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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第1録:神の奇跡か、悪魔の罠か
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3. 選ばれし者の行方

 帝国南部のオルシエル修道院へ向かうため、ミハエルとコンラートは魔道列車へ乗り込んだ。

 外装には精緻な装飾が施され、漆黒の車体が滑らかに光を反射する。

 車輪の代わりに魔法の紋様が刻まれた動力石が組み込まれ、動力室から発せられる淡い青い輝きが車体を照らしていた。

 汽笛が響き、列車がゆっくりとホームを離れる。

「やれやれ、昔は馬車で丸二日かかった道のりが、今じゃ数時間だ」 

 ミハエルは窓の外の景色を眺めながら呟いた。

「いい時代になったもんだな」

 コンラートは無言で腕を組み、目を細めた。

「お前はどう思う? こういう文明の進歩ってやつ」

 ミハエルが振り返ると、コンラートは少し考え込み、低く答えた。

「お前らしい意見だな」

 ミハエルが肩をすくめると、コンラートは静かに続けた。

「礼拝の時間は減り、人々は急ぐことばかり考えるようになった。何が大切かを見失う者もいる」

「それも時代の流れってやつさ」

 ミハエルは窓の外を見やり、気だるげに言った。

「奇跡を待つより、発展を求める方が確実だろ?奇跡なんて、今じゃ技術の言い換えだ。動力石があれば炎も灯るし、列車も走る。誰も空からの恵みなんて待たない」

「……それでも、人の心はそう単純じゃない」

 コンラートはそう呟くと、車内の天井に吊るされた魔導灯に視線を向けた。

「火は人を照らすことはできても、導いてはくれない」

 ミハエルはその言葉に返さず、ただ静かに葉巻を指先で転がした。

 列車は加速し、都市の灯を背に、霧のかかった平野へと入っていく。

 魔道エンジンの低い唸りが響き、窓の外には広大な草原と、点在する教会の塔が流れるように過ぎ去っていった。

(こいつは信仰を嘲笑うくせに、奇跡を暴くことには全力を尽くすのか?)

