第一一話 二手の道
翌日、陸王と紫雲は朝ぼらけに起きだし、陸王は紫雲より一足先に領主の邸へと向かうことになった。領主館までの道を尋ねようとしたところ、村長が案内役を一人つけてくれた。まだ若い男だが、馬の扱いが殊の外上手いらしい。男の名は彩加と言う。十九の若者だ。彩加が乗っていくのは農作業に使う駄馬らしいが、陸王の借りていく乗馬用の馬と同じくらいの速度を出すことが出来ると言う。
村を出ると領主館まで街道が続いているが、今回それは使わず、森の中を突っ切って近道をすることになった。今から領主館を目指せば、昼前どころか三時課(午前九時)前に着くという。
陸王は出発前に、紫雲に雷韋のことを改めて頼むと、彩加と共に森へ向かって馬を駆った。
朝露をまぶしてあるような畑を避けつつ馬を進めて森へと入った頃、彩加はおもむろに陸王に声をかけてきた。その声音は酷く真剣なものだった。
「あの、陸王さん」
名を呼ばれ、陸王は彩加の方へ黙って目を遣った。それを受けて、
「義亨達……昨日の夫婦者ですけど、少し人の手を借りれば自力で歩くことが出来るようです。精神に異常も見られません。紫雲さんという修行僧の方が早急に解呪を試みてくれた結果だと思います。ですが、自分達の意識が戻らないうちに子供を殺すことになったと知って、墓前で酷く嘆いていました。でも、俺達は貴方に感謝しています。貴方があの子の望まない生を断ち切ってくれたので……」
そこまで言って、彩加は小さく喉を鳴らして唾を飲み込んだ。陸王が黙して彩加を見ていると、若者はそのまま言葉を続けた。
「貴方のお陰で、あの子は速やかに光竜のもとへ召されました」
それを聞いて、
「殺す直前、酷い扱いはしたがな」
陸王は苦く顔を歪めて言った。
「それは……」
彩加は言いよどむ風を見せたが、すぐに言葉を繋げた。
「仕方なかったのだと俺は思います」
彩加は言った。あの時、頭を手で固定していたら、噛まれていた可能性もあった。だが、杭を打ち込むために、仰向けで固定する必要はあったのだ。それを考えれば、陸王のした事は理に適っていたと。
「ああしたお陰で、死なせてやることが出来たのは事実ですから」
彩加は言って、陸王に真っ直ぐ顔を向けた。絵面的には残酷だったかも知れないが、行動自体は理に適っていたと言う。そう言う態度に気負いはないが、やはりどこか物憂いを感じさせる顔つきではあった。
そんな彩加を目の当たりに見て、陸王は何も言わず真っ直ぐに前へ顔を向けた。彩加の言葉にも、特に言いたいことはなかった。
前だけを見て、何も返してこない陸王に、若者も余計な事は何も言わずにおいた。ただ、手綱を握る手にはぎゅっと力が入ったが。
そのまま暫く森の中で馬を北へ駆っていたが、岩が転がっている地点まで来た時、彩加が方向を変えるように声を出した。
「この辺りから少し、東の方向へ廻りましょう」
言って、彩加は馬首を巡らせた。陸王も無言でそれに倣う。
それにしても駄馬だというのに、彩加はよく馬を駆けさせていた。陸王の騎乗している馬と遜色ない速度を出している。それなのに、馬は疲れも見せていなかった。それだけ馬の扱いが上手いのだろう。伊達に案内役として選ばれたわけではないようだ。
「おい」
不意に陸王は彩加に声をかけた。
彩加は返事をする代わりに陸王の方へ顔を向ける。
それをちらと見遣って陸王は聞いた。
「ここら一帯を治めている領主ってのはどんな奴だ」
「どんな、とは?」
「話を聞く限りじゃ、領民のことをまともに考えている奴だとは思えなくてな。村の連中が吸血鬼に襲われているってのに、話も聞いてくれないってのが気になる」
陸王の言葉に、彩加は少し考える風を見せながら言った。
「俺達のことを考えてないとは思えません。冷夏や酷暑で作物の実りが少ない年には、各村の村長達が領主様に減税を願い出ます。でも、今までそれを蹴られたことはないと聞いています。先代の頃は酷かったそうですが」
「だが、今回の件については聞く耳も持たんそうじゃねぇか。兵に調べさせることもしていないんじゃねぇか?」
