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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第1録:神の奇跡か、悪魔の罠か
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4. 血文字の真実

 ダミアンの部屋を出た後、ミハエルとコンラートは廊下を進んだ。

 天井の高い回廊は、蝋燭の光を受けて長い影を伸ばしている。

「どう思う?」

 コンラートが低く尋ねた。

「院長は、何か知っているな」

 ミハエルは答える。

「何を隠している?」

「それを探るのが、俺たちの仕事だろ?」

 ミハエルは葉巻をくるくると回した。

「……まずは、血文字を改めて調べるか」

 霧雨が降りしきる修道院の敷地を歩きながら、ミハエルは口元に薄い笑みを浮かべた。

 コンラートが横目で睨むように見つめてくる。

「不謹慎だぞ」

「いや、楽しみになってきただけさ」

 ミハエルは未点火の葉巻を指先で転がしながら、目の前の厳めしい木造の扉を見上げた。

 ここがラウルが最後に使っていた部屋。

 失踪した修道士の部屋としては当然のように封鎖されていたが、それ自体がすでに不自然だった。

 修道院の案内役の修道士が頑なに制止しようとする。

「この部屋は、神の試練を受けた者が最後に過ごした聖なる場です。侵すことは許されません」

「試練ねえ……そいつがどんなものだったのか、俺たちが確かめるって話だろ?」

 ミハエルは皮肉気に言いながら、扉の錠を見た。

 がっちりと施錠されている。

「鍵を開けてくれ」

「……申し訳ありません。院長の許可なしには――」

 言い終わる前に、バンッ!と、一瞬の間に、コンラートが手元の短剣で錠前を叩き壊していた。

 修道士は顔を青ざめ小さく悲鳴をあげ後退り、院長にでも報告しにいくのか這這の体でその場を去っていった。

「時間の無駄だからな」

 ミハエルが肩をすくめ、扉を開けると、重々しい軋み音とともに、室内の空気が流れ出た。

 その部屋は、荒れ果てていた。

 ベッドは乱れ、机の上には書きかけの聖書やメモが散乱している。

 壁に残された黒ずんだ染み――それが血文字だった。

「……間違いないな」

 ミハエルが低く呟く。

 コンラートも血文字を睨みつけるように見つめた。


『神の試練』

『信じる者は救われる』


 信仰の言葉のように見えるが、やはりどこか違和感があった。

 コンラートが机の引き出しを探り、古びたメモを引きずり出す。

「ラウルの筆跡と比べてみろ」

 ミハエルは血文字をじっと見つめた。

 そして、ゆっくりと口角を上げる。

「……これは面白い。この筆跡、ラウルのものじゃない」

 机のメモに記された筆跡と比べると、血文字の一部は明らかに違う。

 特に、いくつかの文字が不自然に上書きされていた。

「誰かが後から書き直したな」

 ミハエルが指先で壁を撫でる。血の染み込み方が不自然だった。

「……改ざんか」

 コンラートが眉を寄せる。

「さて、本当のメッセージは何だったんだ?」

 ミハエルは、内ポケットから小さなガラス瓶を取り出した。

 中には、青みがかった透明な液体が揺れる。

「ヴェルミリオン・リキッド……?」

 コンラートが眉をひそめる。

 それは一般の市場には流通しない、特殊な魔道具だった。

 魔導士や異端審問官の間ではその名を聞くことはあるが、調査官が手に入れられる代物ではない。

「お前、どこでそんなものを……」

 訝しむコンラートをよそに、ミハエルはニヤリと笑い、瓶の蓋を開けた。

