12 捜索(二) ②
男は何者かの襲撃を受けたものの、シーナは無傷だった。それに、追加で攻撃される気配もない。まるで、最初からシーナに攻撃する気はなかったかのようだ。
しかし、ここは現代魔法研究所内。もし最初からシーナを攻撃する気がないなら、それはそれで気持ちが悪い。
シーナはしばらく室内に留まっていたが、追加の攻撃などが来ないため、部屋から駆け出た。
ナッツを連れ、彼女らは研究所から出てきた。もう随分と暗くなっている。
二人は再び例の水路内にやってきた。
「……だから、ステラはもう死んでいると思う。わかったでしょ?」
シーナの口調が若干キツくなっているのは、ナッツがあまりにも理解してくれないからだ。
「でも、死体を見ていないんでしょ? なら、生きている可能性だってある」
「内部的に処分されているのよ。そもそも、今の時点で死体が安置されているかさえ不明」
「でも、見ていないなら確定ではないはずだ」
ナッツがまた研究所内に戻ろうとするため、シーナはその手を引っ張った。
「ダメだって。そんなことしたって、誰も戻ってこない。何も変わらない。それどころか、あなたが帰ってこなくなって心配する人だって出てくるかもしれない」
「でも……」
それでもシーナの手を振り切って行こうとするため、彼女は思わず頬を平手打ちした。直後、ナッツはピタリと動かなくなった。
「わかる? 相手は、仲間であっても、同情もせず首を切り落として殺すような連中なの。そんな人間たちが、外部からノコノコやってきたバカそうな人間相手に、無駄に処刑を遅らせるなんてことすると思う? ……ステラは彼らに殺された。わかった?」
シーナはナッツの腕を思い切り引っ張り、水路内に投げ飛ばした。水の跳ねる音が水路内をこだまする。
「この中で行われているらしい謎の研究のことは、まだ何もわかっていないの。そんな状況で、無駄な仕事を増やさないで」
ナッツは黙ったままだった。ようやくシーナの怒り具合を理解したのだろう。
「アイリス、早く来ないかな……」
シーナはイライラしたまま呟いた。
水路の入り口の方からわずかな光が差し込んできたことに気が付き、シーナは目が覚めた。水路の壁にもたれたまま眠ってしまっていたようだ。
向かいの壁にはナッツが眠っている。よかった、変な気を起こさずに、一晩ここにいてくれたようだ。
昨夜は少しキツく言いすぎただろうか、などと考えながら、シーナは水路からそっと歩み出てみた。現代魔法研究所は相変わらず無機質にそこに建っている。
予定では、本日中にはアイリスがここにやってくるはずだ。シーナがここに来ていることを考えると、午前中には到着できるように手筈を整えているはずだろう。それまでは、辛抱強くここで待つしかない。
水路の中で体勢を変えながら、シーナはただひたすらアイリスがやってくるのを待っていた。
それから数時間経っただろうか。陽は真上に来ているというのに、まだアイリスの姿はどこにも見えない。シーナは待ちくたびれて、とうとう水路から出てきた。そして、現代魔法研究所の出入り口が見える場所までやってくると、しばらくそこから状況を観察していた。
すぐにシーナは問題を理解した。門からやってきた一人の女性。よく見ると、リリア・ボードだ。どうしてこんな場所をうろうろしているのか。
シーナはまずは隠れたまま、リリアの行動を窺っていた。辺りを見回し、まるで何かを探しているような仕草を見せつつ研究所内に入っていった。
遅れを取らないようシーナも急いで研究所に入った。リリアの姿は見失ってしまったが、入り口からすぐに見えないということは、研究室の内部まで入り込んだのだろう。
シーナは中央に伸びる廊下を突き当たりまで進んだ。
そこで異変に気が付き、彼女は足を止めた。
「誰かに見られている……」
シーナは咄嗟に振り返ったが、誰もいない。
そう思った直後、直後からナイフが振られた。刃先が首を少しだけ掠めたが、わずかに血が飛び散っただけで済んだ。
