第五三話 生命懸けの約束
陸王は爆風に乗って落下したあと、地面に落ちて溜まった塔の瓦礫の上に危なげなく着地していた。けれど、吸血鬼がどこに行ったのか、すぐには分からなかった。吸血鬼の血臭はしている。崩落時の煙で姿を確認する事は出来ないが、血臭は何故か辺りに留まるように漂っていて、本体を辿ることが出来なかったのだ。
瓦礫のない場所にはいないことは分かる。そこらに放り出されているなら、血の匂いで辿ることが出来るからだ。
おそらくは瓦礫の下になっているのだろう。銀の長剣で心臓を串刺しにしたから死んだのか、雷韋に起こさせた爆破で死んだのか、それともまだしぶとく生きているのかの確認は必要だった。
塔の瓦礫が陰になって、視界が悪い。
そう思って足場の悪い場所を移動していると、遠くから松明の明かりが近づいてくるのに気付いた。砦の兵士達だろう。いきなり塔が爆破して崩落したのだ。何事かと調べに来るのは当然の成り行きだった。
陸王は別に隠れる必要もないため、堂々と根源魔法で光の球を顕した。辺りが一気に明るくなり、思っていたより広範囲に塔の瓦礫が散らばっていることに気付いた。光を上方へ移動させて塔を眺めてみると、三階から二階の半ばまで壁が崩れている。三階の方は床が広い範囲で崩れ去っていた。と、崩れかけている塔の上方に、陸王は人の影を見つけた。
明かりを更に上へ移動させると、そこには紫雲の姿があった。
『陸王さん、無事でしたか? 爆発が起こるなんて、何があったんです』
紫雲の声が脳裏に響いてくる。向こうも光の球が根源魔法のものだと知って、そんなものを使っているのは陸王だろうとすぐに悟ったのだろう。
陸王は一度小さく溜息をつき、
『爆破は雷韋にやらせた。火影の力の一つだ』
どこか義務的に答えた。それに対して紫雲が、陸王がずっと雷韋と連絡を取り合っていたのかと質問してきたので、面倒だがそれを説明しなくてはならなくなった。
紫雲からしてみれば当然のことだが。
雷韋が今いるのは村ではない。小人族の洞なのだ。と言っても、今では森の中にある子供達の秘密基地として機能している穴蔵だが。
雷韋はそこで光竜の匂い――大地の匂い――に護られながら、じっと陸王からの連絡を待っていたのだ。小人族の洞に雷韋がいることは紫雲も知っていたが、陸王からの連絡を待っていることまでは知らなかった。まさか雷韋が参戦してくるとは。それはそうだろう。陸王でさえ、雷韋に連絡を入れるかどうかを躊躇っていたのだ。下手に雷韋と連絡を取っている最中、魔気を受けたら大変なことになる。陸王が受けた魔気を、精霊が伝えてしまう可能性もあるのだ。だから陸王は吸血鬼と相対している間、ずっと雷韋とは連絡を取っていなかった。雷韋にも、陸王から連絡があるまでこちらの様子を窺うなと言い含めてあった。
だが、二度目に吸血鬼に肺を傷つけられ、吉宗で殺されるとなった時、陸王は雷韋に呼びかけた。初めから、合図をしたら火影を風の精霊に乗せて送ってくれと取り決めてあったからだ。そのお陰か、連絡が行った途端、雷韋はこちらの様子を瞬時に把握して、吸血鬼を磔にしてくれた。雷韋にとっては咄嗟の判断だったろうが、彼の少年は上手くやってくれた。
火影は武器という物質の形をしているが、本来は火の精霊の凝ったものだ。風の精霊なら火の精霊をここまで運んでくれると思った。結果としてそれは出来たが、成功した理由もちゃんとある。風球を使っている間は雷韋はまだ風の精霊魔法しか使えないはずだが、火の精霊は雷韋の守護精霊だ。
守護精霊は種族ごとに異なるが、誰にでもついている。生まれたときから人族を護ってくれる精霊を守護精霊という。
精霊使いの雷韋なら、守護精霊を雷韋の意思だけで動かせる。火の精霊に対する命令が特にいらないから、風の精霊についていくよう意識してやればいい。つまり、風の精霊に火の精霊を纏わせることが出来るという事だ。それを狙って、陸王は雷韋に連絡を取り、吸血鬼を磔にした。見事、作戦は大成功と言ったところだ。
ただ、これを実行するに際して、陸王と雷韋の間で約束があった。本当にどうにもならなくなったら、陸王は無理はしないで雷韋に頼ると約束した。口約束にならないように、「生命を賭ける」と陸王から明言した。雷韋もそれで納得してくれた。それだけでなく、雷韋自身も陸王の合図を待ってから行動に移ると「生命を賭けて」約束したのだ。陸王の不利になるような真似はしないと。陸王が合図を送ってくるまで、無断で様子を確認することすらしないと約束したのだ。
陸王と雷韋は対であり、魂の半身同士。どちらが欠けても残された方は、人として寿命を全うできない。だから互いに生命を賭けたのだ。これだけは決して破れない誓いだ。何よりも尊重しなければならず、重い約束になる。
紫雲が知らなかったのはこの程度のことだ。
今夜は一人残していく雷韋の安全を図って、見張りがつけられた。助祭と村長に頼んだのだ。雷韋の血を染み込ませた布きれに、吸血鬼が惹かれるかどうか分からなかったからだ。その策は成功だった。上手く布きれの方に吸血鬼が反応してくれた。
定かではないが、本当に雷韋の言ったとおり、少年の匂いを大地の匂いで隠すことが出来たのかどうかだが、結果として雷韋は無事だったのだ。分からないが、効果自体はあったのかも知れない。
