出せるものではない。戦場に湧く魔族であれば、人間の軍、敵味方合わせて二万人兵士がいるとして、それを数週間ほどで食い尽くすことはある。だが、あれは一度に大量に湧くからだ。一匹、二匹の話ではない。下位魔族が大量に湧いて人を襲う。人間も無抵抗で殺されるわけではないから、魔族の数もある程度は減る。それでも人間は狩られるのだ。ほぼ全てが。特に戦場に湧く魔族は数で圧してくるから始末が悪い。下の下である下位魔族は一体一体の強さは微々たるものだが、魔族としてはその分数が多いのだ。それ以上に異常な繁殖能力も持つ。人を襲いながらも、その裏で産み出される魔族も多い。それを加味して考えても、人を食い尽くすには二、三週間ほどかかる。戦場でそれなのだ。吸血鬼一匹で如何に大量の食料を要するか、考えるのも恐ろしい。それ以上に、あまりにも馬鹿げた数だ。一体、日に何人の生命が必要だというのか。

 村を襲ったあとにも、邸で贄を出させていたのだろうから。

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