「後から書き足された嘘だけを暴く薬品さ」

 透明な液体を筆に取り、ゆっくりと血文字の上に塗り広げる。

 じわり、と。ある部分だけが異常に赤黒く変色し、まるで 剥がれ落ちるように染みが浮き上がった。

 彼は小さな筆を取り出し、薬品を血文字の上に塗っていく。ミハエルは慎重に布で軽く拭うと、その下から、まったく違う言葉が浮かび上がる。


『助けてくれ』

『ここに閉じ込められる』

『神は偽り』


「……!」

 コンラートが息を呑む。

 ミハエルも眉をひそめた。

「どうやら、こっちが本物らしいな」

 つまり――

「誰かが、真実を隠そうとした」

 そのとき、背後で微かな足音がした。

 二人が振り返ると、暗がりの中、黒衣の修道士が立っていた。

 その顔は影に沈み、表情は見えない。

「……あなた方が調査に来られた方ですね」

 低く、かすれた声が響く。

「ラウルの友人です……彼が消えた後、私が神聖調査局に手紙を出しました……」

 シメオンと名乗った修道士はゆっくりと近づき、沈んだ声で囁いた。

「彼はこう言っていたのです」

 修道士はロザリオを握りしめ、震える声で続けた。

「『これは神の声ではない』と」

 ミハエルとコンラートが微かに眉を動かす。

「ここ最近……修道院では修道士が次々に消えていきました」

 シメオンは震える手で袖を握りしめる。

「消えた?」

 コンラートが眉をひそめる。

 局長から旅人や浮浪者の失踪は聞いていたが、修道士の失踪は聞いていなかった。

「それは、どれくらいの頻度で?」

 ミハエルが葉巻を指で転がしながら尋ねる。

「……最初は数ヶ月に一人だったのが、最近では月に一人、あるいは二人……」

 ミハエルとコンラートは、互いに目を交わす。

「一年前ほど前に、この修道院で神の声を聞いたと語る修道士が現れました。最初のうちは、誰もがそれを奇跡だと称え、神の導きによるものと信じて疑いませんでした。やがて失踪者が現れるようになると、人々は『選ばれし者は、より高い神の試練を受けるために旅立つのだ』と信じるようになったのです……」

 シメオンは唇を噛む。

「でも、私は違和感を覚えました。なぜなら、消えた者の部屋は、何もなかったかのように片付けられていたからです。まるで……最初から、そんな人間は存在しなかったかのように」

 その言葉が、蝋燭の揺れる炎とともに空気を震わせた。



修道院の夜は静かだった。

 遠くで虫の声が響き、僅かに蝋燭の炎が揺れ、窓の外では、雲間に隠れた月が青白い光を投げかけている。

 ミハエルとコンラートは、一時の休息のために用意された客室にいた。

 とはいえ、修道院のものである以上、豪華な調度品などあるはずもなく、簡素な木製のベッドが二つと、小さな机が一つだけ。

 壁には古びた十字架がかけられ、床板は歩くたびに僅かに軋む。

 窓枠の隙間から流れ込む夜風が、薄いカーテンをそっと揺らした。

 コンラートはベッドの上で腰を下ろし、愛用の剣を静かに点検していた。

 油を含んだ布で刃を拭うたび、蝋燭の灯りが鋼の表面に鈍く反射する。

 対して、ミハエルはベッドに寝転がり、気怠げに足を組みながら手元の書類をめくる。

 表紙の端を指で弾き、口元に薄い笑みを浮かべた。

「……この修道院では修道士が次々に消えていた」

 コンラートが低く呟いた。

「シメオンが言っていたな」

 ミハエルは書類を指で弾きながら応じる。

「最初は数ヶ月に一人、最近は月に一人か二人……しかも、部屋の痕跡すらも綺麗に消されている。まるで、最初からそんな人間がいなかったかのように。けれど局長はそんな事言っていなかった」

