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短編集  作者: さんぱく
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共依存*

『忠犬、猛犬、愛犬』

※若干ドロドロ(ギスギス?)で、とりとめもなく長い。

 対等でない関係性は不健全であり、到底容認されるべきものではない。支配して、従って、尽くされて、犠牲にして。それって、幸せ?


内海(うちみ)君ってば、本当にわんちゃんみたいだね」


 緩く巻かれた、柔らかそうなミルクティーカラーの髪が、視界の端でふわりと揺れた。フローラルな香りが鼻腔を掠める。庇護欲をくすぐるような可愛らしい見た目とは相反して、その印象的な丸い瞳は、露骨な好奇心をちらつかせながら爛々と光輝いていた。


「……どちらさま?」

「あれ、私のこと知らないんだ。雛倉(ひなくら)君から何も聞いてない?」

「……イエ」

「そっか、残念」


 とあるうららかな春の日、キャンパス内のベンチであいつを待つついでに日向ぼっこを楽しんでいた俺の隣に、その人物は当然のように腰掛けてきた。

 イマイチ読めない表情で俺を見据える件の彼女に、やや体ごと視線を移し、その容姿やら服装やらをしげしげと確認して脳内の引き出しから該当する人物を探し出そうと試みる。

 が、やはりどうしたって見覚えがない。少なくとも俺の中では初対面であることが確定。となると、相手だけが自分の素性を知っている、あるいは知っているふりをしているということになる。まぁどちらにせよ、あまり気分は良くないな。


「えっと、俺達ってどこかで会ったことあったっけ?同学年かな?ごめんね、記憶になくて。君みたいな可愛い子、一度見たら忘れないはずなんだけど」


 眉をハの字にして、大袈裟すぎない程度に下げて、でも決して目線を相手から逸らさずに、口元には控えめな笑みを。

 声の調子にも気をつけながら、女子達に親しみやすいと好評な顔を作って、ダメ押しに小首を傾げるオプションもつけた。多少目つきが悪くても雰囲気で誤魔化せるのだから、愛想ってやつは偉大だ。

 

「そ、内海君達とおんなじ2年で文学部。綾瀬諒華(あやせりょうか)っていうの。内海君の名前と一文字違いなんだよ、わりと運命感じない?」


 ね、涼真(りょうま)クン。

 一見、人懐っこい仕草で笑いかけておきながら、その実、彼女の目の奥は冷め切っていた。値踏みの真っ最中とでも言ったところか。てか何気にフルネーム把握されてれんの?嫌かも。

 「そうだね、きっと運命だね」などと投げやりに嘯いてへらりと気の抜けた表情をすると、同様に綾瀬も相好を崩して柔らかい微笑みを浮かべた。かと思えば間髪入れず、その可愛らしい外面を貼り付けたままに、「あ、間違っても本気にしないでね」と俺への嘲りと確固たる自尊心が多分に含まれたセリフを吐いてくるものだから、ピクリと頬が引き攣りかける。


「……それで、なんで綾瀬さんは俺のこと知ってたの?」

「雛倉君のことが好きだから」

「あ、なんだ」


 典型パターンのやつじゃん。

 それなら納得、と口の中で呟いて、ベンチの背もたれに全体重をかけてから、何となしに脚も組む。

 思い返してみると彼女は最初からやつの名前を口にしていたのだから、少し考えれば容易に察せたはず。いやしかし、この心地よい春の陽気が悪いのだ。つい先程までひとり、暖かな日差しに包まれて平穏に微睡みを享受していたのだから、頭の回転が普段よりゆるやかになってしまうのも致し方ないだろう。つか、むしろ当然。

 などと心中でひっそりと自己完結して、空を見上げながらリラックス状態に浸かっていると、横から「今ので一体何に納得したわけ」と刺々しく吠えられた。億劫に感じる気持ちを押し込めて、ゆるりと首を動かし口を開く。


「あれでしょ。要はさ、綾瀬さんにとっての俺は、意中の雛倉クンの隣に四六時中ひっついてる不相応な男ってとこでしょ?雛倉のオマケ、付属品。悲しいけど、俺に接近してくるやつらって大抵、俺のそういう立場しか見てないんだよね。それも、勝手に嫉妬やらして悪意ぶつけてくるか、踏み台にしようと妙に擦り寄ってくるかで極端に二分されるし。大学入った時からずっとそんな調子で、俺は寂しいかぎり」

