16. エピローグ
帝都グラン・エルデンの夜は、地方とは違う喧騒に包まれている。
石畳を踏みしめる馬車の車輪の音、路地裏で響く楽器の調べ、酒場から漏れる陽気な歌声と、灯りに集う人々のざわめき。それらが入り混じる騒がしさは、帝都の夜がまだ終わらないことを告げていた。
ミハエルは、そんな賑わいを楽しむように歩きながら、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ようやく帰ってきたな」
隣で手綱を引いていたコンラートが、ぼそりと呟く。
「長かったな。まあ、田舎の空気も悪くなかったが」
ミハエルは気楽な口調で答え、軽く伸びをしながら、闇にそびえる教会の尖塔を見上げた。月明かりに照らされた大理石の十字架が、まるで帝都を静かに見下ろしているかのようだった。
二人は馬を厩舎に預けると、その足で教会の一角にある神聖調査局へと向かった。
神聖調査局の扉を開けると、蝋燭の灯りに照らされた部屋の中で、エリヤが机に向かっていた。周囲には書類の山が築かれ、その狭間にすっぽりと埋もれるようにして、彼は黙々と書き物をしている。
手元の羊皮紙に羽ペンを走らせながら、疲れたように小さくため息をついた。
「おやおや、電報は受け取りましたが、珍しく報告に来るとは」
顔を上げることなく、エリヤはぼやくように呟いた。
「お前がサボるからだろう」
険しい顔で言い放つコンラートに、ミハエルは肩をすくめる。
室内には夜の静寂と蝋燭の揺らめく光が満ちていた。古い木の机には乱雑に積まれた書類の山、壁には使い込まれた書棚が並び、聖書や記録文書がぎっしりと詰まっている。外の喧騒とは打って変わって、ここはまるで時間が止まったかのような静けさに包まれていた。
エリヤは机の上の紙を片付けながら、手を組んで二人を見た。
「では、例の件は?」
ミハエルは疲れたように椅子に腰かけ、脚を組む。
「解決したよ。まあ、解決というか……予想通り、神の奇跡じゃなかった」
エリヤは興味深げに少し身を乗り出し、静かに促した。
「詳しく聞かせてください」
ミハエルは頷き、椅子の背にもたれかかりながら話し始めた。
神の血、幻覚、消えた修道士、そしてラウル──事件の全貌を簡潔にまとめる。
蝋燭の炎が揺れるたびに、壁に映る影も揺らぎ、淡い光が彼らの表情を映し出した。
エリヤは静かに話を聞きながら、何度か書類をめくる。
「ふむ……やはり、信仰を利用しようとする者がいたのですね」
彼は疲れたようにため息をつき、机の端に積まれた書類をぽんと軽く叩いた。
「まったく、神の名を借りた悪事ほど厄介なものはありません。信者たちが騒ぎ立てれば、教会の権威にも影響が出ますから」
ミハエルは得意げに笑い、手のひらをひらひらと振ってみせた。
「まあ、そう心配するな。俺たちがちゃーんと幕を引いてきた」
コンラートは呆れたように腕を組み、じろりとミハエルを睨んだ。
「本当に幕が引かれたのか、俺には疑問だがな」
ミハエルは軽く首を傾げる。
「おや? まだ何か心配か?」
コンラートは腕を組んだまま、慎重に言葉を選んだ。
「……調査を終えた後も、完全に解決したとは言いがたい。あの院長の単独行為ではなかったはずだろう。新たな問題が出てくるかもしれん。それに、この教会内でも報告は捻じ曲げられていた」
ミハエルは顎に手を当て、考えるふりをしてみせる。が、すぐに肩をすくめた。
「まあな。あれだけのことを計画した連中が、このまま黙って大人しくしてはいないだろうなぁ。それに、ただの思いつきや場当たり的な手段で動いていたわけじゃない。こんな規模の計画を仕掛けた奴らが、俺たちに邪魔されたからって、諦めると思うか?また何か仕掛けるだろうさ」
「それを待つつもりか?」
指先で軽く未点火の葉巻を弾きながら、ミハエルは鼻で笑う。
「待つもなにも、きっとすぐに動くさ。こっちの想像以上に派手にな」
金の瞳を細めるコンラートを横目に、ミハエルは唇の端を上げた。
「ま、次に何を企んでくるのかは知らないが――どうせまた、俺たちが巻き込まれるんだろうよ」
ミハエルはいたずらっぽく笑い、指先をひらひらと動かす。
「軽々しく言うな」
コンラートの低い声に、ミハエルは片目を細めた。
エリヤはそんな二人のやり取りを黙って聞いていたが、やがて静かに口を開いた。
「事件の報告は、すでに上に挙げましたが……まだ決定は下りていません」
ミハエルの眉がわずかに上がる。
「つまり?」
「オルシエル修道院は一時的に閉鎖され、今後の処理は枢機卿会の判断に委ねられることになります。それと、私の元へ届いた虚偽の報告については、こちらで詳しく調べてみましょう」
エリヤは淡々と書類を整えながら、静かに言った。
蝋燭の炎が、ゆらりと揺れる。
ミハエルはその言葉を聞きながら、しばらく無言で炎を見つめた。
やがて、彼はふと思い出したようにエリヤを見た。
「そうだ、ラウルの件、礼を言っとくよ」
「……何の話です?」
「局長が手を回したんだろ。ラウルを国外の修道院へ送る際に、名前まで変えてくれたって聞いたが?」
「彼自身が望んだことです。私はそれを手続きしただけに過ぎません。それに——彼は神の血の証言者。生存が知られれば、必ず動く者がいるでしょう」
エリヤは書類をめくりながら、特に感慨もなさそうに答えた。
ミハエルは口元に笑みを浮かべると、ふっと息をついた。
「まあ、お前たちがいれば、大抵の問題は解決するでしょう。報告ご苦労様でした。今日はゆっくり休みなさい」
エリヤの言葉を背に、二人は部屋を出た。
外に出ると、路地裏から流れる楽器の音、馬車の車輪の軋み、酒場の喧騒が耳を満たす。
どこまでも賑やかで、どこまでも偽りに満ちた街。
「さて、酒でも飲むか?」
その言葉にコンラートが無言で睨む。
「お前、まず風呂だろう」
「えー、今さら風呂とかめんどくさくないか?」
「めんどくさがるな。お前は今、明らかに砂埃と汗の匂いを振りまいてる」
「別にちょっとくらい気にしなくても……」
「俺が気にするんだよ」
呆れたように言い放つコンラートに、ミハエルは深々とため息をついた。
「……じゃあ、風呂入ってから飲みに行くか」
「報告書も仕上げろ」
「え、俺のことを役人か何かと勘違いしてない?」
ミハエルが肩をすくめると、コンラートはさらに深いため息をついた。
──その背後で、大理石の尖塔が、静かに月光を浴びていた。
第一録、完結しました! ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
初めてのオリジナル小説ということもあり、若干ふわっとした部分や、分かりにくいところがあったかもしれません。それでも最後まで読んでいただけたこと、心から感謝しています。
もし何か感じたことがあれば、ご感想などいただけると嬉しいです!
次回『第二録 聖者の黄金事件』は、4月頃から連載開始予定となります。
それまでの間、Xでは進行状況やキャラ設定、小話などをアップできたらと思っていますので、よろしければ覗いてみてください。
次録もお付き合い頂けると嬉しいです!