 理解できない思いを胸に抱きながら、コンラートは再び窓の外へと視線を戻した。

 魔道列車は黒鉄のレールの上を滑るように進み、やがて帝国南部の駅に停車した。

 外は薄曇りで、冷たい風が頬をかすめる。


 ミハエルとコンラートは駅のプラットフォームに降り立ち、待機していた馬車へと乗り込んだ。

 目的地はこの先にあるオルシエル修道院。

「辺境の修道院らしく、静かなところだな」

 コンラートは馬車の窓越しに広がる景色を見渡した。

「人里離れた場所ほど、神の声がよく聞こえるって言うがな」

 ミハエルは気だるげに言いながら、葉巻を転がす。

 馬車が進むにつれ、建物の影が見え始めた。

 修道院は丘の上にそびえ、石造りの壁に囲まれている。

 天を指すような尖塔が二本、冷たい灰色の空に突き立っていた。

「さて、歓迎してくれるかな」

 ミハエルは軽くノックをした。

 ほどなくして、黒衣の修道士が現れた。

「お待ちしておりました、調査官殿」

 修道士は淡々とした表情で頭を下げ、二人を修道院の中へと案内した。



 オルシエル修道院の中は静まり返っていた。

 通路は高い天井と厚い石壁に囲まれ、冷たい空気が漂っている。

 蝋燭の炎が揺らめき、長い影が壁に映し出されていた。

「やけに静かだな」

 ミハエルが低く呟く。

「修道院とはそういうものだろう」

 コンラートが肩をすくめた。

 だが、確かに妙だった。

 通常、修道院では祈りの声や、修道士たちの慎ましい足音が響いているはずだ。

 しかし、ここはまるで時間が止まったかのような静寂に包まれている。

 まるで、この場所が“何か”を秘めているかのように――

 コンラートは無意識に剣の柄に指を添えた。

 修道士たちはほとんど姿を見せず、すれ違う者も皆、一様に俯いていた。

 まるで何かを隠しているかのように。

 ミハエルが小さく舌を打ち、先導する修道士に声をかけた。

「なあ、あんたのところの修道士が一人、消えたんだろう?」

 修道士は僅かに歩調を乱したが、すぐに元に戻した。

「……はい」

「この修道院で、彼がどんな様子だったか教えてくれないか?」

 修道士は一瞬、逡巡した。

「ラウルは……信仰心の厚い男でした」

「それは聞いてる。何か変わった様子はなかったか?」

 修道士はぎこちなく頷いた。

「居なくなる数日前から……彼は、夜ごと祈りの間に籠もるようになりました」

「祈りの間?」

「修道士たちが瞑想し、神の声を聞くための場所です。彼は、そこで何かを感じ取ったようでした」

「何を感じ取った?」

 修道士は再び口ごもった。

「……分かりません」

 ミハエルとコンラートは互いに視線を交わした。

「……彼は消える前の夜、『もし私がいなくなったら、それは神の導きではない』と言っていました」

 修道士は僅かに身を縮め、震える声で続けた。

 ミハエルの手が止まる。

「神の導きではない、ねぇ」

 修道士の案内で、ミハエルとコンラートは修道院の奥へと進んだ。

 通路は高い天井と厚い石壁に囲まれ、足音が石畳に吸い込まれるように響く。

 蝋燭の炎がかすかに揺らぎ、冷たい空気の中に淡い影を落としていた。

 重厚な木製の扉の前で、修道士が立ち止まる。

「院長がお待ちです」

 そう告げると、彼は恭しく扉を押し開けた。


 院長室は簡素でありながら、厳かな雰囲気を漂わせていた。

 古びた木製の書棚には無数の聖典と古文書が並び、中央の机には整然とした書類の束が置かれている。

 壁には荘厳な聖母の肖像画が掛けられ、窓の外から差し込む薄い光が、室内の陰影を際立たせていた。

 奥の机に座る男――オルシエル修道院の院長、ダミアン・クラウス。

 痩せた長身の男で、年齢は五十前後だろうか。

 神の教えを厳格に守る人物であることが、その冷静な目と硬い口元から伝わる。

 だが、その眼差しにはどこか鋭い警戒心が滲んでいた。

 院長はゆっくりと視線を二人に向け、沈黙のまま手を組んだ。

「よくいらっしゃいました、調査官殿」

 ミハエルは椅子に腰を下ろし、葉巻を指で転がしながら院長を見た。

「さっそくだが、ラウル・ハインツのことを聞かせてもらおうか」

 院長は静かに頷き、ゆっくりと語り始めた。

「彼は敬虔な修道士でした。信仰深く、学識にも長け、神の教えに忠実な男だった」

「だが……帝都から戻ってきてからは様子がおかしかったのは確かです」

 ミハエルが口角をわずかに上げる。

「おかしかった?」

「はい」

 院長の目が僅かに曇る。

「彼は神の声を聞いたと言い始めたのです」

「それで、失踪したと?」

 院長の表情が険しくなる。

「我々は、彼が神に召されたのではないかと考えています」

 コンラートが眉をひそめた。

「召された?」

「彼は最後にこう言い残しました――『選ばれし者は天へ召される』と」

 ミハエルの指が、葉巻を転がす手を止める。

 その言葉は、帝都で見た血文字の写しと同じ言葉。

「便利な解釈だな」

 ミハエルは皮肉げに笑った。

「あなたは神を冒涜するつもりか?」

 院長の声がわずかに低くなる。

「いやいや。ただ、俺は神の奇跡を調査しに来ただけさ」

 ミハエルは葉巻を弄びながら肩をすくめた。

 院長の視線が鋭くなる。

「ラウルは、神の声を聞いたのです。そして、それを拒むことはなかった」

 彼の言葉には確信がこもっていた。

 ミハエルは静かに院長を見つめる。

「それにしては……お前さん、何かを隠しているように見えるが?」

 院長の指がわずかに動く。

「何も隠してなどいません」

「そうかい? じゃあ聞こう」

 ミハエルは身を乗り出した。

「ラウルは迎えに来る者がいると言っていたそうだが、その意味を知っているか?」

 院長の表情がわずかに硬直する。

「……彼は、神の導きに従ったのです」

「神の導き、ねぇ」

 ミハエルは嘲るように笑った。

「そいつはいいが、だったらなんで彼の部屋に血文字があったんだ?」

 院長は静かに目を閉じる。

「信仰とは、疑うものではありません」

「疑うべき時もあるさ」

 ミハエルの声は冷たく低い。

「ラウルは神に召されたのか、それとも消されたのか」

 室内の空気が張り詰める。

 窓の外で風が吹き、木々の葉がかすかに揺れる音が聞こえた。

 それはまるで、見えぬ何かが耳元で囁くかのような、不気味な響きだった。

読んでくださってありがとうございました♪

次回は来週の日曜日更新の予定です!

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