「それは確かにそうなんですが……。でも、領主様が吸血鬼の存在を信じられないのは分かる気がします。俺達だって今こんな状態にもかかわらず、半分信じられない気持ちなんですから。だって、誰も吸血鬼の姿をはっきり見ていないんですよ。見たという者も、闇の中に紅い瞳があったことしか覚えていない」
苦しげに言いながら、彩加は前を見据えた。
彩加の様子に、陸王は嘆息をつく。
「お前らは揃いも揃って馬鹿か阿呆なのか? 実質的な被害は充分すぎるほど出ているだろう。昨日も見たはずだ。子供を一人殺した。それなのに信じられん気持ちがあるというお前らの方が、俺には信じられん」
「なんて言ったらいいか。悪い夢がずっと続いているような気がして」
言ってから彩加は唇を噛み締めた。
陸王にはその言い分があまりにも馬鹿らしく思えて、呆れを通り越してほんの僅かな溜息すら出なかった。
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紫雲は陸王に遅れて村を発った。馬に乗って向かう先は雷韋がいる村だった。昨日の村──ゴザック村に行き、雷韋を拾って城下町へと連れて行く。それが目下、紫雲の役目だ。
朝陽が眩しい。
草の表面に結ばれた朝露が、太陽の陽に当たって蒸発するとき、一緒に夏草の匂いを濃く匂わせている。
それでも早朝の涼しい風に匂いは流され、夏草の匂いに強く囚われることはなかった。
馬を駆っている道は昨日、陸王と共に通ってきた道だったが、昼と夜では見え方や雰囲気、印象の悉くが違っていた。馬上から見下ろしているのも、変わって見える一つの要因だ。
途中、道が分かれてあったが、間違った道を選ばないように、昨日、宿で渡された簡易的な地図を見ながら紫雲は馬を駆る。杣道から街道へ出なければならないのだ。
街道へ出てから暫く馬を並足で駆っていると、遠くに人の影らしきものが見えてきた。動きからして走っているのかも知れないが、豆粒ほどにも満たない姿では人がいるという事くらいしか理解出来なかった。
馬を並足から駆け足にして走らせると、二人の距離はどんどん縮まっていった。
近づいていく中で、豆粒ほどにしか見えていなかったその姿は、飴色の髪が光の中で揺れて金糸のように輝いて見える。外套の下には、赤い布地に原色の糸を使った派手な模様の服も見えた。
走ってくるのは間違いなく雷韋だった。
雷韋も紫雲の姿を確と確認したのか、途中で駆ける足を止めて、疲れ切ったように前屈みになって膝に手をつく。その姿は、身体全体で呼吸をしているという風だった。
「雷韋君!」
紫雲が急いで馬を走らせ雷韋のもとへ行くと、雷韋は屈んで俯いたまま片手を上げた。紫雲の見間違いでなければ、今、雷韋の身体は淡い緑色の光に包まれている。
おそらく植物の精霊魔法だ。
植物は大地に根付くものだ。大地には世界と魂を司る原初神・光竜が同化しているため、大地の精霊には生と死と再生の力がある。そこに根付いている植物の精霊にも、大地から分けられて癒やしの力が与えられていた。
雷韋は走り疲れた身体を植物の精霊の力で癒しているのだろう。
紫雲が馬から下りると同時に、雷韋は大きく息を吸い込みながら上半身を起こした。
「つっかれたぁ~!」
開口一番、雷韋は叫ぶような大声を発する。大声を上げた雷韋の身体には、もう緑の光は宿っていない。すっかり回復したようだった。
「雷韋君、どうして来たんです。宿で待っているように言われていたでしょう」
紫雲が咎めるように言うと、雷韋はなんのこともなく、へらっと笑った。
「いやさ、ちゃんとした理由があるんだ。これ、作ってみたからどうかなって」
雷韋は紫雲の方に二つの珠玉を差し出した。直径三センチほどの蒼い球だ。
「なんですか、これは」
「風球ってんだ。風の精霊に力を貸して貰った」
