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銀龍伝  作者: 秋月
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第一話:神の悪戯

夜明け前。

地平線の先が既に白んできていて、後数十分。

後数十分ほどで全てを照らす太陽が昇るであろう時間帯だった。

森の中に小さな村があるだけで、その周りは豊かに生い茂る草木で覆われているこの地方。

大地に祝福されたかのようなこの地方には、象徴であり聖なる山とされている蒼琉山が存在している。

限られた者しか足を踏み入れることの適わないその山には、絶対なる戒律の下に、綺麗な清流や鮮やかな果実、そして多くの生物が存在していた。

未だ人々によって護られ続けているその山の頂上……そこに聳え立つ大樹の天辺。

誰も踏み入れぬ場所の誰も上れないであろうその場所に、彼女はいた。


「……この場所のこの景色を見続け、早何百年になるだろうか。変わることのない自然は温かではあるが……」


彼女はそっと自分の胸に手を当てる。


「……私の心は依然として、冷たいまま、か。無いに等しい望みを待ち続けるとは、傍から見ればさぞ滑稽に映るのであろうな……私がヒトを見下すように」


ヒトはどれだけ時が過ぎようとも変わらずただのヒトだ。

己の欲のままに動き、己が利のためならば他者を蹴落とし、見捨て、裏切る存在。

その命は短く、ヒトは少しでも長く生きながらえる為に手段を選びはしない。

強欲なる醜き存在。


「自身の思い通りにならなければ、姑息で狡猾な手段を用いる事も厭わない存在など、もはや信じられなくなってしまったな。今も昔も信用出来る者など……彼を除いては……」


しかし、それは過ぎ去ってしまった時間の中の存在だ。

「フッ……」と自嘲気味に微笑し、揺れる枝の上ではあったが何食わぬ顔でゆっくりと立ち上がる。


「私も愚かになってしまったな。……あの時、気まぐれで行動しなければ、あの国を訪れなければ…………ん」


地平線に昇ってきた太陽を手で陰を作りつつ見つめながら思慮に耽っているとき、ふと視界の端で動く何かを捉えた。

目を細め、森の中をそこそこの速さで動いているのが何かを確かめる。

最初は興味を示していたかのような眼差しも、動く何かが分かってしまった瞬間に瞳の光が鈍くなった。


「ヒト、か」


見えたのは一人の若い男と、その後ろを走っている些か邪な顔つきの男たちだ。

大方、男の持ち物を狙う追いはぎ、といったところだろう。


「ヒトは愚かだ。獣でも必要な分の()しか獲らぬと言うのに、ヒトは必要以上の物を欲する。そのためにこの地上の生命は年々減りつつもある。自身で自身の首を絞めているとは知らずに」


