第五話 出立
光竜によって世界に人族として一番始めに生み出され、神格を与えられた鬼族にとっても魔族は絶対の敵なのだ。天使族が天から堕天すると魔族に転化し、人族、その中でも特に鬼族を最上級の餌として喰らうと言う呪いが発動する。そのせいで、鬼族は魔気を僅かに食らうだけで血液が真っ黒に濁って、昏倒してしまうのだ。その昏倒した時を狙って、魔族は鬼族を喰らう。鬼族が魔気から逃れるためには、身体のどこかにあらかじめ傷を作っておいて、魔気によって変質した悪い血液を排出する意外に手段はない。悪い血を即座に排出する代わりに、身体は正常な血液を素早く大量に作り出す。
鬼族にとって、ただの魔族でそれなのだ。鬼族だけではなく、ほかの人族も吸血鬼と目を合わせれば一瞬で昏倒し、魔気を受けた後遺症も残りやすいとされている。
魔族を天敵としている鬼族の雷韋が、吸血鬼の濃い魔気を食らったらどうなるか分からない。鬼族の雷韋に関してだけは、吸血鬼の魔気でどうなるか未知数なのだ。
「雷韋君はいけません。君に何かあったら、対である陸王さんもどうなるか分からないんですよ。それは理解出来ますね」
紫雲の宥める言葉に、雷韋は無言だった。
雷韋がもし死んでしまえば、魂の半身である陸王も即座にではないが、気を病んで遠くない未来に死ぬことになる。『対』は一心同体なのだ。魂の根底で繋がっているとの意味は、どちらか一方が欠ければ、もう一方もただではすまないと言う意味だ。魂が繋がっていると言うことは、そう言うことなのだ。この世の誰にとっても、『対』は絶対的に必要だった。『対』のいない者はいない。必ずどこかで生まれているのだ。例え離れた場所で生まれても、魂は知らずに引き合って出会う。陸王と雷韋もそうだった。生まれも育ちも全く違う場所、種族でさえ違うのに出会った。魂の条理で『対』が出会うことは決まっているのだ。
出会ってから、もしくは、出会う前であっても、片割れが死んでしまったら人は静かに狂って死んでしまう。これが魂の条理だ。どう頑張っても動かしようがない現実。対極が死んでしまったら、残された極も死ぬのだ。
だから雷韋には何も言い返せない。自分がもし死んでしまったら、遺された陸王も人としての寿命を待たずにやがて死ぬ。それは嫌だと思うのだ。
「でも、あんたにだって対はいるんだ。まだ出会ってないってだけで。一人で行って殺されたりしたら、遺された対は紫雲にも会えないで死んじまう。いくら紫雲が修行僧で神聖魔法が使えるって言ったって、危ないじゃんよ」
雷韋はどこか拗ねたような声音で言った。その中には、心配する気持ちが多大にある。
神聖語は天慧と羅睺の言葉であり、神聖魔法は神の起こす御業である。魔族を縛めるための技なのだ。魔族にとっては呪いの言葉でもある。
紫雲は雷韋の頭に乗せていた手を退かして、一度瞼を瞑ってから言い含めるようにゆっくりと言う。
「それでも私は修行僧であって、調伏者として魔族のことを知っていしまった以上、やらなければならないんです。相手がどんな化け物であっても殺さなければ」
紫雲の言っていることは雷韋にも理解出来た。修行僧は魔を調伏する者だからだ。それでも心配で紫雲を見つめていると、突然、陸王が口を開いた。
「やめろ、雷韋。お前が死んだら俺も道擦れで死ぬ。俺はまだ死にたかねぇぞ」
「でも! 困ってる人がいるんだろ? ヤバいんだろ、吸血鬼って」
「そうだ。ヤバい。だからこそ、首を突っ込むなと言っている」
陸王は渋い顔で言い遣るが、雷韋は険しく眉根を寄せて陸王を見遣った。
無言の抗議だ。
