第四話 異種族と人外種
陽が落ちてきて、橙色に光は変わりつつあった。開けっぱなしの窓から流れ込んでくる風も、昼間と比べて少し涼しくなっている。
大量に料理を注文した雷韋の食事も終わって、雷韋があーでもない、こーでもないと色々話を展開していると、村の男達がまるで示し合わせでもしたかのように、酒場兼宿屋にどやどやとやって来た。
突然現れた一群に陸王達三人が顔を向けると、相手方も見掛けない旅人の姿に驚いているようだった。中の一人が「珍しいな、旅の人か」と呟くのが聞こえた。男達は一様に三人の姿を見てから各自好きな席に座って、主人に酒の注文をし始める。エールやらワインやら、中には水という者もあった。暑かったからだろう。
実は今日は陸王達も、三人揃って水を注文していた。下戸の雷韋が水を注文するのは分かるが、陸王と紫雲は酒には強い。それでも水なのは、暑かったせいだ。
酒には利尿作用がある。飲めば、身体から必要以上に水分を排出させてしまい、暑い日にそれは危険なことだ。だから三人は酒でもミルクでもなく、水を飲んでいた。水は酒より少々高くつくが、身体のことを考えれば仕方ない。特に寝起きに喉が渇いていると言っていた雷韋は、二杯目の水を飲んでいるところだった。
男達がそれぞれに酒や水を酌み交わしながら話に花を咲かせている中で、雷韋も負けじとくだらない話を続ける。毒にも薬にもならないような、はっきり言って、どうでもいいような内容の話だ。雷韋がそんなどうでもいい話をすると、どうしてか急に面白くなるから不思議だった。旅の道行きでもそうだ。深い話でもないのに、深く聞こえたりする。それもひとえに、雷韋が一所懸命、楽しげに話すからだろうと陸王は思っていた。
と、熱心に話している雷韋の様子を窺っている男がいるのに陸王は気付いた。隣の席の男だ。五人で卓についている男の中の一人。胡乱な眼差しを雷韋に向けていることから、異種族がどうのと思っているのだろうことは窺い知れた。
雷韋の耳は人間族と違い、少し尖っている。獣の眷属の特徴だった。
それを見ているのは分かっていたが、陸王はどうにも男に声をかけずにはいられなかった。
「おい、なんださっきからこっちを見て。何か面白いものでもあるのか」
いきなり陸王が男に尖った声をかけたことに驚いて、雷韋は話を中断し、ほかの席の話までもが中断された。当然、雷韋を見ていた男の席でも会話が途切れる。
「陸王?」
雷韋が声をかけるが、陸王は男から目を逸らさなかった。陸王が睨め付けるように見遣る男の卓で、そこに着いていたほかの男達が一点に視線を集中させる。
雷韋を胡乱な目で見ていた男に、酒場にいた男達の視線も集中した。
だが今では男は、面白くなさげに雷韋から視線を外していた。
そいつに向かって陸王は言う。
「このガキが異種族だから気に食わなかったか?」
剣呑な声音で問うも、男は視線をずらしたままだ。陸王の言葉に返す様子もない。
それどころか、陸王が異種族と言ったせいでか、ほかの男達がざわめきだした。
──異種族。
──異種族。
──異種族。
酒場中でそんな声が上がり始める。
人間族が信仰する宗教、『天主神神義教』の教義のせいだ。
教会ではこう教えている。
──主は唯一であり、神の生み出しし子は人間族だけである。他の人族は混沌から生まれ出でた種であり、交わる事を禁じる──
人間族はこの教えに則って、獣の眷属を『異種族』と呼んで蔑んでいるのだ。
この世界は原初の神、光竜によって創られた。天地開闢は光竜の力でなされ、植物も動物も光竜が創り出したのだ。光竜は世界を整えたあと、様々な人族を自分の姿に似せて生み出した。
それが『獣の眷属』だ。
