13 サヨナラは暖かく ②
「……記憶がないんだけど、リリアがこれまで優しかったような気がして」
「何、こんなときに。同情するならもう遅いよ」
「同情しているわけじゃないけど、記憶が何だか、少しだけ思い出せそうというか、思い出してきたというか」
今はそんなこと言っている場合じゃないことぐらい、シーナだってわかっていた。それでも、頭が勝手に回想を始める。
「さっきシーナが言ってたじゃん。目の前にいるのは、私たちの知っている総合指揮官じゃないって」
「そうだよ、そうなんだよ。でも、何だか……ごめん」
シーナは言葉を切り、ナイフをリリアに向けて飛ばした。コントロール系魔術と空間系魔術を組み合わせ、自在にナイフを操った。
リリアはナイフを当たり前のように弾き飛ばしたが、ナイフに視線を向けていたリリアにシーナは走り寄り、レッグホルスターに挿していたナイフの一本で腕に切り傷を入れた。もう少し上を狙えば首に届いたが、彼女はそこまで腕を伸ばすことができなかった。
「リリア! 嘘でしょ?」
シーナはリリアの背後に回り込み、彼女の両腕を拘束した。次いで、背中から蹴り倒し、彼女が自由に動けないようにした。手にしていたナイフをレッグホルスターに戻し、両手でリリアの動きを制止した。
アイリスが向こうから走ってくるのが見えた。ナイフをしっかりと握っている。
「リリア、あなたのことがよくわからない。私には優しかったような気がするのに、どうして今はこうなってしまったの? どれがリリアの本当の顔なの?」
「そんなこと、あなたが勝手に決めればいい。私は私のするべきことをする。私が守れるのは私の命だけなんだから」
「まだ……まだ、許せるよ。今言ってくれたらいい。私のことで気に食わないところがあった?」
「そんなことは言ってないでしょ。こんなことしても、あなたの力じゃ私を拘束し続けるのは無理よ」
アイリスがやってきた。ナイフをしっかりと握り、ジタバタするリリアに突き刺そうとしている。
「待って、アイリス。もう一回だけリリアと話したい」
「ダメよ。ここにいるのは私たちの知っている総合指揮官じゃない。明白な敵でしょ?」
「でも、ちょっとだけ待ってほしい。何だか、……騙されているような気がしてきて」
「誰に? 何を? ……今やらないと、絶対に私たちが負ける。シーナもわかってるでしょ? 私たちが力を合わせたって、力の差は歴然としているの」
もちろん、そんなことはシーナも理解していた。
それでもこの場でリリアをアイリスに明け渡す気はしなかった。——合理的にそう考えたわけではない。むしろ、感情的にそうすることを選んでしまっていた。
「リリア、ほんの少しだけ、あなたを信じたいと思った。なぜかはわからない。でも、あなたのことを信じたいと思った。……覚えていないけど、何もわからないけど、でも、あなたは私のことをずっと近くで見守ってくれていたと思う。それなのに、急にこんなこと、考えられない。本当のあなたは、……どっちなの?」
「シーナ、やめて——」
リリアの声だった。だが、その声が急に止まったのは、アイリスのナイフが彼女の背中を突き刺したからだった。リリアの血が目の前に噴き出してきた。
「アイリス! 待ってって言ったじゃん!」
シーナは咄嗟にアイリスが刺したナイフを抜き、遠くに飛ばした。血相を変えるシーナを見て、アイリスは目を丸くしていた。
「大丈夫、これぐらいなら、私も医療魔法を使える」
シーナは自分に言い聞かせるようにし、医療魔法を発動した。リリアの傷口から流れる血の量が次第に減っていく。
「何してるの、シーナ。こんなことしたら、もう一回刺さないと……」
アイリスはレッグホルスターから次のナイフを抜き出し、また手に握った。
「待ってよ! すべてを理解できていないの。聞かないといけないことがある」
