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夕食の時間になり、ダイニングに案内されたカレニナは、ローランの姿をぼんやり見て、先ほどのエミリーの話を思い出した。
…もしかして、あの噂はローラン様ご自身が?…
そんなことを思いつき、いつか聞いてみようと思った。
「お待たせしました」
カレニナが急ぎ足でテーブルに近づくと、
「こちらにどうぞ」
執事のピーターが椅子を引く。
そこは、大きなダイニングテーブルの角。
ローランと遠く離れて向かい合わせになるのかと思ったが、角を挟んだローランの右隣の席だった。
「近くに座っても大丈夫ですか?」
「もちろんだ。
今後もこのように座ろう。
端と端では遠すぎる」
それからふたりは乾杯をして、食事を済ませた。
「カレニナ」
部屋に戻ろうとしたところで、ローランに呼び止められる。
「まさか怪我などしていませんよね?」
「大丈夫だ」
ローランは微笑んだ。
「少し話をしないか」
「はい」
ふたりはサロンに移動して、向かい合わせに座った。
メイドがお茶を運んでくる。
温かいお茶を飲むと、今日1日のあらゆる場面が脳裏に浮かび、新たな生活の始まりを意識した。
「疲れただろう?」
ローランがやさしい眼差しで、カレニナを見つめた。
「いえ、大丈夫です。
ローラン様がご無事で良かったです」
「そのことだが…
あまり気に病むことはない。たとえ怪我しても命の危険がない程度だろうから何の問題もない」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「だから距離は作らないでほしい」
「距離…?」
「私が怪我しないよう、触れないどころかあまり近づいたりもしないたろう?」
「それは…」
結婚式のときも、私の希望で誓いの口づけはしなかった。
「これから一緒に暮らしていくんだ。距離があると不都合もあるだろう」
そう言って、ローランは手を差し出す。
「手をとって」
そう促されて、カレニナは恐る恐るローランの手に触れた。
ローランは触れるだけのカレニナの手を、ギュッと握る。
「ほら、何もない」
「はい…」
握ったカレニナの手の甲に、ローランは口づけた。
驚いたカレニナは、
「あっ」と小さく声を上げて頬を赤く染める。
ローランがカレニナの手を解放すると、膝に戻した自分の手を見ながら、カレニナが口を開いた。
「ローラン様、噂は真実ではないのですよね?」
「なぜ?」
「女性嫌いや潔癖症なら、私に触れたりしませんもの。やさしいお気遣いは冷血漢にはできません」
「あははっ。
簡単に見破られてしまったな。
きっと、噂の出所もわかってしまったかな?」
「はい。
今、確信しました」
「あははっ。カレニナには敵わないな」
リラックスして笑うローランは、眩し過ぎるとカレニナは思った。
同時に聞いてみたくなる。
「なぜ、そんな噂を?」
「君なら予想がつくだろうが、初めての社交の場で嫌な思いをしたんだ」
「まぁ…
やはりそうでしたのね」
「私に近づいてくる女性たちは、私の外見しか見ていなかった。
まぁ、初めてのパーティーだったから、私を知る人もいなかったのだが、言い寄ってくる何人もの令嬢に辟易してね。
私の前で罵り合いを始めたり、腕や背中を無遠慮に触れられて、堪らずその場を逃げ出したんだ」
「同じ女性として恥ずかしいです…」
…ローラン様の気持ちも考えずに、失礼にもほどがあるわ…
「あの場には、カレニナのように思う令嬢はいなかったよ。
そして、逃げたあとがさらにひどくてね。
夫がいるご婦人が後をつけてきた」
「まぁ!」
カレニナは目を丸くして思わず叫んだ。
「大きい声を出して申し訳ありません…」
「クスッ…
いいんだよ」
頬を染めて謝罪しながら俯くカレニナに、ローランがやさしく声をかけた。
「さらにご婦人の後をつけてきたご主人に、私との不貞を疑われそうになった。
でも、またさらに後をついてきた数人のご令嬢の様子を見て、ご婦人もその中のひとりであるのだろうと納得されたらしい」
「誤解されずに良かったです」
「それからというもの、ああいった状況に巻き込まれるのは嫌なので、社交の場には一切顔を出さなくなった。
そして、縁談など面倒なことを避けるようにあの噂を流した訳だ」
「その効果のほどは?」
「君は勘がいい。わかるだろう?」
「それでも縁談はきていたのですね?」
「そうだ」
「お気の毒に…」
カレニナは小さな声で呟いた。