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第二四話 静かなる叱責

「領主殿よ、昼間訪れた侍に連れはなかったですかな?」

「侍が一人で来たが、修行(モンク)僧もいるとか、そんな事を言っていた」

「ほう。そう言うことは早く言って貰わねば。今夜、私の身に危険が及んだのですよ」

 吸血鬼は気分を害したように口にする。ねっとりとしていながら、とても冷たい言い口だった。

「お陰で、この私が危うく囚われるところでした」

 言って、玄芭(げんば)にぬめる(あか)い瞳を向ける。

 玄芭はその瞳に捕らえられた。それまではどこか逸らされていた視線が、真正面から向けられる。紅い瞳を見てしまい、玄芭はぞっと恐怖した。

 吸血鬼に真正面から瞳を見られるということは、魔気を食らう可能性があるということだ。いや、それ以外で吸血鬼は真正面から人族の瞳を見ない。見られたと言う事は、取って喰らわれることを意味する。恐怖のあまり、玄芭は背を粟立たせた。じっとりとした脂汗も肌から吹き出してくる。

 玄芭が恐ろしいことを頭に巡らせていると、不意に吸血鬼は視線を逸らした。気分を害したようではあったが、急に口調が柔らかくなる。

「領主殿よ。今夜は獲物を捕らえられなかった。贄を二人。若く美しい女性を。いや、この際だ。若く美しい男でもよいな。贄を二人、提供して頂きたい」

 玄芭は視線を逸らされたお陰で、自然と止まっていた息を吐き出すことが出来た。未だ、背の粟立ちは消えていないが。いや、贄を要求されたことで、背中の粟立ちはより強くなった。

「邸の者を差し出せというか」

 震えそうになる己を鼓舞して、敢えて強く言う。

「たった二人。一人、二人だけです。思わず、手折ってしまいたくなる贄を」

 粘ついた口調で言いながら、吸血鬼は斬られた腕の治療を始める。根源魔法(マナティア)の回復の術だ。それを言霊封じで発現させる。手を翳しているところから素早く傷口は塞がっていった。斬られた洋服も、傷が治っていくのにあわせて元に戻っていく。服も身体の一部なのだ。

 魔族は須く人外だ。だから人の姿をしていない。それでも上級の魔族は人の姿に近い。人外だが、上位魔族の吸血鬼も人と同じような姿をしている。

 陸王がそうであるように。

 下級の魔族は本来人の姿ではない。それらは人の形に擬態することが出来るものもいるが、その場合、身に纏う服も己の肉体の一部だった。服が切り裂かれれば肉体の一部だから、当然そこから血が流れ出る。

 吸血鬼は上位魔族の亜種だが、彼等も下級魔族と同じように自らの肉体を変化させて服として身に纏えるのだ。

 変化(へんげ)の能力を持っているためだ。

 肉体を様々な形に変えることが出来るように、わざわざ服を身に着けることはない。服があると、却って変化の邪魔になるからだ。

 玄芭は目を逸らされたことをいいことに、天蓋付きの寝台へと目を遣った。

 いくら帳の紗が薄いとは言え、昼間ほど明るくない部屋の中では、紗がかかっている寝台の中は窺えない。影になってしまっている。

 あの中にいるはずなのだ。

 娘が。

 玄芭は奥歯を噛み締めた。

「邸の者を差し出せば、娘には何もしないな?」

 その言葉を聞いて、吸血鬼は喉の奥で笑った。

「彼女は私の未来の花嫁ですよ? 花嫁には酷いことなどしません。例えこの牙にかけても屍食鬼(グール)にすらしない。醜く老い始める頃、貴方にお返ししますよ。その場合も、元花嫁ですから、屍食鬼にしてお返しすることはありません。人のままお返しします」

 腕の傷を治し終えて暖炉がある正面を向き、ソファの肘掛けに肘をかけて両手の指を突き合わせる。

 吸血鬼は余裕を持った態度だったが玄芭は焦りを隠せず、右手で拳を作り、その拳をランタンを持つ左手で落ち着かなげに握った。

「ですが……」

 吸血鬼は不意に言葉を継いだ。

「贄をいただけなければ、花嫁の血をいただくことになるかも知れませんね」

「待て!」

 驚き慌てて、玄芭は数歩踏み出した。握っていた拳も開かれる。

「娘はまだ十二だ。お前の腹が満ちるまで血を吸われれば、死んでしまう」

「そうでしょうね。では、贄を。そのあと、未来の花嫁には私の血を数滴与えます。血液というのは糧そのものですからね。数滴でも充分、滋養があります」

 玄芭は言う吸血鬼を慎重に見遣って言葉を発した。

「お前の血を飲ませ続けても、何も起こらないのか? 屍食鬼になるのではないのか!?」

 吸血鬼は玄芭を制するように、片手を上げた。

「私が望まない限り、姫に呪いが降りかかることはありません。丁寧に扱いますよ」

『扱う』という言葉に、玄芭は再び拳を固く握りしめる。

 吸血鬼は姫を返すと言っている。花が満開に咲いている間だけ共に暮らしていくのか、それともどこかへ共に旅に連れられていくのか知らないが、老いて美しさがなくなり、萎れる頃になったら無事に戻してくれると言っているのだ。魔族に目を付けられていても、最終的に親の元に戻れるのならば、それだけで僥倖といえる。

