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第三六話 強引な救出劇

 納屋の内と外で司祭や助祭達が延々聖典を読んでいる間、何事も起こらず、夜半課(やはんか)(午前零時)にかかる頃、突然、陸王(りくおう)の背筋に冷たい感覚が伝っていった。この冷たい感覚は吸血鬼が現れたときと同じものだ。

 ばっと立ち上がり、陸王は広くて狭い納屋を見て回る。等間隔に配置した見張りの男達に変化はない。昨夜のように、靄のようなものにも霧のようなものにも気をつけたが、そんなものは見当たらなかった。

 そうしている間にも、僧侶達は何事もなく神聖語(リタ)で聖典を朗読している。聖典の内容は頭の中に入っているのだろう。朗読しながらも、急に動き出した陸王に視線をくれる。

 納屋の中には怪しいところは微塵もない。と言う事は外かと、閂を掛けずにおいた扉を押し開けて急いで外に出てみるが、吸血鬼の気配はそこからも感じられない。大きな納屋の周りに篝火が焚かれて、見張りの男達がいるだけだ。確かに背筋に走る気配そのものは感じているのにだ。

 納屋の周りをぐるっと巡ろうとしたとき、唐突に思念が届いた。

 雷韋(らい)の悲鳴にも似た思念だ。

 即座に、向こうに行ったかと思い、しまったと宿に向かって反射的に駆けだした。

 雷韋の名を頭の中で繰り返し呼ぶも、雷韋からは恐怖の思念しか伝わってこない。陸王の名を思念に乗せることすら出来ずにいる。

 こちらからしつこいくらい雷韋に呼びかけるが、対する反応はない。代わりに返ってくるのは、恐怖心だけだ。

 骨身に染み入るような恐怖心。

 骨の髄に氷を突き刺されているような、痛みにも似た恐怖心。

 けれど、少なくとも思念が返ってくると言う事は、意識を失ったり死んだりしていない証拠でもある。そのことに多少の安堵を感じつつも、懸命に陸王は宿へ急いだ。納屋から宿まではそれほど遠くない。陸王の足なら、三分とかからないだろう。

 いや、もっと短くて済む。

 走って、走って、走って。

 宿が闇の中で、更に濃い闇溜まりのように見えてきた。

 と、新月の星空の中に黒い影が舞い上がった。それはまるで、闇溜まりのように浮かび上がった宿から舞い上がったように見えたのだが、その時になって気付いた。さっきまで必死に雷韋に呼びかけていたが、宿へ向かって走ることに手一杯で、今現在は雷韋との交信を疎かにしていたことに。

 陸王は宙に躍り出た影を見上げながら、心の中で雷韋の名を何度も呼んだ。(いら)えは返ってこないものの、雷韋の精神は今、緊張と恐怖の絶頂にあることが分かる。こんな精神状態では、雷韋は何も出来ないだろう。陸王に返事を返すことすら不可能だ。魔族を相手にした鬼族はこうなる。完全に、蛇に睨まれた蛙だ。

 少なくとも雷韋はそうだ。

 それが手に取るように分かる。

 そして、雷韋の居場所。

 それはあの影だ。星の光を遮って宙を舞う影と共にある。月がないため、姿を(しか)と確認することは出来ないが間違いないと思う。地と宙の差はあるものの、陸王との距離はそれほどあるわけではない。

 陸王は宿まで辿り着き、吉宗の刃を引き抜いて宙を行く影に向かって袈裟懸けに斬り付けた。それにより、吉宗の刀身は空間を断つような低音を立てて斬撃を飛ばす。

 夜の闇をゆく影を睨め付けながら陸王は、感覚的にしっかりとした手応えを感じていた。

 空中から血の匂いが流れてくる。血の匂いは雷韋のものではない。雷韋の匂いとは全く違う。

 間違いなく、昨日のように蝙蝠にでも化けているだろう吸血鬼の流したものだ。匂いに覚えがあった。その途端、影からひらっと舞い落ちてくるものが見える。地上十メートルにも満たないほどの位置からだ。同時に、異様に濃い魔気が放たれるのを感じた。

 陸王に放たれたものではない。重たい衝撃がなかったのだ。代わりに、雷韋との交信が完全に途絶える。

 空中に放り出されたのは、意識を失った雷韋だった。地上六、七メートル辺りから落ちてくる。

 抱き留めなければ大怪我をする高さだ。意識を失っているなら尚のこと。

 落下してくる雷韋に陸王は飛びつくように宙で雷韋の身体を抱き留めたが、力の入っていない人の予想外の重さに、着地に失敗した。陸王は飛びついた形のまま雷韋を抱えて、右肩を殴打するように地面に投げ出された。

