12
眠りの出口を抜けて、意識が少しずつ覚醒してくる。
顔にかかる髪を払いのける指を感じて瞼を開くと、緑色の瞳が見つめていた。
「おはよう」
やさしく囁くローラン。
「おはようございます…」
昨夜の記憶がよみがえり、最後のほうは消え入りそうな声になる。
「クスッ。
からだは大丈夫か?」
「はい…」
「今日は無理をせず、ゆっくり休むといい」
「…ありがとうございます。
でも、大丈夫です」
「そうか」
恥ずかしさで頬を染めるカレニナを、ローランが愛しそうに見つめた。
その日以降、
ローランと寝室を共にするようになってからというもの、自分を女性として意識するような、そんな不思議な感覚がカレニナに芽生えていた。
剣術より刺繍のほうに気持ちが傾き、ときにはキッチンで料理をする…
カレニナの日常は穏やかに過ぎていった。
そんなある日、カレニナはローランに呼ばれて執務室に向かった。
「ローラン様」
執事のピーターに伴われて入室した。
両手には、綺麗に刺繍された白い布がかかったトレイがのっている。
「それは?」
ローランの問いに、
「ちょうどお菓子を焼いていたのです。
ひと息入れませんか?」
「ああ、いただこう」
カレニナに続いてワゴンを押してきたエミリーが、執務室の真ん中にある、大きなローテーブルにお茶を用意した。
カレニナがソファに座り、トレイにかかった布をとると、焼き菓子の甘い香りが広がる。
「うん、うまい」
カレニナの隣に座って菓子を口にしたローランが、表情を綻ばせた。
「よかった、喜んでいただけて」
「私どもにも頂戴しておりますので、ありがたくいただいて参ります」
そう言ってピーターがエミリーに頷くと、ふたりは執務室から出て行った。
「気を利かせてくれたな」
ローランがいたずらっぽく呟いた。
「その刺繍もカレニナが?」
菓子にかかっていた布を見ながら、ローランが尋ねる。
「はい、刺繍は得意なので…」
「剣術は?」
「それは…」
「鍛練のために私と手合わせしようか?」
「イヤです…」
「嫌と?」
「妻の勇ましい姿なんて、見たいですか?
それに…」
「それに?」
「嫌われるのはイヤです」
「なぜ嫌う?」
「淑女じゃないです…」
「カレニナは十分過ぎるほど魅力的だ。静かにお行儀よくしているのが淑女なら、私の妻は淑女でなくてよい。
カレニナには自分らしくいてほしい。
私の妻は、唯一無二のカレニナだけだ」
「ローラン様…」
ローランがカレニナの肩を引き寄せて口づけた。
「はぁ…
仕事が嫌になった。
ずっとこうしていたい」
「まぁ、ローラン様ったら…」
軽口なのか本気なのか、ローランは眉尻を下げて苦笑した。
「そうだ、忘れるところだった。
君に伝えることがあったんだ」
「はい」
「今日、陛下からパーティーの招待状が届いた。
毎年この季節には、『豊かな自然を守る妖精』を労うとされるお祭りが民の中で行われるであろう?
今年は王宮でもパーティーを開くそうだ」
「そうなのですね」
「カレニナとこうして夫婦になれたのも、陛下のおかげでもあるからな。
行くつもりではいるのだが、注目されるのは間違いない。君は大丈夫かな?
もし無理そうなら、事情を話せばご理解いただけるはずだ」
「いえ、私は大丈夫です…
ローラン様が一緒なら」
「そうか。
では、早速いろいろと手配させよう」
ローランは執事のピーターを呼ぶと、仕立屋や宝石商の手配をし、その日までに仕事が滞りなく運ぶように段取りさせた。
「ローラン様、
私はそろそろ戻ります」
忙しそうなローランを見て、カレニナは立ち上がり扉へと歩きだした。
「カレニナ。
うまい菓子をごちそうさま。
それと、私は勇ましい妻の姿も愛おしく思うぞ」
輝くような美しい微笑みを浮かべて、ローランが声をかけた。