第一六話 契約の行方
陸王が村へ戻ると、まだ陽が高かった。流石に近道をしただけはある。その点に関しては、彩加に感謝だった。
領主の邸に着いたのは思ったよりもずっと早い時間だったが、領主と謁見する前に三時課(午前九時)の鐘を延々待ったことや、実際に謁見した時間、そのあとも兵士達とも遣り取りがあった。その分は、当然時間を食うものだった。とは言え、村に戻ってきたのは早い時間であったことに変わりはない。
彩加に連れられて村に戻った陸王だったが、戻ったことを知った村人達にあっという間に囲まれてしまった。陸王は説明するに、詳しいことは省いて、結果だけを話した。
領主はあてにならない、と。
少なくとも協力的ではなかったことだけは伝えた。
それを聞いた村人達は酷く落胆した。
皆、陸王から伝えられた領主の様子に肩を落としている。見限られたと思ったのだろう。辺りには、悄然とした雰囲気が流れているばかりだ。
村長も例に洩れず悄然としていたが、それでも一番早く受けた衝撃から立ち直って陸王に面した。
「陸王殿、領主様との交渉が決裂したということは、最後に村と……私と交渉してくださるのでしたね」
「そういう約束だ」
「では、私の家へ。そこでゆっくりお話ししましょう」
樸人村長は言って、背後を振り返った。そこには人が集まったままになっていたが、村長が振り向いたのと同時に自動的に人垣が割れる。
その間を村長と陸王が歩いて行くのだ。
人垣から抜け出し、陸王は村長と並んで歩き出した。背中に多くの視線を受けたまま。
村人にとって、残る希望は陸王と紫雲の存在なのだ。彼らには、どうか交渉が上手くいくようにと祈ることしか出来ない。
陸王は樸人村長の家に通されて、昨夜と同じように村長の真正面に置かれてある椅子に腰かけた。
椅子に腰掛けて早々、陸王は口を開く。
「で、どれだけ出せる」
金の話だ。交渉しにこの家に訪れたのだから、陸王の口からすぐに金の話が出るのは当然だった。第一、時間もない。もし引き受けるだけの金が約束されれば、陸王も吸血鬼に対して取る策があるのだから、話はなるべく手短に終わらせたかった。
村長は椅子に腰掛けて早々の言葉に少々驚いた顔をしたが、すぐに真剣な顔つきになる。
「どれほどをお望みで?」
「最低でも金貨三枚。本来なら、五枚と言いたいところだ。一戦、あるいは一日に俺達雇われ侍は金貨五枚を稼ぐ。領主にはそう提案したかったが、その前の段階で切られた。だから、安く見積もっても金貨三枚は出して貰う。こっちも生命を懸けるんだ。その程度は当然だろう」
陸王の提案に、村長は渋い顔で俯いてしまった。卓の上で組まれた手には力が入っている。
難しい金額なのだろう。当然と言えば、当然だ。金貨など、一般人がそうそう簡単に拝めるものではない。農民なら尚更だ。大体は銅貨で遣り取りされる。農作物を売りに行った場合、銀貨を数枚手に出来ることもあるが、すぐに銅貨に換金してしまう。村で使われるのは銅貨だけだからだ。どこの村の村長も、村のために金を蓄えているが、自分達村民で使う分には銅貨を使う。蓄えには銀貨が使われるが、半分以上は銅貨だ。宿屋で時折、外の者が銀貨を使うこともあるが、そうして手に入れた銀貨は村長に銅貨に換金して貰うのだ。村長は村長で、定期的に街へ出向いて両替商で両替して貰っている。銀貨を銅貨へ、銅貨を銀貨へと。村長が村人に両替をする際はほとんどただ同然の手数料だが、両替商ではそうはいかない。一割から二割ほど取られる。村で普通に生活していても、時折、銀貨が手元に入ってくるが金貨は流石にない。有り金すべてを換金すれば、金貨一枚近くにはなるかも知れないが、確実に金貨一枚とは言い切れないのだ。
銅貨三〇枚で銀貨一枚、銀貨三〇枚で金貨一枚。
つまり金貨一枚の価値は、銅貨で九〇〇枚ということだ。
金貨三枚は銅貨で二七〇〇枚になる。
銀貨で言えば、九〇枚だ。
村長が渋い顔になるのは当たり前だった。そんな大金は、村長といえども見たことがない。
ここでそんな大金は出せないと言えば、陸王はすぐに村から出ていくだろう。村としては、それも困るのだ。吸血鬼を討って欲しいと願う気持ちが強くある。なのに、それに見合う金がない。じり貧だった。いや、じり貧を通り越して、もうあとがない。陸王に見捨てられたら、それで村はお終いだろう。
昨日の今日で村長は考え違いをしている。陸王が請けないとなったら、同時に紫雲までいなくなると思っているのだ。それくらいには精神的に追い詰められていた。
ただ実際問題として、確かに紫雲一人でどうにかなるものではないのだが。
樸人はやおら立ち上がったかと思うと卓に両手をつき、卓の表面に額がつきそうなほどに深々と頭を下げた。
「今、私の手元に金貨三枚に値するほどの蓄えはありません。ですが、お金はどんなことをしてでも払います。ほかの村から借金をしてでも払います。ですから、なんとか村をお救い願いたい。この通りです」
対する陸王は村長の熱意とは裏腹に、けんもほろろだった。
「借金してまでも、か。だが、目の前に金が全く積まれんのじゃ、信用していいものかどうか。ほかの村だって金を貸してくれるとは限らんだろう。ましてや吸血鬼に襲われている村の頼みだ。相手からしたって、返ってくる当てもなかろうよ」