 その言葉が偽りなく履行されるというのならだが。

 所詮、化け物だ。どこまで信じられるか分かったものではない。気まぐれに血を吸い殺されても、屍食鬼にされても、なんらおかしくないのだ。

「お前はいつ領地から出ていくつもりだ」

 玄芭が呟きのように言うのに対して、吸血鬼は心底愉快そうに低く笑った。

「私に与えられた贄の村の女子供がいなくなるまで、と言ったでしょう」

「だが、それも難しくなったと言ったではないか」

「確かに。魔気が効かない侍と、修行僧が出てきましたからね。あの村はいっそ、諦めましょうか」

「ならば、娘を連れて出ていくというのか?」

「それが得策というもの、と言いたいところですが、私の旅はこの先も長い。充分な滋養をつける必要があります。暫く人血を啜っていませんでしたからね」

 それを聞いて玄芭は、右拳を握る左手の指で拳に爪を立てて包み込んだ。

「村は好きにしろ。どれだけ襲っても構わん。だが、娘だけは諦めてくれ。私の生命()だ」

「それは出来ない相談です。私が姫を手放したら、その途端、あの侍と修行僧を連れてくるかも知れない。彼等の存在を知ってしまった以上、姫を手放すことは出来ませんね」

 喉を震わせて、低い笑い声をねっとりと立てる。

 玄芭は一度奥歯を噛み締めてから、もう一度言った。

「始めは、人の血を欲しているお前が娘を人質にしたから、私は村一つをお前に与える事にした。それがいつの間にか、娘を花嫁にするという話にすり替わった。二つもお前に与えなければならない道理はない」

 地獄の底から発するような声音だった。ふつふつと腹の底から湧き上がる怒りに、血涙が出てもおかしくないほど、玄芭の目は血走っている。

「領主殿。貴方も私のことが言えるのですかな? 自分の娘を助けたいが為に、村の者を差し出した。村では肉親や友人をなくしている者が大勢いるのですよ?」

 ねっとりとした口調が、軽やかに歌うような言い口に変わる。楽しかったのだ。玄芭の発する負の感情が、吸血鬼にとっては精神への馳走。それが美味で、余計いじめたくなる。

「私と貴方のどこが違うのでしょう。村人に強いておいて自分は楽になろうとは、都合がよすぎませんか?」

「何を言うか! 本来なら娘はお前の傍にいるべきではない。しかもただの人質から花嫁だと? 巫山戯るのも大概にしろ! まだ、たったの十二だ」

「あと四年もすれば、美しい花を咲かせる。たったの四年です。待つほどの時間にもなりません。それとも、今この場で姫の血を吸い殺しましょうか? その場合、屍食鬼にします。貴方に屍食鬼となった自分の娘を殺すことが出来るのですか?」

 両手の指を突き合わせたまま吸血鬼の言うのに、玄芭は声を詰まらせた。例え屍食鬼になったからと言って、いくらなんでも姫──愛娘の愛鈴(あいりん)を殺すことは出来ない。

「ならば、どうせよというか」

 振り絞るような声音で、玄芭は問うた。

 吸血鬼はどこか満足げに言葉を聞いて、言う。

「標的を変えましょう。それと、また邪魔をされても困ります。侍と修行僧を捕らえてください」

「なんの罪でだ」

「さしずめ、私の邪魔をした罪、と言うところでしょうか」

 そんな罪状が通用するわけがあるまいとも思うが、玄芭は敢えてそれに逆らわなかった。罪状は適当に考えられる。冤罪なのだから、いくらでも罪を(なす)り付けることが出来る。

 それより愛鈴だ。娘のことが気になってしょうがない。昼や夜間、吸血鬼は身体を休めていたり、人を狩りに出たりする。夜、無人の時に愛鈴を救い出そうと何度も試みたが、扉には術がかけてあり、兵士達に理由をつけて、窓から侵入しようとしてもなんらかの不可思議な力が働いて室内に入ることが出来なかった。硝子さえ割れない。

「領主殿、贄を宜しくお願いしますよ。私は空腹だ」

 玄芭は両手で拳を作りながら、声をかけた。

「娘の顔を見せてくれ。お前が来てすぐに引き離された。眠っているのなら、それはそれでいい。一目、会わせてくれ」

 吸血鬼はその言葉に、少しの間考え込むような沈黙を落とした。それまで突き合わせていた両手を離し、左手を顎に当てる。

「まぁ、少しくらいならばいいでしょう。貴方は私にとって、義父(ちち)になるわけですし。そんな方の想いを汲んでやらねば親不孝者と言うもの」

 玄芭は腹の底で罵倒したが、表情にも口にも何も出さない。今はとにかく、娘の顔を見ることが先決だったのだ。

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