雷韋の言うことには、風球とは風の精霊を集めて凝らせたものらしい。風球があれば、離れていても風球を持っている者同士、意思の疎通が出来たりほかの者の様子を窺うことすら出来るという。風球を介して、風の精霊に声や場の空気を運ばせるらしいのだ。
どうやらこれは風の精霊魔法の産物と言うより、風の精霊魔法そのものと言った方が正確だろう。
「いや~、植物の精霊に力を貸して貰いながら走ってきたけど、すっげぇ疲れた」
そう言って、雷韋は裏も表もない子供の笑みを見せる。
雷韋のてらいのない笑みを見て、紫雲は苦笑の中で溜息をついた。
「全く君って子は、無茶ばかりですね」
やれやれとばかりに言うと、雷韋は途端にぶすくれた。
「だって、俺には何が起こってるのか分かんねぇし、風球があれば何か起こっても、そんときに手を貸せるかも知んないだろ? 魔術を使えば、俺だって離れてても手が貸せるんだ。そんくらいやらせろよ。やっぱ、俺一人、蚊帳の外は嫌だ」
拗ねた口調で言うと、雷韋は紫雲を上目遣いに見遣る。
それを紫雲は困ったように見た。小さく溜息をつき、
「君をこの先へは行かせません」
きっぱりした口調で告げた。
「なんでさ!? 昨日、やっぱ吸血鬼がでたのか?」
「えぇ、そうです。犠牲者も出ました」
そう言ってから、紫雲は昨夜のことを話し、陸王の持っている雷韋への懸念も話した。
すると雷韋は、足下へ視線を落とす。
「危険だという事が分かったでしょう? 君はこれから城下町へ避難するんです」
「あの城塞都市の?」
「えぇ。君に万が一があれば、陸王さんも危険です。それは分かりますね」
雷韋は紫雲の言葉に頷き、一度目を閉じてから再び開くと、意を決したように言った。
「分かった。俺は大人しくしてるよ。でも、その前にやらせて欲しいことがあんだ」
「なんですか?」
大人しく言うことを聞いてくれそうな雷韋に、紫雲は静かに尋ねる。
雷韋は紫雲に、二つ手に持った蒼い珠玉の片方を握らせると、言う。
「その球を握って、球に意識を集中させて俺のことを考えてくれ。俺の風球とあんたの風球の間に意識の道を作る」
「意識の道?」
紫雲が不可思議そうに言うと、雷韋はうんと頷く。
言う事には、こういうことらしい。
紫雲が雷韋のことを考えれば、紫雲の持っている風球を通して雷韋のもとまで風の精霊が紫雲の声や思いを届けてくれると。一度その道を開いてしまえば、宝珠を破壊するか数日経って風球に宿っている風の精霊が散ってしまうまで、意識と意識を繋ぐ効果が続くというのだ。
紫雲は雷韋の説明を受けて、大人しく従った。無用に反発する必要はない。風球を握りしめ、その拳を胸元へと持ってきて目を閉じる。球に意識を集中させるようにして、紫雲は雷韋のことを頭の中に巡らせた。
するとすぐに反応が返る。雷韋の声が頭の中で響いたのだ。「捕まえた!」と。その事に驚いて目を開く。
雷韋は左手に一つの蒼い球を持って、真剣な眼差しで自分の手の中にある風球と紫雲が握っている手を交互に見た。それから紫雲に目を遣る。
「紫雲、俺とあんたの間に意識の道を開いた。これからは俺のことを考えるだけで、あんたの言葉が聞こえる。俺が意識してれば、俺の考えてることもあんたが思ってることも筒抜けだ。より確実なのは、風球を握って意識を通わせるときだな」
言ってから雷韋は左手に持っている球を、ズボンのポケットにしまい込む。それから右手に持っていたもう一つを紫雲に差し出した。
「これは陸王の分。陸王に渡したら、今あんたがやったみたいに俺のことを考えてくれって言ってくれ。俺と陸王の間にも意識の道を開くから。あと、あんたと陸王の間にも意識の道を開く。陸王と俺の道が開いたあとにそれはやるから、言っておいてくれ。難しいことじゃないからさ」
紫雲は納得したように首肯して、差し出された球を手に取った。
「分かりました。陸王さんと合流したら伝えておきます。では、早速馬に乗ってください。城下町まで送りますから」
それに対して雷韋はうんと素直に頷き、鐙に足をかけて馬の背に乗り上げた。雷韋が騎乗したあと紫雲も馬の背にまたがると、馬腹を蹴って南へ出発した。