光竜が人族を創り始めた頃、世界には昼も夜もなく、常に昼であり、夜であった。混沌の胡乱な光で覆われていたためだ。
それが当たり前だったが、光竜が開闢したアルカレディアに光と闇の兄弟神が現れた。光の神を天慧、闇の神を羅睺という。この二柱が混沌の中からアルカレディアにやって来て、世界にはっきりとした昼と夜、光と闇をもたらす代わりに、この世界に住まわせて欲しいと光竜に申し出た。光竜はこの兄弟神を快く迎え、それから世界に光と闇、昼と夜が作られた。更に兄弟神は光竜が人族を創っているのを見て、自らも人族を作った。それが人間族と天使族だ。人間族は地上に降ろし、天使族はこの世とは次元の違う天上世界へと上げた。
その光の神である天慧を崇める宗教が『天主神神義教』だ。人間族にとって天慧は絶対だ。自分達、人間族の創造主なのだから。
この世界が神世から人世に移り変わったあとに、人間族自らが天慧を崇める宗教を作った。
闇の神である羅睺を祀る宗教はない。
人間達の中には天慧は太陽であり、羅睺は夜を照らす月だという認識があるだけだ。裏を返せば、天慧の裏側には常に羅睺の影があるという事でもある。この二柱は切り離せない存在だった。
今では、世界を創ったわけでもない天慧を人間族が崇め、宗教を作り、ほかの人族を差別している。
人世になって、『天主神神義教』が作られてから、何万年もずっとだ。
どんなことがあろうとも、神々は人族に上下を作らなかった。どの種族であろうとも、人族として世界に平等だった。
なのに人間族が作った宗教は、人族に上下を作った。
今、雷韋が『異種族』と呼ばれて、村の男達に蔑まされているのはそのせいだ。神々でさえ上下を作らなかったのに、寿命が短くこの世で最も儚い存在である人間族が地上を覆って、この世界の王者として君臨しているのが現在の世界の間違ったあり方だ。
陸王はそれが気に食わない。別に雷韋が対だから、特別に差別を嫌っているというわけではない。元々だ。元々、人間族の差別意識が嫌いだっただけだ。
「このガキが獣の眷属だからなんだ。異種族がどうした。何かお前らにしたってのか」
そう言われてしまっては、人間達の方も何も言い返せない。別に獣の眷属に何かされた覚えもないのだから。ただ純粋に、教義に従って差別をしていただけだ。個人個人の単位では、一言だって恨み言などない。実害はないのだから。
雷韋だって、たまたまここにいただけだ。悪さをしたわけではない。人間と同じように寝て、起きて、食べて、と言う人としての生の循環をそのまま体現しているだけだ。
要するに、ただ普通に生きているだけ。
人族として、当たり前に。
陸王の言葉に気圧されていた中から、ぽつりと声が上がった。
「まぁ、いいんじゃないか、異種族くらい。吸血鬼ってわけじゃない」
誰かが言った『吸血鬼』という言葉に反応したのは紫雲だった。
「吸血鬼じゃないからいい? どういうことです」
周りを見回しても、誰も紫雲とは目を合わせようとはしなかった。皆それぞれ、視線は手元の杯に注がれている。それでも紫雲は問いかけた。
「まさか、どこかで出たんですか? 教えてください。それが本当なら、放ってはおけない。私は修行僧ですから」
修行僧という言葉に、数人がのろのろと顔を上げた。その中の一人が言うのだ。
「あんた達はどこから来たんだい?」
「南にある城塞都市からです」
「あぁ、あの国ね。大きな街道も通ってるのに、またこんな辺鄙な場所へよく来たもんだ」
「興っていようが廃れていようが、そんな事は私達には関係ありません」
それを聞いて、もう一人が紫雲に声をかける。
「あんた、本当に修行僧なのか?」
「えぇ。今は装備を外して身軽でいますが、修行僧です」