二人は暫く黒い瞳と深い琥珀の瞳をぶつけ合わせていたが、やがて陸王が先に目を逸らした。さも面白くなさげに舌打ちまで出る始末だった。
弱いのだ、雷韋の無言の抗議に。対だから、問答無用で願いを叶えてやりたくなるせいもある。己の半分の魂が望むことなのだ。理性では止めたくても、理性で本能を容易に押し止めることは出来ない。こんな時、すぐに迷いが出る。
対の魂の弊害だ。
「ったく……」と苛立ちにも似た言葉が出て、そのまま続いた。けれど、それは雷韋に対してではなかった。
「吸血鬼に襲われてるってぇ村はどこだ。領主はこの村とは別なのか?」
陸王の問いは村人に向けられたものだった。問いに、すぐさま答える者があった。宿の主人だ。
「この辺りはエリエレス領と呼ばれているが、襲われているという村も同じ領内の村で、レイザス村というところだ」
「化け物に襲われたんなら兵が出るはずだが、それはどうなんだ」
「分からない。なにせ、吸血鬼に襲われたと伝えてくれたのは、この辺りを数ヶ月ごとに回っていく行商だからだ。その行商が見た限りでは、子供の頭に杭を打つ光景だったとか」
「屍食鬼か。吸血鬼の犠牲者だな」
「多分、そうだ。ほかにも大人が二人、頭を破壊されていたとも。行商は村の者達から逃げるように言われたらしい。己の身が大事なら暫くここへは来るな、とな」
「そいつはいつ頃の話だ」
問われて主人は僅かに考え込んだ。
「半月ほど前だったかねぇ……。昼間村を発ったと思ったら、夜遅くなって行商が戻ってきたんだよ。それ以上のことは何も分からんなぁ。領主様が兵を差し向けてくれて、吸血鬼を退治してくれたかどうかまでは」
宿の主人はそこまで言ってから首を振り、更に続けた。
「いや、なんの音沙汰もないってことは、今、一体どうなってるのか分からんね。もう、村として機能していないかも知れないし、まだなんとか保っているのかも知れない。わたしにゃ、それ以上は何も言えんよ。正直、こっちへ来ないか気味が悪いが、吸血鬼ってのは餌場を決めるんだろう? だったら、レイザスの連中には堪えて貰うしか」
陸王もそれを聞いて一旦考え込んだが、すぐに新しい問いを投げかけた。
「村の規模としてはどのくらいだ」
「こことあまり変わらないはずだ。五、六〇人いればいい方じゃないか?」
主人はさほど考えたような感じではなかった。人口は主人の当て推量ではあるが、比較的大きいと言われる村はその程度の人口が多い。辺鄙な土地では、もっと人が少ない村もあるのだ。おそらく、この近隣にもそんな村はあるだろう。
雷韋は陸王が何を考えているのか理解出来ず、不安げに問うた。
「なぁ、陸王? 何考えてる? もしかして、村の人達を助けに行くのか? だったら、俺だって……」
「お前は駄目だ。俺は……」
瞬間、言葉に詰まるようにしてから無理矢理言葉を繋ぐ。
「金になるようだから向かってみるつもりになった」
「金にって、あんた!」
雷韋は非難がましく声を荒げた。陸王は横目に見遣る。
「本当なら、俺達はかかわるべきじゃねぇ。それでもだ。金になるなら助けてやらんこともないって話だ」
何故なら、陸王は雇われ侍だからだ。
雇われ侍とは、傭兵と同じように国に金で雇われて戦う侍のことだ。時には大きな領地を持つ領主に雇われることもある。侍の剣技はこの世で最も優れていると言われ、侍を雇いたがる国や領主は多い。
雇われ侍である以上、金が動くなら相手をしてやろうと思ったのだ。ただし、金が動かないのなら、陸王も動かない。なんと言っても、村の者達は陸王達からしてみれば赤の他人であり、無償で助ける義理はない。