「……あんたが雛倉君に寄生する目障りなやつって認識は合ってる。大正解だよ。意外と身の程を弁えてるんだね」

「その口ぶりからすると君は前者側?身勝手な八つ当たりは勘弁して欲しいな。俺にも感情はあるんだ、一応」

「あんな浅ましい人達と一緒にしないで」

「あれ、違うの?じゃあもしかして、純粋に俺個人に興味もってくれたとか?あは、嬉し、」

「雛倉君が関わってないあんたに価値なんてあるわけないでしょ、馬鹿?」


 底冷えするような声色でそう吐き捨てた綾瀬は、淡々とした真顔で俺を睨みつけた。感情的になって逆上してこない辺りは好感が持てる。とりあえず、盲目な雛倉信者ではなさそうだ。

 

「辛辣だね、傷つくな。それなら、君の何が他の人達と違うのか教えてくれない?馬鹿な俺のためにさ」

「……少なくとも、」


 あの自己陶酔してる迷惑女とは違う。

 ギリ、と苛立たしげに歯噛みした彼女が指差した先を一瞥すると、一組の男女が近距離で話し合っているのが目に入った。まぁ正確には、女側が一方的な告白劇を展開しているだけなのだが。

 思わず苦笑してしまうと、ギラギラと鋭い眼光を向けてくる綾瀬に、「なに他人事ぶってんの?あんたがあの人に加担したの知ってんだから」と刺された。どうしてそれを、と問うまでもなく、すかさず「私の情報網舐めないで」とだけ簡潔に解答が付け足される。

 加担、か。そうとも言えるのかな。


「……そりゃ他人事だろ。俺はあくまでも彼女に託された手紙を雛倉に渡しただけで、あとはあいつ自身が自分の意思に従ったまでだよ」


 薄ら笑いを浮かべて答えると、またしても綾瀬がギャンギャンと吠え出したが、今や俺の意識は例の男女、雛倉と、彼に対峙する眼鏡美人に持っていかれていたために、それらが耳に届くことはなかった。

 雛倉(みこと)は美しい男だ。赤みを帯びた茶髪と宝石のような瑠璃色の瞳は彼生来のもので、その人間離れした、精巧な人形じみた美貌に拍車をかける要因のひとつとなっている。高身長でスタイルも良く、整いすぎた美麗な顔立ちはともすれば中性的に思えるが、均等なバランスでついた程良い筋肉が絶妙な男らしさを演出している。

 彼には大衆向けのアイドルや俳優のような派手で華美なオーラはない。雛倉自身も積極的に人前に出ることを好まず、普段の大学では隅を歩くような過ごし方をしているから、ミスコンだなんだと騒がれることだってありえない。

 ただその分、いやだからこそ、一度、彼の魅力に気がついてしまえば、人は彼から目を離せなくなる。静謐な美しさには底知れない神秘性があり、そこに存在するだけで周りを惹きつけるのだ。それでも仮に、彼の性格が壊滅的に悪かったならば人々の好意もある程度は歯止めが効くだろうに、当の見目麗しい男は謙虚で人並みの思いやりを備えているのだから、仕様がない。

 そんな雛倉は基本的に誰とでも平等に接するが、裏返せばそれは、誰とでも一定の距離を空け、己のパーソナルスペースに決して人を入れようとしない、と言うことでもある。

 だがしかし、ひとりだけ例外がいる。それが俺、内海涼真だ。

 俺は雛倉と唯一地元が一緒で、高校時代になんやかんやあって彼の隣が定位置となってしまった流れのまま同じ大学に進学した結果、現在も惰性でこのポジションを降りられずにいるのだった。

 そうして現在進行形で、帰り際に俺の差金ともいえるサークルの先輩に呼び出されて告白され始めた雛倉を待っていた俺のところに、初対面の綾瀬が急に突っかかってきた、というのが冒頭での顛末である。

 暫しの間、感覚を鈍らせてぼけーっと遠くの彼らを眺めていたが、ふいに先輩の方が立ち去るそぶりを見せ出したので、ひとつ大きな欠伸をしてから、重い腰を上げようと体に力を込めた。しかし中腰程度になったところで、


「まだ話は終わってないんだけど?」

「ぅわっ」


 斜め下から力強くジャケットの裾を引っ張られ、バランスを崩した俺は呆気なくベンチに逆戻りした。

 未だ解放される兆しがないことを心底面倒に思いながら、ずれてしまった襟元を直す。そうしてようやく綾瀬に向き直ると、あからさまに眉を顰めた顔がすぐそこに迫っていた。視線はジッと、俺の首元に注がれている。