「ふぅん、本物かい。吸血鬼が本当にいたとしたら、どうするんだい?」
「調伏します」
紫雲ははっきりと告げると、立ち上がった。
「調伏するって、あんた達、三人でかい?」
「いえ、この二人は修行僧ではありませんから、私一人で行くことになるでしょう」
「紫雲!」
雷韋が急に慌てたように名を呼んだ。
紫雲は雷韋に柔らかい笑みを向ける。
「君はどんなことがあろうとも連れて行けません。相手は上位魔族の亜種です。そんなものを相手にして、君がまともに立ち回れるとは思えません。これは私の役目です。魔物や魔族の調伏は修行僧である私の変わらぬ使命ですから」
「でもさ」
言い募ろうとする雷韋の頭に手を乗せて、紫雲は穏やかな声音で言った。
「これは私の役目であって、陸王さんにも君にも関係のない話です。この村で待つか、いっその事、城塞都市に戻っていてくれても構いません。必ず生きて帰りますから」
その言葉に、雷韋は酷く心細げな顔をした。
吸血鬼とは、堕天使が魔族に転化する時、特に上位魔族に転化する際に稀に現れる変異種のことだ。非常に数が少なく、修行僧達が住む寺院でも、書物にさえ目撃例が極めて少ない。情報がほとんど残っていないのだ。元々、魔族自体、存在こそすれそれ、ほとんど出現しない。修行僧が調伏するのは、ほとんどが魔物だった。だから、吸血鬼は半ば伝説上の生き物と言えた。だが、現れると非常に厄介なことになると伝わっている。
吸血鬼は魔族だが、ほかの魔族と違って、一度に一人ずつに対してしか魔気を発することが出来ない。
魔気とは魔族が発する瘴気の一種だ。通常、魔族のばら撒く魔気というのは広範囲にばら撒かれ、長時間、魔気に当たることで人族は心身に異常を来す。
しかし、吸血鬼の放つ魔気は対象が一人に限られているため、その分、即効性があり、濃く強烈なのだ。吸血鬼と目を合わせることで魔気は対象に対して発されるが、魔気を浴びせられた者は一瞬にして意識を失い、心身共に異常を来す。一度に放たれる魔気が濃い分、後遺症も残りやすいと言われている。
しかも、吸血で死に至った者は屍食鬼となって蘇り、生きている者を襲う。屍食鬼に襲われた者もまた、屍食鬼になる。もしも生きて噛まれた場合は、早い段階で天慧と羅睺の言葉である神聖語で解呪されれば問題はないが、放っておけば、屍食鬼になる。また、吸血鬼に吸血されて死亡した者には解呪は効かない。屍食鬼を殺すには、頭に杭を打ち込んで頭部を破壊するほかないと言われている。
更に吸血鬼は、一箇所を餌場にするとも伝わっていた。例えば一つの村だ。都市部へは現れないと聞く。
農村で獲物を漁って、獲物がいなくなればいずこかへ姿を消すらしい。その場合の獲物とは若い女や子供だ。
女子供が全て殺されてしまっては村落は衰退する。子供を産んで育てる女がいなくなれば、次世代を担う子供がいなくなれば、必然的に村は立ちゆかなくなる。その為に、吸血鬼に襲われた村は廃村になることも多々あると伝えられていた。
それを紫雲は雷韋に語った。どうあっても目の前の少年を連れて行くことは出来ないからだ。
言い伝えにある中でも、これだけ危険なことが伝わっているのだ。実際に相対した時、更に何があるか分からない。特に魔気の部分は強調した。
雷韋は種族的に、魔族とは最悪の相性だ。何しろ魔族は、雷韋の種族である鬼族を最上の獲物として喰らいたがる。人族全体からでさえ、魔族は天敵と見做されているのに、鬼族も魔族だけは最低最悪の天敵としているのだ。
魔族は人と同じ姿をするものもあるが、それはほとんどが仮の姿だ。人外種であり、人族の絶対の敵が魔族という化け物だ。そこには人の条理も何もない。本能だけで生きるだけの化け物なのだ。