もし領主が兵を出していたとしても、失敗に終わっているだろう。ただの人族には魔族の相手は無理だ。それが上位の亜種であれば尚更。村の人口から考えても、今では随分と人が亡くなっているはずだ。それを出に使って、陸王は領主から金を出させるつもりだった。
だからこそ交渉の余地があると言えば、
「だったら、俺だって行きたい。もう半月も経つって言うけど、村の状態が知りたい。俺にもなんか出来るかも知んないじゃん。俺は魔術が使える。村は……最悪、手遅れなのかも知んないけど」
雷韋が無謀なことを言い出した。
陸王は腕を組んで、雷韋の言葉を退けた。
「上位の魔族は簡単には死なん。そして、お前が相手取るには最悪すぎる。村の人間が五、六〇人もいるとなれば、村自体はまだ助かる見込みはある。吸血鬼ってのは、一晩に一人か二人襲う程度だと聞いているからな。狙いが女子供だけだとしても、まだ生きてる連中はいるだろう」
「じゃあ、村と直接契約でもするつもりかよ」
雷韋の口調は詰る調子だった。人助けなら、金を取る必要はないと思っているからだ。雷韋の場合、純粋に人助けをと考えている。
「言っただろう。それも視野に入れているが、出来るなら領主と契約をしたいと。魔族相手に、いくら兵卒を送っても無駄だからな。無駄死にを避けたければ、俺達に金を払う方が確実だ」
「そりゃ、あんたと紫雲なら大丈夫だと思うけど、でも、あんたは俺の生命の綱なんだぞ。あんただっていつも言うじゃんか、俺は陸王の生命の綱なんだって。だから無茶するなって」
雷韋の気持ちは分かっているが、それは置いて、陸王は雷韋の頭を無言でぽんぽんと撫で叩いてやった。それから紫雲に目を向ける。
「紫雲も、これで文句はあるまい」
「いいでしょう。雷韋君が安全であるなら。ですが、お金が出るにせよ、出ないにせよ、私は魔族と対峙するつもりでいます」
「お前ならそうなるだろうな。魔族は放っておけまい」
「当然です」
「金が出ない場合、俺は雷韋を連れて一足先に行く。行き先は教えるから、あとから追ってこい」
紫雲は陸王の言葉に頷いて、ちらと雷韋を見た。少年は随分と気落ちしている様子だった。両手で掴んでいる、水の入った杯に視線を落としている。その肩をぽんと叩いて、紫雲は席を離れた。同じく席を立った陸王と共に二階に上がっていこうとした時、それを遮るように宿の主人が声をかけてきた。
「あんたら、まさか行くつもりかい? これから? そこの坊主を一人置いて?」
陸王は階段を上る間際、
「面倒を置いていくが、宜しくしてやってくれ。ただ、俺は金にならんようならすぐに戻って、ここを出ていく。早ければ、明日中には戻ってくるだろう」
そう言い置いて、階段を上っていった。
陸王のあとに続こうとした紫雲だったが、階段手前で足を止めると、主人に声をかけた。
「ご主人、吸血鬼に襲われているという村までの道を教えて貰えますか」
「本気なのかい?」
「えぇ、そのつもりです。私は修行僧ですから、魔に連なる者を放っておくことは出来ません」
主人は眉根を寄せて、紫雲の暗褐色の瞳を見つめていたが、やがて一つ頷いた。
「分かったよ。出立の用意を調えている間に、簡単な地図を書いておいてやろう。私の記憶が正しけりゃ、素直に辿り着けるはずだから」
紫雲は主人に微苦笑を向けてから、「有り難うございます」と礼を言って二階へ上がっていった。
陸王も紫雲も行ってしまい、残された雷韋はただ黙って杯を両手で握っているばかりだった。陸王が階段を上っていった時も、紫雲が上っていった時も、振り返りもせずに。
その周りでは村の男達がまだ少年に奇異の眼差しを向けていたが、雷韋にはそんなものはどうでもいいことだった。