 局長――エリヤのことだ。

 ラウルの失踪については知っていたが、他の失踪者については一切言及がなかった。

 つまり、教会本部には報告が上がっていない。

「……隠蔽されてるってことか」

 コンラートが剣の手入れを止め、静かに言う。

 ミハエルは指で書類をめくり、ニヤリと笑う。

「……しかし、予想以上に胡散臭いな」

 その呟きに、コンラートは手を止めた。

「何がだ?」

 彼はゆっくりと身を起こし、書類を片手に掲げてコンラートを見やる。

 蝋燭の灯りが紙の表面を滑り、手書きの文字をぼんやりと浮かび上がらせた。

「典礼省……つまり異端審問官を抱える省の予算が、ここ一年半で急激に増えてる。それも、特定の修道院への資金が集中してるんだ」

 コンラートは一瞬、剣の手入れを止めた。

「その書類は?」

「会計局の収支書」

 ミハエルは指で書類の端をひらひらと振り、気軽な調子で言う。

「不思議なことに、金が増えたはずなのに、この修道院の支出の増減がないんだよなぁ。建物の修繕費も増えてないし、設備投資もなし。にもかかわらず、金はどこかから降ってきてる」

「……つまり?」

「予算は増えたが、修道院は潤ってない。じゃあ、その金はどこに行った?」

 ミハエルは指で書類を弾くと、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 蝋燭の火が揺れるたび、彼の顔に浮かぶ影がゆらゆらと形を変える。

「奇跡を信じている連中は、時に自ら奇跡を作り出そうとするもんだ」

 コンラートは目を細める。

「……信仰が狂気に変わる、ということか?」

「信仰が狂気を生むこともある。逆に、狂気が信仰を利用することもな」

 ミハエルは肩をすくめ、手に持った葉巻をくるりと回した。火をつけるわけでもなく、ただ指の間で弄ぶ。

「今回の件は、どうにも後者の匂いがする」

 コンラートはしばし沈黙し、考え込む。

 部屋の静寂を破るのは、時折吹き込む夜風と、蝋燭の芯が弾ける微かな音だけだった。

「お前は、神の奇跡を信じないのか?」

「信じるも何も、奇跡がどれだけインチキだったかを暴くのが俺の仕事だぜ?」

 ミハエルは片手を広げ、愉快そうに笑う。

「俺が今まで見てきた奇跡とやらは、大抵がトリックか人間の仕業だった」

「だが、今回の事件は?」

 ミハエルは書類をめくる手を止め、少しだけ目を細めた。

「……奇跡とは思えないね」

 コンラートは彼をじっと見た。

「神の声を聞いた修道士が失踪し、部屋の血文字が書き換えられた。それだけじゃない。この修道院では数ヶ月前にも同じような奇跡が起こってる。ラウルはどこに行ったのか? いや、そもそも、彼はまだ生きているのか?」

 ミハエルは短く笑った。

「どのみち、俺たちが見つけるのは神の奇跡じゃない。人間の仕業だ」

 コンラートは無言のまま剣を鞘に収め、立ち上がる。

 背後では、ミハエルがまだ何かを考えるように、書類を指で弾いていた。

「……もう寝ろ。明日も調べるんだろう」

「そうだな」

 ミハエルはベッドに寝そべりながら、仄かに笑みを浮かべた。

「ただし、気をつけろよ、コンラート。俺たちは既に神の奇跡に触れてる。次に消えるのは、俺たちかもしれないぜ?」

 コンラートは溜息をつき、蝋燭の火を吹き消した。

 部屋の中に、ひときわ濃い闇が満ちる。

「……ところでお前、収支の書類なんかどこで手にいれたんだ?」

 そもそも教会の会計は会計局が握っている。

 そんな簡単に手に入るものではない。

 コンラートはわずかに眉をひそめた。

 いったいどこから手に入れたのやら……さっきの魔道具についてもそうだ。

「お前、どんなツテがあるんだ?」

「そりゃぁ、まぁ、企業秘密ってやつだ」

 ミハエルの悪戯っぽく笑う声が暗闇の中に響いた。

読んでくださってありがとうございます。1〜3を修正しました。4を早めに投稿。次回は予定通り日曜に更新予定です。

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