「……な、」

「これ、」

「うっ」


 嫌味を口にしようとした途端、勢いよく遮られたと同時に細長い手が伸びて、俺が咄嗟に反応できなかったのをいいことに、綾瀬は首のそれを無遠慮に引っ張り出した。つんのめって否が応でも距離が縮まる。最早、鼻先がくっつきそうなレベルだった。


「ドッグタグ?」

 

 綾瀬の手の中で、小ぶりな銀色が陽光を反射してきらりと煌めいた。くそ、最悪。


「……そうだけど?ダサいとは言わせないよ」

「自分で買ったの?」

「あぁ」

「嘘つき」

「は?」

「雛倉君が言ってたの。雛倉君、」


 人生でたった一度だけ、人に贈り物をしたことがあるって。

 

「……随分と、大袈裟で胡散くせぇ言い回しを」


 乾き切った喉からかろうじて声を捻り出した直後、対峙する瞳が眇められたのを見取ったために、己の愚かな判断ミスを悟った。無様な舌打ちが漏れる。荒んだ心のままに「鎌をかけたのか」と追及すると「物の詳細は聞いてなかっただけ。装飾品あたりだろうなって目星はつけてたけど、私って案外、勘が鋭いのかも」などとおざなりな呟きが返ってきた。 

 数秒間、あるいは数十秒間。近距離な体勢を戻そうともせず、思案げに目線を落とし続けていた彼女だったが、やがて、含みを持った双眸が俺に向けられた。

 

「雛倉君に群がる有象無象と私の何が違うのか、だっけ?いいよ、教えてあげる」


 ぐっ、とタグごとチェーンを引き寄せて、綾瀬は俺の耳元で囁いた。脳内が蝕まれるような声色だった。


「私は、彼に近づくために道具を使うなんていう下等な真似はしない。彼だけを見て、彼だけに寄り添って、彼だけに伝えるの。それが誠実ってものでしょう。本当に好きで大切な人だから、私は彼自身に向き合って正面から尊重したい。何一つ取りこぼしたくない。……そう、私は心の底から彼を慕っている。だからこそ、」


 雛倉君は、私の恋人になってくれた。


 その一言を厳かに吹き込まれた瞬間、沸々と湧き上がってくる感情に耐えきれそうもなかった俺は、


「……あははっ!」


 清々しい気持ちで嘲笑した。

 あぁなんだ、所詮はありふれた勘違い女だ。

 俺の堪えきれなかった笑い声が、つい先刻まで緊張が張り巡らされていた空気を突如として揺らしたのが予想外だったのか、綾瀬の顔が無防備なほど驚きに包まれる。

 彼女の両肩に手を添えて、交差されていた体を真正面同士に戻してから、その丸く見開かれた瞳に映る自分を注視した。


「もしそれが本当なら、君は開口一番に誇らしげな笑みで俺にそれを宣言をしただろうし、というか、わざわざ俺なんかに構わずに、堂々とあそこの雛倉達の間に割り込めたんじゃないか?正式な恋人として。でも君は現にこうして、君の言うところの道具に突っかかってきているわけだ。ねぇ、もう一度聞かせて。……綾瀬さんは一体、どの辺が特別なんだい?」


 怒るか、泣くか、黙るか。それとも無反応か。己の口がほぼ反射で、自動的に綾瀬相手に捲し立てていくのを感じながら、暇な頭の中では、彼女か次に見せるであろう表情のパターン予測が浮かんでくる。

 けれど。最後のセリフを締め括った時、俺に向けられたのは、


「……内海君、何をそんなに必死になってるの?まるで雛倉君が誰かに取られるのを怖がってるみたい」


 どこまでも素朴な、問いかけ。


「……は、」

「内海君にとって雛倉君は他人事なんでしょ。ならどうして、私が彼の恋人だって言っただけで、ここまで糾弾する必要があるのかな。別に飄々と流せば済む話じゃないの」

「っそんなの、ろ……」


 論点ずらしだ、と口にしようとして、ふいに舌がもつれた。

 片手でパシリと口を押さえる。胸にじわじわと広がる、ぐちゃぐちゃな得体の知れないものに、冷静だったはずの思考が絡め取られていく。


「最初に話しかけた時はどうでもよさそうにヘラヘラしてたくせに、雛倉君との話になった途端、妙に煽り出したよね」

「……先に嘲りをちらつかせたのはそっちだ」

「あぁ、名前のくだり?あれはほら、アピールというか、牽制しておきたかったから」

「は?」

「言ったでしょ。私達って運命的に名前が似てるの。それに身長だって大差なさそうだし、おんなじ大学に通ってて、同じ学年で学部。対人スキルもたぶん同じくらい。あと私、好きな人には意外と従順に尽くすタイプだよ」