 雷韋諸共、地面を削りながら滑る。

 落下の衝撃をもろに喰らった形になった。辛うじて雷韋を庇い、己の頭も打たないよう庇ったのは戦い慣れているからだろうか。どんな形で倒れ込んでも、すぐに身構えられるように自然と身体が受け身を取ったのだ。

 陸王は、倒れ込んでも雷韋を手放さなかった。吉宗は途中で放り投げたというのに。お陰で、吉宗が耳鳴りに似せて鳴いて自己主張する。

 自分はここにいると。

 手放すなと。

 吉宗は意思持つ刀――神剣だから。

 陸王はすぐに起き上がって、星明かりのもとで雷韋を見た。

 頼りない明かりのせいだろうか。雷韋の顔から血の気が引いている。意識は当然ない。魔気を食らったからだろう。人間族でさえ、濃い魔気は心身に障るというのに、魔気に弱い鬼族の雷韋が喰らったらどうなるか。

 後遺症どころの話ではないかも知れない。死んでいてもおかしくはないが、辛うじて呼吸があることにはすぐに気付いた。それでも呼吸は細々しい。

 陸王は雷韋を地面に横たえると、取り敢えずとばかりに鞘から小柄を抜いて少年の腕に傷をつけた。

 鬼族は魔気に当たると血が黒く濁ってしまうのだ。魔気を食らう前にあらかじめ身体のどこかに傷をつけておけば意識を失うことは避けられるが、傷をつけていなければ、普通の魔族の魔気でも意識を失ってしまう。なのに、特別濃い魔気に冒された。そのせいで意識を失っている。

 レイザスでの犠牲者達のように。

 手当には魔気を抜くことと、身体に傷をつけて濁った血を抜いてやる方法があった。魔気を受けると、脊髄から正常な血液が大量に作り出されるからだ。悪い血液と正常な血液を交換するために。

 しかし、雷韋の腕に軽く傷をつけただけにもかかわらず、陰惨なことが起こった。

 まるで動脈でも切ってしまったかのように、勢いよく血が噴き出したのだ。地面はあっという間に黒い血に(まみ)れた。鬼族である雷韋の血は魔族には甘い匂いに感じられるはずが、まるで腐ったような臭いに変わっている。

 陸王は慌てて自分の腰帯を解き、鞘や小柄をうち捨てて雷韋の腕を縛った。それもあっという間に黒く染まってしまう。

 目の前の出来事に、唖然とする。傷口をきつく縛っても、どんどん血が溢れてくる。

 やはり濃い魔気は、予想以上に雷韋の身体に変化を与えていたようだ。この出血の勢いからすると、いくら身体が新たな血液を迅速に作り出そうとも、雷韋が失血死してしまう可能性も出てきた。

 そこで陸王は、気功法で雷韋の身体の中を調べてみることにした。

 気功法は身体の中の気を巡らせることで、病の状態を調べ、必要な気の流れを促し、早期に治す効果があるのだ。雷韋の胸に片手を当て、気を巡らしてみる。雷韋の今の状態は、ある意味、毒や病に冒されているのと同じようなものだからだ。

 そして知った。

 脊髄から作り出される血液も、真っ黒な不浄の血液であることを。正常な血液が全く作られていないのだ。それで身体は不浄な血液を排出しようと、小さな傷口から一気に血を吐き出したのだと理解した。

 このままでは本当に死んでしまう。

 陸王は焦りながらも、最後の手段に出た。

 神聖魔法(リタナリア)を使うことだ。神聖魔法であれば、魔気は呪いとして捉えられる。精霊魔法では、毒として捉えられる。今の陸王に使える魔術は、神聖魔法だ。それを使えば、解呪することが出来る。解呪が成功すれば、雷韋の身体から食らった魔気を全て、一気に排出することが出来るだろう。そうすれば、身体は正常な血液で満たされる。この異様なまでの出血も治まるはずだ。

 陸王は僧侶ではない。本来なら、僧籍を持つ者だけが神聖魔法を使うことを許されている。そう教会での戒律にあるのだ。しかも、人間族と天使族、悪魔族だけが神聖語を使える。ほかの人族には言語が違うために習得出来ない。そもそも、神が与えし真名がない。言葉が違うだけでなく、創造主が違うから、真名のない光竜(こうりゅう)の眷属には使えないのだ。

 人外ではあるが、魔族も天慧(てんけい)羅睺(らごう)の系譜だ。陸王の魂にも()()とは言え、真名が刻まれている。魔族だけが使える魔代語(ロカ)は神聖語の逆発音の言語。理屈から言えば、魔代語を更に逆に唱えて神聖魔法を発現させることは可能なのだ。

 今は一刻を争う。まだここには誰もやってきていない。今現在のこの村に於いて僧侶以外には使えないとされる神聖魔法だが、陸王が魔代語を逆に発音して解呪するなら、ほかに誰もいない今この時しかなかった。

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