「誰!?」
叫んだが無用だった。そこにいたのはリリアだ。そして、複数の研究員たちがその後ろで構えている。
シーナは即座に彼女たちから離れた。
「リリア、説明して。これはどういうこと?」
「ごめんなさいね。こうするしかなかったのよ」
「昨日はリリアがやったのね?」
「ああ、そのこと。そうよ、全部聞いていた」
シーナは昨日出会った医者がリリアに殺されたことを理解した。推測は正しかったが、まさか実行犯がリリアだったとは。
「アイリスはいつ来るの?」
「アイリス? さて、何のことやら」
「……最初から私のことを嵌めていたのね」
シーナは袖からナイフを滑り出し、右手に強く握った。
「私をどうするつもり?」
「どうするのか、今後のことは私も知らない。ただ無力化して捕まえるだけよ」
「やっぱり、カクリスの人間だったんだ」
「やっぱり?」
シーナは簡潔に、内部的にリリアの存在を疑っていたことを説明した。
「なるほど。まあ、今日まで何も行動を起こせなかったのは、あなたたちの実力不足ね」
「仲間を疑えなんて、誰も教えてくれなかったから」
「さて。仲間かしらね」
リリアはナイフを数回回し、また握り直した。
「とにかく、私たちに同行するなら、攻撃はしないであげる。抵抗するなら、残念ながら攻撃対象よ。どうする?」
リリアは「あなたはバカじゃないでしょう?」と付け加え、ナイフの先端を真っ直ぐシーナに向けた。
後ろの研究員たちは手錠を携えている。マージが魔法を使えないようにするための手錠だ。とはいっても、単に魔法の発動に必要な血液の流れを止めるだけで、特別な細工はない。シーナが同行すると言えば、両腕に装着するのだろう。
「ここで研究が行われていると言っていた。それも嘘だったの?」
「いいえ、それは本当よ。奇妙な研究が行われている。……それが全くわかっていないというのは嘘ね。私も少しだけ研究内容を知っている」
「じゃあ、ダランから遠くて、現代魔法研究所の身内がたくさんいる場所に私を誘き出したってわけ」
「まあ、そうなるわね」
「私を殺そうと?」
「言ったじゃない、殺すわけではないわ。捕まえるのが目的よ」
シーナはナイフをリリアに向けたまま、ゆっくりと後退りした。
「残念ながら、この状況を学校に伝える必要があるもので、捕まるわけにもいかないの。じゃあね」
アープで飛ぼうとしたが、リリアが先に攻撃を仕掛けてきた。シーナのナイフを握っている方の腕を掴むと、もう一方の手で横腹を切り付けた。
リリアの持っている先の鋭いナイフは、ダランの学校から支給されているものではなく個人的に調達しているもので、切れ味が抜群に良い。熱いような痛みが体内から湧き上がるように感じられた。
「逃がさないから。言っておくけど、あなたと私の力の差は歴然よ」
リリアは耳元で告げると、今度はシーナの持っていたナイフをもぎ取り、自身のレッグホルスターに収納した。
「さて。これであなたは戦えない。どうする? もっと切られたい?」
まるで余裕の表情のリリアを前に、シーナはかなり焦った表情をしていた。なんとかしてダランに戻ることが優先されるが、アープで飛ぶこともできないとなると、この場をやり過ごすのはかなり難しい。
「でも、リリアに捕まるわけにもいかないの……」
シーナは基礎共通魔法のメッリーサを、リリアに向けて勢いよく飛ばした。リリアはサラリと躱したが、後ろにいた研究員には直撃し、腕が一本飛んでいった。
学校では基礎共通魔法をこのように利用することは学ばないが、シーナが独自に実戦を勉強してきた中で獲得した技だ。実際、その成り立ちから理解できるように、魔法は戦闘で使うことが想定されていた。そのため、魔力の使い方を工夫すれば、このように強力な魔法にすることも可能だ。
「なるほど。抵抗する、ということね」
リリアは呟くと、ナイフをまた握り直した。