「……何の話だ」

「まだわからない?つまり、」


 一度は手放した銀のタグを、再び握り潰さんばかりに掴み直して、綾瀬は獰猛に笑い、言った。


「私があんたの代わりになるから、あんたはお払い箱ってこと。雛倉君のことどうも思ってないなら、素直に祝福してみせてよね」


 頭から冷や水を浴びせられた気分だった。

 急速に体が冷えていって、熱を失って。いや、違う。違うな。むしろこれが、このほうが。

 俺にとっての、正常なんだ。

 

「リョウ!」


 ここ数年間で聞き馴染んだ、否、馴染みすぎてしまった、声と呼び名が、耳朶を打つ。ふたつの青い宝石が俺を凝視していた。


「あっ、尊君!」


 軽やかにベンチから立ち上がった綾瀬がたたっと雛倉に走り寄っていって、喜色を露わにした高い声色で彼の名を呼び、その腕に抱きついた。

 嬉しい、幸せ、好き。その他のありとあらゆる好意的な感情が、彼女の些細な仕草からでさえ感じ取られた。頬も紅潮している。もし彼女に尻尾があれば、今ごろ千切れんばかりに揺れていたことだろう。


「……君は、確か……」

「もー!愛称で呼ぶくせに本名は忘れちゃったの!?諒華だよ、りょーうーか!酷いなぁ、尊君」

「あ、違うんだ。誤解だよ。俺が呼んだのは君じゃなくて、」

「雛倉」


 声をかけると、俺と綾瀬の間で忙しなく行き来していた視線が、ピタリと俺に留まった。


「リョウ……」


 頼りなさげに同じ単語を繰り返し、一直線に向けてくるグラついた瞳から、目を逸らす。そのまま迷いなく歩を進めつつ、俯き加減になって首の後ろに両手を回し、留め具を探り当てる。なかなか外れなくてイライラした。

 目の前に辿り着き、張り付いて離れない綾瀬から焦げるような眼差しを受けながら、空いていた片方の手で雛倉に手を差し出すようジェスチャーした。だが一向に従う気配がない。痺れを切らした俺は、手の中でジャラリと鳴る銀色を無造作に見せつけてから、


「これ返すわ」


 それをやつのポケットに強引にねじ込んだ。

 「え」と一音発したきり動かなくなった美形の肩に、すれ違いざま、ポンと手を乗せ、よく通る声を意識して言葉を紡ぐ。


「綾瀬さんとお前、お似合いだよ。おめでとう。こんな可愛い彼女ができたお前が羨ましいわ。でも本当、最高のカップルだと思うよ。大切にしろよな」


 へらりと微笑んで、低く柔らかい声で「だからもう、俺に関わらないでくれていいよ」と耳元で付け足してから、俺は今度こそ、その場を後にした。


*****


 徐々に日が暮れかけていく講義後。夕陽に照らされる中、レポートで使う参考文献を借りるために図書館へ向かっていると、


「い、痛いっ!あぁどうしましょう、原因不明の激痛が足に……!」


 目の前で芝居が始まった。

 

「あぁ嘆かわしい……!これでは歩くことさえおぼつかないわ……」


 よよよ、とわざとらしい泣き真似をして地面に膝をつく女性には、残念ながら大変見覚えがあった。サークルの先輩で俺の一学年上。一見クールな眼鏡美人だけど、その実、性格に難ありな曲者。つまり、関わらないのが吉。


「あっ、あの、大丈夫ですか?僕でよければ肩をお貸し、」

「なんて可哀想な私!さぁ誰か、救いの手を!」

「え?!あの、え?」


 早々に決断を下して横切ろうとする俺とは対照的に、善良無知で哀れな男子学生がかの人物に手を差し出したのを、横目で捉えた。が、当の彼女はガン無視を決め込んで悲劇のヒロインを続投しているらしい。大した根性だ。ますます関わりたくない。