「なら、ダランに連れて帰ったときにして。ここで戦闘不能な状態にしておかないと、私たちの命が危ない」
アイリスはナイフを振り上げた。
だが、シーナはその手を払い除けた。アイリスが握っていたナイフは遠くに飛んでいった。
「ダメだよ。これ以上するとリリアが死んじゃう」
「シーナ、やめてよ。邪魔しないで。私たちのするべきことは、感情的に動くことじゃない」
アイリスは残る一本のナイフをレッグホルスターから抜こうとしたが、シーナが彼女のレッグホルスターを取り上げた。
「待ってって言ってるじゃん! ちょっとだけ待ってよ! する必要があるなら私がやるから、アイリスは待ってて!」
「何するの……。やめてよ……」
アイリスは徐に立ち上がり、シーナが投げ捨てたレッグホルスターを拾いに向かった。
直後、リリアはシーナのレッグホルスターからナイフを抜き取り、跨っている彼女を蹴飛ばして立ち上がった。
「リリア! 止まって!」
「シーナ、いいことを教えてあげる。戦闘中は感情を殺しなさい。相手を殺すなら、さっさと殺すこと。殺すことを躊躇っていてはいつまで経っても半人前よ」
リリアはそう告げると、驚いてこちらを向いたアイリスの胸にナイフを突き刺した。
「それが、あなたのダメなところよ。今までも、きっとこれからも」
リリアは突き刺したナイフを何度も捻り、アイリスの力が完全に抜けたところでナイフを引き抜いた。支えのなくなったアイリスは膝から崩れ落ちた。
「これが現実。これが私。わかったでしょ?」
「ア、アイリス……」
「あなたが私を助けようとしたから、アイリスは死んだの。あなたのせいよ?」
「アイリス……」
シーナは這って進み、血を流して倒れるアイリスを抱き抱えた。
「今は、あなたと私以外、この研究所には誰もいない。あなたが殺そうと思えば誰の邪魔もなく私を殺せたはずなのに、残念なことね」
アイリスを抱くシーナの肩を、リリアは足で何度も突いた。
「あーあ、かわいい教え子だったのに。できれば殺したくなかったんだけど」
リリアの言葉が頭上から降ってくるが、シーナは絶えずアイリスを抱いていた。
「さて、シーナ。あなたはこうはなりたくないでしょう? 私と一緒に来てくれたらいいのよ。あなたたちの心強い仲間は、まだ来ないだろうし」
「アイリス、アイリス……」
シーナはアイリスを揺すっているが、二度と彼女が返事をすることはない。目は見開いたままだ。
「ほら、来なさい。あなたが来るだけで、すべて片付くのよ」
シーナの肩を蹴っていたリリアは、今度はシーナの髪を掴んだ。無理やりシーナの顔を自分の方に向け、目と目を合わせた。
「……私のせい?」
言いながら、シーナはリリアの顔を見上げた。生気の感じない視線だった。
「ええ、そうよ。わかるでしょう?」
「そんな、そんなわけ……」
ふらふらと立ち上がり、リリアの真正面に並んだ。
「そんなわけ、ないじゃん!」
叫ぶと、即座にレッグホルスターから残り一本のナイフを抜き、リリアに襲いかかった。
リリアはひらりと躱すが、それは想定内。基礎共通魔法のメッリーサを強力にして飛ばし、見事リリアに的中させた。
リリアは背後の空間を切り取りシーナから距離を取るが、それよりも速いスピードで空間を切り取りすぐにリリアの背後に回ると、手にしていたナイフを背中に突き刺した。吹き出た血がシーナの顔、服を汚す。
「それだけじゃ、私を殺せないわよ?」
リリアの脇からナイフが伸びてきて、シーナの胸元を突き刺した。急に視界がぐらりと歪み、足から力が抜けていくのが感じられた。
「さっきも言ったけど、相手を殺すならさっさとすること。あなたのダメ……なとこ……」
言い終わる前に、リリアはぐらりと崩れ落ちた。リリアに突き刺していたナイフにシーナはさらに力を入れ、深くまで抉るように刃先を動かした。