「確かに、それはその通りなのですが」
村長は僅かに顔を上げて陸王を見、絞り出すように言葉を吐き出した。
陸王は腕を組んで天井を見上げて言う。
「取り敢えず、蓄えを全部もってこい。先にどれだけの蓄えがあるのか調べるのがいいだろう。借金するにしても、なんにしてもな」
「確かにそうですね。少々お待ちください」
村長は苦い溜息を吐き出しながら、その場を立ち去った。少し間が開いて、戻ってきた村長の手には小さめの革袋と箱があった。
村長は小さな袋から先に中身を取り出す。
中から出てきたのは銀貨だった。数えてみると、十七枚ある。
もう一方の箱の蓋を開けると、中には銅貨が半ばほどまでびっしり詰まっている。それも陸王と村長の二人で数えてみた。銅貨は銀貨に換算して八枚分と、銅貨六枚あった。
計で銀貨二五枚と銅貨六枚だ。全部合わせても、金貨一枚にも満たない金額にしかならない。
陸王の顔がうんざりと曇った。
「この近辺の村で、金を借りられそうな村はいくつだ」
村長は少し考えてから答えた。
「領地にはほかに五つの村がありますから……」
陸王はその答えに考え込んだ。五つも村があり、各村落が同じ程度に蓄えているとすれば、借金すれば金貨三枚分は意外と簡単に集まりそうだとは思う。
ただし、貸してくれたなら、の話だ。今の状態では皮算用だ。貸さないという村もあるだろうし、大体が貸し渋るだろう。そんなのは容易に想像出来る。
この村は吸血鬼に襲われて、人口減になっている。魔気に当てられて回復した者でも、どこかに後遺症が残っていて働けない者もあろう。その分だけ、労働力が少なくなっているということだ。そんな村に金を貸して村人が必死に働いても、いつ返済が終わるとも知れない。期限を決めたところで、それが守られるという確約はないのだ。書面にしたためようが何をどうしようが、働ける者が目減りしていることは確かだし、貸した側が期限を過ぎたと言っても、借金の形に取れるものはないのだ。
せいぜい、土地くらいか。土地を取れば、その畑で収穫出来る作物を金に換えることが出来る。その場合、そこに割く労働力はこの村の者から選ばれることになるだろう。金を全額返済するまで、この村の者が作物を育てて売却するのだ。借金の形に取ったのだから、貸した側から人を寄越す必要はない。そもそも、一家揃って全滅しているところもある。その家の畑は放置されることになるだろう。魔気に冒された影響で、畑に出られなくなった家もある。その場合も、畑は放置される。そう言った畑を借金の形にすれば丁度いい。
村長の裁量にもよるが、交渉次第でなんとかなりそうだ。
それを伝えると村長は「その方法しかないのなら、その方法で借金をし、借金を支払っていく覚悟はあります」と、しっかりと陸王の目を見て言った。
腹は括っているらしい。
当然だ。村の存続がかかっているのだから。
卓の上に広げられた硬貨の山を眺め、陸王は考え込み、結果、口を開いた。
「前金として、銀貨十七枚を貰う。あとは借金でもなんでもして、残り金貨二枚と銀貨十三枚分の金を用意しろ」
「では! 引き受けて頂けるのですね!?」
「一応な。銀貨だけでも十七枚あったのは運がよかったな」
「有り難うございます! 残りのお金も必ずお払いします」
それを聞きながら陸王は銀貨の入っていた袋に金を入れると、それを懐にしまい込んでから立ち上がった。
「話が決まったなら、急いでやるべき事がある。村の連中にも動いて貰うぞ」
「えぇ、勿論です」
村長も再び立ち上がって、扉の方へ向かった陸王のあとを追った。
陸王が扉を開くと、村の者達が不安そうな顔をして家の前に集まっていた。一瞬、ぎょっとする。
既に外は夕陽の出番になっていた。夕焼け色に染まった彼等は、おそらく村の中で動ける者全員だったのだろう。中には乳幼児を含め子供の姿も多くあったし、肩を貸して貰っている男の姿もあったからだ。肩を貸して貰っているのは、魔気の影響で後遺症が残った者達だろう。肩を貸しあって、様子を窺っていたと覚しき夫婦者もいる。例の夫婦者のように。
その様に驚きはしたが、陸王は樸人を振り返ると問うた。
「村共有で使っている納屋はあるか」
「ありますが、それが?」
「でかさはどの程度だ」
「共同で使っていますから、大きいです。必要なら、実際にご覧になりますか?」
「そう願う」
村長が案内のため、陸王の前を歩き始めた。その際、周りに群がっている村人に聞こえるよう、陸王と紫雲が手を貸してくれることを口にしながら。
村長の言うのを聞いた者達は皆、顔を明るくさせた。そのせいか、村長と陸王の歩くあとを、村人達が追いかけてくる。
陸王がちらと背後を見ると、人々の中に昨夜の司祭と助祭の姿もあった。陽も暮れかかっているのに晩課(午後六時の鐘)が鳴らないと思ったら、ここにいたのかと思う。だが、それも致し方なしだ。村全体が襲われているのに、男であり、聖職に就いているからと言って教会に閉じ籠もっているわけにはいかないだろう。吸血鬼に襲われて、魔気を浴びた者の解呪もしなければならないのだから。屍食鬼が出れば、杭を打つ際の最後の清めもし、墓地に葬る時は最後の祈りも唱えてやらなければならない。犠牲者が毎夜出ているのだ。彼等も安穏としていられるわけがなかった。