 そうして足を早めて、


「内海涼真、甲斐性なしの薄情者」

「……足治って良かったですね、神楽(かぐら)先輩」


 後ろから腕を掴まれ、動きを止められた。

 じり、と地面を踏み締めながら観念して振り向くと、無表情の美女こと、神楽先輩と目が合った。少し体を傾けて、「親切な彼のことはいいんですか?」と、先程の男子学生が困惑しまくってうろついてるのを見ながら問えば、「逃げようだなんて生意気ね」と背後を一瞥しようともせずに返答。人の話を聞かないなんてザラだ。男子学生は一頻り狼狽してから、肩を落として去っていった。


「あの方が女と交際を始めたわ。確か名前は、綾瀬諒華、だったかしら」


 艶やかな長髪をサラリとかき上げ、先輩は言った。普段は全くの無表情か人を食ったような笑みかのどちらかがデフォルトな彼女にしては珍しく、その顔には一抹の苦渋が見て取れた。

 と、次の瞬間、ふらりとタタラを踏んだ彼女は、「私の申し出を断った直後に特定の相手を作るだなんて……あぁ、胸が張り裂けてしまいそう」などと呟き陳腐な劇場を再開し出した。この隙に、とは思うものの、如何せん腕に絡められた5本指が外せない。その枷に悪戦苦闘していると、いつの間にか終演を迎えていたらしい先輩に顎を掴まれ、強制的に視線を合わせられた。


「時に内海涼真。シンクロニー現象をご存知?」

「……心理学ですか」


 他者を顧みない、相変わらずの飛躍ぶりに疲労感を覚えながらも、一方的に投げられたボールを投げ返してやる。これまでの経験から、ここで頑なに拒否する方が後々面倒になるのは分かりきっていた。


「またの名を同調現象。多くの時間を共にして親しくなった2組の人間の言動が、その心理的な距離の近さから、知らず知らずのうちに互いに似通ってくる現象のこと」


 淀みなく講釈を述べる神楽先輩。次第に、彼女の表情には人を揶揄うような色が乗って、その口元がゆるりと弧を描いた。とてつもなく嫌な予感がする。

 顎に添えられたままだった、繊細そうな先輩の手を掴まれていない方の手でそっと外す。と、何故か彼女自ら、俺の腕を拘束していたもう片方の手を離した。図らずもこれで逃走条件が整った、にも関わらず、依然として頭の片隅で警鐘が鳴り響いている気がする。

 それに気を取られて駆け出すのがワンテンポ遅れてしまったために、


「この意味が理解できる?内海涼真」


 その妙に甘ったるい囁きと共に突き出された両腕を、避けることができなかった。

 俺の首に腕を回した先輩は、まるで逢瀬を楽しむ恋人かのような雰囲気を醸し出し、さぞ愉快そうに言葉を紡いだ。


「仕方がないから代替品で妥協するわ。例えあの方の足元にも及ばない凡庸な男であっても、そこにあの方の残り香を感じられる可能性があるならば、」


 試してみる価値は、十分にある。

 いっそ毒々しいほど鮮やかに彩られた紅色のそれが、俺のものに重なりかける、が、


「……公衆の面前ですよ、先輩」


 寸前で諦め半分にそう咎めると、電池が切れた玩具のようにピタリと動きが止まった。その後、視線だけで周囲の状況を把握した様子の先輩は、一瞬、退屈そうに目を細めてから、


「そうね」

 

 呟きを落として、絡めていた腕を解いた。ちらりと辺りを伺えば、野次馬根性丸出しのギャラリーどもが蜘蛛の子を散らすように去っていくところだった。下手に場所を移動しなかったのが幸いした。

 そうして、「どこかで続きをしましょうか」などと尚も戯言を弄する先輩に対し重い口を開きかけて、ふと違和感。強い眼差しを感じる。

 さっきの奴らの残党か、と何気なく首を動かした瞬間、全身に覆い被さる後悔。踵を返して数歩地面を蹴飛ばしたところで、あっさり先回りをされた。あぁそうだったな、お前は足も速いんだ。


「リョウ。リョウ、俺、綾瀬さんのこと大切にしてるよ」


 立ちはだかる壁から目線を逸らし続けていると、彼の後ろに着いていたらしき綾瀬が昏い瞳をした神楽先輩に捕まっているのが見えた。それを見据えながら、「その大切な彼女が困ってるんだから助けに行きなよ」とアドバイスしてやるが、憎らしいことに行動を起こす気配が微塵もない。


「大学でいつも一緒にいるし、もちろん帰りも一緒だ。連絡もこまめに取り合ってる。デートだって何回もした。たまに手を繋いだり、ハグしたり、それから、」


 ひどく、耳障りだった。


「どうでもいい。俺の視界に入らないところで勝手にやってろよ」


 ドン、と思い切り雛倉の体を押しやれば、奴は素直によろめいた。気に入らない。何が?全部だ。いま存在しているもの全部。


「なんで。だってリョウが、おめでとうって、リョウが認めたから俺は、」

「っリョウ、リョウ、リョウって!うるせーんだよ黙れ!」


 両手で耳を塞いで叫ぶ。俺は激昂している。誰が冷静に分析した。

 ……あれ。おれってだれだ?

