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銀龍伝  作者: 秋月
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第七話:白銀の月

強大な自然の厳しさを知ってから幾数日。

霊峰とさえ呼ばれる巨大な山はけして蒼真(ソウマ)に微笑んではくれなかった。

それどころか試練を与えるが如く脅威を振りかけていた。

ある時はあからさまな肉食獣に追いかけられもした。

またある時は毒キノコにあたり凄絶に腹を下したりもした。

何度も何度も急な地面の高低差に足を踏み外し地を転がりもした。


それでも蒼真は足掻き続けた。

手近な植物を傷つける事で得られる僅かな水で喉を潤し、木の根さえも齧った。

既に全身は汚れに汚れ、少女と別れた時の姿の面影さえも見当たらない。

朝、目が覚める度に命があることを実感し、夜、眠りに付く前にまた一日生き延びたことに安堵する。

冷酷な自然の摂理に何度も心が折れかけたが、蒼真は諦める事はなかった。

絶対に諦めてはならない。

自分の身体が、心が、魂がそう叫んでいた。

そして蒼真は生存するために今日一日を必死に生きる。

―――真っ黒な世界が真っ白な光に包まれる。



   ***



「朝、か」


深い睡眠の淵から這い上がり覚醒する。

巨木に繁る幾重にも重なり合った葉の隙間から零れ出る陽の光がやけに眩しい。

活動を始めるために身体を起こそうとするのだが、どうにも上手く動かない。

昨夜獣に襲われ、身を隠す為に巨木の根の隙間に飛び込びそのまま眠り込んでしまったのだが、根が絡まっているのだろうか。

だが、身体を見渡しても邪魔になりそうな根などは見当たらない。

ここで「ああ」と蒼真は納得した。

単純明快、肉体の限界が訪れているのだ。

まともな食事もとらずに殆どないに等しい水分だけで体を酷使しているのだから当然と言えば当然だが。


「……食べ物、探さないとな」


気だるさが残る身体を何とか動かすもその動きは鈍い。

必死の体で這いずるようにして根元から抜け出し、立ち上がる。

そしてエネルギーの元となる食料を探すために一歩踏み出したその瞬間―――


「―――あれ?」


ガクンと視界が大きく揺らぐ。

脚から力が抜けて不可思議な浮遊感が身体を覆い、成す術なく地へと倒れ伏せる。

もう一度立とうにも力が入らなかった。

意識だけがはっきりと覚醒したままだった。


(俺は…死ぬのか?)


頭の中を『死』という概念が無作為に飛び回る。

だからといってその概念が恐怖に値するのかと言われれば違った。

蒼真にとって、今まで世界に認知されていた蒼真という人間は既に死滅しており、今ここに存在しているのは自分自身と少女だけで構成された蒼真という一人の人間に他ならない。

もっとも、未だに蒼真を認知し続けている者がいる事は否めはしないが、今この瞬間を知るのは自分と彼女だけだ。

世界から逝った時点で、ある出来事を境に『死』は蒼真にとっては恐怖ではなくなっていた。

しかしただ一つ、今までにはなかった『死』と同時に訪れてしまうもののことを蒼真は思い浮かべていた。


(俺は…彼女と一緒にはいられないのか?)


死ねば彼女とは別の時間軸を歩むこととなるだろう。

決してこの手が届く事はなくなってしまうだろう。

そう考えれば自然と身体に力が込められる。

そんなことは絶対に嫌だ、という悪あがきじみた力が身体に宿り、鈍重ながらも四肢を動かす。


酷く滑稽なことだろう。

ヒトが見れば吹き出してしまうほどに、滑稽なことだろう。

しかし、ここは人里離れた霊山の中。

ヒトの笑い声も、喧騒も、ヒトが起こす音は何一つありはしない。

それなのに、澄んだ声が上から投げかけられた。

自分を嘲るでも馬鹿にするでもない、綺麗で穏やかな声だ。


「何故、そこまで拘るのだ」


視線を地面から上にあげれば、そこに佇むのは銀の少女。

侮蔑とも憐憫とも違う疑問に満ちた目で蒼真を見下ろす。


「ここはヒトという小さな存在が独りで生きていけるような場所ではない。それはお前も分かっているはずだ。なのに、何故そこまでボロボロになって尚山に居続ける。お前が望めば、山は外へと道を開けてくれるだろうに」


「そう、だろうな」


「ならば何故お前はそこに臥している」


「……………二度と、後悔したくないからだ」


「後悔?」


繰り返すように呟く少女に対し、蒼真はしばしの間黙り込む。

やがて意を決したように口を開いた。



『ある所に栄えた国の国主の長子として生まれた青年がいました。

国主である両親、そして幼い弟と歳の近い妹に囲まれ暮らす青年は、立場のお陰もあって何の不自由もなく幸せに暮らしていました。

しかしその暮らしも、ある出来事が起きてからは一変してしまいました。

両親の急な病死。

国主とその補佐的立場であった二人を失った国は、国の維持のためにも当然の如く長子であった青年を次の国主としました。

前国主であった両親の方針が民を重んじる国営であったため、やはり青年も両親の意志を継ぎ必死に国を取りまとめました。

しかしながら、いくら前国主の息子と言えども青年はその立場に就くには若すぎたのです。

不幸なことに、青年は人間の奥底の闇を知りませんでした。

信頼し任せていた重鎮が地位を利用し、国営の為の資金を己が欲を満たすために使っていたのです。

一部の忠誠心厚い部下がそのことを突き止め、知らせることによって青年はその悪事を知り、件の重鎮を罰しましたが、それが重鎮の反抗心を買ってしまいました。

狡猾な重鎮は瞬く間に他の家臣たちを説得・脅迫し、自分の配下へと加えていきました。

そして、未熟なれど正義感溢れ民を重んじる青年より、まだ幼く物事の善し悪しの区別がつかない青年の弟の方が自分の傀儡にしやすいと考えた重鎮は、配下の者を使い青年の地位剥奪、暗殺へと乗り出したのです。