『それで火影を使ったと言う事ですか?』
紫雲はどこか困惑げに問うてくる。
『雷韋の精霊魔法は同時に二つの精霊を従わせることは出来ないが、火の精霊なら守護精霊なだけに同時に使えるだろう』
『それは確かに。ですが、それならそれで一言ください』
不満げに返してくる。
『知らせて、お前にまで余計な事をされても困るんでな』
『信用されてないんですね』
『実際、お前は俺が殺されそうになったとき、何も行動に移せなかっただろうが。つまり、そう言うこった』
紫雲にも言い分はあるだろうが、陸王の言うとおり何も行動に移せなかったのも事実だ。流石にそれ以上の文句も質問も、紫雲から返ってくることはなかった。
それで勝手に話を終わらせ、陸王は吸血鬼を捜し始めた。瓦礫の陰や瓦礫の下などを。
そうしているうちに、本格的に人が集まってきた。光の球の明かりは強かったが、松明の数も多くなり、辺りが更に明るくなっていた。
「おい、貴様、何者だ!? お前が砦に侵入した賊か! 塔を破壊したのも貴様だな?」
瓦礫を見て回っていた陸王に、突きつけられる剣と共に、乱暴な声がかけられる。
陸王は髪を掻き上げて、そのまま頭をがりがりとやりながら返事を返した。
「賊じゃねぇつもりだが、賊かもな」
なんともいい加減な返事だったが、こう答えるしか手がないのも事実だった。何しろ、城門を破壊して無理矢理侵入し、邸へは馬で乗り込んだのだから。しかも馬は転んだままに放置してきた。滑り込んできた馬体に巻き込まれて、怪我をした者も出ているだろう。下手をしたら、死人まで出ているかも知れない。
そんな事は陸王の知ったことではないが。
陸王のいい加減な答えを真に受けて、兵士達の雰囲気が悪くなった。気配が攻撃的になったのだ。
「よし、そこを動くな! 逮捕する」
剣呑な声が飛んできた。それと同時に、瓦礫の周囲を兵士が囲み始め、中から三人が進み出てきた。手には縄が握られている。
陸王を逮捕するつもりの連中だろう。
「待て」
陸王はさっきとは全く違う、威圧的な声を出した。
それに圧されたように、進み出てきた三人が足を止める。
「今はまだ、あまり近づかん方がいい。化け物がこの瓦礫の下にいるだろうからな。死んでいるのを確認するか、とどめを刺すまで待っていろ。そのあとでなら逮捕なりなんなりすればいい。抵抗はしねぇさ」
「化け物? 何を馬鹿なことを!」
三人のうち、一人が鼻で笑って再び歩き出した。
それを見て、陸王は溜息をつく。逃げ出したくなるほどの現実を見せつけるか、馬鹿は死ななきゃや治らないというやつかと腹の中で呆れ果てた。呆れはしたが、もし吸血鬼が生きていて突然彼等に襲いかかれば大変なことになるとも思う。紫雲なんぞと連絡を取り合っていないで、さっさと屍体でも生きている吸血鬼でも探せばよかったと後悔した。
「だから待てと言っている」
陸王は呆れに混ぜて苛立ちも見せた。
それでも近づいてくる三人に対して、改めて耳に届くような言葉を放つ。
「なら、どうしてエリエレス卿が塔の三階で倒れたままなんだ? 大臣殿も殺されかけたが、それは知っているか? それとも今夜、俺と連れがやって来てから、卿と大臣殿の姿を見た者はこの中にいるのか? 彼らは生きてはいるものの、化け物の犠牲になったんだ。それに俺は、卿に雇われている」
陸王の言葉に、周囲を取り囲んでいる者達も三人の兵士も顔を見合わせ始めた。ざわりとどよめきも走る。
「なんでもいい。化け物がいるという俺の言葉が信じられんのなら、塔の三階まで行ってこい。そこで卿と大臣殿の姿を拝んでみりゃ、本当か嘘かが分かるだろう。ここは本当に危険なんだ。俺の用が済むまで誰も邪魔をするな」
陸王は言うだけ言って、瓦礫の山を崩しだした。傍まで来ていた三人も知ったことではない。忠告はしたのだ。それでも聞かないのなら、何がどうなっても自分のせいではないと思う。
そんな事を思いながら瓦礫の山を相手にしていると、兵士達の何人かが塔に様子を見に行くだのなんだのとやり始めた。
陸王はそれを聞き流しつつ、ある一箇所の瓦礫を山の上から外すようにして落としたとき、つんと鉄錆びた臭いを強く感じた。
間違いなく血臭だ。
陸王の中で緊張が高まった。近くにはまだ兵士達が彷徨いている。陸王の様子を窺ってくる視線も感じていた。
人が多すぎる。
果たして、この辺りの瓦礫を崩して死傷者が出ることはないだろうかと、不安が込み上げてくる。吸血鬼が生きて現れたら、どうなるか分からない。
いや、それでも生死を確認しなければならない。犠牲者は出したくはないが、まだ対応策はある。早い段階で解呪すれば、後遺症も残りにくくなるのだ。
死んでいてくれと、陸王は心のどこかで思いつつ、瓦礫の山を少しずつ崩し、邪魔なものを退けていく。
血臭はいよいよ強くなってきた。よく見れば、血液らしき赤黒い液体が地面に筋を書いている。この場所で退ける瓦礫は、地面に激突して斜めに突き立った細長い石材だけだった。それを左側に力任せに倒すと、ようやく地面が見えた。見えたのはいい。地面だけならば。
眼下から、血の滴った紅い瞳が陸王を睨み上げている。喉の奥からは、低い獣じみた唸り声も上がっていた。