 気づいた時には無我夢中で街中を走っていた。息苦しくて心臓が痛くて向かう場所もないのに、足が止まらない。

 ようやく体のコントロールを取り戻した頃にはすっかり日が暮れていて。汗ばんだ肌を撫でる夜風が、少し気持ち良かった。


*****


 小5の時、良心に唆されていじめられっ子を庇ったことがある。

 そして次の日から俺がターゲットになった。俺を囲んで笑う奴らの中には、俺が助けたはずのそいつもいた。初めてみんなの仲間に入れてもらえたから、大層嬉しそうにはしゃいでいた。

 物に当たって何か派手に壊したい気分だったけれど、それで両親に怒られるのが嫌でひたすら枕に拳を叩きつけた。悔しくて、やるせなくて、腹立たしくて、感情の波が胸の中でめちゃくちゃに暴れ狂う。

 挙句、あんな冴えなくて性格も終わってるやつハブられて当然だったのに、と考えた。あのままで良かったのに、とも。

 その途端、弱い者いじめをするクラスメイトとそれを冷めた目で嫌悪する俺という、かつての構図が脳裏に浮んだ。だがふいに、彼らと自分を確かに峻別していたはずの境界線がぐにゃりと弛み、段々と曖昧になって、闇に溶けていく。徐々に区別がつかなくなる。

 そうして、いつの間にか俺も向こう側に立っていて、大勢の仲間と示し合いながらゲラゲラ笑い、縮こまって無抵抗な影を足蹴にしていた。

 いくら正義ぶっても、結局は自分も、彼らと大差ない存在なのだ。

 それからしばらくは自責が趣味になって、それにも飽きてからは単なる惰性で生きていた。



 高2のあの日は、前日の徹夜が祟って頭の働きが相当鈍く、つまるところ自分でも呆れるほどに無防備だった。だからだろうか。普段は気にも留めないような美術室の作品掲示が、その日、妙に目に留まったのは。

 テーマは鉛筆デッサン。無数に飾られた作品の中にひとつ、飛び抜けて下手くそなものがあった。他の生徒のものに比べて影の濃淡が極端で、線の強弱も少なくて、全体的に歪な印象を受けた。線の一本一本に過度に力が入っていて単調。授業時間ギリギリになって焦って完成させたのかもしれない。

 一頻り眺め終えたのち、教材を腕に抱え直して歩みを再開した。しかし例の下手な作品の前に差し掛かった時、足が止まった。何となく目が離せない。

 惹きつけられるようにして、伸ばした指の腹でそっと絵を撫でた。指から伝わった感覚に思わず目を見開く。勢いだけで断定的に引かれたものだと考えていた力強い線の周りに、幾筋かの見えない線があった。いま残っているものと恐らく同じ程の筆圧で描かれ、そして最終的に、遠目からは完全に認識できなくなるほど徹底的に消された、数本の線。紙の凹凸に触れるまで全く気づかなかった。

 静かに息を飲んでいた俺に、通りがかった同じクラスの女子が声をかけてきて、俺の目線を追いかけた彼女は合点がいったように笑った。


『意外だよね、雛倉君が絵下手なの。何かお茶目で可愛いけど』

『……へぇ。あの雛倉が』


 頷きながらも半信半疑で作品の下に視線を落としてみると、そこには確かに、フォントのように整った字で「雛倉尊」と名前が添えられていた。

 あの秀才で、何でも涼しい顔でこなす、嘘みたいに綺麗な面をした男が。こんな不器用な絵を描くのか。

 衝撃はいつまでも留まって、残りの授業が全部終わるまでの間に、数えきれないほど彼のことを心に浮かべた。脳内を占領し続ける彼の姿のせいで、飲み物を口にすることさえ忘れてしまっていた。乾いて張り付く喉を潤すために、下校前、校内の自販機へと寄ることにする。

 道中にある男子トイレから、ふいに断続的なえずきが聞こえた。聞こえなかったふりをして自販機へと向かった。折り返して同様の道を歩いていると、まだえずきが止んでいなかった。気まぐれで片足を踏み入れた。