やがて若者と男たちは森の少し開けた小高い場所に出た。

若者の動きが急に止まり、男たちがゆっくりと歩み寄っている。

先程まで森の木々の木の葉などでよく見えなかった若者たちの顔がハッキリと見えるようになる。

その瞬間だった。


「っ!!」


心臓がドクンと跳ね上がった。

追われている少年は、いつしかの彼と同じ鈍く光る黒曜石のような漆黒の髪を持っていた。

単なる黒ではなく、光を受ければ妖しく煌めく深い深い闇の色。

今の今まで長い時を過ごしてきたがあの色を見たのは久方ぶりだった。


「………………………」


ふと頭に過去の映像がよぎる。

しかし彼女はそれを振り払うかのように頭を振ると小さく溜息をつき、樹を蹴って宙に舞った。




   ***




「ハァッ……ハァッ……くそっ!」


忌々しげに口の中に溜まった唾をそこいらに吐き捨てただひた走る。

時折邪魔に感じる、自分でも長いと思うぐらいの肩まである黒髪を掻き揚げ、何重にも交錯する樹の迷路を走っていた。


「一体、いつまで、付いて来る気なんだよ」


自分自身で自己の迂闊さを呪いたかった。

前に滞在していた村で、流石にここにまで追っ手はいないだろうと顔も隠さずに表を歩いていた時に発見されたことを思い出す。

あの時の奴らの顔は今でも覚えている。


「あの、狂喜した顔……鬱陶しかったな、って言ってる場合でも、ねえよな…」


そうぼやきつつ頭と右の脇腹を手で押さえる。

追われている最中で奴らにつけられ、応急治療をしておいた傷がまた痛み出してきた。

治療したとはいえ所詮は応急。

完全に傷が塞がることはなく、未だ逃げるために走り続けているせいで逆に傷が開いてきた感じだ。

押さえている手を伝って多量の血が流れ落ちる。


「とにかく、この入り組んだ森で奴らを撒け、れば。……なっ…!」


そう呟いた矢先に開けたところに出てしまった。

全く樹が見当たらず小高い丘になったこの場所は、追われる身にとっては地獄への門のようにさえ思える。。

青年が狼狽しつつも真っ直ぐに走って突っ切ろうとした時、視界にサッと曇りがかかる。


「くっ……こんな時に、目がっ……」


「へっへっへ。ようやく追いついたぜ、っと」


低い声に振り返り、霞んできた目に映ったのは自分を追ってきていた者たち。

途端、無理をして走った反動のせいか、足から力が抜けて膝をついてしまった。


「長かった鬼ごっこもようやく終わり、ってか。いや、頑張ったほうだよお前は」


「ま、お前にゃ死んでもらわないといけないのよ。後々面倒になるってのがあの方の考えだからな」


「いやむしろ、ここで抵抗できない位痛めつけてからゆっくりと薬漬けにして、どっかの物好きの富豪にでも売りつけるか。幸い、なかなかの面してるしなぁ」


もう捕まえた気でいるのか、と思うも足に全く力が入らなかった。

目も白く霞み、もやは追っ手たちの顔すら見えなくなっていた。

それでも青年は毅然として言い放った。


「この俺がお前らに大人しく捕まるとでも思っているのか……俺を誰だと思っている」


「………金持ちの愛玩道具に小生意気な自我なんかいらねえ。いつまでも偉ぶってんじゃねえぞ!」


「黙れ、下郎が」


「てめぇ!」


青年の言葉に男の一人が怒りを露にして青年の頬を殴り飛ばす。

その瞬間に頬に鈍い痛みが走り、口の中で鉄の味が広がった。

青年の意識は既に朦朧としていた。


「…………………………く、そ」


必死に絞り出した声ももはや男たちには届いておらず、そ知らぬ顔だった。

青年を殴った男にリーダー格の男が待ったをかける。


「おい、もうやめとけや。大事な商品なんだからな」


「分かってるって。一回痛めつけとかねえと後でめんどいだろ。さてと……おい誰かこいつ担げや」


「ああ。……ぶえっくし! ……な、なんか寒くねえか?」


大柄の男が青年に近づこうとした時、大きなくしゃみをし、突然震えだした。

他の二人の男は大柄の男に言われて周りを見渡す。


そして気づいたのだった。

雪が降り始めてきたことに、辺りの気温が下がってきていることに。

急激な気温の低下に思わず鳥肌が立ち、息が白くなる。

その時だった。


『愚かなヒトよ』


「な、なんだ?」


「おい、誰だ! 出てきやがれ」


何処からともなく聞こえてきた透き通った声に畏怖の念を抱いたのか、男たちは辺りを頻りに見渡して声の主を探す。

が、主は見つからず声だけが只、響いてくる。


『何もせず、何も考えず今すぐこの場を立ち去れ。そうすればお前たちの安全は保障しよう』


響いてきた声の内容は男たちからすれば理不尽な内容だった。

単刀直入にいえば、獲物を寄こせと言ってるも同然だからだ。

リーダー格の男は大声を張り上げた。


「ざけんじゃねえ! こいつは俺らの獲物だ! 何処のどいつかは知らねえが、はいそうですかって渡すわけねえだろ!」


『…………強欲なればこそ、ヒトは愚かなのだな。自分の命だけを考えていればいいものを、強欲がゆえに命を落とすのだからな』


「「「!!」」」


刹那、ふわりと雪が舞い散るように少女は丘に降り立った。

だが男たちが少女を認識することは無かった。

少女の姿を見る前に、男たちは青き氷塊の中に閉じ込められ、その命を半永久的に封じられたからだ。

少女は汚物でも見るかのような冷めた目で男たちを見て小さく吐き捨てた。


「下衆が」


やがて少女は血で赤く染まりつつある少年を背負って、再び地を蹴って宙に舞った。

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