若き青年にそれ防ぐ術はなく、数少なくなった忠臣の助けにより必死の思いで国を離れました。

そして度々命を狙われながらも数年が経過し、青年はある山で銀の少女に出会いました。』



話を終えると蒼真は一息ついてから身体を起こし、樹に背を預けるように座りなおす。

それに続くようにして少女も立ったまま樹に背を預けた。

少女は何も口にはしない。

蒼真の話を真剣に聞く態勢をとり続ける。


「国を離れてからの数年、助けられた命を護りながらもずっと自責の念に苛まれ続けた。自分の人を見る目のなさに、自分の不甲斐なさに、自分の未熟さに。俺は自分の愚かさを呪ったよ…悔んでいる。今でも…な」


自嘲を示す乾いた笑いをあげる。

笑って笑って笑って笑って…笑い終えた頃には、今度は透明の雫が蒼真の頬を伝っていた。

銀の少女は、何も言わない。


「別に……国主の地位が惜しかったから後悔してるわけじゃない。ただ、心配なんだよ…。国許に、俺が踏みとどまれなかったヒトの薄汚れた闇が渦巻く場所に弟と妹を残してきてしまった…そのことが、俺の心残りなんだ」


「―――助けには、行かないのか」


ここでようやく少女は口を開く。

蒼真は口元を歪めながら一蹴する。


「勿論行きたい……だが今更兄面して戻れるほど、俺は豪胆でも軽薄でもないんでね。俺はもうこれ以上、後悔したくはない。後悔すれば、残るのは心を縛りつけ傷つける鎖だけだ。…だから俺は、一日一日を全力で生きる。後でもっとああしていればとか、頑張っていたらとか…悔まないように」


「そして今に至る、か。お前の信念は理解できたがしかし、一体何が今のお前を駆り立てている?」


「…俺は、君に初めて会った時にこう、運命のようなものを感じたんだ。君と一緒にいたい、一緒にいなければならないって。それこそ今まで感じたことのない特別な想いで、俺の心を満たしている。だからこそ、俺は諦めたくない…いや、諦めたくない」


不意の言葉に少女の顔がサッと紅を帯びる…が、少女は蒼真に見えないように顔を背ける。

蒼真はそれに気付かないままゆっくりと立ち上がった。


「ここで諦めれば絶対に後悔する。そうならない為にも、俺は足掻き続ける。どんなに醜くとも、惨めであろうとも。だから、君が認めてくれる位の男になるまで待ってい―――あたっ!?」


明後日の方向を向く少女に視線をやった瞬間、蒼真の頭に小さな衝撃が走る。

何か小さな物がぶつかったような衝撃だ。

衝撃の原因を探してみると足元に黄色い果実が一つ落ちていた。

蒼真が果実を拾い上げると、その光景を見ていた少女が少しばかり驚いたような表情になったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「私にはお前の過去がどういったものかは分からない。分からないが、知る必要もない。私からすればお前はお前だ。過去など関係はない、大切なのは今のお前自身だ。今のお前は過去の失態を悔み、それを糧に成長している。愚か者ならば出来ぬ事だ。それに――――」


少女がスッと指をさす。

その先にあるのは蒼真が手にしている黄色い果実だ。


「そんなお前を、お前の覚悟を、お前の信念を…山は認めてくれたようだ。その果実が証だ。大切に食べるがいい」


少女の言う山が認めてくれた証となる果実。

食べるには少々もったいなかったが、自分を責める空腹には逆らえずに思わずかぶりついた。

酸っぱい味が口全体に広がったが多量に含まれる水分が渇いた喉を潤してくれた。

今までに食べた事がない位に、美味かった。


「それにな…私もお前を認める事にする」


「え?」


一瞬何を言われたのか理解できなかったため、目をぱちくりとさせてしまう。

その様子に少女は小さく吹き出した。


「ククッ…。さっきも言っただろう…お前は成長していると。例え過去に愚かな行いをしようとも、それを悔いる事が出来るのならば、その者は愚か者とは呼ばん。真に愚かな者とは、自分の行為を省みず、他者を蹴落とし私利私欲に塗れて生きるもののことだ。まあ、お前が虚言を吐いているとも限らんが…私にはそうは思えない」


深く深く澄んだ蒼の瞳が蒼真の黒の瞳を見透かす。

不意に吹いてきた風が少女の銀の美しい髪を揺らし、陽光が更に髪を映えさせる。

幻想的な光景だった。


「廉直の士、蒼真よ。汝の想いに、信念に敬意を払い私の名を授けよう。私の名は――――――――」


一際強い風が吹き荒ぶ。

しかし蒼真も少女も微動だにしない。

二人の視線は交錯したまま、互いを見つめあっていた。














「私の名は――――――(ユエ)


夜空に光輝く存在を冠した名は、銀の少女を彩るには相応しいものだった。

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