 彼に特徴的な、美しい赤銅色の髪が見えた。

 ゴトッ、と手からペットボトルの水が滑り落ちて、その落下音に反応した雛倉がこちらを向いた。体を折りたたみ、便器に頭を近づいて必死に吐いていた彼の顔には、ボタボタとよだれが垂れていて、目は痛ましいほどに充血していて。とてもとても、苦しそうだった。

 あぁ。彼も人間なのだ。

 ゆっくりとした足取りで距離を縮めて側にしゃがみ込む。手を伸ばすと容赦ない力で叩かれた。赤くなって痛む手を再度、慎重に伸ばせば、今度は払い除けられなかった。

 小刻みに震える背に手のひらを置いて、上から下へと何度も何度も、線を描くように滑らせる。激しい嗚咽が始まった。俺は何十回、何百回。彼の震えが収まるまで、触れるのをやめなかった。


*****


 がむしゃらに意味もなく走り回ってしまったから、見慣れた家路まで戻るのに随分苦労した。

 信号機の発光でさえ目に染みる。歩道側の信号が青に変わって、空を見上げながら歩き出した。小雨は本格的な雨に変わろうとしていた。

 ーー後ろから抱き込まれ、体が大きく傾いて視界がぐるりと回転する。耳をつんざくクラクション。


「リョウ!」


 状況を理解するのに数分を要した。目と鼻の先で急ブレーキをかけたトラックを認識して、腰が抜け、その場にへたり込んだ。俺の腹に腕を回していた雛倉はそのまま俺を持ち上げ、屋根がついたバスの停留所まで引きずった。あと少し遅ければ、俺は轢かれて死んでいたのかもしれないと、どこか他人事のように思った。


「リョウ。俺、綾瀬さんと別れた」


 ポケットから取り出された小さなタオルが俺の頭に被せられて、濡れた髪を雑に拭かれた。嗅ぎ慣れた匂いがする。


「リョウが認めたらっていう条件だったんだ。でも俺、隣がリョウじゃないのが耐えられなくなった。リョウは俺の唯一で、俺にはリョウしかいないんだ」


 懲りもせずにその呼び名を連呼する雛倉に、俺の中の糸がぷつりと切れた。


「お前が呼んでるリョウは、俺じゃないよ」


 タオルを無理矢理に奪い取って、ぐしゃぐしゃに握って目元に当てた。顔を見たくなかった。


「それはお前がお前の中に勝手に作り上げた幻想だ。都合のいいように構築された俺の偽物だ。わかるだろ?なぁ」

「……違う。リョウはリョウだよ。あの日、俺を救ってくれた、大切な人」


 握りしめている拳を暖かくて大きな手が包んだ。早く解放されたかった。もう自分が何を口走っているのかも、分からなくなってきていた。


「俺はさ、救世主でも理解者でもないんだ。お前が焦がれてるリョウじゃない。空っぽなんだよ、全部。もういいんだ、もうたくさんだ。だから、だからなぁ、頼むよ、」


 俺に愛想尽かす前に、俺の前から消えてくれ。

 タオルを掴んでいた方の手にも、同じ温もりが訪れた。優しく、残酷に俺の手首を拘束するそれによって、強制的に視界を開かされる。雨の幕によって仕切られた閉鎖的な空間で、瑠璃色の澄んだ宝石が俺を捉えて離さない。既に手遅れだった。

 「感情が、」とだけ発して声が裏返る。咳き込んでから、また口を開いてしまった。これで本当に後戻りできない。喉の奥から言葉が溢れる。


「感情の揺れ幅が、小さいんだ。みんなみたいに上手く反応できない。それでもたまに昂るときがあって、そしたら、感情に飲み込まれてる俺とは別の俺が、上から俺を覗き込んで、分析するんだ。いまだってこんなに苦しいのに、聞こえるんだ。それは同情を引くための打算的な演技だって、本当に感じてるわけじゃないって。なぁこれ、何なんだよ。俺たぶん自分で死のうと思えば死ねるんだ。嘘の塊で汚いから。あぁそうか、そうだな、俺ってやっぱ嘘の塊なんだ。……俺は何を信じればいい?正しいと思った途端に間違えだって声が降ってくる。現実を生きてる分には支障ないんだ。けど漠然とした絶望が消えてくれない。怖いよ。なぁ教えてくれよ、雛倉、」


 一体どっちの俺を殺せばいいんだ?

 

「……俺は」


 揺れる瞳に錯乱する俺が映り込んでいる。突然こんな狂言じみたものをぶつけられたら、動揺して当然だ。きっと今ならまだなかったことにできる。簡単だ。笑えばいい。……笑う?笑うって、どうやって?


「……リョウ、聞いて」


 たった一言が、俺を現実に引き戻す。

 胡乱な視線を投げかけた。雛倉は強張った微笑みを浮かべようとしていた。けれど物凄くぎこちなくて、本当は今にも泣き出しそうなのが手に取るように分かってしまう。


「俺はリョウに自分の感情を大切にしてほしい。悲しくて苦しいなら、素直に表に出して俺を頼ってくれ。リョウが感じてる気持ちは本物だ。偽物だなんて、変に、決めつけないでくれ」 


 赤褐色の柔らかそうな毛先から雨粒が滴り、彼の頬を滑らかに伝っていくのを目で追いながら、「泣けばいいのに」と溢したが、拾い上げられることなく雨音の中に溶けていった。


「でも、リョウの外側にいるリョウを、切り捨てるのは違うと思う。だってそれもリョウの一部で、リョウが生きてきた証であることには、変わりないから」


 一旦言葉を切ってから雛倉は俺を見据え直した。口を開いては閉じて、また開いて、閉じて。何かの表情を作ろうとするけれど、全然かたちになってない。やがて、掠れた声で「わかんないよ」と呟きが落とされた。俺の手ごと掬い取った布に顔を埋め、くぐもったまま「俺だってわかんない」と繰り返される。

 

「わかんない、けど、リョウがいなくなるのは、絶対に嫌だ。どうしよう。何も、できない」


 ふいに、整った顔が再び外気に晒された。ずぶ濡れになったタオルを地面に放り投げ、2本の腕で俺の体を掻き抱いた。人肌。外側が霞んで内側だけに意識が収束していく。


「ねぇ、リョウ、」


 一緒に死にたくなりながら生きていくのじゃ、だめかな。


 心臓がどくりと脈を打った。内部が焼けるくらいに熱をもつ。己の醜さを責め立てる叫びが四方から聞こえる。これに従えば安心するのを知っている。逆らったところで結局は後で打ちのめされるのも知っている。知っているけれど、だけど、仕方ないじゃないか。

 満たされていると、感じてしまった。

 俺は正常を捨てた。


「……じゃあ、そういうことにしといてやるよ」


 今はまだ。

 弱々しく抱きしめ返して、「逃げるチャンスなくしたな」と言ってやれば、それをどう曲解したのか「俺から離れたら後追いするから」と泣きじゃくられた。

 雨はずっと、降り止まない。


*****


 互いの温度を感じながら微睡んでいると、視線を落とした拍子に雛倉のポケットから何がはみ出しているのが見えた。タオルを引っ張り出した時についてきたのかもしれない。よく目を凝らしてみる。銀色のチェーンだった。


「……予想はしてたけどさ、」

「……あ」

「まさか、いつも持ち歩いてたわけ?」

 

 引き摺り出したドッグタグを目の前に翳しながら問うたところ、「あ」の形のままに口をポカンと開け続ける雛倉。図星かよ。

 

「……まぁいいや。ほら」


 ベリっ、とくっついていた体を引き剥がし、それをグイグイと雛倉に押し付け、背を向けて俯き、首を晒す。だがいつまで経っても反応がないので、仕方なく人差し指で自分の首を突き、「早くつけろよ」と早口で催促する。いい加減にしないと耳の熱が顔全体に伝播しそうだった。

 ようやくぎこちない手付きでチェーンを回されたかと思えば、金具がぶつかる音ばかりが耳元で響いて、一向に作業が完了しない。ぼーっと待っていると、「ハマった」と安堵した声。下を向き続けていたから首が凝ったな、と顔を上げようとして、


「っい!?」


 うなじあたりを甘噛みされた。突拍子もない行動に硬直していると、同じ箇所を分厚い舌でべろり舐め上げられた。我に返った瞬間、片手で勢いよくそこをガードして振り向けば、呆然とした顔の雛倉と目がかち合った。


「…………なに?」

「……ごめん、興奮、したのかも」

「………………趣味わっる」


 

 生きる意味なんて見出せない。何が正しいのかもわからない。自分を受け入れることも苦痛で、もがきながら、闇雲に進むことしかできない。

 けれどもし、お前が俺の命を縛り付けていてくれるのならば。

 それはきっと、幸せなんだと、信じていたいな。

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